恋逢話2


それは良くあるゴシップの一つだった。
芸能人が、スポーツ選手が…結婚しただの離婚しただの、熱愛不倫、二股破局…
いつもはテレビで見てるだけ、ただ耳から耳へと流れている、それらのことが自分に降りかかるなんてー彼女はそれに気づかないで、日常の生活に戻っていった。

+++

やけに尖った靴音を鳴らしてデザイナーはそのドアを開けた。
開店前のせわしない時間、一心不乱に作業をしていた従業員たちは一瞬手を止め、開かれたドアをみた。彼女はそれを気にもせず、
つかつかと厨房を横切ると目的の人物の前に立つと襟元をつかんで、自分の方に顔を向けさせた。

「ちょっと、なにシカトしてんのよ」
怒りを込めた声にもなんの関心も無いように、柵原は笑顔を見せる。

「よお、エリー。こんな早く、しかも店にくるなんてめずらしいこともあるもんだ。だけど本当にこの時間は
忙しいんだよね、見てわからない?」
「私がここまで出向いて、何を言いたいかを今更聞くわけじゃないでしょうね」
「いや、ききたいけど?」

柵原は口端で笑みを浮かべた。そんな笑みに絵梨子は余計いらいらとした。
そして手にしていた雑誌をそのまま柵原の顔に叩き付けた。

雑誌は音を立てて柵原にぶつかると、そのまま引力の法則にのっとって落ちていく。
ボウルに落ちる前に苦い顔をしながら、柵原は手に取った。
苦い顔をしたのは雑誌をぶつけられたからではない、お菓子作りの工程をことごとく邪魔されているからだ。
柵原はそのまま雑誌を開いた。

周りで作業していた従業員たちが一瞬息を呑んだのを絵梨子は感じた。
彼らは知っている。だからって彼らに何かができるわけではないのはわかっていた。

柵原は絵梨子が言わんとする記事を見つけたようだった。
雑誌の前の方のページをすっと読んでいる。すぐに読み終わったのか、顔をあげ絵梨子に言った。

「で?」
「で、じゃないでしょ。どういうつもりなのよっ」
「エリー、つば飛ぶって。あのさ、なんでこんないいかげんな記事にそこまで怒るわけ?ほっとけばいいじゃん」
「ほっとけるわけないでしょ」
「なんでさ。俺にとってはこれは挨拶みたいなもんだし、エリーの会場ではあったけれどエリー自身に迷惑はかかってないだろう?」
「香を巻き込んでるじゃない」
柵原は少し眉根をよせつつ、苦笑いを浮かべる。

「そうだけど…。それこそエリーには関係ない。親友だってそこまで口出すのはおせっかいだよ」
「香は。香にはもう大事な人がいるんだから、あんたがちょっかいかけたって無駄なの。あんたの遊びに付き合わせていらぬ苦労掛けたくないだけだわ」
絵梨子は言いたいことを言うとため息を吐き出し、店から出ようときびすを返した。

「そんなこと…香ちゃんは言ってなかったけどね?リングもしてなかったし」
思わず絵梨子は振り向いた。
「それに遊びだなんて、だれが言った?」
「えっ…」
振り向いた絵梨子の鼻先で、厨房のドアが閉まった。

+++


「うー、さむ。美樹ちゃん、コーヒー頂戴」

大きな身体を縮こませて、僚はいつものようにキャッツに入ってきた。
キャッツにはいつものように客の姿はなく、今日はバイトのかすみも僚の遊び相手の海坊主もいなかった。美樹は少し眉間にしわを浮かべたようだが、すぐにいつもの微笑みを浮かべた。

「あら。いつもより早いんじゃないの、冴羽さん」
「美樹ちゃんの素敵な笑顔を見にきたのさ」
「まったく相変わらずね…。香さんなら今日はまだ来てないわよ」
ため息を吐きながら美樹はコーヒーを淹れ、僚に差し出す。
「別にあいつがどこに居ようと関係ないね」
僚は言いながら一口飲んだ。

「何言ってるの。あなたも見たんでしょ、今朝の…」
僚はうつむきかげんでタバコに火をつけている。だからといって自分のグチを聞いていないわけもないだろう。美樹は再びため息を吐いた。
あのニュースを美樹はかすみからの話で聞いた。
そして急いでテレビをつけたのだ。
「あぁ、見たけどね」
「どうするの?」
僚は大きくタバコの煙を吐き出すと、灰皿のふちに置いた。

