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「天才を認知科学する」                              2003.11.29



万人の能力を遥かに凌駕した、特別な才能を持つ天才。 

最新の研究で、天才と呼ばれる人達は、私たちと物事の考え方、計算処理の方法が

大きく異なっていることが、少しずつ分かってきました。

では、実際、どの様な思考回路で物事を考えるのでしょうか?


天才に関する各種資料・書籍、僕の知り得た経験や憶測などから、天才が思考する

方法について、僕が感じていることをまとめてみました。



まず最初に、天才の定義ですが、

『万人よりも遥かに優れた能力を有し、その能力を活用して社会に認められた人』を

指すそうです。


すなわち、いくら天才的な能力を有していても、社会に認められなくては

ただの普通の人ということです。


ということは、身近な人で天才的な能力を持ちながら、この世に認知されない人が

沢山いるのでしょう。



実際のところ、天才と呼ばれる人達には、いくつかのタイプがあります。

社会で活躍している超一流のスポーツ選手やミュージシャン、毎回ヒットを飛ばす

小説家や作詞・作曲家、演出家や トップダンサーなど、 各分野で特別に優れた

技能や能力を磨き、それを表現し、認められた人を天才と呼びます。

天性が優れ、更に努力すると天才と呼ばれるようになります。ですが、この様な

場合、天才ではなく 「天才的な人」 に該当するのでしょう。


本当の天才とは、無理な努力をしてもしなくても、天才的な能力を使って世の中の

常識を変えてしまう様な実績を作り上げた人が本物の天才に値するのだと僕は

思っています。

エジソンが残した、
「天才は1%のひらめきと99%の汗である」という有名な言葉が

あります。この言葉をそのまま解釈すると
「天才でもたゆまない努力が必要」という

ことになりますが、実はこのエジソンが残した言葉の伝わり方(解釈)が間違っていて、

この言葉の真意は、
「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄である」というのが

正しいそうです。言い換えると
「ひらめきがない努力は無駄」という意味にもなります。


例えば、高いIQを持って生まれてきた人は、特別な努力をしなくても記憶力が

常識を越えている、難しい問題をあっさりと解いてしまうなど、生まれつき万人とは

思考回路が違っています。


では、天才的な人や 本物の天才はどの様な思考回路で物事を考えるのでしょう?

僕はこの人達を、数学的天才と、芸術的天才の2つのタイプに分けてみました。


1.数学的天才

このタイプの天才は、 計算速度や記憶力がとても高く、数字をイメージ(形や記号)

として把握し、右脳の機能をフル活用して処理するタイプの人達です。

この人達はどの様な方法をとるかというと、 計算式を使わず頭に描いた絵で計算

処理します。


●計算速度が速い天才

例えば、261+358という式を計算する場合、私たちは学校で習ったとおり、

1桁目の 1+8=9 から(もしくは3桁目から)足し算して計算していきます。

しかし、天才人の場合は計算式などは使わないそうです。

頭の中で一切のことを考えず、集中力を高めます。

実際、どの様に処理するかというと、頭の中で、

1という形の記号の上に 8という記号を乗せます。

頭の中で記号を乗せ合わせた瞬間、 9という記号が出てくる仕組みになっているそうです。

3桁の計算も、261の上に358を乗せると勝手に出てきた記号(計算の答え)が

浮かび上がる仕組みで、実はとても単純な処理方法です。

この計算処理方法は、いわゆるパソコンの計算方法と同じ仕組みで、

天才的に計算が速い人は、頭の中に普通の人が使っていないシステム(ソフト)を

使っている様なものなのでしょう。


この方法を説明するのに良い1つの実例として、例えば、外国に行って

700円の買い物をするとします。

そして、支払い時には 1,000円を渡します。

すると、欧米人はお釣りを渡す際に、まず700円を頭に描き、

そして実物の100円を1枚ずつ足してゆき、1000円になるまで100円を出し続けます。

すなわち、足し算することで お釣りを計算していきます。


ところが、日本人の場合、頭の中で引き算を使って瞬時に計算してしまいます。

この能力は、日本人にとっては特別なことではなく、誰でもが出来ます。

しかし、引き算を頭の中で計算出来ない人達にとっては、

とても不思議な能力に思えるそうです。


この種の天才は、説明はできないけど頭の中に即座に計算できる能力(システム)が

構築されていて、数字を画像(記号)として捉えているのです。(多分)

