じゃんがらの取材記録
その4
1991年8月11日(日)
平三小で盆踊りがあり、そのゲストで菅波青年会がひとガラやるというので行く。
午後6時40分集合とあるのに、15分頃着いてしまった。
送ってくれた伯父は、お客さんがあるというので家に戻ったし、
ひとりで盆踊りの輪を遠くから見ていた。
それにしても、ここの盆踊りは生の太鼓に生の笛、さらに生の唄なのだ。
小学校の校庭で行われる盆踊りにこれだけの規模ってすごい。
埼玉育ちの私が今まで参加したことのある盆踊りは、レコードに合わせて太鼓を叩く程度。
7時過ぎにやっと青年会の皆さんが到着。ほっとする。
あまり邪魔にならないようにと思っていたのだが、心細いのでテントの下まで行ってスケッチしていた。
考えてみたら、浴衣に襷の本番の姿は初めて描くのだ。
いよいよじゃんがらが始まると、子供達がどんどん視界を遮り前へ出てくる。
青年会一行が道中太鼓で櫓の正面まで来た時にはスケッチどころではなかった。
見える位置を探し、なんとか正面を確保した。
しかし、結構遠い。
子供達のほとんどが真剣に見入っている。
じゃんがらの後、また後姿などをスケッチしていた。
つい夢中になり、帰り支度をしていることに気づかなかった。
すると、盆踊りの役員と思しきおじさんが、横から
「帰っちゃうよ、いいの?」
と、問いかけてきた。
「あのね、20日の日にね、また燈篭流しで出るそうだから。鎌田のね・・・」
私はとうに知っている情報だが、またまたいわきの人の親切なところを実感してしまった。
知っているとも言えず、そのまま説明を聞いていると、一行は歩き出していた。
慌てて追いかける。
雨が降り出したので、前会長が急いで太鼓を三つも抱えて走っている。
みんなが反省会に誘ってくれたが、伯父が迎えにきてくれていたのでその日は帰った。
つづく