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今回は、「アッパー・ウェスト・サイド」と呼ばれるエリアの北部分=86Stより北側を散歩します。

青の星印である、地下鉄1、9線の86St駅からお散歩開始です。
まずは86Stを西(地図では上)に歩きます。ウェスト・エンド・アベニューをを右折(地図では右)。(1)元野球選手の住居があります。リバーサイドドライブに出て右折すると、右手に(2)旧邸宅道を挟んで向かい側には、(3)記念碑を拝見。その裏手から、「リバーサイド・パーク」に入ります。

南 ← → 北
お散歩距離約6.5KM
アッパーウェストサイド(北)地図

公園の中には、ヒット映画のロケ地で有名な(4)庭園があります。95Streetで一旦公園を出て、94Streetを歩き、ウェスト・エンド・アベニューとブロードウェイ間の(5)お洒落な横丁を拝見です。

96Streetから再び、リバーサイド・パークに入り、しばし公園を歩いた後、104Streetで外へ出る途中に(6)消防士のメモリアルがあります。103Streetを東(地図では下)へと歩くと、公園そしてハドソン川を見下ろす(7)高層建物、そして(8)(9)昔の著名人たちの住まいを拝見します。

103Streetをアムステルダム・アベニューまで来ると、(10)大型プロジェクトが見えてきます。この辺りは、通称「マンハッタン・バレー」。黒人系、ラテン系の方々のエリアです。

コロンバス・アベニューまできたら、南(地図では右)、そして101Streetを東(地図では下)へ。(11)セントラル・パーク西沿いを歩きます。この辺りは、(12)アパート群が並びます。89Streetで右折(地図では上)。(13)乗馬レンタルを見て、アムステルダム・アベニューを左折して、86streetに戻ります。




「アッパー・ウェスト・サイド」とは、南は59St、北は110St、東はセントラル・パーク、西はハドソン川です。今回は、86Stより北側の散歩となります。
多くの観光客の方々が訪れる「アッパー・ウェスト・サイド」は今回のエリアより南側に位置しまして、今後(いつになるかは不明ですが(苦笑))「アッパー・ウェスト・サイド南」として、別途ご案内するつもりです。

「アッパー・ウェスト・サイド」は現在ではお洒落な住居地と見なされていますが、その昔はあまり環境が良いとは言えませんでした。1980年代から、いわゆる「ヤッピー」=若い高給取りのサラリーマン、が転入するようになってから環境が変化しました。この「ヤッピー」による「アッパー・ウェスト・サイド」エリアの環境変化は、南の方から始まり、今回のお散歩エリアの辺りまで変化が到達したのは、ここ10年というところのようです。

今回のお散歩エリアの中に、「マンハッタン・バレー Manhattan Valley」と呼ばれる一角が含まれます。
南は100St、北は110St、西はブロードウェイ、東はセントラル・パークに囲まれたこの辺りは、黒人、ラテン系住民のエリアです。
fujiyanは、上記の地図のように西側から「マンハッタン・バレー」に歩いてきたわけですが、「ブロードウェイ」の一本東である、「アムステルダム・アベニュー」辺りから、人種ががらりと変わり、雰囲気も変化してきたのにビックリした次第です。NYでのエリアの境界は、いちおうは「XXストリートから西」など定義はあるものの、実際のエリアの線引きは、通常漠然としています。しかしこの「マンハッタン・バレー」はほんとにくっきりとしていていました。(地図によっては、この「マンハッタン・バレー」を「アッパー・ウェスト・サイド」から除外しているものもあります。)

1850年代にセントラル・パークの建設中に、セントラル・パークに不法占拠・居住していた人々が追い出されて、この「マンハッタン・バレー」に移ってきました。1870年代からは、お年寄りや貧困層の養護施設も多く建てられ、失礼ながら低所得者層主体のエリアであることは、現在でも続いています。

1950年代後半から、「アッパー・ウェスト・サイド」の環境向上がNY都市再開発のテーマとなっていきます。NYの再開発パターン?は、冷ややかな表現をすると、スラム化したエリアを取り壊して貧困住民を追い出して、大型建築を行う、というものでして、これはここ「アッパー・ウェスト・サイド」も同様でした。

「アッパー・ウェスト・サイド」北側の、セントラル・パークに隣接する「マンハッタン・バレー」辺りのスラムは、97-100Stに大型アパート、そして写真(10)のような、「パブリック・ハウジング」、いわゆる「プロジェクト Project」が建てられます。写真(10)の「Douglas Houses」についてインターネット検索をしていたら、「Douglas Houses」住民の公聴会での発言ページが見つかりました。1997年時点では、2ベッドルーム(日本で言う2LDK)で、近所の家賃相場が1500ドルのところを、495ドルで暮らしているとか。
一方「アッパー・ウェスト・サイド」南端のスラム群は、映画「ウェストサイド物語」のロケ地でしたが、1950年後半から「リンカーン・センター」となります。

その後上述したように、1980年代から「アッパー・ウェスト・サイド」南の方に、「ヤッピー」が転居してきて、「アッパー・ウェスト・サイド」は徐々に北へと、所得の比較的高い層の街となってきまして、それが現在では、100st台まで伸びてきた、というところのようです。ただし今でも、100Stから北の、ブロードウェイの東西では、ちょっと雰囲気が異なっているように思えました。

「アッパー・ウェスト・サイド」全体は、中所得層の街ですが、富裕層、そして低所得者層も混然と居住しており、それが「アッパー・ウェスト・サイド」の大きな魅力となっているようです。





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