crocodile tears12

新聞配達が来た直後、香が出ていった。
朝も空け切らぬうちに、一人で出ていった。
キャッツの2人には、出て行くことを手紙で知らせたらしい。
ただ投函したのが昨日の深夜ではいくらなんでも届くことはないだろう。
結局誰にも知らせず出て行くようなもんだ。

昨夜、香がこの部屋を出ていてから…眠れたもんじゃなかった。
ーなんだよ…「いままでお世話になりました」ってー
あのときの香の顔が表情が声が忘れられない。

最初よりもずっと麻理絵との生活を楽しんでいるように見えた。
一緒に風呂に入って、キャッツでだべって、買い物に行って…。
どうするか、まぁ悩みの種ではあったが香が楽しんでいるならしばらくは
このままでイイかとも思い始めていた。

様子がおかしいと思うようになったのは、麻理絵と一緒に攫われた時からだ。
ただアイツは人質になるたびに落ち込む。
それはもう香の問題で、落ち込むのは分かっていたが俺が何をいっても浮上するもんでもなく、だから結局いつも何も言わないようにしていた。
今回もその類だと思って深く考えなかった。
教授に話を聞いても特に不審な点はなかったといっていたのに、香の相談に乗ってただなんて。
…あの狸じじい食えたもんじゃねぇ。

灰皿がタバコでいっぱいになっている。
ヘッドボードに手を伸ばしてもタバコのストックもはいってねぇ。
僚は空になったタバコケースを片手でくしゃりと潰すとドアに投げつけた。

ーあんなこと考えてたなんて、気づきもしなかったー


☆ ★ ☆

 

「えぇ、彼女は元気ですよ。本当に紹介いただけてありがたいわ」
「そうかのぉ、それは良かった。わしもあなたの所だから心配はしていなかったんじゃが」

 

「教授。お願いがあるんです」
いつになくまじめな顔つきで香くんが来た。
厳しい顔つきを見て、最初傷が悪化したのかと思ったくらいじゃよ。
あまりにまじめ過ぎて可愛いおしりちゃんをなでなでできんくらいのことじゃった。
わしは研究室の椅子をクルリと回して、香くんを正面に据えたんじゃの。
「なんじゃ」
香くんは言い難くそうにしていたがやがて口を開いた。
「部屋を借りる保証人になっていただけませんか?」
そのまま香くんはそこに正座をし、頭を下げた。
「こらこら、なにしておるんじゃ。ほれ、頭をあげなさい」
香くんはたっぷり30秒は頭をさげた。そしておもむろに、不安そうに頭をあげた。
わしは空いている椅子を香くんに差し出す。
「……ダメ、ですか?」
「いいや、かまわんよ。じゃが理由を聞かせてもらえるかの?」

あの家をでるというのなら、の。


教授宅の縁側。
見事に色付き始めた庭の木々を2人並んで、お茶をすすりながら眺めている。
香の働いている保育所の園長と教授だ。
「お休みも取らないでいっつも来てくれるんですよ。身体壊さないか心配だわ」
教授はその様子を思い浮かべたのだろう、少し微笑んだ。
「香くんは元々子供らには好かれるタイプじゃろうな。結構今の生活は性に合っているのかもしれんの」
「えぇ、いい保育士になれると思いますわ。ただ…たまにすごく寂しそうな顔をされるの。それが心配で…」
「そうですか…それはもうしばらく時間がかかるかもしれませんが、よろしく頼みますよ」
「えぇ、もちろん」
「あなたに任せておけば安心ですな。さて、他には何かありますかな?」
園長はニコリと笑って首を横に振った。
「本当に、いつ見ても見事なお庭ですこと」


香は時間をかけて、教授に話をした。
その様子は教授をそれなりに納得させるものではあった。
ただ、自分としてはあのまま僚と2人で生活するのもよかろうと思っていたので香の話は意外ではあったのだが。
「僚には話をしていくんじゃろ?」
「はい。言わないで出ていったら心配するでしょ?書き置きっていうのもなんか…」
「アヤツはなんというじゃろうな」
「…何もいわないと思います。あたし、良く考えたら僚に怒られたことなんてないんです。
 だから今回もきっと何もいわない。それになんか言われたって、あたしの決めたことだから」

