fujiyanの添書き:「ボス達のボス」−NYマフィア史

今回の、「アッパー・ウェスト・サイド南」散歩で、マフィアのボスが住んでいたアパートをご紹介しましたので、「NYマフィア史」を添書きとしてご紹介してみたいと思います。

ニューヨーク・マフィアの「五大ファミリー Five Families」の名は、1963年のアメリカ議会公聴会、通称「McClellan Hearings」で、マフィア組織の一員であったジョセフ・バラーチ Joseph Valachiの証言に基づきます。映画「ゴッドファーザーPartII」の議会公聴会シーンのモデルですね。

Joseph Valachiはマフィアの組織ではそれほど高い地位に居ませんでしたので、彼が持っている情報はそれほど深いものではなく、またマフィアの世界では意図的に事実ではないウワサを流す、という戦術が用いられるため、彼の証言は間違いも多かったようですが、地下世界を全米のテレビを通じて紹介したため、大きな反響を呼びました。地下社会の「ウワサ」戦術は非常に巧妙らしく、この稿の内容も事実とそうとう違っている可能性があります。

Valachi
Joseph Valachi
Valachiは、NYマフィアのボスの名として、
  • 「ボナーノ Bonanno」
  • 「ガンビーノ Gambino」
  • 「ルチーゼ Lucchese」
  • 「ジェノベーゼ Genovese」
そして
  • 「プロファチ Profaci」
の5名を挙げました。

1970年代に入り「プロファチ Profaci」の組織は新ボス
  • 「コロンボ Colombo」
に引き継がれます。

現在では、 「ボナーノ Bonanno」「ガンビーノ Gambino」「ルチーゼ Lucchese」「ジェノベーゼ Genovese」、そして「コロンボ Colombo」の5つが、ニューヨーク・マフィアの「五大ファミリー Five Families」と呼ばれています。

Valachiが公聴会で言及した「プロファチ」を除く4名のボスの名は1963年現在ものであり、その後の「コロンボ」も代替わりをしているなど、それ以前、以降もボスの名は入れ替わってるわけですが、ニューヨークの「五大ファミリー」の名称として「固定」されるようになりました。

以下、ファミリーを名称は、過去のものも含めて上記の5つで記載します。また、5大ファミリーの流れを引く組織そして人物を述べる場合には、上に列挙した通りの色で文字を塗っています。

「Mafia マフィア」、本来的には「(La) Corsa Nostra コーザ・ノストラ」と呼ばれるようですが、は一般的にはイタリア系ギャング組織のこと、ですね。「マフィア」関連の暴力抗争、議会公聴会そして映画「ゴッドファーザー」のおかげで、イタリア系アメリカ人のイメージの一つに「犯罪組織」がこびり付いてしまいましたが、他の移民民族、ニューヨークでは古くはオランダ系、アイルランド系、ユダヤ系、黒人系そして近年ではラテン系の「犯罪組織」は一杯ありますので、イタリア系移民は大いに損をしています。

初期アメリカにいて、ニューヨークを含み犯罪組織は、すでに多数存在していました。彼らは、非合法事業を防衛するために、選挙において自分の都合の良い政治家を当選させる、という方法を採用しました。選挙応援はもとより、投票所前での脅迫、時には投票箱への襲撃も行っていたようです。


一方、犯罪組織の民族的な推移ですが、移民の歴史と重なります。

新移民は、アメリカに渡ってきたら貧困層の街=一般名詞として「ゲットーghetto」、にまずは住む。貧困と無教養を理由として、一部の新移民は犯罪組織を作る。そして、その他の大多数の移民たちは一所懸命に働き、お金が出来たら「ゲットー」を出て行く。空いた「ゲットー」に、次の新移民が入ってくる、というパターンです。従いまして、時代を通じて、新移民に民族的な変化があった場合には、犯罪組織も民族的な変化がある、という訳です。

ニューヨークでの「ゲットー」ですが、18世紀末からは、現在の「リトル・イタリー」「チャイナタウン」そして「イースト・ビレッジ」を含む、「ローワー・イースト・サイド」。少し遅れて、「ローワー・イースト・サイド」の川向こうの「ブルックリン」。そして19世紀半ばからは「ヘルズ・キッチン」が加わります。

