りょりょの闘病記2

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悪性のがんであることがわかっても、決して私は人前で涙を見せませんでした。それは、主人の前でも。人前で泣いてしまったら、もう一人で自分を支えていけなくなってしまいそうだったから。これから、母として娘とともに病気と闘っていかなくてはいけません。負けてはいられないのです。

しかし、面会時間が終わり、ひとりで1時間の道のりを運転して帰る間、涙が止まることはありませんでした。車を車庫に入れてしばらく涙が乾くのを待ち、帰宅しました。家には、春に小学校に入学したばかりの息子が待っていました。そして、母が用意してくれた夕食も。春に転勤で親元に戻っていなければいったいどうなっていたことでしょう。母にはこれからしばらく夕飯の世話をしてもらうことになりました。

約2週間ほどで退院となりました。国立がんセンターの予約日までまだ数日あり、自宅にいても不安でたまりません。

主治医から『何かあったらいつでも受診してください。』と言われていたので、がんセンターの受診前に1度術後の様子を見てもらおうと、総合受付に寄りました。

耳鼻科は本来予約診療となっていたので、緊急の場合以外は予約なしの人は受け付けてもらえません。

『がんと診断され転院まで不安があるので、もう1度受診したい。』と申し出たところ

『そんな、気弱なことを言っていたら、がんに負けてしまいますよ。』

看護師さんは私本人が病気だと思ったのでしょう。励ましの意味を込めた言葉だったのかもしれません。

しかし、その時の私にはその言葉を受けとめられるほど強くはいられませんでした。目頭が熱くなりこぼれてしまいそうな涙を必死でこらえ、『娘のことなのでどうかお願いします。』と訴えると、あわてて耳鼻科に連絡を取り、受診の手続きをしてくださいました。

先生はいつも通りの穏やかな口調で、
『術後の様子はとてもいいです。転院されても何かあれば相談にいらしてください。』

先生とお話していると不安でいたたまれなかった気持ちが、少し落ち着きを取り戻すことができました。お医者様によっては何が何でも自分の出身の大学病院に、といわれる方もいらっしゃるようですが、先生はとても謙虚で患者思いの方でした。そうした先生のお人柄が私の気持ちを落ち着かせてくれたのだと思います。

国立がんセンターの受診の日が来ました。主人と共に片道2時間弱かけて築地に向かいました。CT・MRIと紹介状をもって。

建物は古くむかしは軍事病院だったと聞いたことがありますが、とても殺風景な感じがしました。小児科は本館の隣の分館にあり、そこは窓も広く明るい日差しがありました。

待合所は小児科と脳神経外科だけで、予約診療のためでしょうか、患者さんは少なく数組の人しかいませんでした。

程なく、呼び出しがあり診察室へ入りました。先生はにこやかに迎え入れて下さり小児科の先生らしく子どもをひきつける魅力がありました。

紹介状とCT・MRIを一通り目を通された後、

『組織検査に記されたものは小児では考えにくく、私の経験から横紋筋肉腫と思います。手術で組織を1部切除していると言うことですから、もしサンプルが残っていたらこちらで検査したいと思います。』

すぐさま市民病院の先生に相談したところ、すぐに用意してくださいました。がんセンターに提出して次回の診察を待つことになりました。

8月3日2回目の診察日、
『病理検査の結果、やはり横紋筋肉腫でした。ベッドに空きがありますので、明日入院してください。ともかく一刻も早い治療が必要です。いま、病棟を案内します。そこで、入院の説明を受けてください。』

病名がはっきりしました。これから治療に向けての第一歩です。

小児病棟は6階にありました。エレベーターを降りると左右に分かれており、左がA病棟右がB病棟。小児科はA病棟です。小児科の病棟をみな6A病棟と呼んでいました。

ちょうど、お昼寝の時間であったので病棟は薄暗く、雑然としていました。市民病院はできたばかりで新しくとてもきれいでしたが、6A病棟はお世辞にもきれいとはいえませんでした。それぞれのベッドの横にも溢れんばかりのおもちゃなどの私物がごろごろしていました。こんな所に入院するんだ。とその時はなんだか不安でたまりませんでした。

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注)この内容は9年前の記憶によるもので、細かい内容の記憶違い等があるかもしれません。

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