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East Village(イースト・ビレッジ)は、Melting Pot(人種の坩堝)であるとともに、反政府・反権力、麻薬そして暴動の街でした。マンハッタン全体が安全となり清潔になって行く中でも、NY独特の胡散臭さが色濃く残るエリアです。

まずは、星印のブロードウェイ沿いを下って来ます。左手に、豪華絢爛な(1) Grace Churchが見えてきます。そのまま、ブロードウェイを歩きます。複数の通りがクロスする(2)Astor Placeへと辿り着き、その周辺(3)(4)、を拝見します。(5)商人の古い家を見た後に、Lafayetteに入ります。(6)劇場、(7)ギリシャ神殿のような古い建物、が左右に配置しています。

左が南 ← → 右が北
お散歩距離:約8KM
East Village地図

さて、再度The Bowery と 4Avenueまで戻ってきました。ここから東側(地図では下)がイースト・ビレッジです。

イースト・ビレッジの目抜き通り、(8)St. Mark's Placeを歩きます。ここは、ホント胡散臭い通りで、嬉しくなっちゃいます(笑)。そのまま、東(地図では下)に向かい、アベニュー名が、A, B, CそしてDとなる、アルファベット・シティ(Alphabet City)に入ります。

(9)Tompkins Square Parkが見えてきます。ここは1980年代には、麻薬取引とホームレスの聖地?でした。公園の向こう側に(10)高級アパート?を見て、アベニューBを南(地図では左)に歩きます。ここアルファベット・シティは、建物の間にぽっかりと土地が空き、(11)共同庭園(Community Garden)が在るので有名です。

このあたりから、スペイン語が聞こえ始めます。プエルトリコ系、ドミニカ系の方々が、多くお住まいのエリアに入ってきました。4Streetを左折(地図では左)し、更に東へと向かいます。色合いも名前も、いかにも(12)スパニッシュ系のためのカソリック教会、を拝見します。

アベニューDまで来ました。その向こうのFDR Driveを渡ると、イースト・リバー・パークですが、(13)ウィリアムズバーグ橋を見ながら歩きたいので、10Streetまで北(地図では右)に向かい、パークに入り、南に向かって歩くようにしましょう。

6Street沿いに戻ります。(15)壁画、(16)共同庭園を見ながら、1アベニューまで出ます。チョット回り道をして、(17)チョット怖もての?事務所を拝見した後、再度6Streetに戻ります。(18)インド、(19)ウクライナ調の街並みを拝見し、このエリアの人種の多さを実感します。エリアのランドマーク、(20)St. Mark's-in-the-Bowery Church を見た後、(21)で本日最後の民族?を確認です。

野暮ですが。。。(お住まいの方々には申し訳ありませんが)今回の散歩の中で、「アルファベット・シティ」のアベニューBから東(地図では下)から川沿いまでは、あまり治安的に良くない、とされていますので実際に行かれる時には、十分にご注意ください。



イースト・ビレッジ East Village は、南のユダヤ人居住区、リトル・イタリーそしてチャイナタウンも含む広義のローワー・イースト・サイド Lower East Sideの一部です。

ローワー・イースト・サイドとは、 1800年代中頃からの移民が、居住したエリアであり、その頃のイースト・ビレッジには、主としてアイルランド系、ドイツ系が住んでいました。1900年前後のTenement問題 = 不衛生・不健康な貧民住宅問題が発生(お散歩コースLower East Sideの添書きを参照)し、住民がマンハッタンのアッパーサイドに転居したりする一方で、このエリアの建物も改修、新築を経ていきます。その後、第二次世界大戦後からの比較的新しい移民がこのエリアには入居していったようです。

「イースト・ビレッジ」としてローワー・イースト・サイドから「独立」?したエリアとみなされたのは、結構最近のようで、お隣グリニッジ・ビレッジより高家賃から逃れたアート関係の人々が移ってきた1960年頃のようです。現在では、白人、黒人、ラテン系、そして日本人などのアジア系も住む、人種の坩堝 Melting Pot となりました。

また、労働・社会運動そして最近ではゲイの人権運動など、政治運動の故郷でもあります。写真(9)でご案内した、トンプキンス・スクエア公園 Tompkins Square Parkは、古くは19世紀後半からの労働運動、そして最近では反ベトナム戦争などのデモ・演説の集会場でした。ここで集合して、南の行政区域までデモ行進というのがパターンだったようで、当然、警官隊との衝突や暴動も多発しました。ベトナム戦争後のアメリカそしてNYが病んでいく中でこのエリアは、麻薬・暴力が吹き荒れます。トンプキンス・スクエア公園は、1980年代に、麻薬取引そしてホームレスで溢れる公園となりましたが、1988年には、当局がホームレス等の排除を始め暴動が発生し、公園は数年に渡り閉鎖されました。「トンプキンス・スクエアの暴動(riot)」は、新旧二つあり、新しいのが前述した1988年で、古いのは1874年のInternational Workingmen's Associationつまり、共産主義者組織「第一インターナショナル」と警官隊との衝突です。

イースト・ビレッジの中でも、東側・川沿いを占めるのがアルファベット・シティ Alpahbet City です。アベニューがAからDというアルファベット記号で呼ばれているのがその由来です。イースト・ビレッジが上記の様に危険だといわれていた1980年代には、その中でも非常に危険な地域でした。「アベニューAAlert(注意)、BBeware(用心)、CCaution(警戒)、そしてDDanger(危険)またはDeath(死)」とか、A, B, C, Dを一括りにして、「Always Beware, Coke & Dope(常に用心、コカインと麻薬)」なんて語呂合せがあったそうです(笑)。今でも、アベニューBより東(地図では下)には、あまり行かない方が良い、とされているようです。お散歩本の一つに、「夜、自分の行き先がハッキリと判っていない場合は、行くべきではない」と書いてありました。

fujiyanは15年程前に、アルファベット・シティに迷い込んだことがあります(笑)。なんで迷子になったのかお恥ずかしい限りなんですが(苦笑)、怖かったでした。昼間でしたが人通りがあまりなくて、歩道に人が倒れていて泡を吹いていたり、建物から「ア、ア、アゥワー」なんて悲鳴が聞こえたりしました。良くわかりませんが、恐らく麻薬の影響なんでしょうね(苦笑)。また数名が一人を殴る、蹴るという光景も目にしました。地図を広げたらもっとヤバイ、とか思って、とにかくズンズン歩いてエリアを脱出?しました(苦笑)。

この散歩で15年ぶりにイースト・ビレッジ、そしてアルファベット・シティを訪れた?わけですが、安全になったものですね。散歩中にホームレスも見受けられましたし、ドラッグ・ディーラーも夜になると1stアベニューあたりに出てくるとお散歩本には書いてありましたが、まあ一昔と比べれば、たぶん大したことは無いんでしょう。好景気のためなのか、病めるアメリカが復活したのかは判りませんが、治安が良いのに越したことはありませんね。

てな具合に考え事をしながらアベニューBを歩いている時に、東洋系もしかすると日本人の女性が、物凄く速い歩きでfujiyanを追い越して行きました。fujiyanを追いぬいて行く時、気のせいでしょうか、こちらをチラッと一瞥したように思われました。「何をトロトロ歩いているのよ、オノボリさん。危なっかしい!」かな?(笑)。治安の基本は速く歩いて、出来るだけ外に居る時間を短くすることです。「日本人は、治安と水はタダだと思っている」というフレーズを、ふと思い出しました。


- 参考サイト -

NORIZO.COM
East Villageにお住まいのNORIZOさんが、周辺のレストラン、
ショップなどを案内されています。

About.COMのNew York:East Village




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