さてアメリカ独立(1776年)前後は、イギリス系が中心であった米移民ですが、その後、1850年頃には「アイルランド系」「ドイツ系」移民が大量に移民してきます。で、彼らは、「ゲットー」つまり、「ローワー・イースト・サイド」に住みます。そして、その中にギャング組織が出来る。しかし、「アイルランド系」「ドイツ系」移民とも、それなりに裕福になった人々は、「ローワー・イースト・サイド」から出ていきます。

しかし「アイルランド系」移民は、白人間でも差別にあっていて、その結果、犯罪組織は長く、そして多く残りましたが、民主党の政治マシーン「タマニー協会」の指導のもと、多くのギャング団は社会団体として再編されていたようです。しかし、「ヘルズ・キッチン」という、マンハッタン西側の運送・工業地帯では、「アイルランド系」ギャングは、その後も残ることになります。

続いて19世紀の終わりごろからは、「ユダヤ系」「イタリア系」が多く移民してきます。

彼らは、「アイルランド系」「ドイツ系」移民が少なくなった「ローワー・イースト・サイド」に入居してきて、一部は犯罪組織を作った、という次第。

で、20世紀初めの、主だった「ギャング団」は以下の通り。
 ・現在の「チャイナタウン」から「リトル・イタリー」あたりの「ファイブ・ポインツ・ギャング Five Points Gang」はイタリア系で、ブルックリン生まれの少年アル・カポネも組織の少年部隊で修行?し、後年その成果をシカゴで見せることになります。
 ・「ユダヤ系」では、ボスの名前を採った、「ローワー・イースト・サイド」の「Eastmans イーストマンズ」
 ・「アイルランド系」ギャングは「ヘルズ・キッチン」の「ゴファーズ Gophers」とその女性部隊「Ladies' Social and Athletic Club」、通称「レディ・ゴファーズ」が名をはせていました。

しかしこれらはほんの一部で、他にもたくさんの組織が出来ていきます。


さて、長く続いた「犯罪組織が自己の利益に都合の良い政治家を当選させて、その庇護のもとで非合法行為を行う」というパターンは、1920年頃には、国民全体の知識レベルの上昇と、それがもたらす世論などにより、認められなくなりました。政治家は、犯罪組織に背を向け始め、犯罪組織のプレゼンスが低下します。しかしここで皮肉な「神風」が吹きました。1920年からの「禁酒法」です。


−「禁酒法」−
一般的に「禁酒法」と呼ばれているものは、1919年の米合衆国の修正憲法第18条に基づき、各州で同年からその翌年かけて定められた法案により効力が発生しました。さて、この第18条ですが、日本語訳では以下のようになっています。
「・・・飲用の目的をもってアルコール飲料を醸造、販売または運搬し、あるいはその輸入もしくは輸出を行うことを禁止する。」
ここでポイントなのは、「醸造」、「運搬」、「販売」、「輸出入」は禁止ですが、「購入」そして「飲酒」することは禁止されていないんですね。つまり、「地下世界」が作って、運んで、販売するという「違法」部分を請け負った後、一般の人々は「購入」して「飲酒」しても罪にならない。(最近の言葉で言うと「製造者責任」でしょうか?(笑))。従って、この長く続いた「禁酒法」時代において、「地下世界」は非常に潤った、という皮肉な結果となりました。

ちなみにこの修正憲法18条ですが、同じく修正憲法の21条(1933年)で廃止されました。

<Castellamarese War−1930年の抗争>

「禁酒法」施行後のNYマフィア界ですが、

マッセリア
ジョー・マッセリア
マレンツァノ
サル・マランツァノ
シシリー系で、NYでの当時最大勢力であり、「ボス」の異名も持った、ブルックリンを地盤とする、
 ・サル・マランツァノ(Sal Maranzano)

の組織が、「アル・カポネ」の支配下にあるシカゴのビール密造業に進出を試みたところ、カポネと同盟し、NYに組織をもつ
 ・ジョー・マッセリア(Joe Masseria)