僚なんて関係無いんです。

そういって香は無理に笑顔をみせた。
 なんと不器用な2人だろうか。
いつもお互いにやることはお互いのことを思った故だ。今回もそうだとさっきまでの言葉の端端にでていたことに気づいておらんのか。
 言葉足らずの2人はお互いの胸の内を相手になかなか語らない。
言葉に出さなくとも分かる2人であろうが、言葉に出したほうがよりベターだろう。
だからたまにこうやってすれ違う。

教授は香にため息混じりに笑った。
これを乗り越えれば、2人の関係にまた変化がおとずれるだろう。
それもいいと思い、教授は香の話に乗ることにした。

「仕事は決めたのかのぉ?まだだったら少々アテがあるんだが…」


☆ ★ ☆


「香センセ、ミルク飲ませるの上手になったわねー」
今日は夜勤で皆子と一緒だ。
「そうですか?まだ飲ませる時にドキドキしちゃうけど」

ここの保育所では産まれたばかりの子供も引き受ける。
もともとは普通の幼稚園を経営していたのだが(その名残で今も園長と皆呼んでいる)児童不足で閉園をしたらしい。
ただ一方で時間外で預かる託児所・保育園が近辺では少なく、あったとしてもすぐに入れる状況ではないため、困っていた父母が多かった。
 閉園したあと、個人的に園長は何人かを預かっていたのだが噂が噂を呼んで依頼が多くなった。
一人では見きれないので断っていたそうだが、一向に減らない状況についに園長は幼稚園に隣接していた自宅ビルの一室に託児所を立ち上げた。
 広い幼稚園を使えばイイのにと思ったが、広過ぎると設備保守など管理も大変で、手入れも行き届かないということでそこは使っていない。
 もったいないな、と思うけれどしかたのないことなのだと思う。
認可されるには色々問題があって無認可ではあるが、預ける親は多数いる。
24時間になったのも親の要望が多く、また、それを断ると夜、働きに出ている家庭だと、子供達だけで夜、留守番させることになるだろう。その状況は避けなければといった園長の思いからだった。
 先生の中には保育士の資格を持ったものもいるが、昔ここに子供を預けていた母親も多い。少ない月謝の中でやりくりするにはやはり人の厚意に甘えることも大なのだ。
 そうなると夜勤を出来る人が少なくなり、香は夜勤を主にしていた。
それでも香は昼間少し睡眠をとるためにアパートに帰り、お昼過ぎにはここに来て、ほとんどの時間を託児所で過ごしていた。

「上手いわよ。ホント香センセっていいお母さんになるわね」
「何言ってるんですか」
子供たちは本当に可愛い。ここにいると前の生活の事が薄れていく。
「だって、いつも笑顔絶やさないし。家事もテキパキしてるし〜。いーっつも関心して みてるのよ。私なんて自分の家とかすっごい散らかってるんだから。あーあ香センセの 彼氏は幸せ者だわー」
香は顔を染めてうつむいた。
「もう、彼なんていませんって、何回いえば気が済むんですか、皆子センセ」
ぐずった赤ん坊を抱き上げ、ゆらゆらと揺らす。
「だーってーー。信じられないんだもん。香センセ美人だしー、ぜーったい男は ほっとかない!!イヤ、私が男だったら襲ってるよ〜」
「もう、からかわないでくださいっ」
「斎藤さんが惚れちゃうのも分かるわ〜〜vv」
まだからかう皆子を苦笑いしながら放っておいた。
香は次の赤ん坊を抱き上げる。眠気まなこのまま擦り寄ってくる。

ー僚と麻理絵ちゃん、今なにしてるんだろうー

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*すみません。託児所と保育所と幼稚園の違いを調べていません。ご容赦を…