恋逢話 3
「何なんだよ、一体。あと30分くらい待てなかったのかっ」
抑えようとしても怒りの表情が少し顔にでている。乱暴に店にもどってきた柵原は、事務所に向かった。事務所には清美とチーフが待っていた。
「すみません。いつお戻りになるか分からなかったので…」
チーフは少し苦い顔をしながら言い訳をする清美を見ている。
柵原は上着を脱いで、自分の机の前に立った。
「で?」
チーフが一冊の雑誌を見せる。
それはスイーツの専門誌で柵原のデザートもいつも載っている。
その雑誌は最新号で、今日発売されたばかりのものだった。
「ごらんになられましたか?」
清美の問いかけに、柵原は首を横に振って答える。
「何かあったか…?」
チーフの開いたページを柵原は凝視する。
「これ…」
「もちろん、先生のモノではありません」
チーフからひったくるように、その雑誌を柵原は取った。その手は怒りで震えているようだ。
「どういうことだっ。この前といい、今回といいっ!!」
チーフは唇をかみしめ、何も言わない。
「江藤っ、お前なんか知ってるか」
「いいえ。私も雑誌を見てびっくりしていたところで…」
雑誌に載っていた、デザート。
それは柵原が今季節に発表しようとしていたケーキとまるで同じケーキだった。
外見も、味もコンセプトも、まるっきり柵原の頭から抜けでたようなモノだった。
柵原は大きく息を付くと、今度は静かに二人に言った。
「これ…どこの?」
「南青山の『sweet garden』です」
「あぁ…佐竹さんとこか…」柵原は苦笑いを浮かべる。
「でも佐竹さんは…」
清美は思わず口を挟んだ。
「分かってる。そんな事する人じゃない。それに…今までどれもバラバラだしな」
疲れた表情を見せた柵原は次に大きく伸びをした。
「さーってと午後の仕込みにはいりますかね」
「せ、先生っ」
「あ、清美。昼休みとった?」
「いえ、まだ」
「あぁ、だったら一応、このケーキ、佐竹さんとこの誰が作ったかだけ調べといて」
「分かりました」
柵原とチーフが並んで事務所を出る。その出際、柵原のつぶやきを清美は聞いていた。
「何件目だよ、これ…才能も枯れ果てちまうっての、いくら天才だからってよ…」
机をこぶしで叩く鈍い音が、ドアが閉じる音にまぎれて、聞こえた。
+++
やっと柵原の騒ぎから落ち着きを取り戻した香に美樹は紅茶をだした。
「たまにはいいでしょ?」
「ありがとう美樹さん」
香は素直にそれを受け取り、しみじみと味わった。
「それにしても…美樹さんと柵原さん、いつの間にあんなに親しくなったの?」
「え?」
「だって、ケーキの作り方教えてもらうなんて…」
「いやね。今日初めて会ったのよ。さっきうちのケーキ食べて頂いたんだけど、そのときに『柵原さんから教えてもらえたら
もっと美味しくなりますわ』なんてしゃべってたのよ。だけど、教えてくれる・くれないは社交辞令として聞いておくわ」
「そうかなー。柵原さんだったら、ちゃんと教えてくれると思うけど…」
美樹は心の中で苦笑いをした。
さっきの様子をみれば柵原の考えはすぐに伝わった。どう考えてもケーキは口実だ。
ただ香本人ではなく美樹にあたりをつけたところがなかなか抜け目のない人だと感じる。
香本人に「また会いたい」と言ったならばあの場で断られると踏んだのだろう。
だけどケーキにかこつけて会いに来たのなら香が断ることはできない。
それに彼はここに来て、彼女がかなり頻繁に出入りしてることに気がついただろう。
ーまたここにくれば高い確率で香に会えるーそう踏んだとしてもわからなくもない。
美樹はちらりと香を見た。
さっき、柵原が帰る間際、香は柵原の言葉に『No』を言おうとしていた。
基本的に香は熱心な好意を受ける事に戸惑いを覚る。そして動揺しつつ強引な相手だとそのまま流されていきがちだ。
そんな香が自分から、意思を持って断ろうとしていた。その心境の変化が美樹にはうれしくもあり、意外にも思えたのだった。
「ねぇ?なにがあったの。もし嫌でなかったら聞かせてくれない?」