と激突し、交戦状態となりました。

これはNY犯罪史上最大の犯罪組織抗争となり、マランツァノ配下多数のメンバーの出身地であるシシリー島の村の名前から「カスタラマーレ戦争 Castellamarese War」、あるいは「1930年の戦争 War of 1930」と呼ばれます。

マランツァノ陣営」としては、トミー・ルチーゼ(Tommy Lucchese)が、現在の「ルチーゼ Lucchese」ファミリーにあたる組織のボスとして存在していました。

一方、「マッセリア陣営」には、アル・ミネオ(Al Mineo)が、現在の「ガンビーノ Gambino」ファミリーの原型を率いていました。

ちなみにその頃1929年2月14日のシカゴではアル・カポネによる、対立人物の大量殺人である「セント・バレンタインデーの虐殺」が起こっています。



<初代「ボス達のボス」−「"ラッキー"・ルチアーノ」と、「五大ファミリー」>

マッセリアマランツァノの、「旧世代」のやり方とその長期化する抗争に、NYの次世代ギャングたちはウンザリし始めたようです。イタリア人のみで組織構成、他の人種は攻撃、「名誉」が傷つけられたら「復讐」。一方、「次世代」ギャングの目的は唯一「金儲け」、であり、「禁酒法」という、絶好のビジネス機会に、殺し合いなどしている場合か、というわけですね。

ルチアーノ
"ラッキー"・ルチアーノ
ここに、NY近代マフィアの「父」?とも言うべき、
 ・ チャールズ・"ラッキー"・ルチアーノ(Charles "Lucky" Luciano)

が現れます。ちなみに”ラッキー”というあだ名は、競馬でのギャンブルに強かったからで、組織犯罪とは関係が無いそうです(笑)。
(後述の、瀕死の状態から命が助かったので「ラッキー」というあだ名が付いた、という説もありますが、どうも違うようですね。)

ルチアーノはシシリー島から、幼少の頃NYへ移民してきました。幼少の頃からギャングとしての天分を持ち(笑)、子供たちからの用心棒代徴収や、強盗などその能力を遺憾なく発揮(笑)、その大きな器量と野心で有名だったようです。

マッセリアの傘下にいましたがマランツァノに内通しました。

その理由ですが、生意気で、頭脳明晰、残虐で、野心を隠さないルチアーノを、マッセリアは自分の地位を将来脅かすのではと思って数名の刺客を差し向けたとことにあるとされています。ルチアーノはナイフによる多くの傷を負いますが、一命を取り留めました。彼の写真で右目のマブタが垂れ下がっていますが、これはその時の傷でマブタの筋肉が損傷したためだそうです。
マッセリアは、回復したルチアーノにとぼけ通しますが、ルチアーノマッセリアの仕業と断定し、マランツァノに通じて、身の保全、復讐そして権力を得ようとします。

1931年、コニー・アイランドのレストランでマッセリアとの会合をマランツァノに連絡。食事中にタイミングを計ってルチアーノがトイレに行っている間にマランツァノの部下が急襲、マッセリアは殺されました。
ちなみに事件取調べの際、警察に「ずいぶんとトイレに行っていた時間が長かったようだが、実は襲撃を知っていたんじゃないのか?」と聞かれたルチアーノは、「オレは元々トイレが長いんだ。出始めたら数分かかるんだ。」と答えていたそうです(笑)。

マランツァノはNYマフィアの組織を再編成、ルチアーノマッセリアの元組織であり、現在の「ジェノベーゼ Genovese」ファミリー源流組織を継承し、ボスとなりました。

しかしマランツァノの天下は束の間の3ヶ月で、マランツァノルチアーノに賛同する「新世代」ギャングに殺されました。

マランツァノの組織の大部分は
プロファチ
ジョー・プロファチ
 ・ジョー・ボナーノ(Joe Bonanno)

が継ぎ、残りは、
 ・ジョー・プロファチ(Joe Profaci)