だから、天才にとって100桁の足し算を瞬時にすることは特別なことではなく、

私たちが出来ないのを不思議に思っていることでしょうね。


このイメージによる計算方法は、決して新しいものではなく、数字や計算式が

使われていない太古人が使っていた方法だと考えられます。

計算式が元々なければ、頭の中で記号による計算をするしかないはずですから。

しかし、標準的な式や文字がない太古人の場合、人それぞれ頭の中で違う記号を

使っていたのでは伝達に支障が出てきます。

ある日、ひとりの天才が、なんとなく不思議なイメージによる計算方法を、

理論的に証明できるよう、 記号(数字)を統一して、 誰にでも答えを説明できる

手段として、数字が生まれ数式をつくり、数学という学問も発見されたのでしょう。

この数学という理論を発見をした人は、まさしく天才ですね。


●記憶力が高い天才

描こうとした風景や建物を一瞬で記憶に焼き付け、自宅に戻って正確に描写

できる天才画家がいます。

この種の天才の場合、見たものをそのまま画像記憶として脳裏に焼き付けます。

しかし、万人にはこの様な記憶法はできません。

私たちが行う記憶法は、例えば学校の授業で歴史を覚える場合、

年号という数字とその時起きた出来事を、概念として順番に覚えていきます。

そして、直ぐに忘れます。←(ここのところ重要)


しかし、天才人の場合、言葉の概念を覚えるのではなく、目で見た年号表を

画像としてそのまま記録し、頭の中で記録した画像がそのまま残っているのです。

しかも、忘れることなく正確に保管できるのです。


記憶力の高いタイプの天才は、とにかく何も考えず、

頭の中で画像をイメージし、それを心の目で見ています。

「起きてはいるけど夢を見ている」といった感覚でしょうか。

実は、この能力は、鍛えればある程度まで伸ばすことができるそうです。

ですが、計算能力などは、既にパソコンが代用しています。

パソコンがない時代では、とても素晴らしい才能でしたが、世界中にパソコンが

溢れている現代では、優れた計算処理や記憶能力の価値は低くなっています。

この種の才能は、本来誰でも持っていた能力だったのですが、

文明の進化と共に、人間が自ら退化させてしまったのでしょう。



2.芸術的天才

2つ目のタイプは感性や思考が万人より突出しているタイプで、芸術家を始め、

科学者や思想哲学者などが含まれます。

この種の天才達はとてもよく似た共通点があり、精神的な問題を抱えている人が

少なくないのが特徴です。


●天才的な演奏者

楽譜を色で識別し演奏したり、楽譜(曲)を覚えてしまう天才がいます。

頭の中に帯状のテープみたいなものが描かれている? のだと思われます。

音が音階ごとに色分けされていて、また音の強弱も色の濃薄で分けられ

記憶されているのだと思います。

また、演奏している音を感じるとき、普通の人は耳から入ってきた音(情報)を

脳で処理して聴いていますが、天才的な人は聴覚だけではなく、皮膚に

伝わる振動(感覚や触覚)なども音の情報として受けとり、総合的に判断して

音(音楽)を聴いているようです。


●天才的な画家や哲学者(哲学者研究者を除く)

これらの人たちは、もともと私たちが見ている世界(空間)や考え方(思想)が

違っています。見る角度が違うので当然、私たちの常識とは違っています。

この、違うということが新たな価値観や、創造性を生み出します。


このためこの種の天才は、一般社会では変人扱いされることがあります。

でも、天才とは本当に変な人なのでしょうか?

