地域・区・都・一般世論

上記の諸価値について地域の人々が直感的・体験的に理解し、その喪失に対して危機感を抱いていることは、既にアンケート・ヒヤリング調査で明らかした。しかしこれをいきなり直裁に表明することは、地域エゴと受け取られかねない。一般の世論と連動し、広汎な支持を得る必要がある。地域居住者・市民・区・都・研究者等は、その世論の支持があって初めて保全の実現に向けて動くことができるのである。富士山そのものに対する、一般の関心の強さ、支持・賛同については、例えば、富士山の映像を載せたインターネットにアクセスが殺到するなど(『富士山なぜか世界が注目−アクセス月100万件』1996.1 毎日新聞)、改めて述べるまでもないほどである。
 また、単に関心を寄せるだけでなく、都心部ではなく郊外であるが、駅舎を富士山への眺望が出来るようにデザインした例もある(『富士山見るなら東久留米駅!?−市民が発案設計変更』1994.10月 朝日新聞)。郊外では高層化により現在、急速に富士が見えなくなりつつあるが、同じ上記東久留米市で、それを嘆く記事も掲載されている(『建物の陰に消えて行く富士〜東京を描く・(手塚悦子:手塚治虫夫人)』1992.10月 朝日新聞)。
 日暮里富士見坂自体については、地域雑誌がたぴたび取り上げ(『地域雑誌谷中・根津・千駄木』その3−1985.3・その7−1986.3)、またNHKにより前述したようにTV放映されている(『晴れときどき富士山−富士見百景・今昔』1986.2月)。
 こうしたメディアによる影響は大きく、「富士見坂は何年か前にNHKで報道されてからすっかり有名になって、晴れた冬の日の朝はカメラを持った人が何人も来る」という状況が生まれている。メディアは富士見坂から富士山が消えようとしている現実を広く世間に伝えた。富士見坂における風景と人々の関わりにメディアが介在することで、地域を他と比較して再認識できるようになる等、新たな関心を呼び起こしている面がある。
 現在、富士見坂の価値自体は、既に知っている人々の間では相当程度受け入れられていると言ってよい。しかしながら、保全と言う視点から一般的により広い賛同を得るには未だ不十分な状況である。今後は、まず地域での保全に向けた啓発活動と、一般に対する富士見坂の危機的状況のアピールを連動させながら、広汎な支持を集めることが課題となる。そして区・都及び研究者等がそれぞれの立場からこうした活動を企画・支援してゆくならば、富士見坂の眺望保全の可能性は可能性のままに終わらず、実現化に向けて急速な展開を見せるであろうと考える。


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