「別にどうも?俺がどうすることでもないだろう」

いつものように飄々とした態度に、美樹はいらいらすることを押さえることができなかった。
「なんでそんこと言うの!!香さんがあの人のところに行ったらっ」
僚はそれを笑みで受け止めた。それがまた癪に障る。
「それならそれでかまわない。香が決めたことに俺がとやかくいうことでもないしな。ま連絡先くらいは聞いておかなくちゃならんだろうが」
「だって、香さんはパートナーなのに。ここまで二人でやってきたのに」

そんな美樹の声を聞きながら僚はコーヒーを飲んだ。
美樹が香を友人以上、まるで妹のように思っているのは僚も気づいていた。それは香もだろうけれど。だからこそ、美樹にはこの状況に黙ってはおられないのだ。
いつもはそのまま言わせるにまかせている僚だが、少し美樹に付き合ってしまいたくなった。

そしてタバコに口をつける。

「…表に戻る道筋ができるんなら、それに乗せてやるのがいいと思わない?」
僚のあまりに淡々とした口調に一瞬美樹は聞き流しそうになった。そのあとまた軽口をたたいたのかと文句の一つでもいってやろうかと思った。
だけれどその内容に虚をつかれてしまった。声が詰まってでてこない。

僚は悠々とタバコをふかしている。
「…香さんがそれを願ってなくても?」
かろうじてかすれた声がでた。泣き声に聞こえたかもしれない…言って美樹はうつむいた。
問いに答えた僚の笑顔があまりにも悲しかったからだった。

「…わからないわよね、それは…」
それ以上美樹はなにもいえず、ただ僚のコーヒーを入れ替えただけだった。
2杯のコーヒーを飲むと、僚は席を立った。

「あら、もう行くの?香さんもそろそろ来ると思うから待ってればいいのに」
美樹は掛け時計を見上げて言った。

「いんや、止めておくよ」
僚はジーンズのポケットから小銭をとりだすと、カウンターに置いて出ていこうとする。
「冴羽さん」
僚は無言で振り向いた。

「これ、2杯目はサービスだから多いわよ」
そういうと美樹は数枚のコインを僚に向って投げた。
僚は少し驚いた表情をみせつつ、軽くそれを受け取った。

「サンキュ」
僚はガラス扉に少し身体をもたれかけ体重でドアを開けた。
「いろいろ、面倒かけてすまんね」
その言葉に美樹は笑った。


その頃、香は新宿駅構内を肩を落として歩いていた。

いつものようにいつもの如く、掲示板に「XYZ」の文字は見当たらない。
ただ、今日気が重いのはそれだけが理由ではなかった。

今朝何気なくつけたテレビ、絵梨子のパーティーが映っていたので、見ていたら…昨日のあのシーン。
帰り際のキスシーンが大々的に画面に映っていたのだ。

番組ではそれをおもしろおかしくナレーションをつけて放送していた。

いわく『人気パティシエ、モデルと熱愛』いわく『熱烈キッスで恋人、お披露目』
『北原エリがキューピット。ラブラブな雰囲気で会場の目もくぎずけっ!』
香の顔も丸分かりで、しかも頬にされたキスがなぜか口付けをしているように映っている。

急いでテレビを点けたまま絵梨子に電話をしたが通じなかった。
それを思い出して、また香は大きなため息を吐く。

(柵原さんにとっては挨拶みたいなものなのに…どうしよう、こんなに大騒ぎになって)
とぼとぼと歩くその行き先はいつもの喫茶店しかなかった。

美樹は僚が出て行き、また一人になった店内でテレビを点けた。
まだワイドショーは香と柵原の件を映し出している。テレビの音はあえて出さなかった。それがなくても何を話しているのが分かりやすいほど、画面からにじんでいる。

戸惑った香の表情、柵原の楽しい気ともいえる表情。
柵原は香の腰をかなり強く引き寄せている。壁際に立っている香はそれ以上後ろにも下がれないのだろう、背中を反って柵原を見上げている。そこに柵原は口付けをした…

繰り返される映像にうんざりし、美樹はテレビを消した。
柵原がなんであんなことをしたのかがわからない。もしかしたら香でなくても女性にはああいうことをするような人なのかもしれない。それだったらいいのだけれど。