僕の意見では、天才と一般的な変人には大きく異なる点があると思います。

天才の場合、常識を理解しているけど、普通の人と考え方が違うため、

変わった目で見られてしまうのでしょう。

しかし、一般の変人は、常識を理解していないために、常識を逸脱した行動や

考え方を押しつける人達です。

天才と凡人の変な行動は、結果的には同じ様に見えても、実はまったく違うのです。


では、天才人の精神構造を、具体的にあげてみましょう。


●常識で判断せず、一般常識を常に疑いをもった目で物事をみている。

●最後までやり遂げようする強い信念を持ち続ける性格である。

●感性や感受性が鋭すぎるため、統合失調症や神経症などの精神病気質がある。

●神や神話などに対し信心深く、尊敬の念を抱いている。

●物事を考える視点が、世界、神や宇宙視点などから人間の存在を見ている。
  自分を中心にした物の見方をしていない。自己の存在が薄い。

●成長過程で精神的、知能的に成熟が遅い人が多く、少年時代は劣等生や
  問題児であることが多い。

●記憶力が弱いなどの欠点があるが、成人してからも脳が発達するため、
  (いわゆる大器晩成型)その欠点を補える人もいる。

●脳の発達とともに、すごい集中力をみせる(脳の発達が人よりも遅かった効果?)

●一般人と幸福の価値観が全く違う。 お金や名声が幸せであるとは考えていない。

●自分を含め、人間とは とても小さい存在だ、と言うことを理解している。

●生きる目的を知っている。
  自分の役割を認識していて、ある意味では強迫観念に支配されている。

●万人がこだわる小さな出来事に惑わされず、常識では幸せだと定義されている
  恋愛、お金、名声、プライド、異性交遊、容姿や物質要求などに、
  あまりこだわりを持っていない。

●一般人が求める幸せとは違う、別の幸せを求める。
  その価値の大きさを理解している。

●地球の未来予想図が頭の中に理論的に描かれていて、
  未来を見つめながら現実や現状と照らし合わせて、全ての平和に向けた活動
  (発明、メッセージの伝授、危機の警告などを表現)を行う。