に引き継がれます。
前者は現在の「ボナーノBonanno」ファミリー、後者は現在の「コロンボ Colombo」ファミリーとなります。

「ルチーゼ Lucchese」ファミリーは上述の通り、既にルチアーノ陣営でした。

現在の「ガンビーノ Gambino」ファミリーは当初マッセリア派だったために、マッセリア暗殺後はマランツァノに近い人間をボスにたててしのごうとしましたが、すぐにマランツァノルチアーノの手により殺されたため、マランツァノから、やや遠い、マンガノ兄弟(Mangano)をボスに立てて再度しのぐという綱渡りで生き延びました。この辺りの政略は、「お家大事」で「お取り潰し」をしのぐ、関が原の戦い以降の、日本の「大名」家の振る舞いと同じですね(笑)。
  • ルチアーノ率いる、現在の呼称で「ジェノベーゼ Genovese」ファミリー
  • ボナーノ率いる、現在の呼称で「ボナーノ Bonanno」ファミリー
  • プロファチ率いる、現在の呼称で「コロンボ Colombo」ファミリー
  • ルチーゼ率いる、現在の呼称で「ルチーゼ Lucchese」ファミリー
  • マンガノ兄弟率いる、現在の呼称で「ガンビーノ Gambino」ファミリー
こうしてニューヨーク「五大ファミリー」の原型が確立しました。



<マフィアのシステム−「話し合い」の「コミッション」、「強制」の「マーダー・インク」>

マフィアは、通常、一都市に一組織となっており、もしも新興あるいは他地域の組織がある都市に進出してきた場合、どちらかが滅びるまで闘うそうですが、ニューヨークは利権と人口が多かったせいか、組織乱立状態で収拾が付きません。そこでルチアーノは、複数の組織による連立運営構想をたて、ニューヨーク近郊のマフィアによるトップ会議機関「コミッション Commission」(委員会)を設立し、揉め事などをマフィアのボス達の「話し合い」により解決していきます。このルチアーノが立てた「話し合い」システムは現在でも引き継がれているようですが、このボスの「話し合い」を「牛耳切る」ことのできる「力」を持ったボスは、「The Boss of Bosses」(「ボス達のボス」)とも呼ばれた「覇者」であり、”ラッキー”・ルチアーノはその初代の「ボス達のボス」となりました。
「NY五大マフィアは「コミッション」を頂点とした連合体であり、"ボス達のボス"というものは存在せず、マスコミ用語であり間違いである」としているサイトもありました。しかしながら、fujiyanとしては、他のサイト、資料が考えているように、「コミッション」をリードする能力があると当時想定された「ボス」を、「ボス達のボス」としております。
乱立する「トップ」を集めて「話し合い」を開催し、その「話し合い」をリードしたものが「覇者」となるこの形態は、中国の歴史における、「秦」始皇帝の統一前の、春秋戦国時代の「覇者」−斉の桓公、晋の文公など−に類似していることに気がつきました。「話し合い」をリードする=「牛耳切る」は、諸侯会議での決議案に「誓い」を立てる際に、「覇者」が牛の耳を切って、その血をすすって宣誓をおこなったことから来ているそうです。また現代でも、「国際連合」あるいは諸国の「話し合い」を、「覇者」アメリカ合衆国がリードして「決議」し、国連軍派遣などを行っています。「覇者」というのは、いつの時代も、どんな場合でも類似するものですねぇ。あれ、ずいぶん横道にそれてしまいました(笑)。ゴメンなさい。

”ラッキー”・ルチアーノが持っていた、ボス達を仕切る「力」の一つに「マーダー・インク Murder Inc.」(殺人会社)とマスコミから呼ばれた、ルチアーノがリーダーシップを持つ「コミッション」直属の、いわゆる「殺し屋集団」がありました。アメリカが牛耳切る現代世界の「連合軍」ですね、(ってタトエが悪すぎますか?、ゴメンなさい(苦笑))。旧世代のボスや反対派を抹殺(ある資料によると200-250名)、NYマフィア社会は安定に向かいました。