それでも心配なのは抵抗をしていない様子の香と、柵原が彼女好みのやさしそうな細身の男性だったこと。
そしてなにより、さっきまでここに居た素直でない彼女のパートナーの様子を見ていたからだった。
美樹が考えていると、入り口のベルが軽く音をたてた。

「いらっしゃいませ…」
最後の「せ」は音になっていたかわからない。その時美樹は音を飲み込んだ。

+++

朝のイレギュラーな出来事のおかげで厨房はバタバタしていた。

(やっとあのパーティーをとりあえず終えることができたというのに…)
いつものペースで皆の作業ができていない。
いつもならきわどいところすれすれでうまく行くところは、今日はすれすれでうまくできない。

「きゃっ」小さな叫び声と一緒にボールが何個か落ちる音がする。
「気をつけろ、なにやってんだ。夜の店頭に間に合わないだろっ」

みんながいらいらしている。この原因は…

「江藤っ。先生はどこいったんだっ」
チーフの声に清美はうんざりした声にならないように気をつけて言った。
「すみません…ちょっと出てくると。1時間くらいでもどってくるそうです」
「はぁ?場所は」
「…わかりません。フリーの時まで縛られたくないとおっしゃって」
「そんな事ですむと思ってるのか。この注文捌けなかったらどうすんだよ、まったく」
まだ年若いチーフは苛立ちを隠す気も無いように言い捨てると、また作業に戻った。

よっぽど緊急の時はポケベルを鳴らしていいとは言われている。がそれは言わない。だったら呼び出せといわれるだけだ。そして呼び出したほうも呼び出されたほうも機嫌は直らない。
だけどわかっているけど昨日の今日だ。本当は先生にお店に残って仕事をしていて欲しかった。

それでどれだけ皆の士気があがるかわからない。どこに行っているのか、清美にはなんとなく見当がついている。
今朝、テレビで見た。そして北原エリが言っていた…あの彼女。

先生はきっと彼女に会いに行ったのだ。
清美は一心不乱に手を動かして、「柵原アキ」のデザートを作り上げていた。

「先生の熱愛か…」

休憩時間、清美は絵梨子の持ってきた雑誌を読んでいた。これはまだ発売されていない。
自分のパーティーで起こった事件だけに、知り合いの雑誌記者にでも持ってこさせたのかもしれない…

『ERI KITAHARA』は大きな話題になっていて、新しいラインは若い子にもとても人気になっている。
記者もそんな人気デザイナーに頼まれたら、部署が違くともなんとかしてしまうだろう。
雑誌は見なくても、朝からこの事はワイドショーの一番のニュースになっていた。

柵原は独身でしかもパティシエだ。本来、彼女ができても別に話題になることでもない。それなのに今回こんなにニュースになってるのは、やはり最近の柵原のメディアの露出の多さだろう。
爽やかな外見と、華麗な経験。それだけでない美味しい技術ー
それが今の時代にマッチしたのか、取材は多くなる一方だ。

(取材ばっかりいれると新しいお菓子の研究ができないって怒るくせに…こういうことはできるのね)

清美は記事写真の柵原を弾いた。その流れで香の顔を見つめる。

(イヤんなっちゃうくらい、先生の好みのど真ん中なんだから)

大きな音を立てて、雑誌を閉じる。週末にはコンビニや駅売店の店頭でこれが販売されるのだろう。
「もうほんと、こんな事にかまけてる暇なんてないんだからー」

柵原の机の上には確認する書類が積まれている。
清美はそれをみて、なんともいえないため息をついた。


+++


「あの…やってますか?」
その言葉に、暫し呆然としていた美樹はやっと声をだした。

「はい。どうぞ。いらっしゃいませ」
美樹は入ってきた男ー柵原にカウンターの席を勧めた。
柵原は少し微笑んでその席に座った。

「何になさいますか?」
「ブレンドと…」
柵原はカウンターの上の小さなメニュー表を見て言った。
「あと、今日は何のケーキがありますか?」

美樹はコーヒーの用意していた手を止めた。
「今日は…ショートケーキとチョコレートケーキ、チーズケーキ、あと紅茶のシフォンがあります」
「じゃあ、チーズケーキを…」
「はい、かしこまりました。柵原さんに食べていただくなんて、ちょっと感想が恐いですけど」

