crocodile tears2


「香先生、こんにちは」
「あ、裕くん、こんにちは」
香が顔を向けると『裕くん』は靴を放り脱いで香に駆け寄った。
「もう。裕!!自分の靴はキチンと靴箱に入れなって何回言えばわかるんだいっ」
入り口で派手な服装の女性が腕組みをして裕を見ている。
香の元に駆け寄っていた裕くんは怒鳴り声に一瞬びくっとし、その後にぷぅと
頬を膨らませた。
香はその姿も見て、苦笑いをしながら裕をつれて、入り口まで歩いていく。
「はい、裕くん、自分の靴は自分でいれましょうね」
香に促されて、しぶしぶ自分の靴を直す。
「ごめんねー、香センセ。こいつ香センセに惚れちゃてるから、顔みると飛んで
いっちゃうんだよねー」
「あはは。光栄です。裕くん、女の子に人気あるんですよ」
「まったくみんな見る目ないねー。こいつのどこがいいんだか」
そういいながら女性はうれしそうに笑っている。
「うるさいよ、母ちゃん。さっさと仕事いけよー」
靴を直した裕が顔を赤く染め、母親に悪態をついた。
香のことが好きだとばらされたのが恥ずかしかったのだろう。
「はいはい。わかりましたよ。あんたこそ香先生のいうことちゃんと聞いて、
迷惑かけんじゃないよ。じゃ、香センセ、よろしくお願いします」
「はい。行ってらっしゃい」
香は裕と一緒に手を振って母親を送り出した。


                   ☆ ★ ☆



「どおいうことか説明してもらいましょうかっ!?」
少女の「パパ」発言ですっかり頭に血が上った香は、起き抜けの僚に濃いぃブラック
コーヒーを無理やり飲ませると、目を覚まさせた。
少女は僚の隣にピタッと寄り添い、それがまた香の怒りを増長させた。
「どーもこーも俺だって今起きてきたばっかで全然状況読めねーっつの」
苛立ちを隠さず、新しく入れられたコーヒーを一口飲む。
「あちっ!!おまぁこれ熱湯じゃねーかっ!!」
「もう、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ?!もう、なんなの!!」
コーヒーを吹き出した僚に香はタオルを投げつける。
どうやら彼女は少女との接触をあきらめたらめて、僚に一任することにしたようだ。
依頼人との折衝は彼女の仕事だが、「パパ」と呼ぶこの少女が依頼人と呼んで
いいのかどうか…。僚はやっかいな予感に頭を痛めた。
香は怒りで顔を真っ赤にし、目に涙さえ浮かべている。
そんな彼女を内心微笑ましく思いながらそれでもこのままにするわけにも行かず、
タバコに火を付けると隣におとなしく座っている少女に声を掛けた。

    
                           ☆ ★ ☆


「香センセ、香センセってば」
同僚に肩を叩かれて、やっと気が付いた。
「どーしたの?香先生らしくない。ぼーっとしちゃって」
「あ、ごめんなさい。ちょっと…」
「あのね。みんな眠っちゃってるし、今のうちに軽く夕飯しちゃわない?」
時計を見ると、もう9時をすぎていた。
「もうこんな時間だったんですね。じゃあたしこれから用意しますね」
「え、いいわよ。私が用意するわ」
「ダメですって。皆子先生は今日は昼間からでしょ?ゆっくりしててください」
皆子と呼ばれた先生は洗濯を畳みながら
「じゃ、おねがいしちゃおうかな?もう、ぼーっとしないでよ」
と軽く笑った。
香は小さく舌を出し、大きく伸びをした。

香は僚の所を出てから、この24時間保育所でベビーシッターとして働いていた。
最初、仕事を探していた香が紹介された時は資格も経験もないからと躊躇していたが、
あまりに人手が足りない状況を見るに見かねて手伝いはじめることになった。
それに、子供たちにいつも囲まれて忙しく過ごすのはいいなと思った。
 「先生」は止めてくれと言っても、子供たちの前で「香さん」だと子供たちが
混乱するからといつの間にかそう呼ばれる様になっていた。
香自身が嫌がっても皆が呼ぶので、諦めていた。

