crocodile tears14


「このたびは孫がお世話になりまして」
冴子が一緒に連れてきた小さな老婆が僚の前で丁寧に頭を下げた。
僚の隣では麻理絵が驚いた表情を見せ、ソファから立ち上がった。
「お、おばあちゃ…」
老婆はそんな麻理絵に微笑みを見せる。
「麻理絵…」
麻理絵は唇をかみしめると、冴子の脇を抜けて、玄関に向かって走りだした。
「おい、麻理絵」
追いかけようとする僚を冴子は制止した。
「私が連れてくるから。僚は…」
冴子はそういうと老婆と僚を交互に見て、部屋を出ていった。

麻理絵と冴子が出ていき、老婆と二人きりになった僚は、ソファを勧めた。
老婆は素直に腰掛け、その様子を見ながら僚は一人掛けのソファの肘掛けに
腰かけ、タバコに火を付けた。

「麻理絵の…?」
「えぇ、麻理絵の祖母です。麻理絵がこちらに居るなんて…驚きました」
そして麻理絵の祖母は話を始めた。


☆ ★ ☆

「麻理絵ちゃん!待ちなさい」
冴子の静止も聞かず、麻理絵は一目散に走っている。
しかしいくらパンプスを履いているとはいえ、走りで負けたなんて警察官としての責務に関わる…と冴子が思ったかどうかは知れないが、程なく麻理絵に追いついた。
「捉まえた…。もういいでしょ?」
冴子はぎゅっと麻理絵の腕を掴んだ。
麻理絵はそれを懸命にはずそうと腕を振りまわすが、冴子に容赦はない。
「いつまでお祖母さまに心配かければ気が済むの?」
ことさら、力強く腕を引っ張った。
「痛いっ」
「何甘えてるの。みんなずっとツライ思いをしているのよ」
そう言って冴子は腕を掴んだまま歩き出した。
歩きながら、冴子は3日前に出ていった香のことを思い出していた。

冴子が香が出ていった事を知ったのは馴染みの喫茶店でだった。
 珍しく早めに仕事が終わった帰り、マンションに帰る前に美味しいコーヒーと彼らのたわいもない噂話を聞くために、寄ったのだった。
それなのに冴子の耳にもたらされたのは、意外な話だった。

冴子が席に付いた途端、彼女と仲良しの女店主が怒ったように、話しをしだした。
コーヒーを飲みながら、その話を聞いていた。
ー香さんが、自分から出ていった?ー
その理由については美樹さんにも何も語らなかったらしい。
「もう、本当に冴羽さんも香さんも何考えてるのかしら!?」
憮然と店主は言い放って、食器を乱暴に洗いはじめた。
「なんで今までのままでいちゃいけないのかしら…?」
小さい声で寂しそうに彼女はつぶやいた。
 
冴子はコーヒーカップを手に最近会った香を思い出していた。
相変わらずきれいな室内。明るい部屋。暖かい雰囲気。昔の僚の家とは大違いだ。
そしてそこには香さんが笑って出迎えてくれる。
麻理絵が現れた後もそれは変わっていなかった。
ただ、時折みせる暗い表情が気にはなっていたのだけれど。
「ねぇ、冴子さん?あなたはなんで香さんが出ていったんだと思う?」
美樹がコーヒーのお代わりを注ぎながらいう。
「私には分からないわ。でも…」
「でも?」
「あの兄妹は変なところで頑固だから」
「冴子さんっ!!」
憤った美樹は水差しを壊れるかと思うくらいの音をたててカウンターに置いた。
冴子は肩をすくめて、謝った。
「ごめんなさい。出ていって良いわ、なんて思ってるわけじゃないのよ。
 ただ…槙村の事を思い出しちゃって。あの人も仕事のことでもなんでも重要なことは誰にも言わないで自分の中に閉じこめちゃうことが多かったの。危険な目に合う度に上司も…私も注意をしたんだけど、結局直らなくて…」
 美樹の顔を見て、笑った。美樹はそんな冴子に何を言っていいかわからなかった。
それを見越したかのように冴子は言葉をつなぐ。
「パートナーとして頑張っていた彼女が自ら出ていったってことはよっぽどのこと。…なんて思ったのよ」
「でも…私は香さんに戻ってきて欲しいわ」
「えぇ、私もそう思ってるわ。絶対戻ってくるわよ」
 冴子は心底寂しそうな美樹に力強く、うなづいた。

