樂の音その34

樂の音その34



本心とテクニック
06/1/29
 りっちゃん

先週は雪のため(というより気の落ち込みかなぁ)サボってしまった。行けばよかったとつくづく反省。今日の練習の最後に「蝶々夫人」に出演した感想及び、こんな話を安藤先生がしてくださいました。

「歌というのは、歌の上手さだけでなく、その人の生き方というか、本心にも関係しているのではなかろうか。悲しみ、喜び、清らかさ、はかなさ、そんな感情を表現する中味も大事なんですね。今回の蝶々夫人を歌った方の歌から伝わるものが涙を誘って、こらえるのに大変でした。本心がいいからといって上手に歌えるわけでもないのですが、そのことも理解しておいてください。」

「テクニック的には、みんなで歌う部分は良く仕込まれています。ただ、各パートが単独で歌う部分が弱い。強く歌えばいいという意味ではないですよ。もっと、上の口唇(ウムライトのときに使う部分)や頬骨を意識して、声をもっと集中させるとよくなります。音域が低くなると甘くなるので注意して、いつも集中させるように。そういう部分まで素人に上手に歌えと要求するのはコクなのかもしれないけれど、でも、できたらきっとすばらしく良くなりますよ。」

福生市民コーラスで、歌の内容(というか気持ちを表すこと、楽しく歌うこと)が先か、テクニック(発声指導など)が先かという議論をしたのを懐かしく思い出すなぁ。どっちも大事なんですけどね。ここイン西東京では同時進行かな?

私個人としてはは何よりも思い重視、目的は楽しさ。なんだけどね。それは、りっちゃんがある程度上手いからだと浜中団長に反論されたことがある。いやぁ、下手な時からそうだったんだけど・・・どうして好きな歌を歌うのに、そんなシャッチョコばった顔をしているのか、私にはそういう人の気持ちが理解できないでいる。おっと、ここでは割とみんな表情豊かだよ。本番が一番いい顔をしている。練習の時はいまいちかな?

お隣でいい声で上手に歌っている人が、「この曲は難しいですね」って。そういえば、クラッシクの曲で、難しいと思った曲はない。こっちのほうがより好きというのはあるけれど、苦手とか嫌いとかないねぇ。時によって淘汰されているからか、名曲のゆえに歌いやすいからか・・・邦人曲のほうがよっぽど難しい。練れていないからか、音がややこしいからか、中味が暗かったりするからか、言葉の難しさ(発声上)もあるね。もちろん曲によってだけれど・・・

私は難かしいかどうかはあまり気にならない。好きか嫌いか、歌いたい曲かそうでないかの方が重要だね。いったん好きになれば、難しくても練習するし、好きなら楽しんで出来るから、歌えるように必ずなるしねぇ。

楽しさかテクニックかどちらにせよ、行く先は同じというような話は、ひいらぎ合唱団の合宿(飲み会)でしたことがある。練習を積めば余裕も出てきて、楽しくもなるし、表情も豊かになるさ。ね。みんなぁ。体調悪いし、Wもあるしで、出席率は悪いけれど、一緒にがんばろうね。じゃなかった。楽しもうね。






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