作品名 ポイント  
殺人の追憶 映画を観るということは必ず何がしかの結末ことを期待するということだ。それがこの映画は犯人がまだつかまっていない未解決事件を映画にしていながら、見終わった後に苛々した感じが残らなかった。犯人が判らないということに妙な説得力があった。排水溝の中を覗き込む、トンネルの向こうを見る。普通だったらその先にある光のもとを目指して映画を作るはずなのに、目指すべき光がなんだかも判らないのに、結構面白かったし、緊張感があった。韓国で実際にあった事件(1986年〜1991年にあったファソン連続殺人事件)であるが故、それに対してなんの思いいれもない私にとっては、韓国でのこの映画に対する賞賛(2003年度ナンバーワンヒット作)ということは何割か差し引いて考えたい。そして犯人が誰か判らないという、ある意味掟破りの映画にも関わらずこんなに面白く観ることが出来たのは、事件そのものより登場する警察内部や刑事の生活にびっくりしたからだろう。
1986年というそんなに前の時代(昭和なら61年)でないにも関わらず、冤罪、暴力による自白などが普通に描かれていることに驚き、刑事が決して有能ではなく、かっこよくもなく、しかし愚直に自分の信じる道を進もうとする様がとてもリアルであることに驚く。
悪い男 人が堕ちていくのはこんなにも簡単なことなのか。ロバート・レッドフォード主演の@華麗なるギャッピーは憧れの女性に少しでも近づくために何年もの歳月をかけ上流社会に入り込もうという男の話だったと思う。かなり前なので記憶が曖昧だが、長い間その執念を持っていたことにビックリしたことだけは覚えている。
しかしこの映画は違う。相手の世界に近づこうはせず、相手を自分の世界にいとも簡単に引きずり落とす。登場人物たちの衣装から想像するに夏の間の短い出来事なのだろう。いままで持っていたものを手放すのに時間はいらないことに改めて衝撃を受ける。

しかし映画は綺麗だった。飾り窓のシーンなどは子どもの頃もっていた偽物のネックレスを想像させる色合いだったし、部屋(ここで寝起きしそして商売をする)の内装も綺麗だったのでビックリする。すえた匂いや汗と白粉の混ざった匂いなどを想像させるものが一つもなかったのだ。そして最後の場面も穏やかなものに感じる自分がいてビックリする。
売春宿では正面からじっと女を見つめていた男だが、最後の場面では後ろを向いたままゆっくりタバコを吸って事が終わるのを待っているだけだ。
他人から観たら最低の行為であろう。しかし幸せか不幸せは二人が決めることだ。そして二人には他の選択肢は何一つないに違いない。ああやって毎日を過ごしていくしかないのだろう。いいも悪いも二人にはないに違いない。
オアシス この映画のことを上手く伝えられる言葉が思いつかない。でもあらすじを聴き興味を持った人には見て欲しいと思う。たとえ言葉で上手く感想を語れなくても何かを感じることはあると思う。観なければ気が付きもせず、通り過ぎてしまうかもしれなかったこと。それを考えるきっかけになれば、答えが出なくても考えるきっかけになれば。この映画に答えはないし(勿論現実の世界にも正解などあるわけが無いけれど)、たとえ頭ではわかっても、現実に取る行動は全く違うことになってしまうかも知れないけれど、それは知らずにいるより何倍も大事なことだと思う。まず何かについて考えることそれが大事だと思う。

将軍(チャング)と姫(コンジュ)
将軍(チャング)は自分の行動について深く考えず、そして姫(コンジュ)は自分の行動を人に伝える術がない。しかし将軍(チャング)の言い訳をしないその行動にははっとさせられる。小さな嘘こそつくが、そのニュートラルな言動の数々にははっとさせられる。しかしもし現実の世界で、そのニュートラルな言動の数々がどんなに尊いものであるか、自分が果たして気付くことが出来るだろうか。
どれだけ相手の立場になって感じそして考えることが出来るだろうか。

