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「戯言」:タイミング2                           2004.10.3



僕は、意に反して不思議な体験をしてしまう。

多分、普通の人では起こり得ないような神秘的な体験を

これまで幾度か経験してきた。

そんな体験は自分では望んでいないのに、タイミングよく

しかも一方的にやってくる。

これまでの不思議な体験が一体何だったのか? 僕なりに考えていた。



最初の体験は、2002年6月22日に起こった忘れもしない出来事。

この時の体験は、ひたいの中心部に痛みを伴わない高熱を感じた。

直径1p程度の高熱の鉄棒が、ひたい中心部に深さ3pほど

突き刺されている感覚が3日ほど続いた。

そして迎えた6月25日に 不思議な体験 をすることになる。


ひたい中心部の痛みを伴わない高熱や、神秘的な力で水中に引き込まれる、

といった不思議な現象が起こったので、当時ネットを使って

その現象について調べた。

その結果、聖痕(せいこん)ではないのか? という可能性が考えられた。


聖痕とは、イエス・キリストが処刑で十字架に張り付けられた際に打ち込まれた

両手首・両足の釘の傷、茨の輪によるひたい中心部の傷、ムチ打ちによる傷が

信仰深いキリスト教信者の人体に現出するという現象であり、

その傷口からは出血するらしい。


もちろん、僕のひたいの違和感は出血はしない。

聖痕より、むしろ仏教でひたいの中心部に付けるマークの意味に

近いのかも知れないのではと考えている。

僕は仏教徒でも、キリスト教徒でもなく、また宗教団体等には過去から現在まで

加入しておらず(霊感商法の団体に騙された経験はあるが)

宗教的な特別な信仰を持っていないので、ひたいの違和感と

宗教的な意味合いなどは知らないし、

現在においても時折ひたい中心部に微かな違和感を感じることがあるが、

このことが何か特別な意味を持っているとは、今のところ考えてはいない。


当時、聖痕についてネットで調べた結果、聖痕をテーマにした映画が

あることを知り、すぐさまビデオをレンタルして観てみた。

ジャンルはオカルトやホラー系に分類され、かなり怪しい。

これまで聖痕を受けた人達について調査し、聖痕者の実話をもとに

作られた映画だそうである。


映画のタイトルは スティグマータ/聖痕 で、1999年制作のアメリカ映画である。

娯楽映画であるため、映像的にかなり疑心暗鬼的な要素が入っていて、

主人公である若い女性聖痕者に起こる、信じられないような怪奇現象が続く。

オカルト映画なので、僕も疑いながら最後まで観たが、

途中のワンシーンに目が止まった。

それは、主人公が入浴しているシーンで、突然見えない力によって

浴槽の中(水中)へ引き込まれてしまうシーンであった。


浮力に反して水中に引き込まれる現象は、僕が日帰り温泉で起こった

不思議な現象と、とても良く似ていた。

過去に聖痕を受けた人が、見えない力により水中に引き込まれる現象が

実際に起こったのか? その真実は知らないが、同じ現象が実話として

映像化されていたことに、少なからず驚きを覚えたことを記憶している。




次の不思議な体験は、ひたい中心部の高熱が治まった翌日、26日のこと。

下腹部で勝手に動く得体の知れない力の塊みたいなものを感じていた。

その力の塊は腸が動くとか、筋肉の痙攣などという感覚ではなく、

こぶし大の塊みたいなものが下腹部で暴れ回っている、といった感じである。

例えると、お腹の中に赤ちゃんでもいて、小さな足でそこらをけっ飛ばしている、

といった感覚、と表現すると分かってもらえるだろうか?


