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「人間という名の細胞」 (後編)                     2004.9.17


ガン細胞は、もともとは生命を維持するのに必要な、正常な細胞であった。

しかし、DNAの破損などによって突然変異し、共存している生命体に

攻撃を仕掛けるという反逆行動を起こす。


では、人間をガン細胞に例えるなら、突然変異の現象とはどんなことなのだろう。

実は古い書物に、人間という細胞の突然変異の原因が書かれている。

その本とは、誰でも知っている
「旧約聖書」 である。

旧約聖書の最初から数ページのところ(第3章)に、誰でもが知っている

アダムとイブ(エバ)の話が記されている。


エバは悪賢いヘビにそそのかされ、主である神(宇宙創造主)の

言いつけを裏切り、エデンの園の中心にある善悪を知る木から

リンゴを取って食べ、そしてアダムにもこれを分け与える。

この時からアダムとエバは善悪を知ることとなり、神は怒り、

以降は茨の道を歩かされるという、旧約聖書で最も重大な

人間の物語の始まりである。


アダムとエバの物語はたかがこれだけの話であるが、

実はとても深い意味を持っている。

リンゴを食べる前のアダムとエバとは、まさしく本能だけで生きている

善悪の判断を持たない人間以外の全ての動物である。


物語には
「エバは狡猾なヘビにそそのかされた」と記されている。

どう考えてもヘビ(動物)が言葉を話すわけもなく、

これはエバの言い訳であり、
人間がウソをつく罪の始まりである。

つまり、ウソという心がなければ、それは人間以外の動物のごとく

善も悪も無い、あるのは本能だけなのである。

すなわち、狡猾なヘビとは
「己の邪心」 であり、

己の邪心とは
果てしない欲望のためについたウソの言葉である。

アダムとイブの話の後に記された旧約聖書の物語は、ウソと欲望で塗り固められた

人間同士の殺戮や争い、奪い合いなど、悲しみの歴史が延々と記されている。


その精神は現代でも受け継がれていて、果てしない欲望のために

平気でウソをつくという特異的に変異した心を持つガン細胞化した現代人は、

その果てしない欲望で地球生命に攻撃をしかけ、欲望を満たすために平気で人を殺し、

権力や武力を行使して奪略を繰り返し、他人から物を盗むようになった。

そして、平気でウソをつき人を騙し、自ら茨の道へと向っているのである。




果てしない欲望という心が根底にある、現代思想の
「資本主義」 という

拝金主義は物欲は満たしてくれるものの、競争というシステムの中で人を蹴落とし、

お金を儲けるために人を騙したり、利益を上げるために

個人・組織でウソをつき、ウソをつくことが当たり前のように平気になり、

そして人間としての豊かな心を失っていく。

裏を返せば、ウソで塗り固められた資本主義とは実に悲惨な思想なのである。


だが、皆そのことに気付かず、社会を見渡せば働き過ぎで疲れた大人、

毎日の競争に疲れている子供達、見栄やプライドなどで他人と争っている女性達、

女心を巧みに利用して性の欲望を満足させることばかりに力を注いでいる男達など、

日本人はいつも暗い顔をしていて、笑顔という精神状態はどこかに捨ててしまい、

精神的にも肉体的にも疲れきっている。

それでも
「物質的な豊かさ」 という虚像の幸せを未だに追い求めているのが、

資本主義を崇拝する、疲れきった現代日本人の真の姿である。


本当の幸せ(心の豊かさ)を求めたければ競争を止め、

物質依存の考え方を捨て、ウソをつかずに己の心に正直に、素直に、

見栄やプライドを気にしないで生きていく、という

現代思想とはまったく逆の考え方をしなくては手に入らないと言うことを

ほとんどの人は知らずに、幸せの在処を無闇に追い求めている。


全ての人間が資本主義を捨て、新たな精神的幸せを求める思想に

意識を変えられたときこそが、人間という名のガン細胞から

ガンもどきに転化する地球生命体との共存の始まりなのではあるまいか。

そのためには、一瞬にして全ての人の意識を変えるための完全なる

新たな思想を必要とする。

その新たな思想とは、宇宙を神とした形而上学的思想と

現代思想がミックスした、科学的技術で発見される

「次の世の存在が証明されたとき」 に出来上がる思想である。




続き → おまけエッセイ




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