金曜日の会社帰りに観る映画としてはちょっと重い映画ではあった。
将軍(チャング)が清めの豆腐をご馳走になるお店に飾ってあったイ・ジョンジェのポスターに心和む。
ホテルビーナス 無国籍感がもっと気取った感じなのかと思ったら丁度いい具合に収まっていた。頑張っているチョナンカンには悪いが、実はあまり期待していなかったので、(これは日本人が演じる外国語劇イコール新春かくし芸大会しか連想することが出来なかった私の短絡的な考えのせいで、決してチョナンカンのせいにあらず)結構楽しく2時間を過ごす。恣意的な白黒画面ではあるが、かえってウラジオストックの乾いた空気が強く感じられたし、日本人が全編韓国語で演じるという非日常的な感じも白黒画面で有るが故に、必要以上に気取った感じにならなくてよかったと思う。しかしつんくのゲスト出演は許せるが、最後のあの演出は正直いただけない。同じ遊ぶならもっと他の方法があったのにと思う。
出演者の中で一番頑張っていたのはサイを演じたコ・ドヒではないかと思う。子どもながら一番微妙な役柄だったにも関わらず、ガイ役のパク・ジョンウとの関係もきっちりこなしていたと思う。

おまけ1 
笛木優子のクレジットが、fueki yukoだったのかyumin(ユミンの英語表記はこれでいいのだろうか)だったのか確認するのを忘れてしまった。
おまけ2
サイのテーマソングのように流れていたイ・スヨンのRA RA RA。子どものテーマソングとは思えない歌詞だが、しっとりくる歌声はやはり心地よかった。
イジョ ボルッケヨ アンデド ヘボルケヨ サランド チュオクド オットンドン コチョロン
(忘れるわ 駄目でもやってみる 愛も思い出もなかったように・・・)・
気まぐれな唇 いい邦題だと思う。
特に目的のない旅の間の間に起こる、その場限りの恋の話。
恐らく1年後には、それがなんだったのか思い出すことさえないのではと思わせる、愛しているという言葉の軽さ。しかしそれが妙にリアルなのは、誰の恋も他人からみたらそんなものでしかないということなのか。
ダンサーのミョンスクが見せる俳優ギョンスへの大胆な誘惑。駄目といいながらも誘うまなざしを見せる人妻ソニョン。
私は人妻ソニョンのパートの方を楽しんで見た。ダンサーミョンスクのパートが何となく後味悪かったのは、愛しているという言葉を口にする際のハードルの低さが、最後まで気になったからか。

おまけ
ギョンスを演じるキム・サンギョンはちょっと宮迫博之を思わせる風貌だった。そしてミョンスクを演じるイェ・ジウォンは若かりし中村玉緒、ソニョンを演じるチュ・サンミは10年後のベッキーか。
キスを迫る。「愛している」と囁く。そして嘘をつく。
嘘をつくつもりはなく、しかし登場人物が皆嘘をついているのがこの映画の面白いところか。
ハッピーエンド チェ・ミンシクが失業した男を決して汚くならずに、しかし頼りなげに演じているのに感心する。
チェ・ミンシク演じる男が選ぶ結末は、怒りなのか妻に対する優しさなのか。
同じ行為でありながら、自分の夫と元彼との間ではあんなにも女性は違うものなのかとビックリすると同時に、夫が感じたであろう寂しさを考えるとなんとも複雑な気持ちになってくる。

あなたのからだが今も好き・・・・・・
声に出して読むのが憚られる文章ではあるが、確かに宣伝文句としてはこれ以上のコピーはないだろう。しかしそこから何を感じるかはかなり見る人によって違ってくるに違いない。
ラブストーリー 上映前に監督の舞台挨拶を見る。
「ストーリーを追うのではなく心で感じてくださると嬉しいです。」その監督の言葉通り、そしてクラシックという原題とおり、誰もが昔感じたであろう憧れや切なさを、美しい景色や懐かしいエピソードを交えつつ積み上げていく話だった。
今はその時代に戻れないことを知っているからこそ涙し、その時にはこれ以上辛いことがあるとは思えないからこそ涙する。
人も心も景色も変わっていき、思い出すことも少なくなるけれど忘れた訳ではないその気持ちを懐かしく感じさせる映画だ。

母親の娘時代と今二役のソン・イェジンがかなり自然な演技だった。容貌が古典的というより持っている雰囲気がゆったりとしたものを感じさせるのだろう。母親の娘時代の方がしっくりする感じだった。また制服もとても似合っているので吃驚する。その姿を眺めながら、制服は着崩さず制服のまま着るのが一番あっているのだなと今更ながらに気が付く。しかし自分が身につけていた時はそんなことに気づかず、丈を伸ばしてみたり、色のある小物を合わせて見たりしたものだった。そんなことも渦中に居る時は気が付かないものなのだろう。

