crocodile tears9


「ふぅ、間一髪ぅ〜」
非常口であったろう所から飛び出したとたん、ビルが崩れ落ちて静かになった。
物々しく建っていたビルは跡形もなく、瓦礫の山だけが残っている。
 僚は抱えていた麻理絵を下ろした。
埃と瓦礫くずにまみれて、なんともひどい姿だった。思わず埃まみれの
頭をぽんぽんと叩いてやった。
「僚…」
「怖くなかったか?」
麻理絵はこっくりとうなずき、自分でも埃を叩く。
「それはなにより。さーってと早く帰って風呂はいるか」
「香さんが「僚が絶対助けにきてくれるから、信じて」って言ってた…
 私、途中で香さんと離れ離れにされたんだけど…香さんは…?」

こんな事に巻きこまれたのは初めてであろう、麻理絵がそれでもじっと助けを待つことが出来たのは香が一緒にいたからだ。
 アイツはいつだって、キツイ環境にいる依頼人に一時の安らぎと日常を取り戻してやることができる。香との安穏とした世間話から依頼人が事件に関する忘れていた事実や細かい事情を話せるようになることなんて日常茶飯事だ。
それはどんなに優秀な情報屋にだって手にいれることは難しいたぐいのものだろう。

アイツは立派のやってるよ、それでも……

「あぁ、平気だ。先に車に戻ってるはずだ」
「よかった〜。ね、ぱ僚。僚ってば強いんだねー。ママが良く言ってたけど。
 助けてくれてありがと」
 僚が麻理絵のポニーテールを触った。
それがふわりと持ちあがって、落ちた。
「何言ってんだ。ほら腹減っただろ、さっさと行こうぜ」
そんな僚の照れたような顔を見上げて、麻理絵は笑った。

「お待たせー、海ちゃん」
 今、戦い終わったとは思えない軽い口調でトラックのドアを開けた。
助手席に麻理絵と乗りこむ。
「ふん。もっと早く帰って来い。待ちくたびれたぞ」
「なーに言ってやがる。おまえの破壊の仕方が下手だからこんな苦労したんだ」
「あれが無ければお前は負けてたかもしれんなー」
「ばか。んなことあるわけねーだろっ!……で、香は」
海坊主は後に視線を渡して
「あぁ、大丈夫だ。今は寝ているが少し前には起きて、スープも飲めていた」
そういいながら麻理絵にもスープを渡す。
「そうか…」
「あぁ、でもかなり痛めつけられていたようだから、教授に見せたほうがいいだろうな」
僚は視線を後のシートにやった。
香は向こう側、背もたれに顔を向けて寝ているので、表情は見えなかった。
ただひそかな寝息が聞こえる。
僚は海坊主に気づかれない様に、気を吐いた。

ーよかった…ー


☆ ★ ☆


工場に着いた時、気配は地上には無かった。
地下を探り当てて、それを目にしたとき、僚の血は逆流した。

香が…Tシャツ姿の香が、男に組み敷かれていた。
何も抵抗をしていないところをみると、睡眠薬で眠らされているかなにか
なのだろう。

 男はこれからやろうとすることに意識が入っているのか、僚が来たのも気づかないようだった。
 僚はすぐに男の頭とわき腹を連続して、蹴り上げた。
 男は身体がビニールボールの様に弾んで、血を吹いた。
「ぐぅ…」
結局、男は自分の身に何が起こったかわからないまま意識を失った。
そんな男の手の平を僚は撃ち抜いた。男は衝撃に体を仰け反らせた。
男を脇に蹴り飛ばしたまま、急いで香の駆け寄り様子を見る。
 僚は眉根を寄せた。
香の顔が青い。
耳を近づけると微かな呼吸音がする。薬ではなさそうだ。
少し、ほっとしそっと抱き上げ、頬を触ると冷たかった。
「香…」
殴られたか何かされたのだろう、唇が切れ、所々あざも出来ている様だ。
それでも今の男には何もされていなかったようで、胸をなでおろした。
Tシャツ姿の香に自分のジャケットを脱いで着せた。
大きな僚のジャケットで香の華奢な身体は包まれた。
そして、自分の体温を香に与える様に、ぎゅっと抱きしめた。