数十秒間暴れていた不思議な力の塊は、26日は気合いで押さえつけたが、

翌日も同じ現象が起こり、この日は押さえつけることが出来ずに

不思議な力が下腹部から頭部へと上昇し、ひたいあたりに行き着いて止まった。

だが、この不思議な現象は、この日を境に起きていない。


当然、この現象についてもネットなどで調べたことがあった。

すると、どうやら
クンダリーニ覚醒 (クンダリニー覚醒) という

ヨーガの修行で最終目標とする極意に、僕の場合は修行をせずに

勝手に達してしまったらしいと考えられ、ほぼ間違いないと思われた。


クンダリーニが覚醒すると、何がどうなるか? というと、

ただ単に健康的な身体になるらしく、それ以外の効果はないらしい。

なお、アーレフ(旧・オウム真理教)の信者が修行で目指しているのも

このクンダリーニ覚醒であるらしい。

(注意:僕はアーレフとは、過去及び現在においても一切関係を
     持っていませんし、当該組織への勧誘を勧めていません)



クンダリーニが覚醒した後の現象として、頭部からオーラが抜けるような

爽快感がある、とのことであり、それをチャクラが開くというらしいが、

その経験は2003年の初夏に一度だけ体験したことがある。

この時の感覚を表現すると、頭の中がソーダ水で満たされていて、

沢山の超微細な泡が、シュワシュワと天に向かって抜けていくような、

不思議だけど爽快な感覚が数十秒続いた。




時は流れ2年以上が経過し、当時の神秘体験を忘れかけていた、

つい最近(2004年9月)のこと。

水の流れるポイントに立つと、不思議と花の香りが漂ってきた。


その香りはとても高貴(香草のような香り)で、何とも言えない幸福感を感じた。

この香りを感じられたのは点として存在する2箇所のポイントだけで、

ポイントにくると香りが漂い、そこから一歩でも離れると香りはしなくなる。

無風でも、風が吹いていても、そのポイントだけは香りが漂う。

このポイントは、沢から引いた清水が流れている配水管の上と、

目の前が田んぼの道の端であった。

不審に思い周りを見回すが、近くに花や樹木などはない何でもない場所である。


その特定の位置に立つと高貴な香りを感じるので、何度か意識して

そのポイント上に立ち、近くの場所と比較したりしたが、やはりその位置だけしか

高貴な香りを感じることが出来なかった。

なお、香りを感じていた期間中は、僕がエッセイ 人間という名の細胞

新約聖書(イエス)の真意を、集中して書いている間だけであった。


水中に沈む現象を改めて確認するのに 「スティグマータ/聖痕」 を

もう一度借りて見直したりしていた。

改めて観ていると、聖痕現象の一つとして、あの当時僕が感じていなかった

花の香りを主人公が聖痕現象のひとつとして感じていたことをこの時に意識した。

もしかしたら、僕のひたいの違和感は本当に聖痕現象なのか? と

何て改めて考え直すきっかけとなったが、やはり結論は今でも出ていない。


映画の最後に、神父役の男性が、主人公の女性に聖痕現象が起こる

原因として、
「トマスの福音書」 の存在が明らかにされることで物語は終わる。

映画を観終え、つい最近書き上げた エッセイ 「人間という名の細胞」 で、

新約聖書の解釈について興味を持っていたので、

トマスの福音書とは何か? をネットで調べることにした。


その結果、トマスの福音書とは、1945年にエジプトで発見された壺の中から

見つかった「ナグ・ハマディ写本」という数々の古文書の中に紛れ込んでいた

福音書で、イエスの十二使徒のひとりである、トマスという弟子が書いた

福音書であると言われている。


トマスの福音書は、主流のキリスト教会が発行している新約聖書に記された

四福音の文章とはあまりにも異なっているため、キリスト教会では

トマスの福音書を正式な福音書として認めておらず、

むしろ異端の書として排除している。

だが、聖書を研究する学者の間では、トマスの福音書はイエスの言葉に最も近く、

しかも書かれた年代などから推測するとその信頼性は高いらしい。


僕はトマスの福音書というものが存在することを、つい最近(9月27日)知った。

ネットで調べていたら、イエスはどんな人 というサイトに辿り着き、そのサイトの

コンテンツの一つに トマス格言集 としてトマスの福音書を翻訳した原文が

掲載されているのを見つけた。


そのトマス格言集 (トマスの福音書)の16番目の格言には、このように記されている。

 イエスは言われた。”まことに、人々はわたしが世界に平和をもたらすために
 来たのだと考えている。しかし、彼らはわたしが地上に不和、火、剣、戦争を
 もたらすために来たことを認識していない。まことに、ある家に5人いれば、
 3人はふたりに、ふたりは3人に、父は息子に、息子は父に対立するであろう。
 そして、彼らはひとりで立つであろう”。