今度は柵原が少し驚いて苦笑いを浮かべた。
「ご存知でした…か?」
「今朝から何回もお見掛けしましたから。さすがに」

コーヒーのいい香りが店内に広がる。
「まいったなぁ。そんなに出てるんですか?」本当に少し困ったような表情を浮かべた。

それが美樹には不思議だった。柵原はすべてわかってやっていると思っていたからだ。
でなければ何故この店を知っていて、ここにくるのだろう。
美樹はコーヒーとケーキを差し出した。

「北原エリのコレクションというだけで注目されてますからね。それに柵原さんも御自身で思っているよりもずっと世間の注目の的ですよ」
「…俺はただのケーキ屋ですよ?」
「今は誰でも有名人になっちゃうんですよね。雑誌にあれだけでてテレビでも特集されて…。
 お店だって大繁盛しているじゃないですか。うちとは大違いだわ」
美樹は肩を竦めて笑いをとった。

柵原はケーキを一口くちにいれる。
「美味しい」
「まぁ、おせじでも光栄です」
「いや、本当に…あっさりしててでもチーズの香りと風味が効いてる」
「彼女も良く誉めてくれるわ」


柵原と美樹の目が合う。
「彼女…?」
「知っててここにいらしたんじゃないのかしら?」
入り口のカウベルの鳴く音が響いて、柵原は椅子ごと視線をそちらに向けた。

「こんにちはー。美樹さん」

そこには彼と噂の相手。柵原は立ち上がり、香は立ち尽くした。
「あ、びっくりしたー。なんで柵原さん、ここに居るんですか」
香はそういいながらいつも僚が座っている席についた。いつも香が座っている席は柳原が座っている。

「香さん、いつものでいい?」
香は首を縦に振り答えた。
「連絡をとりたかったんだけど、連絡先がわからなくて…。絵梨子にも繋がらなくて。でもここで逢えて良かった」
「俺と連絡とりたかったの?なんで」
瞬間、香の顔がピンクに染まっていく。

「あ、あのテレビ…見ましたか?今日」
「あぁ。あれね」
「ご、ごめんなさい」

香がぴょんと椅子から立ちあがり、柵原に頭を下げた。
「ちょ、ちょっと。何で香さんが謝るの」
柵原が慌てたように香を止める。
「だって…あれ、柵原さんにとっては挨拶みたいなものなのに…。それに…その」

美樹はますます赤くなった香の様子をみていた。
「あれ…頬に触れたのに。テレビに映ってるのを見ると…く口付けしてるみたいに見えるし…」
あせって立ったまま、香は淹れられたばかりのコーヒーを一気に飲んだ。
「あ。香さん、火傷するわよ」
美樹の忠告は耳に入らなかったようだ。
「あ、熱っ」
咳き込んだ香に柵原がコップの水を渡す。
「あ、ありがとうございます」
美樹もタオルを差し出す。一息ついた香に柵原が改めて言った。

「あれは香さんのせいじゃないし、俺もちょっと油断してたっていうか…。だけどこんなに大騒ぎになるとは思わなくて。ちょっとびっくりした」
「で、ですよねぇ」
香は両手で水を飲みながらブツブツと何かを言っていた。その様子を柵原は笑顔で見ていた。
「でも香さん、迷惑だったでしょ?キスシーンなんて。彼氏に怒られなかった?」
「か、彼氏なんていません!!」
また少し香はむせた。

「あ、そうなの?エリーがそんなような事を言ってたから」
美樹と香が顔を見合わせる。

「そういえば柵原さんはどうしてここが分かったんですか?」
美樹が先ほどから疑問に思った事を香が聞いた。
「絵梨子さんから聞かれたのかとおもったんだけれど」
「そうしようとおもったんですけどね…エリー意外とガード固くて」

香はほっとした。絵梨子を信用していないわけではないが、柵原と絵梨子の仲の良さを見ると少し不安もあったのだ。以前の依頼の時も、モデルのバイトの時も
香は住所は公にしないこと、本名も出来れば隠して置くこと。
今の仕事では自分の素性は極力知られないほうが良いに決まっている。

不用意に披露されるくらいなら、おかしいくらい隠したほうがいいと思って、それを絵梨子には徹底している。デザイン以外の事は置いてきぼりにしがちな絵梨子も
それだけは守ってくれていた。ただ…絵梨子は海外出張も多い、連絡役に秘書の坂上だけは、香の住所氏名を知っていた。もしかして…