●時間の流れに逆らわず、忍耐強く待つことが出来る。
  社会情勢に敏感で、常にタイミングを計算している。


この種の天才の精神構造を並べてみましたが、もちろん全ての天才に、

これら全てが当てはまるのではなく、この様な精神構造(意識)を幾通りか

持っていて、それは人それぞれ違いますし、またこれ以外の精神構造もたくさん

あると思います。

それと、この様な精神構造は、普通の人にもあり、特別大きな違いでもありません。


しかし、本当の天才となると、万人とは明らかに違う点がいくつかあります。


●パラノイア境界の世界を知っている

パラノイアとは、いわゆる精神的疾病ですが、天才人の心は

正常と異常の境界線に立つことができます。

当然、一般人も精神的な病気を発症しますが、その場合、境界線を乗り越えて

狂気の世界に移行してしまいます。

その異常な世界、狂気の世界こそが創造の原点になります。

異常な世界とは、まさしく非常識の世界で、常識にはない、常識的でない、

常識では考えられない、まったく新しい価値を生み出す創造力の源です。


普通の人が非常識の世界に呑まれると、混乱や、錯乱状態になり、

日常生活でコンタクトが取れなくなる、いわゆる精神異常の状態になります。


しかし、創造力を生み出せる人は、非常識の世界の中でも自分を失わず、

その非常識世界を冷静に見つめながら判断し、推測して記憶として残し、

常識の世界に持ち帰えり、理論的に組み立てられるのです。

普通の人は、非常識の世界がある、ということすら知らないと思いますが、

その世界(異次元)は実在していて、そこはとても不思議な世界です。

「非常識な出来事を、常識的に考え理論的に表現する」

これこそが創造力の源なのです。


●ひらめきや直感、第六感が鋭く、これを常に意識的に追い求め、
  その不思議な能力の価値を認めている。


直感(インスピレーション)は誰でも持っています。この感覚は、単なる思いつき

とはまったく違うもので、「確信に近いひらめき」と言ったところでしょうか。

五感が研ぎ澄まされてくると第六感の能力が使えるようになるようになると

思われます。

ですが、この不思議な能力は理論的に証明されていません。

この能力を証明するには、裏返しにした当たりカードを何度も引き当てる、

などの当たった確率などでしか証明できません。

しかも、その様な手法は、「手品? 偶然?」などとして疑われ、 実際は

認めてもらえないのが現状です。


しかし、天才人は、インスピレーションの重要性や的確・確実性を知っていて、

この能力を有効に活用し、この不思議な力の価値を利用しています。

※ 思いつきと直感、ひらめきはまったく違います。 詳細睡眠のお話


●理論的に説明できる、表現できる能力が卓越している

せっかく、特別な才能を持っていても、それを表現したり、分かりやすく正確に

説明する能力がなくては、結局のところただの凡人と同じです。

天才は、全てを理論的に理解しているので、分かりやすく説明できる、

さらに人を引きつける表現力を兼ね備えています。

その手法の1つとして、難しい問題の答えを、誰にでも分かるよう

何かの事例に置き換えて説明する能力や、喩え話(昔話)などの様に

一般の人には分からないようにメッセージを隠した不思議な話を作ったり、

今までにない全く新しい技法で表現するなどの能力に長けています。

その能力は、常に心理を追求していたり、物事を常に疑いの目でみている

などの思考方法が基本となっていて、このため人間観察も鋭く、人の心理を

読む術にも長けているので、理解力や表現力、話術など人間的な魅力を

持ち合わせているのでしょう。


では、天才は、どの様にしたらなれるのでしょう?

そもそも、なろうとしてなれるのでしょうか?

僕の考えでは、天才のタマゴがたくさんいて、あるとき神様の命を受け、

時代の要求や世相・背景とともに、その時代に合致した人が、

自然と出現してくるのだと思います。


天才は不幸な人生を送る、最後は悲惨な結末に終わる、お金や名声は

死んだ後に付いてくるのでとても不幸だなどと、一般的に言われています。

実際、天才人の末路に、境界線から足を踏み外し、精神が崩壊してしまった

人達が数多くいます。

それを、万人は「不幸な人生だ」と言いますが、果たしてそうなのでしょうか?

そもそも、天才人は幸せに対する価値観が根本的に違うため、たとえ貧しくても、

たとえ変人扱いされても、人並み外れた大きな仕事をしていることに充実感を

覚えていて、大きな幸福を得ながら生きている人達だと僕は思っています。



※ 最後に

記憶力だけで頭の善し悪しを判断してきた現代教育思想の中では、大学という

高学歴な機関に属しないと、天才として認められる環境が整備されおらず、

天才の生まれる可能性が狭まれ、ある意味では閉鎖されていました。

また、本当の天才になりうる人材は、知能の発達が普通の人より遅い(大器

晩成型)パターンが多いため、青少年期は劣等性であり、とうてい大学に

入れるだけの知能が発達していません。

学歴と天才(才能)はまったく別だということが社会的には認知されておらず、

天才が生み出される環境が整備されていないのが実情でした。


しかし、ここ数年、インターネットという、まったく新しいメディアの出現により、

個人でも隠れた才能を表現できる環境が整いました。

インターネットでサイトを公開することにより、少しずつ有名なることで

多くの閲覧者を引きつけ、そして斬新な芸術や新たな思想を広めることも

できるようなり、瞬時に世界の常識を変えてしまう可能性すらあります。

また、姿が見えない科学者や指導者などにもなることさえも可能な時代に

なりました。


近い将来、インターネット世界から、芸術家や哲学者が生まれる日も

そんなに遠い日ではないのかと、僕は考えています。


それは、もしかしたら、これを読んでいるアナタかも知れませんね!



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