(注:この翻訳文の掲載にあたっては、翻訳者である有本さんの了解を得ています)


この福音に書かれていることは、僕が9月24日に書いたエッセイ

「人間という名の細胞/おまけPart2」 で書いていた内容と同じ考え方であり、

どうしてこうもタイミング良く、僕の思惑どおりのものが出てくるのか、

とても不思議に思っている。


さらに、おまけPart2を書き上げた翌日の9月25日のこと。

いつものネット巡回先で画像を拾っていると、ちょっと良い感じの画像 を見つけ、

画像とエッセイの内容があまりにもぴったりで、しかも見つけたタイミングが

完璧と思うくらい合致していた。

また、人間という名の細胞を全て書き上げた翌日に、普段は見かけない

素敵な画像 ちょっと良い感じの画像2 を見つけて、タイミングの合致を

改めて意識してしまった。


ここ数週間の間、自分の思想と得られる情報の内容、情報を得るタイミングが

絶妙に合致していたので、当初龍人その4として途中まで書いていた文章を、

「戯言:タイミング2」に題名を変えてここに書き残しておくことにした。




ここ数週間のタイミングの一致 まとめ

2004.9上旬   エッセイ:龍人その4を書き始めるが、まったく進まず中断。

9.15〜      エッセイ:人間という名の細胞を書き始める。

9月中〜下旬  特定のポイントで高貴な花の香りを感じ始める。
 
9.18 〜 9.24  おまけエッセイ:人間という名の細胞 Part1 Part2 で、
         
 「聖書の悪魔とは欲望であること。イエスの真意は
           未来の発展のために悪魔という言葉を使い、
           人間の深層心理にある競争原理を利用したこと。
           聖書に書かれている悪魔の正体とは、敵とか悪ではなく、
           未来の発展に必要なエネルギーであったこと」

           などの私的な聖書解釈をサイトで公開。

  9.25      エッセイおまけの内容に合致した、教会と悪魔(実は太陽)の画像を
           偶然見つける ちょっと良い感じの画像 

  9.26      スティグマータ/聖痕を再度観て、トマスの福音書の存在を知る。
           また、聖痕現象の一つに、花の香りを感じる現象があることを知る。
           トマスの福音書についてネットで調べると、福音書に書かれている
           内容が僕の聖書解釈の考え方と合致していた。
             
  9.28      おまけエッセイ:人間という名の細胞 Part3 で、
           イエス再臨の解釈について明記する。
           エッセイを書き終え床にもぐると、自然と涙が一筋流れる。
           エッセイを書き初めてから、胸が熱くなり恋愛した時のような
           胸の微かな痛みを感じている。(アナハタチャクラ活性?)

  9.30      天使の降臨を思わせる画像を偶然見つける
           ちょっと良い感じの画像 2

  10.3      このところ絶妙にタイミングが合致していたことから、
           途中まで書いていた「龍人その4」に最近の出来事を
           書き加えた、「戯言:タイミング2」としてここに書き残す。

  10.6      胸の微かな痛み(違和感)は依然続いている。
           エッセイを全部書き終えた後に涙が一筋流れたことを思い出し、
           ここに追加し始めたら大きな地震が発生。
           タイミング良く起こる大きな地震の震源地は、いつものとおり県内。




僕は、普段からこんな感じで、絶妙のタイミングで情報なり何なりを

受けることがある。

やはり僕は、何らかの運命を背負わされているのか?・・・(悲) 

それとも、偶然が重なった単なる思い込みなのか?・・・(嬉)

日々悩まされている今日この頃です。
←本当は、全然悩んでないけど (汗) 

そもそも僕は、ごく普通の
「プチエロおやじ」でしかないしね・・・(滝汗)


ただ、今回のことは、記録として残しておく必要があると感じているので、

ここに書き残しました。


おわり




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