久二男さんの木尽くし日記 その67



今度は厳冬への備えを万全に
04/10/03

そろそろ紅葉の時期となります。玉原に行きたい逸る気持ちがありますが、それはさておき植物はもう完全に冬への防備を調えました。しかし人間に対しては無防備なんですよ。心ある人は別で切ったら植えますが、ほとんどが後を考えません。特に今の政府にそれを望むのは、無理なのかもしれません。

願いに反して、災害がやはり弱いところに被害をもたらしました。森が徹底的に減少しているからに他なりません。罪の意識を感じます。

ある意味で、田中角栄は雪国のことを考えていたと同郷人としては思います。決してやりかたがヨシ(善)だとは絶対ナシですが。1年の半分、2メートルの雪に閉ざされると、本当にまいりました。きっとその状況を体験してみないと解からないかも知れません。

1950〜60年代、当時自動車は雪のないときだけ数台走っていましたね。しかし冬は数bの雪、交通機関といえば正に何キロの道程も、雪の上の道を歩くということになります。現在は、大雪が降っても車が通れなくなることは50軒位の村でもなくなりましたが、道路の両側は2bの雪の壁となります。雪国はそれなりの防御体制をとりますが、どうみても道路確保が中心となり、神社などの屋敷林が邪魔物といわんばかりに切られていきます、克雪の名のもとに(除雪車がユーターンできない)。逆なのにネー、私は身を切られる思いですよ。

あまり口に出していえないのは、その村人の生活が手にとるようにわかるからです。自然を、木を切らずに何かいい方法はないのだろうか。手を入れなければならないところを、ほったらかして外材を輸入する。本当に政府は、林野庁は無策です。

若い人、こどもなど労働力はあるんだよ、森作りをとおしてある程度の苦しみ体験を指導的してあげ、父兄共々生産の喜びを分け隔てなく与えてやるべきですよ。こどももそれを望んでいることは、森歩き案内をやって、こども達の生き生きした目を見て実感しています。

近年、降る雪は地球温暖化で本当に少なくなったけど、あまり切迫感がないんじゃないかな、それだけ雪国の人々にとってはありがたいのです。

防災訓練は絶対必要です。そして災害を未然に防ぐための徹底した教育を幼稚園から行うべきです。それは「木」を植えることです。同時に「勇気」も学んでもらう。それではまた。





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