crocodile tears15


「それからずっと娘とは連絡がとれませんでした。ところが10年前に突然娘は帰国したんです」
僚に話しかけるというよりも自分自身に確認を取るようにみわは話しを続ける。
「向こうで何があったのか。帰ってくる間なにをしていたのか、娘も何も言いませんでしたし、こちらも問いませんでした。多少歳もとりましたし、やつれた感じもありましたが、戻ってきてくれただけで、一緒に生活できるだけで幸せでしたから」
みわは僚の顔を見た。
「ほどなくして、娘の妊娠が発覚しました。戻って3ヶ月ほどでしたでしょうか、そして産まれたがー麻理絵ーです」


☆ ★ ☆


「はい、ご苦労さまです」
香はそういって巡回の警察官に頭を下げた。
そして部屋に戻り、誰ともなしに他の先生に声をかけた。
「やっぱり不審人物がうろうろしてるみたいですよ。注意の呼びかけですって」
香は巡査にもらったチラシを見せた。
「でもさー、私たちが見かけた車と里美ちゃんの見た車が一緒かどうかわかんないし」
「このチラシの不審人物と一緒かどうかもわかんないんだよね…」
「そんな何人もいたらイヤだなー。しかもここ何ヶ月かだよね、増えたの」
「ほんと、最近物騒よね、ね、香センセ」
香は皆の話しを耳に入れながら、思っていた。
ー最近…物騒になった?それは…あたしが来たか…ら?ー
「香センセ、またぼーっとしてるよ」
皆子のその言葉にみんな笑った。香も不自然ではないようにそれにのった。
だけれど、香の笑顔はこわばっていた。

その日、香は夜勤をしないで家に帰った。
あれから何をやっても上手くできないで、他の先生や子供達に不審がられた。
(子供たちは香の様子を笑っていただけだけれど)結局園長先生に
「働きすぎですよ、今日は帰ってゆっくりなさい」と言われ、自分でもこんな調子だと
子供たちに怪我をさせるかもと思い素直に帰ったのだった。
日が暮れ始める、こんな時間にアパートにいることは珍しく、香はベッドの上で外を眺めながら、ぼーっとしていた。
と、お腹がきゅるきゅると鳴った。香は自分のお腹に両手の平を当て、苦笑いをした。
動いていないのに、お腹は空くらしい。ふと冷蔵庫の中にろくなものがないことを思い出した。それでなくても最近はまともに料理をしていない。
(今日は久しぶりに手によりをかけた料理をつくるかッ)
香は足を振り上げるとそれを下ろした反動で上体を起こした。
そしていつもよりも軽い足取りでスーパーに向かった。


☆ ★ ☆


みわは全てを言いきったかのようにソファの背もたれに体を預け、水を飲んだ。
もう、それでいいかと思った。
麻理絵の保護者が見つかった、ここから出て行く。そして自分は麻理絵に「パパ」とは呼ばれない。
とりあえずの面倒はこれで終わる。だけれど…そういうわけにはいかないのだろう。
出ていった彼女の顔が脳裏に浮かんだ。
「麻理絵は…母親が死んだ。といっていたのだが」
みわは一瞬、僚の顔を見た。まぶたを悲しそうに伏せ、話しだした。
「えぇ、半年…いえ8ヶ月になりますね、もうすぐ…」
その口調に僚は確信を見た。新しいタバコを取りだし、火をつけた。

「元々日本に帰ってきた時から、娘はあまり健康とはいえませんでした。自分の健康にも興味がないようでした。精神的にも…なんでしょう?生きる気力が感じられないと、そんな感じで日々を過ごしていました。笑わない、泣かない、怒らない…ただただ時間に流されているような感じだったのです。ですから妊娠がわかったときにはこれで、娘も前のように明るい
子にもどってくれるんじゃないかと期待していたのです。…でも麻理絵が産まれても状況は変わりませんでした。いや、むしろ悪くなっているといっても良かったでしょう。麻理絵の世話はして居ましたが家からでなくなり、ご近所の人と顔を合わせるのも嫌がるようになりました」