ボナーノ
アルバート・アナスタシア
ちなみに、ルチアーノ、そしてそれ以降も、マフィア界の実力者達の考えとして、「犯罪界内部の殺しは認めるが、外部の人間には行わない」、という不文律ができました。時として、警察関係者、あるいは事件の目撃者の襲撃を計画、あるいは実行したこともあったようですが、その場合には「コミッション」は厳しく扱い、時として立案した有力者を抹殺する場合もあったようで、後述するボスの暗殺に、その例も含まれているようです。

「マーダー・インク」のリーダーは、
 ・「アルバート・アナスタシアAlbert Anastasia」

という「殺し屋中の殺し屋」でした。
彼は20年後の1951年に現在の「ガンビーノ・ファミリー」のボスであるのマンガノ兄弟を殺し、そのファミリーを手中にします。



<マフィアは「イタリア系」と「ユダヤ系」の連合体>

「旧世代」がイタリア系の人員のみで、組織構成や仕事?をしていたのに対し、「新世代」のルチアーノは、相談人(マフィア用語では、「コンシグリエーレ consigliere」)に「ユダヤ系」を採用するなど人種にオープンな運営を行います。

ちなみにシカゴのアル・カポネも「片腕」はユダヤ系であり、妻はアイルランド人でして、「イタリア系」世界の枠組みから出た「コスモポリタン」?的なボスがこの頃勢力を伸ばしたわけですね。
と言う訳で、ルチアーノ時代以降は、「マフィア」と呼ばれている犯罪組織は、「イタリア系」のみで成り立つのではなく、NYの「ゲットー」に新移民として同時期に住んでいた貧困層である、「イタリア系」と「ユダヤ系」の連合である場合が、実は多いようです。
新移民は、アメリカに渡ってきたら貧困層の街−一般名詞として「ゲットーghetto」−にまずは住む。貧困と無教養を理由として、一部の新移民は犯罪組織を作る。そして、その他の大多数の移民たちは一所懸命に働き、お金が出来たら「ゲットー」を出て行く。空いた「ゲットー」に、次の新移民が入ってくる、というパターンです。従いまして、時代に応じて、新移民に民族的な変化があった場合には、犯罪組織も民族的な変化がある、という訳です。
と上述しましたが、「イタリア系」と「ユダヤ系」移民の場合、「その他の大多数の移民たちは一所懸命に働き、お金が出来たら「ゲットー」を出て行く」ことが、その前の時代の「アイルランド系」や「ドイツ系」移民と比すると、非常に困難でした。理由は、1929年から始まる「大不況」時代です。「イタリア系」「ユダヤ系」の貧困層はその状態から抜け出せない人々も多く、犯罪組織に身をゆだねてしまう。従いまして、「マフィア」=実は「イタリア系」と「ユダヤ系」の連合犯罪組織、は、他移民の犯罪組織と比して、そのプレゼンスが長期に渡り、大きいものになってしまいました。


さてルチアーノの「相談人」であるユダヤ人は、ポーランド出身の本名「Maier Suchowljansky」、通称、
 ・メイヤー・ランスキー Meyer Lansky

ラスキー
メイヤー・ランスキー
ルチアーノに忠実、頭脳明晰で、典型的な「ナンバー2」でした。組織間の殺し合いを止めさせるための「コミッション」、そしてその「コミッション」の決定を武力により強制させる「マーダ−・インク」も彼が提案したと言われています。

また、経済センスも抜群でした。ポスト「禁酒法」を睨んでか、ギャンブル運営による収入構造へと変化させます。

ラスベガスに、同じユダヤ系の「ベンジャミン・”バグジー”・シーゲル」を派遣しマフィア・シンジケート経営の「フラミンゴ・ホテル」を設立、あるいは革命前キューバの独裁者バティスタに賄賂を使いバハマにギャンブル場を持つなど、彼の、卓越した、将来を見通す「経営センス」から来るものでした。ちなみに、シーゲルは、組織の利益をチョロまかしたため(ランスキーの指示と言われていますが)殺されました。映画「バグジー」で描かれています。

