当調査研究の発端は、冬のある日「日暮里富士見坂で夕暮れの富士を見ないか」という誘いに集まった面々が、夕日の沈む中の富士を「この目で見た」という驚きと感激にあった。時は既に「富士の見えない富士見坂、東京の地面から見えなくなった富士山」が当たり前となっていたからである。一方、この時、富士の見える日暮里富士見坂が、冬の晴れた日のタ暮れ時という特定の日と時間にしか見えないこと、この坂が東京に残る唯一の富士の見える富士見坂らしいことを知った。
日暮里富士見坂を下るとすぐ南は、谷中、根津、干駄木で、諏訪台通りを含むこのエリアこそは都心にあって最も濃度の高い江戸東京を保持するオールドタウン、東京の旧市街である。「風土千年、風景百年、景観十年」といわれる。富士を眺望できる富士見坂そして江戸東京の片鱗をもつ谷・根・千の街並風景と風土の存在という、この個有の場所性こそ21世紀の東京に向けた江戸東京のアイデンティティーの一端を現実に示す貴重な文化遺産と云えるものである。
当調査研究の基本キーワードは、富士見坂と江戸東京の眺望、その場所性と保全策である。幸いにして当研究分担者による東京の眺望、景観に関する基礎的調査研究成果と蓄積がある、当研究はそれらを充分ふまえ、新たに眺望を通した富士と江戸東京の関係と意味性の検討、さらに日暮里富士見坂という具体的な場における眺望保全に関する眺望のシミュレーションを行うなかで、地域の視点、市民の視点から選択肢のある現実的な保全策の提案を試みたものである。