crocodile tears22


クーパーが託児所についた。
幼稚園側に止め、僚は園長から借りていた鍵で幼稚園に入る。
園長はそのまま託児所に向かったが香は車から降り、少しためらって僚に声を掛けた。
「中…案内する?」
キーをしていた僚は香の言葉に振りかえって香を見た。
「あ、あぁ。詳しいやつがいたほうが良いからな、頼む」
「うん」
香は笑顔で返事をした。

午後のやわらかな日差しがガラス戸を通して幼稚園の中に入ってくる。
「結構広いんだな…ここ」
香の後をのそのそと歩いていた僚が声を掛ける。
「そうなの。使ってないの、もったいないなーっていつも思う」
「まぁ贅沢っちゃ贅沢だよな」
そのまま会話は続かず、また2人の間に沈黙が訪れた。


廊下を奥に歩き、曲がったところで香が指をさした。
「あそこ。石が投げ込まれたのって」
窓ガラスの嵌め替えはまだ行っていない。
板張りの戸を僚は開け、身を乗り出して表を見た。
「塀は低いんだな…。これなら多少コントロール悪くてもすぐ当たる…っと」
「でも飛び石じゃないと思う…今までなかったし…」
「あぁ…。なぁここに投げ込まれた石ってあるか?」
僚は希望しないで香に問うた。
「あ、ちょっと待っててっ!」

香は廊下を走って戻ってきた。
「こ、これ」
僚に手を差し出す。
「何かの証拠になるかなーってとっておいたんだけど…なんか分かる?」
僚は香の手から石を受け取った。
「石…つーより、コンクリートの欠片だな。ここらへんに工事現場はないし…ご丁寧に自分たちのテリトリーからもってきたらしいな、やっこさん」
僚は真上に石を投げて、またキャッチした。
「ねぇ僚。これ本当に土地を狙ってるのかな?」
僚は片眉をあげ、香に話の先を促した。
「あのね…ここに預けられている子のお姉ちゃんが車に追いかけられたりね、してるじゃん。それでもすごい怪しいけど一応契約書も向こうの手にあるでしょ?いちいちそんな脅したりする手間かけなくちゃいけないのかなって。それに地下鉄できるのは10年も先なんでしょ?」
 

ただ怯えてだけじゃない、香の強さに僚は感嘆した。
「まぁな。だが反対に言えば10年後は確実に値上がりする土地だぜ?しかもそんなヤツラだったら託児所の土地もいっしょくたに自分たちのもんにしようって考えたっておかしくないだろう。なにも自分たちで物件をつくらなくていい。安く買い叩いて高く売りつけりゃいいんだからな。土地は大きいほどいいだろう?」
「そっか…」
香は泣きそうな顔をしてつぶやいた。
(なんでそんな顔をするんだ…)
「絶対…絶対守らなくちゃ」
香は小さな声でつぶやくと一人静かに拳を握りしめた。