僚の手元のタバコはじりじりと燃え続ける。

「外にも出ないものだから体力もなくなる…大きくなった麻理絵の面倒を見るのも大変なくらい娘はやつれていました。たまに起き出しては何かをやっていたんですが、それ以外は…そんな状況が何年も続き、そして今年の初め…肺炎で亡くなったのです。弱っていたのでしょう、あっという間でした。」

指元まできたタバコの灰を灰皿でねじった。
ーこうなったら全て吐き出してもらおうー

「父親は?」

みわは静かに僚の目を見た。
今の僚の目は決して優しいとは言えない。だけれどみわは目をそらさなかった。
「麻理絵は私生児です」
そしてみわはバッグの中から古びた封筒をとりだし、僚に突き出すようにテーブルに置いた。
「これを見て、麻理絵はあなたのところに来たんだと思います」


☆ ★ ☆


久しぶりにスーパーの袋が手の平に食い込むほど食材を買った。
僚の所をでてからも贅沢はしていなかったので、これくらいではお財布は痛まない。
それに所詮は一人分だから……
暗い思考に行くのを頭を振って無理やり追い払った。
さてと今日は何を作ろうかな。寒くなってきたからシチューにしようかな?
でもすじこ買ってきたからいくら丼にしようかしら?
そんな考えが頭を埋め始めたときに後から可愛い声がかかった。
「かおりせんせーーーー」
振り向くと雪奈がスーツ姿の父親に肩車されて、こちらに手を振っていた。
「あら、雪奈ちゃん。パパと一緒にお買い物?」
香は近づいてくる斎藤親子を待って、話しかけた。雪奈は大きくうなずいた。
「香先生、こんな時間にめずらしいですね?それとも園の買い出しか何かで?」
斎藤はちらりと重そうな香の手荷物を見た。
「いえ、今日は夜勤はお休みで…冷蔵庫に何もなかったんで夕刻セール狙ってきたんですよ。
斎藤さんもいつもよりもお早いんじゃないですか」
「え、ええ、まぁたまには…と思って」
「今日ね、パパのたんじょう日なんだよ、これからおうちでパーティするの」
雪奈は嬉しそうに言った。
「あ、おめでとうございます。いいですね、楽しそうで」
香としては他意のない言葉で、言葉そのものの意味だった。でも斎藤は顔をほのかに染めて雪奈は嬉しそうに父親の頭を叩いて言った。
「じゃあかおりせんせーもゆきなのおうちおいでーー!!ゆきなといっしょにケーキ食べようよ、ね?いいでしょ?」
「え?」
思いも寄らない申し出に躊躇をした香であったが、常より人のいい香が嬉しそうにしている雪奈を目の前にして、都合が悪いわけでもないのに、それを断れることなどできるわけがなかった。
「じゃぁ、お邪魔でなければ…少しだけ一緒にお祝いさせていただこうかな」
「じゃじゃ邪魔だなんて!そんなことありません。もう私自身は祝う歳でもないんですが雪奈がケーキを食べれる機会を見逃さないもので…まったくその」
「えー、パパだってかおりせんせいとごはんべれるのうれしいくせに〜」
斎藤は苦笑いを浮かべ頭をかきながら、肩から雪奈を降ろした。
香は自分の荷物をもちながら少し前を歩く斎藤の背中を、スーパーの袋の変わりに雪奈と手をつなぎながら不思議な感覚で歩いていた。

☆ ★ ☆

「開けていいのか?」
みわは頷いた。
僚はテーブルに置かれた古い封筒を手に取った。
埃臭いそれの表にはには調査会社の名前と地方都市の住所が印刷されていた。
あて先はー柿崎茉莉殿ー…なにを調査したんだ?
僚はトンと指で封筒を叩き、軽く息を吹きこんだ。何枚かの封書が三つ折で入っていた。
それをゆっくりと取り出す。
写真が間に挟まっていたようだ。2、3枚の軽く僚のひざに落ちた。
拾い上げてみたそれは…夕闇の新宿だった。
そして調査報告であろう紙を広げた。

一枚目のタイトルは「調査内容ーー行方不明人調査ー」
そして、調査対象者は −サエバ ・ リョウ ー

僚は一瞬目を見開いてから手紙に目を通した。

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*二人の糸はどうなっているの?