美樹がそう問いかけると香はこくりとうなずいて話し始めた。
+++
「先生。そんな「親の仇」みたいな顔してケーキ食べないでください」
絵梨子の秘書、坂上が呆れ顔で絵梨子の前に紅茶をだしながら言う。
「せっかく柵原先生の所からいただいたんですよ。これ本当に人気で今なかなか食べられないんですから」
そんな坂上の言葉に余計いらいらしたように絵梨子はケーキのフォークを突き刺した。
「親の仇みたいなもんよ。寄りにもよって香に手を出そうとするなんて。こんなケーキくらいじゃ許さないんだから」
坂上はそんな絵梨子の様子を苦笑いをうかべつつ放っておいた。
「これ、アキが持ってきたの?」
「いいえ。アシスタントの江藤さんが、先程」
「あぁ、清美ちゃんね。この前のパーティーの時も裏を仕切っててくれたわ。アキが一応ちゃんとやっていけてるのっだって彼女がいてこそじゃないのよねぇ」
そういうと絵梨子は最後の一切れのケーキを口にいれた。
「それにしても、先生どうなさるんですか?」
「なぁに?」絵梨子は大きな伸びをして、完全にくつろぎモードに入っている。
「柵原さんの…依頼する予定だったんですよね?でもこんな騒ぎじゃ…」
「あ、あーーーーーっ!!そうよ、そうじゃない!!」
「冴羽さん、平気ですか…ね?」
坂上の言葉に絵梨子は頬を膨らます。
「もう、知らないわよっ。元はといえばアキが悪いんだから、もー知らない。もー勝手にしてっ」
そのまま絵梨子は別室に消えてしまった。
坂上はため息をついきながら、内線をとる。
「坂上です。30分後裏に車用意しておいてください。えぇ、先生がお一人で。えぇ、新宿です。向こうについたら先生の指示に従ってください」
+++
「あーら~」
かすみがこの場にいたら「おばさんくさいですよ」といわれてしまうような相槌をうってしまった。
香の話を聞き終わって思わずでた言葉だ。
「じゃあ、本当に挨拶みたいだったわけだ」
どうりで香がいつもどおりに振舞っていたわけだ。
「うん。パリに留学していたっていうし。だからまさか…さっきみたいなこと言われるなんて…」
思っても見なかった。と、小さく香がつぶやいた。
「でも、私ちょっとびっくりしちゃった」
「え?」
いつも自分をからかうときの笑い方をした美樹に、香は少し構えた。
「だってー香さん、断ろうとしていたでしょ?柵原さんに」
「み、美樹さん…」
「柵原さんて結構細身で、香さんの好きなタイプじゃない?やさしそうだし、お付き合いしてみてもよかったんじゃない?」
「そそんなこと…まだ一回しか会ったことないのよ」
「そんなの、これから会っていけばいいことでしょ?」
「もう、美樹さんてば!!あたし彼氏なんていらないんですっ」
「あら?冴羽さんが期待に応えてくれるのかしら♪」
「も、もう。からかわないで!あたしは仕事に生きるって決めてるのっ!!」
「本当に?」
香は唇をかみ締めると、そっと美樹をみた。
「美樹さん、あんまり虐めないでよ…あ、あたしは」
「ごめんごめん」一通り笑った後、美樹は言った。
「あたしはあいつの側にいるって決めてるから…」
小さい、でも確固とした香の声が人のいない店内に響いた。美樹もその言葉に応えるように笑顔を見せた。
「それならしょうがないわね、良い人だと思ったけど残念♪ケーキだけ教えてもらいましょ」
そんな美樹の様子を見ながら香はため息をついた。
「でも…さっきのって、柵原さんに聞こえてなかったわよね…」
「あわただしくしてたから…」
香がカウンターに突っ伏す。「あー。あたしちゃんと柵原さんに言えるかしら…?」
そんな香の様子と台詞に美樹も苦笑いをする。
香が言ったこと、それこそが美樹も不安に思っていたことだから。
+++
気まずい雰囲気の車内。
といっても後部座席で互いに目いっぱい距離をとろうと努力している二人は特に気にしていない。
気まずい雰囲気を感じているのは、運転手だけだった。やっと我慢できる位置をみつけたのだろうか、彼女が聞かせるためのため息をついた。
