ヒアリング

調査日  1993年12月5日・7日・17日  調査者 水田・岩佐

諏方神社・富士見坂付近における境内利用者・散策者・地域と関わりの深い人、に対し以下のような点についてのヒアリングを行った。

1.どこに住んでいるか
  2.諏方神社にはよく来るか
  3.どのような目的で来るのか
  4.諏訪台の風景をどう思うか(変化その他)
  5.富士見坂からの風景についてどう思うか

○調査結果

・孫を連れて散歩の途中の主婦
「不忍通りとよみせ通りの間のマンション10階に住んでいる。富士山はもちろんのこと、東京タワー、芸大のアトリ工棟、神田のセンチュリータワーなどが一望できる。越してきて、こんなに見えるのでぴっくりした。タ方の赤富士は特にきれい。NHKの朝のニュースで『今日は富士山が見えます』と言った日は必ず見える。夏の景色は暑苦しいが、冬、特に夜景などは心が暖かくなる。不忍通り沿いの建物の上に広告塔がついたら(あと一階高かったら)富士山は見えなくなる。今でも左の方は窮屈。下町の方の風景は余りなじみがないし、行かない。あとあんなマンション(荒川沿いの高層マンション)が何本くらい建つのかしらと思う。写真を撮る気も全然しない。昔は下の問屋街も明治通り沿いも木造だったけど、今はみんなマンションになって…、ライフスタイルが変わっている。以前は下町のごみごみしたところに住んでいた。今のところは景色はいいが、近所の人との交流もなく、住む場所としては良くない。よく、上野公園に行って根津神社の方を通って1時間くらい散歩する。」

・駒込に住む画家(長田たか子さん)
「今日は谷中の辺りをずっと自転車でまわっている。(スケッチは本行寺の門と夕焼けダンダンの上からの谷中銀座。諏方神社からは西日暮里駅を描いていたが)ここからのは絵にならなかった。谷中銀座のスケッチに電線が描かれているのは、生活感が出るから。ここにはみんな広い空を見に来るのでは。ビルの高層化などで近所では空が狭いから。(自宅の窓から夜の月を描いたスケッチ。マンションの明かりも描かれている)でも、星もあまり見えなくなった。」(東京の風景はスケッチブックをすべて縦に使っていた)

・第一日募里小学校の校長先生
「諏方神社には、授業で必ず子供達を連れていく。荒川区を見せるため。向こう側が低くなっているということが、昔ぽど解らなくなってきているのでは…。(以下5Fの小学校屋上にて)風の強く吹いた次の日はスモッグが飛ぱされて、この屋上の角からビルの間に富士山が見える。(不忍通り沿いのマンション群を指して)ビルがだんだん押し寄せてくる感じ。右の方もずいぶん建て混んだ。ここら辺はお寺が多いから、高くならなくて助かった。この小学校は、元々お寺の土地と製鋲工場の土地を少しずつ買い取って建てられた。今度製鋲工場が土地を売りに出すらしい。集合住宅が建つそうだ。それはいいが、そのかわり残りの土地を校庭として買い取りたい。最近はみんな高いマンションに閉じ込もるようになって、どんな子供が育つか心配だ。」

・谷中周辺の写真を撮っている地元の人(前田秀夫氏)
「先祖代々この土地に住んでいる。写真は何となく撮り始めた。根津小学校で調理師として8年間働いているので、その帰りに撮ったものが多い。(タ焼けダンダンの写真が多いが…)登りきって、来た道を振り返るところだから。定点観測のようにきちんとすれぱもっと意味があっただろう。眺望ということを意識したことはない。タ焼けダンダンの上からは、不忍通り沿いにビルが建っていくのがよく見える、というような印象(「また不忍通りにビルが…」というコメントをつけてよく使う写真があるとのこと)。富士山はよく見えていた。今でも見えるのでは(注・タ焼けダンダンからは現在見えない)。根津小学校は不忍通りが近いから、マンションが建って壁のようだが、こちら側からは富士見坂にしても、まだ向こうの方にビルが建っているという感じで、それほど圧迫感はない。ビルだけでなく、ものが増えて空間が狭くなっている印象はある。谷中銀座のゲートや坂道の途中のマンションなど。不忍通り沿いの人達は、地上げの問題としてとらえていると思う。
 諏方神社はよく行くし、風景も印象深い。座ってゆっくりできるからだろう。子供の頃は筑波山も見えた。しかし、今はすぐ目の前がビルという印象。道灌山通りをこえた筑波台の方がまだ高いからよく見える。崖沿いに道があるから歩きながらずっと見られる。坂の上からの景色は狭いし、通り過ぎるところだから印象に余り残らない。眺望権が認められるようになれば大したものだ。」

