シン・スンフンコンサート

2004・10・12 オーチャードホール
私が持っているのはこれ以外に9集とベスト盤だけ、
そして一人で足を運んだにも関わらずとても楽しめた。

ノヌン チャンミ ボダ アルダッチン アニジマン クボダ ト チナン ヒャンギガ  君はバラより綺麗じゃないけれど、バラより濃い香りが
こんな唄いだしで始まる@ミソ ソゲ ピチン クデ(微笑みに映った君)を初めて聴いた時の驚きは忘れられない。
最初のフレーズの後も、星の光より明るくないけれど〜、悲しい声で呼んでみても〜とチマン、チマンで韻を踏んでいるんだな、
でもけなしているかと思ったら誉めているみたいだし、女の人はこういう誉め方される方が嬉しいよななどと
ボーっとしながら聴いていたのだが、細かいニュアンスは解らずとも、ふっと気付いたら歌詞の意味をたどたどしいながらも、追えている
自分にビックリしてしまったのだ。
一瞬 急に韓国語の実力がアップしたのかと思ってしまった。(勿論そんな事がある訳がない)

韓国芸能に興味を持った人の多くが、字幕なしでも歌やドラマを楽しみたいと思うように、私もそれだけの楽しみの為にハングルを独学で
勉強しては見たものの、遅遅として進まず、広告のキャッチコピーが読めたくらいで一喜一憂している位だから、能力の程はたかが知れている。
そんな私がちょっとでも意味が追えたのだ。

試しにもう一曲と別の歌も聴いてみることにした。
@ナボダ チョグン ト ノップン ゴセ ニガイッスルプン
貴方は私よりもちょっと高い所にいるだけと亡くなった恋人のことを歌うこの歌は、別の世界で会って、別の姿でも
私は貴方を見つけることが出来るという悲しい歌なのだが、こちらもおぼろげながら意味が解ったことで、
逆に嬉しく思ってしまったりした。

歌の内容が奇をてらった運びでないこと。韓国のラブソングに多用される単語(ヌンムルが涙であるとか、モスブが姿であるとか)を
僅かながらでも覚え始めたことなどにも一因はあるのかもしれないが、一番は彼の声がとてもストレートに感じられることだろう。
とても美しい発音でありながら、堅苦しさはなく、すんなりと心に入ってくる。皆に愛される為に一番大切であると思われる事。
そして一番難しいと思われる事を力まずにさらっと見せてくれる。
そんな誰の心にもすんなりと入ってくる彼の歌声のお陰で、私のように数枚のCDしか持っていない者でも、シン・スンフンブランドを
十二分に感じることが出来るコンサートだった。
彼の歌は美しいメロディもさることながら、歌詞の切ない感じも本当にじんと来る。訳詩がスクリーンに流れるという演出も
的を得た演出だったと思う。(ただ通訳の人が出て来たことにはかなりビックリした。そして洒落のつもりだったのだろうが、
シン様と連発していたのはちょっといただけなかった。)

そして自らギターを手にして唄う姿はコンサートならではなのだろう。
色々聴かせてくれた中ではもとの歌をリアルタイムで楽しんでいたせいもあるのだろうが、@エンドレス・ラブの一人二役が
秀逸だったような気がする。


コンサートのオープニングは、ライオンの代わりにスンフンが吠えるというMGM映画のオープニングを模したものだった。
これを模した事ということはそれだけブランド力に自信があることの表れだろう。
カジャナ(行ってしまうのか)とイロン ナル(こんな私を)を歌い上げる様は息を飲んでしまうほどだったし、
チョウム ヌッキム チョロン(初めてのその感じのように)を唄いながら、満足そうに観客に向かって
親指を突き出す様子も、自信に満ち溢れ、スンフンブランドの充実ぶりを実感出来るものだった。
私のような新参者でもこんなにも楽しめるとは、ほんとうにスンフンの底力に感動した。そして勘違いであっても、一瞬であっても
韓国語が堪能になったような気分にさせてくれたスンフンに、感謝の気持ちを伝えたい。

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9集の中の@クロン ナリ オゲッチョ(そんな日が来るだろう)の中にこんなフレーズがある。
イッチョジゲッチョ ケンチャジゲッチョ ナン ヨギイッソド シガヌンフルッテニッカ
サレヘットン マムド ヘオジンイルド モッタンハエギド ウソノムギン クロンナリ オゲッチョ

忘れられるでしょう 大丈夫になるでしょう 僕がここにいっても時間は流れるから・・・
愛した心も、別れたことも、言えなかった話も 笑って超える そんな日が来るだろう

ラブソングではあるけれど、ソン・スンホン(宋承憲)にも、いつか辛かった思い出も笑って話せるそんな日がくることを、
そんなことを思いながら何回もこの曲を聴いてみたりしている。


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