人類の新創世期へⅡ
~新たな文明の起源に向けて~ [2014年]
以下は、2013年11月~2014年12月 個人ブログとSNSに投稿した記事を抜粋再編成したものです。
棚から腐った牡丹餅、残り物に福は無し。慌てる乞食は独り占め、急かずば事を仕損じる。人事尽くせず天命を待つ、待てど海路の日和なし。
それが無くも確かに動いていた筈の世界。
いつしかそれ無くば忽ち止まってしまう。

それにしがみつく者達は錯覚に身を投ず。
護らねば自己否定に果つる事を恐れる故。

本当の「個人主義」は、「互いの人格を尊重し合う」のが原点。
むしろ「利己主義」とは対極にあるスタンスだと思うけど…

季節の移ろい、飽く事なき絵姿…
それを知らしめるのは創造の力。

そこに風の調べを聴けば音楽、世の証を象れば芸術、
法則を見出せば科学、地の諸行を語れば文学、
天の理を説けば哲学…

人間の世界は感動から始まった。

民主主義とは ある意味「利害の同期化・共有」とも言えるけど、
だからって「平均化・同一化」する事とは およそ意味が違う筈。

世の中には二つ以上のカルチャーが存在するのだという事を、
少しでも理解しようとするかどうかで大きく方向性が変わる。

そして、自分の知り得た世界観が「絶対」ではないという事も…

「信仰」は純粋で個的でも、「宗教」となれば組織的なもの。
組織的行為には偏狭な価値観の下で「人的な力学」が働く。

その「宗教的盲信」にも似た空気が社会全体に漂っている。

挫折を知らない人、私意で押し切る人、それは強い人か?
「機微」が解らない「浅い人間」には、本当の強さなどない。

孤独も然り。人の心の機微団子、ひとつ私にくださいな…


いつも自信満々な人は、落ち込むほどの深さもない人かも。

「トリクルダウン理論」は ただの仮説に過ぎない…

成立する前提条件が実在しないから立証される事はない。
こんな理論を基に国家運営されているんじゃたまらない。

今の仕組みにどっぷり浸かってる人には当然すぎる事かもだけど、
「貸す(預ける)」という行為そのものに「金銭価値」を認めるか否か、
それが大きな分岐点だった。社会は貸し借りの連鎖で膨らんでる。

無分別で不節操な大人達の不可思議な常識...
「街の困ったさん」を量産するビョーキ社会...

感動や創造に蓋をした大人達が植え付ける「道徳」って?
そも 想像力・判断力・気配り・責任感が育ってなくては…


多様性の理解も大切。 画一化や忠誠心やらは勘弁。

膨張した「その日暮らし」の悪連鎖を断ち切るのは容易ではなく、
同じ苦しみの人とは共感し合えても、その答えは共有できない。

今は世の中全体がまるで「その日暮らし」してるかのようにも…

寄らば大樹の陰で長いものに巻かれる如く
個を預けて従えばそれで楽には生きられる

大学に入れてもらうための受験勉強
会社に入れてもらうための就職活動

人格に求められているものは何か?
組織に帰属する事が人間の完成か?

人の倫理観がなければ、劣弱は淘汰されるのが自然界の掟。

人の優劣には、生物学的由来の他に社会的因子も絡み合う。
社会倫理の浅略が 時には人をいっそう貶める悲劇を生む…

いつの時代も「選民意識」が理不尽な社会を造ってきた。
歴史は知恵の積み重ねか、懲りぬ愚行の繰り返しか…。

枷となる形やその重さは それぞれに大きく異なるとは言え、
持てる者も持たざる者も おカネに縛られている現実は同じ。

誰もが 生活や将来とは無関係な金融操作に翻弄されている。

「人民は優れた指導者を求めている」と世界が言う。
力ある誰かに なぜ、何を、「指導」されると言うか?

「指導者」なるその言葉にも存在にも抵抗を覚える。
彼らの多くは、「束ねる人」ではなく「統べる人」だ。

「科学万能の時代に霊力なんて」と言い切るその論拠自体が科学的でない。
科学は自然界の物質の性質や現象の法則を分析応用しているに過ぎない。

現実には、科学が産み落とした「神話」こそ世に蔓延ってるみたいだけど…

既成事実と既得権にひどく寛容な世の人々
社会は搾取と独占の下に構造化されている

過去を踏まえる事は大切でも、それは過去に拘る事とは違う。
まして不確かな記憶に蹲れば、未来志向など生まれ様がない。

むやみに他者を責める前にまず自分を疑ってみるといいカモ。

真実を知らされない人々
虚偽を教え込まれる人々
その真偽はいかに悟る?


操る人も操られている?

神の名を借りて人を服従させようとするのが宗教
金の威をもって人を服従させようとするのが経済
宗教は財力で補完され、経済もまた盲信で成立つ

宗教や経済の今の「在り方」が変わりさえするなら
どれほど多くの人々が無駄に苦しまずに済む事か

「ありがとう」は上手でも「ごめんなさい」を言わない人は他を慮れぬ人。
いつも気易く他人に頼る人は相手の好意を簡単に裏切れる人でもある。

してくれる事に甘んじて当然と錯覚する人は相手の犠牲に気付かない。
人は「自分を解って欲しい」と求めるのに他人を解ろうとはしないもの…

この国の子達は、設問を咀嚼せず反射的に解答する傾向とか。

ただ憶え込む訓練が中心で、「生活への応用」を学ばないから、
世の中に関心も持たないし、だから「生きる知恵」に育たない。

金権官主制下では、大衆は知恵を持たぬ方が都合が良いか…

経済が膨らめば全てが解決する前提。
だから制度設計も変わりようがない。

成長の呪縛は無限連鎖講社会を作る。



※無限連鎖講=ネズミ講

経済上の支配と服従、宗教的な排除や同化
そんなものは本当に誰のためにもならない

皆が揃わなければ困難かもしれないけれど
僕等にはまだ望ましい選択肢が確かにある

世界中で貧富の格差が拡がるのは当然の話
経済の構造は元々そうなるようにできてる

同じ事を繰り返してどうして解決できよう
盲信者達は「成長」の幻想に取り憑かれてる



経済の成長は社会の成熟をもたらすのか…

誰でも当たり前に大人になれるものと思っていたし、
未来には良い事ばかりがあるのだと教えられて来た。

それを嘘にしてしまったのは、僕らかも知れないね…

幸福は人によって形が違い、それは個々が叶えるもの。
為政者が「こう生きなさい」とお仕着せるものではない。

その自由を妨げるものの排除こそ国家が為すべき仕事。
カネを持たせて大衆を豊かにさせるという事とも違う。

地上のどの獣よりも弱い人類が、今日まで繁栄を続けられたのは、
ある簡単な「原理」が働いたから。それこそヒトが人間である証し…


僕らは教えを乞うのではない
僕らに指導者などはいらない
まして世界の統一など無関係

ただ「分かち合う」…それだけ

人間は生きるために「分かち合いの場」とする「社会」を築いた。 今はその社会造りの形が不自然に歪んでしまっているけれど…
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by Yaman (imatsukui)