FBIの捜査官が、こう言ったことがあるそうです;
「もしもランスキーが合法事業に身を置いていたら、ジェネラル・モータースの社長になっていただろう」。

彼は、浮き沈みの激しい地下社会の中でも、余人を持って替えがたいその能力により身は安全でした。彼は、「ボス」の地位に就いたことはありませんでしたが、長く「コミッション」のメンバーであり、「コミッション」での議決の際、彼が賛成の挙手をすると、ボス達はそれを見て挙手するのが通例であったほど、組織の枠を超えて彼の判断は信頼されていました。また、「コミッション」システムを、全米規模に広げた功績?もあるようです。

「ボス」の座に就いたことが無かったこともあり、青少年期の小さな犯罪暦があるだけで、彼が「大物」であることは、当局も世間もまったく気づいていなかったそうです。しかし、とうとう当局にその大きな存在1970年に発見され、アル・カポネ以来初めての、ギャングに対する「脱税容疑」が掛けられ、イスラエルに亡命しますが、1972年にイスラエルから国外追放。舞い戻ったアメリカのマイアミで心臓手術を受けた後、なんと裁判で無罪となりました!!



<「ジェノベーゼ・ファミリー」−「ボス達のボス」は、「ルチアーノ」から「コステロ」へ>

1936年、ルチアーノは売春あっせんで逮捕され、監獄入りとなります。しかし、彼は刑務所の中から組織をコントロールしていました。

第二次世界大戦中はニューヨークのハドソン川から欧州戦線にむけて軍隊、物資を送るわけですが、その波止場で妨害破壊行為が行われ(ドイツのスパイによるものとされているようです)、米政府はルチアーノに治安強化を依頼したと言われております。確かに妨害行為はピタッと止まったそうです。
また連合軍のシシリア島上陸作戦の援助を要請され、見返りに減刑を提供する、という米政府との取引もあったと言われています。この件の事実はまったく不明ですが、確かに彼は減刑されイタリアへと旅発ちましたが、イタリアからNYの組織の運営を行っていた、と言われています。

イタリア居住のルチアーノは、アメリカへ入国が二度と出来ませんでしたが、1946年キューバでマフィアのボスの会議を主催します。このころから、シシリアなどイタリアからアメリカへの、麻薬輸出「ホット・ライン」ができたそうです。

ちなみにこの「キューバ会議」には、歌手のフランク・シナトラも興を添えるため出かけていたそうです。
この頃、ナポリにあったルチアーノの家に警察の手入れがあった時、「To my dear pal Lucky, from his friend, Frank Sinatra.」(親愛なる友、ラッキーへ、フランク・シナトラ)と彫られたシガレット・ケースが見つかりました。シナトラのマフィアとの交友関係は、ルチアーノのみならずホント幅広かったようです。


コステロ
フランク・コステロ
しかし米国外にいるルチアーノの影響力もさすがに低下しまして、NYマフィアの「ボス達のボス」は、現在の「ジェノベーゼ・ファミリー」の跡目を含めて、ルチアーノの弟分とも言うべき、
 ・フランク・コステロ(Frank Costello)

となります。一方、ルチアーノそしてその後のコステロは、主としてアイルランド系移民の組織であったニューヨークの民主党政治マシーン「タマニー協会」への影響力と及ぼそうと試みます。このころ「反タマニー協会」として当選した共和党のNY市長ラガーディアは、「タマニー協会」そしてマフィアとも戦います。ラガーディアは、コステロの収入源であるスロット・マシーン業を崩壊させます。その後「タマニー協会」のトップにイタリア系がとうとう就き、そのトップはNY市長選に打って出ますが、民主党の予備選で落選、ここで「タマニー協会」はその勢力を完全に失いました。



<「ボス達のボス」は、「ジェノベーゼ」と「ガンビーノ」の連立政権へ>

ジェノベーゼ
ビトー・ジェノベーゼ
ガンビーノ
カルロ・ガンビーノ
1957年、現在の「ジェノベーゼ・ファミリー」で内部抗争が起こり、コステロ
 ・ビトー・ジェノベーゼ(Vito Genovese)