香の不安が顔に出ていただろうか、柵原が答えをくれた。

「聞いたんですよ、坂上さんに」
「あ…」
「『日本に戻ってきて、エリーが良く行くのはどこ?』って」

柵原が口端で笑みを浮かべる。

「したら『キャッツアイ』って喫茶店には良く行ってます。ってね。教えてくれたのさ」
「えぇ、絵梨子さんはよく来てくださるわ」
「試しに聞いたんですけどね「モデルの香」の連絡先。教えて貰えなくってさ」

なんとも無いように言って、柵原は冷めたコーヒーを飲む。
香は坂上を疑ったことを反省した。

「エリーが良く来る喫茶店なら、コーヒーも美味しいだろうと思って、来てみました」
「ありがとうございます」
美樹の声に柵原はまた笑顔で応える。

そのあと柵原はスツールを少し回して、香の正面に向いた。
「そうしたら、香さんに会えた」

あまりに嬉しそうな柵原の様子に、香はもちろん美樹も何も言えなかった。
「あんなことがあったから、こっちの名刺も渡せなかったし。もう会えないかとおもっていたんだ」
しみじみと柵原は言った。誰に聞かすわけでもなく、本当にそう思っての言葉なのだろう。

美樹は香と柵原にお代わりのコーヒーを入れる。
二人同時にそれを一口飲みこんだ。

「…だけど、香さん、彼氏いないのかー…だったら良かった」
あまりに何気なくつぶやいたので、香は聞きこぼしそうになった。
「え?」
「良かったって…それは?」
固まってる香の変わりに美樹が問うた。

「俺、香さんに惚れました。いや、ショーを観た時から気になっていたんだけど、昨日逢って話をして。そして今日、再会して確信した」
柵原は立ち上がり、コーヒーカップを持ったままの香の手を自分の両手で包んだ。
「香さん。オレ、いや僕と付き合ってください」
柵原はそういうと、唇を固く閉じて香の瞳をじっと見つめる。


香は柵原のまっすぐな視線と、その告白に顔をまっ赤に染めている。口を開こうとも、なんの言葉も出てこないようだった。
美樹はその様子をただ呆然と見つめていた。
画面からの柵原の様子をみていると香に好意を持っているのは見て取れたのだけれど、それにしてもこんなに早い展開になるとは、
柵原がこんなに積極的に香に迫るとは考えてもみなかったのだ。

香は柵原に手を握られたまま、コーヒーを一口飲んだ。
そして柵原に手を握られたまま、そのカップをカウンターに戻す。やっと落ち着いたようだ。

「や、な原さん」
「はい」
「あの、ありがとうございます」
「じゃぁ…」柵原は万歳をしかけたのだろうか、その言葉を聞いて香から手を離した。
「ち、違くて!!すごい気持ちは嬉しいんですけど」

「はぁ…?」
「あ、あたし。すすすす好きな人が…」

美樹からすると意を決したような、香のセリフが柵原に向かって発せられようとした、その瞬間。
ピピピピピピ〜と、甲高い音が店内に響いた。

香と美樹が固まる。
柵原があせった様に自分のズボンのポケットに手を入れた。その画面を見て柵原が頭を抱えた。

「香さん、すいません。ちょっと店からで、至急に戻らなくちゃいけなくなりました」
「はぁ?」
「ほんと、すみません。また会って貰えますか?今日の件も…」
「え?!あ、ちょっと柵原さん。あの、ああたしは」

柵原はせわしなげに代金をカウンターに置くと、出入り口に足早に向かう。

「また、来ます。美樹さんにケーキのレシピを教えるって約束もしたので」
香が思わず美樹を見る。
柵原は美樹にウインクをしたように見えた。美樹は…察した。

「じゃあ」足早に柵原は出て行く。軽い音をたてて、柵原を送り出したドアは閉まった。

ひとり取り残された香は呆然としていた。

「な、なんでこんな事になるのよぉーーーーーー」

ひとりごちて、カウンターに突っ伏した。美樹が慰めてくれるように頭を撫でてくれる。
それに応えるように突っ伏したまま美樹を見上げる。美樹が笑顔で返した。

けれど美樹の笑顔と柔らかい手の感触にも今は癒されそうになかった。
 

続く

 

 


*冴羽氏が内面を吐露するのは好きではありません。
でも書いちゃった(てへ
今回は香ちゃんの出番が少ないなぁ。

 

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