沖縄戦を知る旅18 ひめゆりの塔
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沖縄の戦跡では、もっとも知名度が高く、悲劇の象徴としても知られるのが「ひめゆりの塔」です。
ひめゆりの塔よりも、その後ろにある納骨堂のほうが格段に多くて目立つので、勘違いする人が多いとか。 県立第一高等女学校の学徒222名は、看護要員として従軍し、戦況の悪化とともに南下し、最終的にはこの場所にあった外科壕に勤務していた。1945年6月18日に突如解散を言い渡され、鉄の暴風が吹き荒れる外に投げ出され、多くの学徒が死亡、また壕に居た者も連合軍の攻撃によって多くが死亡し、最終的には123名が犠牲になった。 この「ひめゆりの塔」のすぐ裏にある第三外科壕に居た学徒隊は9割近くが死亡する大きな悲劇が起きた。 |
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