「一気にシメた方がいいな。長引かせたらってどうなるもんじゃないし。
ますます状況は悪くなるかもしれん」
現場を後にし、幼稚園に施錠する時に僚が言った。
「うん。そうだね。相手の状況がわかったら、捕まえちゃったほうがいいね」
2人はのろのろと幼稚園を出た。
そして僚はすぐに車には乗らずボンネットに寄りかかると、思い出した様に言った。
「なぁ…お前のアパートってここらへんなの?」
立ち去れないでぐずぐずとしていた香は僚の問いに驚きながらも笑顔で返事をした。
「あ、うん。この裏くらい…ほら、あの青い屋根のアパート、あそこなんだ」
「ふーん…」
僚はそのアパートを見上げていた。
「なんにもないけど…寄っていく?」
心細そうな香の声が僚の耳に届いた。ゆっくりと香をみると唇をかみ締めて僚をみていた。
一瞬目を瞑り、僚は答えた。
「…いンや、やめとく」
そのままクーパーに乗りこんだ。
エンジンをかけながら、ウィンドウ越しに香に話しかけた。
「裏で手引いてるやつが分かったら連絡する。お前の携帯、まだ生きてるか?」
香は首を縦に振った。
「そっか…じゃあ携帯に連絡するから」
そういうとそのままギアをいれて発進しようとした。
と、香がその窓ガラスを両手で動きを止める様に叩いた。
僚はびっくりして窓を開けた。
「なんだ。危ないだろ」
おおよそ危ないと思っていない口調で言った。
「ごごめん。あのさ、僚、あの…」
「ナンだ?」
「あ…とえと、ま、麻理絵ちゃん…元気?ほほらキャッツにいなかったでしょ?」
「もういないよ」
「え?」
「帰ったんだ。身内が見つかってな」
「そ、そうなんだ…いつ?」
僚はタバコを口にくわえ、火をつけた。
「…おまえがでてって、すぐだな」
煙を大きく吐き出した。
「そ、そう…」
僚は顔を顰めたであろう香を見ることができずタバコを咥えたまま、車を出そうとする。
エンジンの再びかかる音がして、香は慌てて言葉をつないだ。
「あの……あ、僚、依頼を受けてくれてありがとう」
意外な言葉に僚は思わず吹き出した。
「なによ〜、笑うことないじゃない」
「悪ぃ、悪ぃ。でも条件さえ揃えば俺は断らないゼ?」
「だって…『もっこり美女』の依頼じゃないでしょ?」
香は心なし頬を膨らませながら言った。
僚はそんな香に苦笑いを浮かべながら思わず伸ばした手を、不自然じゃないように引っ込めた。
そして軽く手をひらひらさせると、クーパーを発進させた。
香は袖口で顔を拭いながら小さくなっていくクーパーの後姿をずっと見つめていた。


☆ ★ ☆

アイツが普通に生活をしていたー
毎日定時で働いて、休みの日には友人と遊びにでるのだろうか?
職を得てアパートを借りて…硝煙や血なまぐさい事には関わらないで生活している。
それが当たり前で、俺はアイツにそれを与えてやりたかった。
きっと亡くなった親友もこれを望んでいたのだと思う。
皆の望むとおりになったのに、なんで俺はアイツをこっちの世界に戻そうとするのだろう。
抱き寄せたかった。あのくせ毛を撫でてやりたかった。
アイツを車に乗せて連れて帰りたかった。
ー今、俺がここでしっかりとアイツを離すことができれば…アイツは表に帰ることができるー

僚は開けたばかりのウィスキーボトルを掴み、そのまま口をつけた。

☆ ★ ☆


引継ぎを終えて疲れた体を叱咤して、アパートに着いた。
溜めていた残り湯を追い炊きして、ぬるめのお湯に香は身体を沈めた。
「ふぅ……」
電気は点けないで、お湯にキャンドルを何個か浮かべる。
香はこの幻想的な雰囲気が気に入って、越してきてからは何か落ち込むとそのたびにちょくちょくやるようになった。
その炎をみながら身体を休め、長かった今日一日を思い出していた。

ー新宿駅に行った。伝言板を、XYZを…見た。
ー海坊主さんと美樹さんに会った。
ー麻理絵ちゃんはもういない。
ー身内が見つかったっていってたけど…僚の…可能性は…?
ー僚に、会った。僚に逢った。僚に逢った。
 久しぶりに会う僚は全然変わってなくて、毎日想像していたとおりの僚だった。
少し痩せたみたいだけど…お酒ばっかり飲んでるのかもしれない。
 あたしがいなくなれば文句言う人もいないから好きなだけ飲めるものね。
 僚の口は相変わらず悪くて、園長先生の気分が害されないかと、とても心配だった。
だってきっと久しぶりの依頼だから。
 それでも僚の声は優しくて、何度縋りつきそうに、抱きつきそうになったか分からない。
それでも、それが叶わないことを知っていた。
その温もりをあたしは自分から手放してしまったのだから。
これで本当に最後かもしれない。

そんな想いを抱えながら溢れてきた涙を隠すかのように香はお湯に顔を潜らせた。


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*焦らしすぎなのは承知なんだが…しかも泣きすぎ?