「僚…」

地下室の入り口から声がした。
ゆっくりと振りかえると海坊主が立っていた。
「どうだ、そっちの首尾は?」
「ふん、誰に口を聞いてるんだ。もう全て終わったぞ」
僚は香を抱えたまま立ちあがった。
「ん?どうしたんだ」
「お嬢さん、ずいぶんと暴れたらしい…まだ気を失っている」
そのまま海坊主に香を預けた。
「麻理絵は居なかった。別の場所に連れて行かれたらしい。先に戻っててくれ」
「一人で大丈夫か?」
「あーん、誰にモノ言ってんだぁ?すぐ済むって」
「ふんっ」
そして2人は地下室から出ていった。


☆ ★ ☆


目が覚めた時、香はいつもと違う違和感を感じた。
天井を見上げるとそこは自分の部屋ではなかった。
木々が風に揺れる音、小鳥のさえずり…そして障子越しの穏やかな陽の光。

 …教授の家だ。
どうやらトラックの中ではあのまま寝てしまったらしい。
僚と麻理絵の無事な姿も確認しないで寝入ってしまった自分が恥ずかしい。
「ーーっ!」
上半身を起こすと全身が軋んだ。
香は自分が地面に叩きつけられたのを思い出した。それでも無理をして
フトンからでようとしたときに、廊下の先から足音が聞こえた。
香の部屋の前に止まり、軽くノックをしてから、障子が開いた。
「香さん、目が覚めた?」
「かずえさん…えぇ、おかげさまで」
「そう、よかったわ。これが終わったら朝御飯にしましょう?用意は出来てるから」
はい、パジャマのボタンはずしてね。
 かずえは洗面器とタオルそして何種類かの塗り薬を持ってきていた。
香は言われたとおりにパジャマをはだけ、背中をかずえに向ける。
かずえはテキパキと薬を塗り始めた。
「いっ…」
「あぁ、ごめんなさい。肩は少しひびが入ってるから。あとは打ち身ね。だから無理しないでね」
「かずえさん…あの僚と麻理絵ちゃんは…」
「うん?ええ、昨日あなたを連れてきて、お風呂と御飯はここで済ませて
行ったけれど、アパートに戻ったわ。2人とも埃まみれだったけど、怪我は無かったわよ」
「…そう」
「教授は泊まっていけっておっしゃってたんだけど、帰るって。でも香さんが
帰るときには迎えにくるんじゃない?さて、終わりました。立てるかしら?」


「うむ。ま、肩は直るまで時間がかかると思うが、他の怪我は対したコト
なさそうじゃな?他に痛むところはあるかいな?」
朝食が終わり、教授に診察を受けた。
「いいえ、特にありません。ありがとうございました」
「おぬしも元気なのは良いが、たいがいにしておかないとひどい怪我をするからな、注意しなさい」
ま、あの男と一緒にいるとなると仕方ないことじゃがの。

香は薄く微笑んだ。
「じゃ、かずえくん。僚を呼びなさい。香くんを迎えにくるようにとな」
かずえが電話を掛けに行こうと部屋をでる。
「待ってっ!かずえさん」
その言葉にカズエと教授が香を振りかえった。
「電話しないでいい。自分で帰れるから」
「何言うの!怪我してるのよ、無理しちゃダメってさっきも言ったでしょ」
「こんなのいつものことよ。僚を呼ぶまでも無いわ」
香はそう言って荷物を抱えた。
「香さん!」
そんな様子を見ていた教授がそれを終わらせた。
「かずえくん、タクシーを呼んであげなさい」
「教授…」
「ここは駅まで遠いからのぉ、まタクシーならすぐ来るし、あのもっこりがここに現れないほうが、わしも厄介が無くていいからのぉ」
ふぉふぉふぉと笑うと香に向き直った。
「あ、ありがとうございます」
「うむ。ま、くれぐれも無理するではないぞ」
かずえは釈然としないまま、タクシーを呼んだ。

教授とかずえは門前まで出て香の乗ったタクシーを見送った。
香は廊下を歩いている時も痛いのかつらそうに顔をゆがめた。
なのになんで僚を呼ぶことを拒んだのか、かずえには判らなかった。
「ねぇ、教授。香さんどうしたのかしら」
教授はかずえの顔を見ながら、自分のひげをなでた。
「香くんも何か考えることがあるんじゃろうよ」

教授は朝食前の香との会話を思い出していた。

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*頑張れ、私(爆)