樂の音その64

樂の音その64



「楽しく歌っています」
08/1/25
 りっちゃん

年賀状で小畑先生が「楽しく歌っています」って。これってやっぱり一番大事なことだよね。「ネルソンミサ」の本番の目標が「泣かずに歌う」ことになりそうだった時、これを思い出して、今の自分なりに、精一杯楽しんで歌うことを心がけることができた。ありがとう。小畑さんにはいつも救われるよ。

ファミリーコンサートのための女声合唱の練習で、こんな場面があった。音を間違えちゃったメンバーに、指揮者が「歌わないで!」と指示。すかさず、「それはどういう意味ですか?!」と別なパートからの質問。指揮者は「間違った音がインプットされてしまっているから、今、他の人達の正しい音程を聞いて憶えてほしいのです・・・もちろん本番は歌ってもらいます」。

ここがひいらぎのいいところです。みんなで音楽を作る。だから、団員から質問もできるし、注文もつけられる。一方通行ってことはないなぁ。指揮者もたじたじ?でもないか。和気藹々だものね。ひいらぎでは指揮者も仲間だから。で、指揮者の答えも立派だよね。みんなで楽しいコンサートにするんだもの。のけもんなんかにはしないさ。

大きい団だとこうはいかない。どうしても一方通行になり勝ち。そして、年月が積み重なり、ある程度上手になってくると、排除の思想がちらちらと・・・一人一人丁寧な指導をするよりも、「間違える人は歌わないで!!」と言い切っちゃった方がラクだものねぇ。ただ、それが見えちゃうと、わたしは冷めちゃうというか、悲しくなってくるんだ。だって、私たちは歌いたいから、練習費を払ってまで、通っているのだもの。それに歌うのは、心楽しみたいからであって、冷たい言葉を聞くためではない。合唱はみんなで、そりゃそれぞれ欠点もあるさ、プロじゃないもの、でも、お互いにいいところを学んだり、助け合ったり、そんな関係も作りたいではないですか。元々、合唱ってそういうものではないのかしら?音楽も人を心豊かにするものだと思いたい。でも指導者のいうことに、今の日本ではみんな従うんだよね。だから、指導者ににらまれたら、その人はいづらくなる。大勢の前で「邪魔だ」と宣言されたら、いなくなるしかないよね。自分だと思ったら・・・山内先生から聞いたけど、(彼は丁寧な指導をする人だから、そういうせりふは必要ないのだ)絶対にひとりを見ないで、その周辺を見るんだって。だから、こっちからすると、誰のことだぁ?で、もしかすると、その辺の全員が「自分かも」と思うし、もしかすると、全員が「自分じゃぁない」と思うかもしれない。私は「自分だ」と思う口。

府中の第九でも「ひとりだけ長い!!」と怒られた。福生では拍の外で「Goodのod」を歌っていたから、指揮を見ていたつもりでも、長めだったのかも。でもフォローがよかったなぁ。「後はなかなかよく歌っている」と・・・。つまり、その部分だけしっかり直せよ、ということ。

指導者が、合唱団員を注意するのは当然のこと。「音程が違う」「リズムが違う」そういう指摘はどんどんしてもらいたい。だってそのための指導者だもの。でも、それで終わったらなにもならない。正しい音程を取るにはどうしたらいいか、それを教えてこその指導者と思うんだけれど、その辺が上手な先生と下手な先生とがいるんだよねぇ。例えばリズムなら、手を打つとか、何度もくり返して正しい音程を憶えさせるとか、ピッチが低ければ、歩きながら歌わせるとか、お互い聞き合うためには、パートごとの小集団で輪になって歌うとか、いっぱい工夫される先生もいる。大団体ではなかったけれど、瀬川先生は、一人一人指導してくれた。みんな嫌がっていたけれど、着実に身についたよ。懐かしいなぁ。

できれば一人一人身に付くまで、丁寧に教えてもらいたいよなぁ。で、そういうことが言いいやすい団だといいんだけれど・・・でも、わたしはもう疲れちゃった。体力的にも大曲は無理だと感じてもいるし・・・病気のせいか、一時的なものかはわからないのだけれど、高音も軽く出る時もあるし、出ない時もあるのだけれど、ま、当分、大きい団には行かないことにした。ミサ曲も、特にハイドンは大好きなんだけれど、無理して歌うこともないや。所沢のメサイヤのように、ひょこっと縁あって、歌うことになるやも知れないし・・・

思い起こせば、「おもちゃ箱」という保育サークルを立ち上げた時の経緯もそうだった。「やめたければやめれば、代わりはいくらでもいる」、そういう発言があったから、私はそう言われた人たちと一緒にやることを決めたんだ。人を切り捨てるよりは切り捨てられる立場の方に立つ。それがきっと私らしいということなんだろうなぁ。私らしく普通に。もう、目立たないように、首をすくめて生きるのはやめよう。打たれづよくなったわけではないのだけれど、小さく身をすくめていても雷が落ちるのだもの。姿勢良くしていよう。ただ、人の尊厳を傷つけるような言葉を聞くのが悲しいし、言った本人にも気の毒に思ってしまうんだよね。多分後悔はするのだろうけれど、フォローするつもりでますます人を傷つけてしまう。どうしてなんだろうねぇ。男の人って、訂正できないんだろうか。あっ、府中の田中さんは男性だった。人によるんだな。

そういえば、長唄は自習なんだなぁ。先生に練習すっぽかされたまま、連絡が取れなくなっちゃって・・・。でも、「雛鶴三番叟」って、短くて、ノンビリ、のどかな曲を練習していると、心が和むんだ。やっぱり、三味の音っていいなぁ。

2月からは、鈴木囃子に通います。ルネのワークショップでちょこっとやらせてもらったけれど、あれこそ、邦楽。ウフッ。楽しみ。遠いから通いきれるかどうかが心配だけど・・・

もちろん、歌も続けます。ひいらぎとこげら。楽しく歌っていきます。






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