観終わった後に劇場側にある韓国料理店でソルロンタン定食を食べる。
激辛の味付けが多い韓国料理のなかで、この牛の舌のスープは辛くなくとてもほっとする食べ物である。この映画では特に食べ物に関する話題はないが、この映画を食べ物にたとえるなら、なかなか噛み切れない冷麺でもなく、石鍋で作られるビビンバでもなく、熱くはあるけれどほっとする味のソルロンタンが一番ぴったりのような気がする。

劇中で流れる歌の一節にこんな歌詞があった
愛すれば愛するほど胸が痛い・・・(サラハミョン ハルスロック カスミアッパ)
この歌詞の通り、これでもかというくらいの古典的な話の展開である。でもそれもたまには心地いい。
武士 結果として高飛車なお姫様に男たちが振り回されていく話である。それがこれだけ面白い映画になるのは、その振り回されていく様がキチンと男の意地と絡めてなって語られているからであり、高飛車なお姫様はどこまでも高飛車であるからである。途中で心を入れ替えるわけでもなくどこまでも高飛車なお姫様はお姫様であり続ける。そして男たちも自分達の行く道を意地になって進んでいこうとする。このあたりをしつこいくらいにキチンと描いているから面白い映画になったのだろう。
決戦の場面も長く辟易するほどであるが、CGを駆使したものでなく実際生身の人間が行っているものなので、こちらも膝を正してみなくてはと思う。そう思わせる熱いものが伝わってくる。


チョン・ウソンの素晴らしさ
美しい男は饒舌である必要なしというのがよく解る。一度投げてしまったら自分の手から離れてしまうとい槍という武器を得意とするというのも潔くて良い。

(ポスターがチョン・ウソンでなくチュ・ジンモだったのが残念といえば残念か・・・
ほえる犬は噛まない 普通の人が一瞬普通でなくなる瞬間。我を忘れる瞬間や激昂する瞬間。自分では何気ない日常が人からみるとちょっと情けなかったり、人知れずちょっとだけ人生の頂点を感じたり、そんなことが可愛らしくしかしちょっと悲しく描かれていて面白かった。
お互いの人生の岐路に知らず知らずの内に関わってしまう。そして誰もがそんな瞬間を感じることなくなんとなく毎日を過ごしているに違いない。気が付かないで過ごしてしまうそんな大事な瞬間をしんみり感じさせる映画だった。

ペ・ドゥナ
ドラマでみせる手が届きそうな可愛らしい感じさえも、黄色のパーカーで隠しての熱演。
2009 
ロストメモリーズ
東京国際ファンタスティック映画祭2003(オープニングセレモニー作品)
伊藤博文が暗殺されなかったら 日本と韓国の歴史はどうなっていたのか。物語の出発地点はは面白いが、それに全ておんぶに抱っこでは困るだろう。
前半はそれなりにテンポもあるが、ある種明かしがされたあとは、どうしてもお話に軽さを感じてしまう。CGも上手くできているし、銃撃戦、アクションシーンなど上手くできているのだが、話が長く感じられてしまう。
チャン・ドンゴンがかなり魅せるが、彼一人だけの力では後半部分の長丁場を全て見せるのはなかなか大変なことである。

チャン・ドンゴン
短い舞台挨拶のなかでも落ち着いた物腰紳士的な態度はとても好感が持てるものだった。
一気にファンになったのはいうまでもない。
中毒
シネマコリア2003
人を愛する方法に正解はないと改めて感じる。
似ている愛し方はあるかもしれないが、同じものは一つとしてないのだろう。
あっけない幕切れではあるが、後味の悪さのようなものがないのは、破滅に向かう愛でなく、受け入れることを選ぶ愛を感じさせるものがあったからだろうか。しかし受け入れたとしても、なお残る寂しさよ。

イ・ビョンホン演じるテジンを愛するエジェを演じたパク・ソニョンが、ムッチマ・ファミリーの3話目で演じたヌナと比べて随分と精彩を欠いていたのが気になった。
イ・ミヨンを際立たせるために、わざとそんな演出をしたのかとも思ったが、それを差し引いても物足りなさが残る。

東野圭吾原作の「秘密」との類似性?
原作を読んだだけで、映画は未見のため、映画そのものを比較することは出来ないのだが、「似ているか?似ていないか?」と問われれば似ているという返事をするしかない。
しかしイ・ビョンホンの演技を観ているうちにそんなことはどうでもいいようにも思えてくる。
ムッチマ・ファミリー
シネマコリア2003
残念ながら、まだ韓国の俳優は名前と顔が一致しないことが多い。
シン・ハギュン→市川染五郎
リュ・スンボム→ロンドンブーツ1号、2号の淳
チョン・ジェヨン→田辺誠一
こんなことを確認しながら、オムニバスのこの映画を観る。

