crocodile tears19


香は園長とだれもいない幼稚園の中にいた。
月に一度は風通しをするといってもやはり空気はよどんでいる気がする。
「ここです。気をつけてください」
昨日来た窓を今度は内側から見る。
まだ掃除をしていないのでガラスが散らばったままだ。
「まぁ」
園長はそう言ったまま、ぼうっとそれを見ていた。
「イタズラの可能性だって無いわけじゃありません。だけれどこのあいだからうろうろしている不審な車もあるし…園を狙ってる可能性が高いと思います」
「そんな…だってうちなんか狙ったってお金がとれるわけじゃないし、何の目的で…」
「それはあたしも…あの…なにか心当たりは…」
園長は静かに否定の首振りをした。
しかし少しこわばったその表情に香は気づかなかった。
「そうですか…あの警察には知らせますか」
イタズラだとしても言っておいて悪いことはない。なにせここは子供達のあつまる場所なのだから。
「被害届けはださないとしても、こういうことがあったことだけは駐在さんに言っておきましょう。あとで連絡しておきます。あと先生がたにも注意をしておきましょうね」
「え…あ、はい。じゃぁここ片付けちゃいますね。ガラスは…どうしましょう」
「何か板切れ貼って置きましょう。替えるのはまた時期がきたらかんがえましょう」
今はとっても無理だわ。と軽やかに園長は笑った。
香も園長の指示に従うことにし、ガラスの片付けに入った。


☆ ★ ☆


「えぇ、そうなんです。えぇ多分…そのせいだと…」
託児所のビルで園長が電話を掛けていた。
託児施設は階下で、園長室は最上階にあった。
とはいえ園にいるときはたいてい皆と一緒に子供の世話をして、事務仕事があるときだけそこは使用している。
「はい…わかりました。 えぇ、相談だけでも…でもご迷惑じゃ…」
園長は誰もいない部屋なのに人に聞かれるのをいやがるように小さな声で話していた。
「行くだけ、行ってみますわ。えぇ…連絡先と『XYZ』ですね…」
園長は締めの挨拶を言うと受話器を置いた。
そして椅子に座り込み、メモをみるとため息をついた。

『シティーハンター  新宿駅東口伝言板  XYZと連絡先』


☆ ★ ☆


「やぁぁだっ!!裕くんのいじわる〜」
穏やかな夕方の託児所で雪奈の叫び声が聞こえた。
他の子供をトイレに連れていっていた香が戻り、雪奈に寄って行った。
雪奈と裕はテレビの前に陣取っていた。
「どうしたの、大きな声だして」
雪奈が泣きながら絵本やら積み木を裕に投げつけている。
「裕くんがテレビとるの〜」
雪奈の腕を捕まえてとりあえず物を投げるのをやめさせた。
そしてその視線を裕に向ける。裕は困ったような、憮然としたような、だけれど怒ってはいない顔をしていた。
「だって、今やってるの面白くねーんだもん。雪奈は本読んでたしよ、いいのかなって思って」
「ゆきな、見てたの。テレビとらないでよー」
テレビ画面には実写の動物が草原を走り回っていた。
香は怒っている雪奈に声をかけた。
「雪奈ちゃん、動物のテレビみるの?」
雪奈は無言で頷く。
「裕くんも動物さんの見たいって。一緒にみていい?」
また無言で頷いた。香は裕をみあげると、自分のとなりをぽんぽんと叩いて裕を座らせた。
「裕くん、これ見終わったら裕くんの持ってきたビデオみようね」
『うん』
雪奈と裕は同じに返事をした。


それは野生動物の生活を観察したビデオだった。
小さな鳥から大きな肉食の動物まで、ただ動物たちの日常を淡々と映しているビデオだった。
香は雪奈を膝にだきながら、ある動物のビデオに目を奪われた。
「香センセ、どうしたの?」
「…え?」
「じぃぃぃぃって見てるよ?どうかした?」
雪奈が膝の上から香を見上げていた。雪奈の言葉に裕も香を見た。
画面には「ワニ」の食事風景が映っていた。そんなに食い入るように見ていただろうか。
「な、なんでもないよ。…ただ…このワニって泣いてるよね?それにびっくりしたの」
雪奈と裕はその言葉にテレビに顔を向けた。
ワニは捕らえた獲物を食べながら目を潤ませていた。
それが香には泣いているように見えたのだ。
ー自分の生活の為に、犠牲になるモノがいる…自然の摂理だけれど…それが理由になるとは思わないー
まるで…僚の、僚の様だ。
あの男も…依頼を遂行するたびに、胸に何かを抱え、それを射撃やアルコールでごまかしているのだ。
「うそ泣きだよ。このワニさんうそ泣き」
雪奈が得意そうな顔で香に言った。
「え…嘘泣きって?このワニが?」
「うん。うそなんだよ、ワニさん、うそなの」
香は雪奈の言ってる意味がわからず、雪奈に気づかれないように少し首をかしげた。
「香先生さ、このワニ、えさの動物を食べてるから泣いてるって思ってるでしょ」
香は裕の突然の言葉にうなずいた。
「違うんだよ。ワニは他の動物からそうやって見られること知ってて泣くんだ」
「ほ、本当に?なんで裕くんにそんなこと知ってるの」
裕は少し頬を膨らませた。
「本で読んだんだ。だからえさとったから泣いてるって無いよ、絶対」
ふてくされた裕の頭を香は軽く撫でた。
「だから…嘘泣きっていったのね。雪奈ちゃん、物知りね」
「パパから教えてもらったんだ」
呟いた香の言葉に雪奈はニッコリとうなずいた。

それでも香には獲物を食べて目を潤わすワニと、あの男の姿が重なった。
香は映像が変わってもテレビ画面から目が離せなかった。


★ ☆ ★


訪問する者もいなくなったその部屋は、煙に曇り、歩くたびに埃が立ち上る。

あとどれ位したらあいつのにおいは無くなるのだろう…
出かける前にリビングやキッチンを覗く、そんな癖もいつからついたのだろう。
頭の隅でそんな事を考えながら、僚はリビングを覗き込みまた部屋を出た。


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*crocodile tears=偽りの涙