(一人、二人…)
香はうどんをゆでて、皆子と二人で食べていた。
なんとはなしにフトンを並べて寝ている子供たちを数えていた。
「あれ?」
「ん?どうしたの。香センセ」
「雪奈ちゃんのお父さん。今日はまだお迎え来てないんですね」
香は裕の足下で小さくなっている雪奈を見ながら言った。
「あぁ。5時頃かな?会社でトラブルがあったから今日はお迎え遅くなるって電話があったの」
「そうなんですか?大変だけどー。雪奈ちゃん、大丈夫でした?」
香は雪奈のそばにより、めくれ上がっていたタオルケットを直した。
「うん。いつもの時間になったらちょっと泣きだしそうだったけど、ぐずったりはしなかったわよ」
「でも早く迎えて来てもらえるとイイですね。雪奈ちゃん、さみしがりだから」
「まだ4歳になったばかりだものね…」
と控えめに入り口のドアが叩かれた。
「はい?」
「あ、斎藤です。雪奈の父親…」
「はいはい。ちょっと待っててくださいね」
聞きなれた斎藤の声に、香はドアの施錠を空け、斎藤を招き入れた。
斎藤は駅から走ってきたのか、夜なのに汗を拭いながら立っていた。
「すいません、迎え遅くなってしまって…」
「こんばんは。雪奈ちゃん今眠っているんですけど…起こします?」
「あ、イヤ、そのまま抱いて帰ります。あのあ、あ、香先生これ…」
斎藤は香の前にケーキの箱を差し出した。
「え?」
「あのー、今日来るの遅くなっちゃったんで…先生たちで食べてください」
「そんなー。だめですよ。そんなこと気にしないでください」
「え、あう。でも雪奈から「香先生はケーキが大好きなんだよ」って」
「好きは好きなんですけど…」
受け取るわけにもいかず、かといって無下に断ることができない香に、
受け取ってもらいたいが、強引に押しつけることのできない斎藤ではお互いにどうする
ことも出来ないで無言の攻防になっていた。
「あ。イーんだ、香先生だけケーキなんてもらってー」
笑いながら皆子が香に後から抱きつき、顔をだした。
「皆子先生っ!もう、違いますって」
「そ、そうですよ。皆さんで食べてもらおうかなーって」
斎藤は少し頬を染めながら、香に受け取ってもらかったケーキを皆子に渡した。
「そうですか〜?ご馳走様です」
皆子は素直に受け取った。
香は気づいていないが、皆子も香と同じでそういう態度をとっても可愛らしい。
その様子を見ながら香は寝ている雪奈をそっと抱き上げて斎藤に渡した。
抱き上げる時と斎藤に手渡すときに少しぐずったが、起きることなく、父親の
匂いを感じとったのか、胸元に擦り寄って深く眠っていた。

香と皆子は斎藤が帰るのを見送って、ドアを閉めた。
「ねねね、香センセ。斎藤さんて、絶対香先生に気があるよね〜」
「ななななーに言ってるんですか?皆子先生。そそそそんなことあるわけないですよ」
「えー、気づいてないの?あるに決まってんじゃん。だってこのケーキ、駅の反対側
にあるケーキ店のだよ。わざわざ行くか〜?」
「そ、それはみんなで食べて欲しいって言ってました」
「えー。昼間の先生たちとも話してるんだけ、絶対だよ。
 いいじゃん、斎藤さんバツイチだけどまだ30歳とかだっけ?
 顔いいし、優しいし。ちょっと仕事は忙しいそうだけど。香センセは
 雪奈ちゃんにも懐かれてるしなー。いいなー、私だったら斎藤さんOKなんだけどな」
「もう、何言ってるんですか。旦那さんに怒られますよ」
「あはは。でも香センセと斎藤さんはお似合いだと思うんだけどなー、もったいない」
「もったいなくないですって。さ、そろそろ天使たちが目を覚ましますよ〜。
ケーキ仕舞っておきましょ、ね」

もったいなくなんて無い。
あたしが一緒にいたいのは、あいつだけだから。

ー今ごろ、彼らは何をしているのだろうー
思い出すな思い出すな。もうあそこには戻る理由はないんだから。
 
そして思い出をさえぎろうとするかのように、子供たちが起きだした。

香の思いはどこにいくのだろう。


 

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*さぁ、どうしよう(爆