「四方に敵」
残念ながら、ホテルの従業員を演じるリュ・スンボム以外は余り面白く思えなかった。
「僕のナイキ」
頑張り過ぎない前向きさが、可愛らしく思えた。
「教会のヌナ  年上の彼女」
オムニバスでは、この位話がこじんまりしていたほうが落ち着いて見ていられる。

「上映後のトークショー」
企画・プロディユース・脚本→チャン・ジン(ガン&トークス監督)
僕のナイキ 監督→パク・クァンヒョン

観客からの質問にキチンと答え、更に話を広げながら面白く話をするチャン・ジンに感心する。
夢精期
シネマコリア2003
映画祭で鑑賞するには相応しい作品かもしれない。(決して日本では商業ベースに合う作品ではないという意味で)面白くない訳ではないが、正直今更観るような映画ではないなと思った。
イ・ボムス→世界で一番汚い部類であろうテリウスを熱演。巧者であることは解るが、それを面白く思うか否かはもう趣味の問題だろう。私は残念ながら後者だったため、面白さはちょっと半減といったところだった。彼がテリウスとは、本家キャンディ・キャンディのテリウスが泣くであろう。

キム・ソナ→歌手でなく、女優の岩崎ひろみにそっくりだった。ストーリーとは関係ないそんなことばかりが気になった・・・・・
太陽はない
シネマコリア2003
すさんだ生活を送りながらも、スーツ姿にこだわり、ビルのオーナーになることを夢見る男を演じるイ・ジョンジェ。落ち目でありながらボクサーで有り続けることにこだわり続ける男を演じるチョ・ウソン。行き先が見えないにも関わらず、走り続けなければならない若者二人。やり遂げたいと思っていることはあるのに、やり遂げる術を持たない故のもどかしさ。二人ともそのあたりを上手く演じていると思う。
そして、映画のテーマが少々青臭いと思える人でも、この二人を観て目の保養になることは間違いないであろう作品。
私自身はテーマに目新しいものがなくとも、描き方でこんなにおしゃれに見せることが出来ることに改めて感心する。
パイラン この映画を観る前は、浅田次郎の小説@ラブ・レターは自分の心のなかで想像し涙するほうが似合っている作品だと思っていた。多くを語らない物語は、読む人それぞれが想像してこそ、より感動を大きくするものだと思っていた。
映画を観終わった後も、その気持ちに変わりはないが、原作にない部分を上手く膨らましているとは思う。チェ・ミンス演じるチンピラの生活を語る前半部分は随分物語を膨らませるため苦労したのではと思うが、後半会うこともなく死んでいった中国人妻の遺体を引き取りにいく中盤はやはりぐいぐい魅せるものがあった。寂しくはあったが最後のシーンも納得できるものがある。人生はそんなに簡単にやり直せるものではない。
何を拠り所にして人は毎日を過ごすのか?満たされた生活のなかでは忘れてしまいそうな小さいことに喜びを見出し、それを心の拠り所にして異国の地 韓国で生活する中国人女性。辛い人生ではあるが、そんな些細なことを心の拠り所にして生きていくことこそ、まっとうな人生なのだと思いたい。
監督 ソン・ヘソンがセシリア・チャンの演技がちょっと大袈裟だったということをいっていたが、香港映画好きから観ると随分押さえた演技をしていたと思う。眉を整えるくらいしか化粧もしていなかったに違いない。残念だったのは言葉を交わしたこともない夫に歌を聴かせる場面で彼女の歌がBGMに負けて殆ど聞こえなかったことだ。

コン・ヒョンジン チンピラ ギョンスを演じるコン・ヒョンジンが良かった。
(ラスト・プレゼントのイ・ジョンジェ演じるコメディアンの相方もなかなかよかった)
二重スパイ この映画は韓国本国でなく、異国で受け入れられやすい要素があるような気がする。
韓国の人たちは北と南の騙し合いともいえるスパイ合戦の数々を実際に体験してきているのだ。この映画以上の様々な事件を直接、間接的に見聞きしているはずなのだ。映画も忠実に再現しているはずだが、まだ記憶が鮮明なうちはどうしても現実の厳しさや、映画ならではの脚色に少なからずも拒否感を感じるのは否めないだろうと思う。それでも記憶が風化する一歩手前のこの時期に、この映画を作ろうとしたことは評価するに値することだと思う。
題名で映画の内容をほぼ説明しているにも関わらず、かなりな力技でここまでの映画にしているのはさすがだ。
最近でこそ日本でも色々見聞きする北朝鮮や韓国のスパイ事情。重い題材でもあり、もろ手を上げて推薦するとはいかないが、この隣国を知るという意味では一見の価値があると思う。
そして現実はこれ以上のものだということも忘れずにいたい。