「あーあ、忙しいのにこんなことに付き合わなくちゃいけないのかしら」
言われた男もむっとした顔をする。
「エリーが強引に連れてきたんだろ。俺は頼んでない。こっちだって忙しいんだ」
「…あなた、まだそんなこと言ってるの。清美ちゃんに聞いたわ。今日もあったんでしょ?」
柵原はそっぽを向いて窓の外をみつめる。
「だからって…大きな被害になってるわけじゃない。偶然の可能性だって…」
柵原が言い終わる前に絵梨子が遮った。
「ないわよっ、そんなの。あなただってわかってるでしょう。早めに手をうたないと次は何をされるかもわかんないのよ」
「……」
「人を信じるのもいいけど、自衛しないと今の世の中、渡っていけないわよ。何もなきゃないでいいじゃない」絵梨子は怒り声ではなく、ため息交じりに言った。
「…その人は信用できるのか?」
絵梨子は力なく笑った。
「まぁ、ね。なんにもなければ信頼できるんだけれど…」
「なんだぁ、それ。エリーが「すっごいお勧め」って言ったんだぞ」
「あんたがいけないんじゃないっ」
「俺はなにもしてないっつーの」
二人はまた、お互いに大きく顔を背けあった。
そんな様子をミラー越しに覗いていた運転手が、やっと途切れた会話に入った。
「あの。北原先生、こちらでよろしいでしょうか?」
絵梨子は窓の外を見上げる。
そこにはサエバアパートがそびえたっている。(ように今の絵梨子には見えた)
「えぇ。30分くらいだと思うけど、タクシーで帰るから戻っていいわよ」
「かしこまりました」
運転手の開けたドアから絵梨子がでる。
車内ではまだ柵原が不満そうな表情でいた。
「なんか大業だよなぁ」
「文句は出てから言いなさいよ」しぶしぶな様子で柵原は外にでて、アパートを見上げる。
「彼の機嫌が良ければいいんだけれど…」誰ともなく、絵梨子は階段をあがりながらつぶやいた。
「ほら、さっさと歩く。あんたにとっては…そんなに嫌なことばかりでもないかもしれないわよ」
そんな絵梨子の言葉にハテナマークを浮かべながらも、柵原は静かに階段を上がっていった。
部屋に入って絵梨子は後悔をした。
やっぱり香に連絡してくるべきだったのだ。
ここに皆がそろうとややこしいことになると思って、直接彼に連絡をとったのだが…。
頭の中で絵梨子は大きなため息をつく。もともとはちゃんと香経由で依頼するつもりだったのに、自分のパーティーでの香と柵原の事件のせいで、こんなややこしいことになってしまったのだ。
目の前の男はなんの感情のない表情で、足と腕を組みソファに身体をあずけている。
柵原はそんな様子も気にすることなく、ソファに座ると部屋を眺めていた。
「で?用件はなんだい、絵梨子さん。電話では依頼って聞いたけど」
僚はタバコに火をつけながら問うた。
「え、あぁそ、そうなのよ。この…」
「俺は男の依頼は受けないってしらない?絵梨子さん」
「依頼は私がするんだからっ」
「ヤローのボディガードはいくら積まれてもやる気しねえなぁ」
「…っ」絵梨子は二の句が告げなくなって、そのままソファに座り込んだ。
僚と柵原は対峙しているが、二人とも何も言わなかった。しばらくお互いにお互いを観察しているようだったが、さすがに絵梨子がしびれを切らして声をかけようとした時に、柵原が立ち上がった。
「だから言ったろ、エリー。やっぱ大げさだったんだ。実害がでてから警察にでもいくさ。帰ろうぜ」
僚を一瞥もしないで、絵梨子の前を通りすぎようとする。
「ちょっと待ちなさいよ」
「そうそう絵梨子さんもその彼氏と一緒に帰った、帰った。僚ちゃんもう一眠りしよーっと」
「冴羽さんも引き留めなさいよ。もう何ヶ月仕事しないの?この前のパーティーの時だって香が愚痴ってたわよっ」一瞬、リビングの空気が止まったように感じた。
「香って…?」
リビングを出ようとしていた柵原が絵梨子を振り返る。
絵梨子は自分の失言を後悔するように、僚を見た。僚は先ほどより少し眉間にしわを寄せた顔をしているが、何も言わなかった。
「エリー、どういうこと?香って、あの香さんのこと?」
「あ・・・あぁ、うーん。えっとぉ」