に「アッパー・ウェスト・サイド」の高級アパート「マジェスティック」で襲撃され、一方で彼の盟友であった、現在の「ガンビーノ・ファミリー」のボスであり、「マーダー・インク」のリーダーでもあるアナスタシアが、その部下である
 ・カルロ・ガンビーノ(Carlo Gambino)

の「黙認」のもと、殺害されます。ちなみに、アナスタシアは散髪屋で襲撃に遭っていますが、このことは映画「ゴッドファーザー」にもモデル?として描かれています。

コステロは引退に追い込まれ、ジェノベーゼが現在の「ジェノベーゼ Genovese」ファミリーを奪取し、アナスタシアの持っていた、現在の呼称で「ガンビーノ・ファミリー」はここでガンビーノに引き継がれます。ここで、NYマファイ界はジェノベーゼガンビーノによる、「連立政権」となります。1959年にはジェノベーゼは麻薬容疑で逮捕、入獄。彼は刑務所から指示を出していたようです。


<「バナナ戦争」:「ボス達のボス」を巡る戦い−「ボナーノ」の蜂起から>

さて、1964年から69年に掛けて、現在までのところ最後の、大規模なマフィア戦争、通称「Banana War バナナ戦争」の時代です。「バナナBanana」は「ボナーノ Bonanno」ファミリーが訛ったもので、つまり「ボナーノ・ファミリー」を中心とする抗争です。

ボナーノ
ジョー・ボナーノ
「1930年の抗争」当時、26歳の若さで「ボナーノ・ファミリー」を率いた、ジョー・ボナーノ(Joe Bonanno)は、その後カナダ、アメリカ西部に利権を拡大します。1960年になり、金力、武力そして年齢による経験を蓄えたボナーノは、良く言えば自分の地位の保全から、悪く言えば「ボス達のボス」の地位を狙って、NYマフィアの連合政権のトップ、ジェノベーゼガンビーノの除去を狙い始めました。

1962年に、プロファチから現在の「コロンボ・ファミリー」にあたる組織を継承した
 ・ジョー・マグリオッコ Joe Magliocco

と、ボナーノは盟友関係となり、ボナーノの依頼で、マグリオッコはその部下のヒットマンである
 ・ジョセフ・コロンボ Joseph Colombo

に、ジェノベーゼガンビーノの暗殺を命じますが、コロンボが寝返り密告します。ジェノベーゼガンビーノがリードする「コミッション」が召集され、マグリオッコは出頭。事を荒立てなくない「コミッション」は慈悲深くも?、引退してコロンボへ跡目を告がせることを条件に、マグリオッコを助命します。

しかしボナーノは「コミッション」への出頭を拒否、長く「にらみ合い」が続きましたが、1964年に(恐らく「コミッション」に)誘拐され、その後19ヶ月間行方不明となります。 「コミッション」はボナーノ・ファミリーの跡目をディグレゴリオGaspar DiGregorioへ譲るように裁定しますが、ファミリーはボナーノの息子、ビルを立てる一派と分裂し、内部抗争が始まります。主として、ブルックリンでの抗争でした。停戦会議が提案され、その会合場所に向かうビル派はTroutman Streetで待ち伏せに遭い、マシンガンの銃撃戦となり、抗争は泥沼化していきます。

ボナーノは19ヶ月後、姿を現します。恐らく、跡目をあきらめ引退することを「コミッション」に約束して釈放された、と言われていますが、ボナーノはその、恐らく交わされた約束を無視。抗争は続きます。
「コミッション」は「ボナーノ・ファミリー」の跡目を、抗争を終わらすことに出来ない責任がディグレゴリオの能力にあるとし、ポール・シアカールPaul Sciaccaに変更しますが、終わりません。

ボナーノは1969年に心臓発作で病床に付き、ようやく断念。「ボナーノ・ファミリー」の財産は、米西部はボナーノが保有しますが、ボナーノがNYの「シマ」を諦めることで、ようやく収拾が付きました。と思ったら、ボナーノの子分の、グランテCarmine Galanteが牢獄から出所、自らを「ボナーノ・ファミリー」の正当な後継者であるとしてNYで暴れましたが、慈悲深い?判断をしたためにバナナ戦争を長期化させた、という失敗に懲りた?「コミッション」は、すぐに、あっさりとグランテを暗殺します。