・約10年前から諏方神社で働いている人
「氏子は、西日暮里、谷中全域と、東日暮里6丁目辺りまで。でも最近は昔ほど厳密なものではない。町会も同じ。お祭の時は、遠くから大勢の人がくる。メディアと交通機関の発達によるのだろう(『ピア』にも載るらしい)。神輿は3年に一度しか出ないから、カメラマンもかなり来る。3、4年前、西日暮里5丁目の辺り(山手線と京成線に挟まれた地帯)が、規制が変わったか何かでものすごい建設ラッシュになった。ずいぶん混んできたという感じはするが、基本的には昔と余り変わらない景色。あそこに見えるのは荒川の向こうの高層マンション。防火帯になるというマンションが並んで建ったと思ったら、その横ににょきっと建った。(あまり良い眺めとは言えないのでは?の問に答えて)でも、景色を見るだけのためにわざわざ車で来る人もいる。東京の中ではいい方なのでは。線路があるからビルがぎりぎりまで建つことはないし。
 昔は、西日暮里1丁目から、境内の緑(今よりもっと多かった)の上に大銀杏が見えたらしい。富士見坂は何年か前にNHKで報道されてからすっかり有名になって、晴れた冬の日の朝はカメラを持った人が何人も来る。以前は神社境内の端からも富士山が見えた。」

・約30年前から富士見坂の下に住んでいる影刻家(立川義明氏)
「出身は信州で、富士山には関心がある。ここからも富士山をスケッチしている。1月30日頃、タ日がちょうど山頂に沈む。タ日が沈んだ後、振り返ると満月がちょうど上がってくるのが見えたという体験がある。引っ越してきた当時は、富士見坂からの風景を当たり前のものだと思っていた。NHKで特集してから話題になり、人々の意識にも上るようになった。ビルが建ってからは、富士山を負けじと大きく描いてしまう(立川氏が撮影した写真では、1989年にはまだビルの姿は見えない)。バブルの頃、ちようど富士山を隠すようなビル建設の話があって、付近の住民が騒いだことがあった。バブルがはじけて、今その場所は駐車場になっている。このような風景の変化は仕方ないのではないか。最近、クローズアップで写真を撮る人が増えているけれど、それではどこから撮っても同じ。風景ではない。諏方神社からは、当時筑波山が見えた。」

・富士山のTV特集番組のため取材をしている角氏
「富士見坂のすぐそばのマンション4階はパノラマ窓になっている。近くに、富士山を見るために塀に穴をあけたという家もある。昔は、谷中銀座の階段の上(タ焼けダンダン)からも富士山が見えたという。

※上記した立川氏の話により、翌1994年1月30日(日)、富士山山頂への日没の様子を観察した。当日は様々な人がその光景を眺めるために集まって来た。山頂への日没の話は自然と口コミで伝わっている模様である(以下、水田による採録)。

1月30日、富士見坂からは、富士山頂にタ日が沈む風景が見られる。
天候は晴れ。やや雲がある。風が強く、気温は低い

2:50 雪を頂いた富士山が、ややシルエットになってビルの間からのぞいている。
昼過ぎまで富士山が見えることは珍しい。
犬を連れて通る人が非常に多い。
坂がきつく、自転車の人は押して登ってくる。
バイクでの登り降りも頻繁。
乗用車や自営業の自家用車が数台通ったが、狭い坂なので非常に運転しにくそうである。
写真撮影をしていると、通りがかりの人も立ち止まって富士山に視線を送る。

3:50 富士見坂上でスケッチをする男性(田端に住むサラリーマン)。
「今日は富士山が見えるかと思って来た。この風景は残してほしい」

4:30 地元の主婦(3人連れ)が日没を待っている。
カメラを持った人が集まってくる(3人・それぞれ三脚と望遠レンズ付きカメラ)。
日没の30分以上前から待っている人もいる。

4:50 夕日が左上方から富士山に近づいてくる。逆光のため、富士山はほとんど見えない。通りがかりの人が足を止め始める。
スピードをゆるめて車の中から富士山の方に視線を送っている人が何人かいる。
坂の下からくる人は、中腹より上にくると振り返るようにしながら上ってくる。

5:00 日没。
富士山に夕日がかかり始め、あつという間に沈んでいく。
連続してシヤッターを切る音がする。
夕日が隠れると、富士山の周りが少し赤味を帯ぴる。山頂付近の雲が光っている。
3人連れの主婦の内の一人は、去年の昨日も見に来たという。今日は山頂よりちよっと右にずれているとのことで、一日でもかなり違うそうだ。
「あそこにビルをたてたら絶対駄目。反対運動しなきや。」
「でも隣にも建ってるからそのうち建つのでは。今年で最後かもしれない。」
「涙が出ちやつた。」

5:15 夕日が沈んだ後、空がだんだんしっとりとした赤色になつて、富士山のシルエットがくっきり見えるようになる。しばらく余韻にひたつた後、見物客達は立ち去って行った。
寒い。富士見坂を下っていくと地面に氷が張っていた。

※ヒヤリングからはこの地域の人達が、日常生活の中で、ごく自然にさまざまな場所からの眺望を楽しみ、同時にその風景に愛着を持っているという印象を受ける。昔からこの場所に住んでいる人にとって、近年の風景の変化はかなり大きなもののようである。しかし、立川氏の話に、「当時は、富士見坂からの風景を当たり前のものだと思っていた。NHKで特集してから話題になり、人々の意識にも上るようになった。ビルが建ってからは富士山を負けじと大きく描いてしまう」とあるように、近年の変化が人々の風景への関心を高めているという状況が生じているようである。


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