「エリーっ」
詰め寄った柵原の声にかぶるように僚が口を挟む。
「君とあつーいキスをしていた相手の事だったら、そうだよ。同じ人物だ」
「冴羽さんっ」
柵原が僚に近づいた。
「あなたは香さん…どんな関係なんですか?」
僚は柵原を一瞥すると、短くなったタバコを灰皿に押し付けた。
「無関係…だったら楽だわな」
そのまま僚は身体を反転させて、ソファの背もたれに顔を向け、目を閉じる。
「ちょっとっ」柵原はそんな僚を苦々しい表情で見てる。
絵梨子は大げさにため息を吐いた。
「もう…やっぱり素直に香に直接連絡とるべきだったわね。帰りましょう、アキ。こうなったら…」
絵梨子はぴくりともしない僚の背中に、とりあえず今日のところはあきらめることにした。
柵原もそれには素直に応じ、ドアに無言で足を向ける。
「あれ?絵梨子だったんだ?あ、柵原さんも一緒?どうした…の?」
ドアを開けて入ってきたのは買い物袋を手にした話題の彼女だった。
「かーおーり~」
「香さんっ」絵梨子と柵原の声が重なる。
香は頭の中はハテナを浮かべながらも絵梨子の顔を見て笑顔になり、柵原と目があって戸惑った。
そして、ソファに寝転ぶ相棒の姿に、少し寂しさを感じる。
「え、ちょっと帰るの?時間あるならコーヒー入れてくるからちょっと座って待ってて。ね、すぐだから」
絵梨子と柵原がソファに戻ったのを見て取ると、香はバタバタと音を立てて出て行った。
人数分のコーヒーをもって香がリビングに戻ってくる。
「びっくりしたわ。来るなら来るって連絡くれればいいのに~」
来客用のロングソファは僚が寝転んでいたので、絵梨子と柵原は一人用の角ソファにそれぞれ座った。不承不承起き上がった僚の隣が空いたので、香は自然にそこに座る。
柵原がちらりとその様子を見た。
香の言葉に絵梨子は苦笑いを浮かべる。
「うん、真剣にそうすれば良かった。なーんておもってたとこ」
「それで?どうしたの?もしかして絵梨子、また狙われてるの?」
心配顔で香が問いかける。
「今回は私じゃなくて…」
「僕なんです」
「え?柵原さん…が」
香の問いかけに、さっきまで「どうでもいい」なんていっていたのをおくびにもださず、柵原はうなずいた。
「なにがあったんですかっ」
香は前のめりになって話を聞く体制をとる。
柵原が口に出そうとしたその瞬間、僚のさえぎる声が聞こえた。
「俺は男の依頼は受けないって言ってるだろ、香」
香が僚をにらみつける。おちゃらけた口調だったのに、僚の目はいたく真剣だった。
「僚っ!知り合いが困ってるのに見殺しにする気?」
「絵梨子さんはまだしも俺はその彼の名前もしらないぜぇ?香ちゃん」
「だから。さっき紹介しようとおもったのに…」
めずらしく絵梨子の声は小さくささやくだけで、にらみ合っている僚と香には聞こえていないようだった。僚のセリフを聞いて、柵原が立ち上がる。
「遅くなりました。改めて…」
僚は片手を挙げて、柵原の発言を止めた。
「挨拶はいらない。俺は男の依頼は受けない。それだけだ。悪いが帰ってもらおうか」
「僚っ、いい加減にしてよ」
「そうよ、冴羽さん。私からも改めてお願いするわ」
香は怒り顔で、絵梨子はねだり顔で僚に詰め寄るが、僚は表情を変えない。
「あんたねー、今のうちの家計状況わかってるのっ!?依頼の選り好みなんできる状況なんてないのよ」
「それをやりくりするのがお前の仕事だろーが」
そう吐き捨てるように言うと、僚はリビングを出ていこうとする。
「僚…」
どすんっ ビルがそのまま崩れ落ちるかと錯覚する音と振動があった。
「それじゃあ。やりくりするために、この依頼うけますっ。イ、イ、ワ、ね。僚」
一瞬の間にハンマーを収納し、僚のえり足を掴んでソファに戻した。
「絵梨子も柵原さんも、席にもどって?詳しい話聞かせてもらえる?」
香の満面の笑みも、つぶれた僚を見せつけられると、さすがに陰る。
とりあえず依頼を受けて貰えそうだと踏んだ絵梨子は、柵原に話を促した。
「実は…」
柵原は唇をかみ締めながら、話をはじめた。