樂の音その74

樂の音その74



ナターシャ・グジー
09/8/21
 りっちゃん

このところ演奏会についています。18日、友達に誘われて、「真夏の夜の平和コンサート」ナターシャ・グジーを聞いてきました。

「水晶」と例えられる声。国立音大で聞いた、お辞儀のステキなソプラノ歌手も、「ハ長調ミサ」のソプラノソリストも確か、お国は近いような。声質が似ている。豊かで力強くて、透明感のある声で、p〜fの差がたっぷりなんだよね。だから表現力もある。

ナターシャが6歳の時、チョルノブイリの原発事故があった。わずか3・5キロで被爆し、子どものころの懐かしい地は、生き生きとした思い出はあっても、現実には死の土地となり、この日本で、救援活動として、八キロもあるパンドゥーラを弾きながら、歌を歌っている。

「人間は、忘れてしまう。だから同じ過ちが繰り返されてしまう。忘れないで!」と語った次の曲は、「いつも何度でも」。アニメの曲、なんとなく聞いていた歌詞が耳に痛い。「悲しみは数えきれないけれど、その向こうできっと あなたにあえる」。彼女は、たくさんの人を失っている。放射能汚染のために。「繰り返すあやまちの そのたび ひとは」、繰り返さないために、「閉じていく思い出のそのなかにいつも 忘れたくない ささやきを聞く」。友達は身体が震えたそうだ。「こなごなに砕かれた 鏡の上にも 新しい景色が映される」。いのちを大事にする世の中に、変えたいね。「海の彼方には もう探さない。輝くものは いつもここに わたしのなかに 見つけられるから」。そうだね。自分の足許から、変えていかなくては。

「いつも、何度でも」、歴史を振り返って、知恵と勇気で、チェルノブイリの悲劇もくり返さないようにしなくてはね。慰安婦も南京大虐殺も、身近な“いじめ”もね。

友達と話したのだけれど、いまはみんな余裕がなくて、自分や家族のことしか目に入っていない。でも、自分や家族を大事にするためにも、社会の動きにも目を向けていきたいねって。

この「夏の夜の平和コンサート」、第一部の寝床屋道楽の落語は、「寿限無その後」。後期高齢者医療制度を廃止して欲しいね、というお話しでした。主催は、三多摩革新懇。目標は、
  @ 日本の経済を国民本位に転換し、暮らしが豊かになる日本をめざします。
  A 日本国憲法を生かし、自由と人権、民主主義が発展する日本をめざします。
  B 日米安保条約をなくし、非核・非同盟・中立の平和な日本をめざします。
  は、大変結構なんですけどね。土建バンド ザ・職人のミュージカルの最後に「がんばろう」だもの。辛淑玉さんが講演会で言っていたよ。組合主催の講演会で、「世の中」がうまく行かない、「組合」の加入者が減っている、それは何か間違っていたのだから、今までと違ったことをして見たら?例えば「がんばる」のをやめたら?と提案し、拍手がたくさん来て喜んでいたら、最後に、「では、がんばろう!!」だったと。私なんか、長いこと専業主婦だったから、こういうのって違和感を感じちゃうんだよねぇ。「ふるさと」をナターシャさんと歌えたので、満足ではあったけれど・・・あれも3番は古いねぇ。
  「志を果たして、いつの日にか帰らん」って、次男坊が出世して故郷に錦を飾るってことでしょう?農業をやろうってわけじゃぁない。地方が過疎化になるわけだ。都会でも「水は清き」にしなくては・・・

文句ばっかり書いてはしょうがないねぇ。ナターシャさんの「キエフの鳥の歌」も、「アヴェマリア」も、「アメージンググレース」も、みんなステキでした。聞きにいってよかった。





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