☆ ★ ☆

「冴羽さん。麻理絵はなんと言ってこちらに来たんですか?」
自己紹介をし、彼女は話し出した。
彼女はー柿崎みわーという名前で麻理絵の祖母で一緒に住んでいるという。
ということは麻理絵のフルネームは柿崎麻理絵か?イヤ母方の祖母だから違うのか?
「父親を探す依頼だったんだ。一人でココまできて。なんでここにたどり着いたのかは分からんが」
みわはうなずく。
「そしてなんでだか…俺を見るなり「パパ」ってな」
僚はタバコに火をつけた。
みわはそんな僚の様子をみている、何を何から話そうか考えあぐねている様だ。

「娘は…麻理絵の母親は高校を卒業して、ダンサーになるんだと言ってアメリカに行きました」
みわはぽつりぽつりと話し出す。
「冴羽さんは、あちらには?」
「若い頃な…」
「そうですか…。娘は最初はバイトをしながらダンススクールに通うんだと言って、実際その通りになっていたようです。日本を発つ時も…私らは賛成はしてなかったんですけど甘いかもしれませんがいくらかのお金も持たせていたんです」
僚は目を細めて聞いていた。
自分の顔見知りでも自称元ダンサーなんてのは吐いて捨てるほど居た。
ダンスを習ってるなんて「恋人いるよっ」くらいの挨拶でしかない。
その中でダンスで生計を立ててるやつなんざ、ほんの一握り。しかもまだマイノリティがもてはやされる前の時代、ちっぽけなアジア出身の子供なんかがチャンスを掴む可能性なんて…それこそ星を掴む様な話だっただろう。
「ただ…バイト自体の求人も少なくて、娘の英語も向こうでは…」
学校の成績がいいだけなんて役に立たなかった。
「ってよく言ってました。こちらから連絡を取りたくても娘のアパートには電話はなくて。たまに娘からかかってきても国際電話が今と比べ物にならないくらい高いからあまり長くも話せなくて…」
「だから、行って1年経つか立たないかで「帰っていらっしゃい」って電話があるたびに言っていたんです」
娘もそんな気になっているようでした。

みわはそのまま口をつぐんだ。
言い難い出来事なのだろう、握り締めた拳が微かに震えていた。
僚はそのままリビングを出ていった。

「のど乾いただろう?長話は咽にくる」
僚は350mlのミネラルウォーターのペットボトルをみわに差し出した。
みわはおずおずとそれを受け取る。
「すまんな、こんなのしかなくて。美味い茶をいれるウデがないんでね」
 僚は苦笑いを浮かべながら自分でもミネラルウォーターを口に入れた。
 みわは僚のその言い方に微笑みながら一口飲んでから、また口を開いた。
「帰国すると言っていたその次の週、娘から電話がありました。飛行機の便でも決まったのかと思っていたら…」
みわは一呼吸置いて、言った。
「娘は…向こうの方と結婚すると言い出したんです」
「私と主人は大反対しました。今までの電話でそんな話は一度も出てなかったんです。仮に好きになった方いたのなら、帰国自体を娘は「しない」と言っていたでしょう。それなのに!!本当に寝耳に水だったんです」
その時を思い出しているのだろう、穏やかだったみわの口調が少し荒くなった。
「その電話で私たちは娘を叱りました。そうすると彼女は乱暴に電話を切り、それから連絡が来ることはありませんでした。「結婚する」と言ってから1ヶ月経った時、私と主人はアメリカに向かいました。出来れば一緒に連れ戻そうと、それが出来なくても話し合いはしようと。だってその時、娘はまだ未成年だったんです。娘の結婚に親が口出して当たり前でしょう」
みわは水を飲んだ。それは咽が乾いたというよりも、気を落ち着かせようとしての行為だっただろう。
「私たちは空港に着くとすぐに娘に聞いていた娘のアパートに行きました。だけれど…そこには既に違う人物が住んでいました。いえ娘がずっとそこに住んでいたのかどうかも分からないのですけれど…それから娘の行方は知れないままでした」

僚はその続きが見える様だった。
突然の異国人との結婚。連絡の取れない状況…どれをとっても良い方に向かっているとは思えない。
その行きつく先は…最悪は死。そうでなければ…。
麻理絵の母親が僚の知っている「マリー」であるならば、そういうことだ。

あれは日本を飛び出してどれくらいたっていたのだろう。
お互いの会話はいつも汚い英語だった。彼女に日本人だと言った覚えもないが日本語で会話はしなかった。
どちらも英語の方が自然に口をついてでてたのだから、彼女も相当長くあそこに居たような感じを持っていたが。

ー マリーは日本に帰国したのか?ー


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*収拾つけます…、ほんとに…。