こうして「ボナーノ・ファミリー」そしてNYマフィア界はようやく安定しました。
1980年代から全米規模で他の犯罪組織のプレゼンスが低下するなかでも、「ボナーノ・ファミリー」は富力を保っているそうです。



<「ボス達のボス」の系譜は、「ガンビーノ・ファミリー」へ>

NYマファア界は、ジェノベーゼガンビーノによる「連立政権」が確立し比較的平和な時代となりました。
ジェノベーゼが1969年に獄中で亡くなると、NYのマフィア界は、ガンビーノの単独政権となりました。

ガンビーノは合法事業を中心として組織運営を行いつつ資産を伸ばし、「ガンビーノ・ファミリー」は、NYで最も富裕なファミリーと言われています。ガンビーノはマフィアのボスとしては珍しく、1976年に「シャバ」の「畳の上」(というかアメリカですから「絨毯の上」?(笑))で往生することが出来ました。

「ガンビーノ・ファミリー」の跡目を継いだのは義理の弟、
ポール・カステラーノ
ポール・カステラーノ
 ・ポール・カステラーノ(Paul Castellano

でした。

しかし、スタテン・アイランドの大屋敷に篭ちがちで「若い衆」とあまり親しまず、合法事業中心に運営する「知性派」の彼は、ボス襲名の9年後、マンハッタンの「スパークス・ステーキ・ハウス」(fujiyanお気に入りのステーキ屋です(笑)。NYにお寄りの際は是非(笑)。)の前で、若い衆に人望のある「武闘派」の

ゴッティ
ジョン・ゴッティ
 ・ジョン・ゴッティ(John Gotti)

の指示で射殺され、ゴッティは跡目を継ぎました。

ゴッティは、明るい、あけっぴろげ、というか、ヒョウキンな性格だったらしく、リトル・イタリー北の「ノリータ Nolita: North of Little Italy」にわざわざ?本部を置き、ステレオ・タイプのマフィアのボスを「演じる」?など、メディア露出が大好きだったようです。その後1992年6月から終身刑で服役中です。彼の息子が跡を継ぎましたが、息子も現在服役中。しかしながら息子は、終身刑では無く、出所後の動向が注目だとか。
2002/10/13補足:終身刑で服役中だった、ガンビーノ・ファミリーのボス「ジョン・ゴッティ」は2002年6月10日、病死しました。

fujiyanが推測するに、ゴッティカステラーノを暗殺する場合、恐らく他のファミリーのボス(達)のサポートがあったハズなんですが、誰がサポーターなのか判らないんですよねぇ。ゴッティ単独で蜂起するには、ちょっと危険すぎる。今までの、武力によるボス交代劇を読んでいただくと、必ずどこか他の有力者と組んでから「事」を行っていますから。。。。ゴッティを「ボス達のボス」の系譜に入れるのは、間違っている可能性が高く、サポートしていた他のファミリー(達)が実は「コミッション」を仕切ったかもしれません。

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「ゲットー」に移民してきた貧困層により犯罪組織は作られていく、という歴史を上述しました。第2次世界大戦前後から、「ハーレム」、そして1970年代以降は「ワシントン・ハイツ」が「ゲットー」となっていき、それぞれ「黒人系」、「ラテン系」の犯罪組織が作られました。しかしながら、彼らが麻薬ビジネス中心であるのに対し、「マフィア」は麻薬を含む幅広い収入源を持っています。

1990年頃から始まった、全米挙げての麻薬を中心とする犯罪組織撲滅の動きなどにより、NYのマフィアはその動きが現在は静かであり、「ボス達のボス」が誰なのか不明です。もしかすると、「ボス達のボス」は現在空席なことも有り得ます。

しかしこれら五大ファミリーが現存していることだけは確実で、近い将来また五大ファミリーがそのプレゼンスを取り戻し、「ボス達のボス」が姿を現すかもしれませんね。





-参考サイト(+このページの写真出所)−



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2002/10/13 ジョン・ゴッティの病死を補足



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