選択の余地がないということ。
ハン・ソッキュ演じる男は自ら望んで二重スパイになったが、北朝鮮で自ら望むなどという余地が本当にあったのか?そしてコ・ソヨン演じる女スパイには選択の余地がなかった。自ら望むことを手にすることなく亡くなった沢山の人がいたという事実。自ら望むという選択肢があるということも知らずに生活しているであろう沢山の人がいるという事実。

「いつからここで待っていたんだ?」(オンジェプトコギソギダリゴイソッソョ?)
この映画の中で唯一の愛情表現ともいえる台詞。チョナンカンもこの台詞が好きだと言っていた。
黒水仙 朝鮮半島を巡る様々な歴史的事実や背景を知っていればもっと違う視点からも見れたのだろうが、それを知らなくても自分の力ではどうすることも出来ない時代の力に流された人の悲しみは伝わってくる。時間が流れ時代が変わっても、心は変わらずにいたことの幸せと不幸せを同時に感じて涙する。
殺人事件を追ううちに50年前の事件を知ることになる刑事を演じるイ・ジョンジェ。狂言回しという役でありながら、落ち着いた演技を見せていて安心感がある。

50年間離れ離れになっていた恋人たち アン・ソンギとイ・ミヨン
親子ほど歳の離れた二人が恋人同士を演じる。
無理があるとも思うが、その無理を殆ど感じさせないアン・ソンギの若さにびっくりする。後姿などに歳がでてしまうものだが相当節制しているのだろう。役者魂を見せ付けられたような気がする。
同い年の家庭教師 韓国文化院開院24周年記念コリアン・シネマ・ウィークで鑑賞

クォン・サンウが留年高校生、キム・ハヌルが学費のために母親が見つけてきた家庭教師のバイトを嫌々やるという設定だが・・・・

観始める前はこの設定にかなり懐疑的だったのだが、これがなかなか面白かった。
コメディとして最大公約数を狙った感じではあるが、それがいかにもといった感じがしなく、なんといっても出演者が楽しんでいる感じが、空回りしていないのがいい。
キム・ハヌル 本当にあっさりとした持ち味の女優さんである。これがお色気たっぷりの女優さんだと嫌味だが、彼女くらいあっさりした感じの女優さんだと丁度いい。それ以上にいいのがクォン・サンウだった。火山高、イルタンティオと高校生物三部作の最後を飾るに相応しい出演だった。なにがいいといって本人に照れた感じがないのが、一番である。

キム・ハヌルの壊れ方
確かに頑張っているとは思うが、罰ゲームとしてみせるダンスシーンは及第点とまではいかなかったと思う。(それ以外はなかなか頑張っているのに残念である)面白いシーンではあるが、全然踊れていないし、カメラアングルもどうしたのかといったようなアップの多用で???が残る。
ダサい大学生という設定なので残念ながらお洒落は参考にならない。そしてあの髪型。今日本ではあまりお目にかかれない髪形のような気がするが、(聖子ちゃんカットが基本の前髪アレンジ系といった感じか)あれもダサい大学生だからか、それとも韓国では流行っているのか。

両親を大事に思う心
クォン・サンウ演じるドラ息子でもやっぱり両親(特に父親)に一目おいているのだなという感じが自然と感じられる描き方であった。日本のドラマなどで両親を思う気持ちなどを描こうとするとどうしても、嘘っぽい感じがするものだが、この映画ではそのあたりの描き方がとても自然であった。又キム・ハヌル演じる女子大生も鶏のから揚げを投げ捨てる高校生に向かって「お父さんが育てて、お母さんが料理した鶏を私が配達しているのよ!」と言っていたが、このあたりの流れは日本にはない自然な流れのような気がする。
ボイス @リング@らせんどちらも未見のため比較することが出来ずに残念である。
(映画そのものを比較するということに興味があったわけでなく、比較したほうが面白い感想が書けると思っただけなのだが・・・)
正直いって怖いとは思えなかったのである。無論スクリーンを凝視するのが憚られえるシーンもあったがそれはそれで、エンドロールが流れると同時にそんなことはすっかり忘れてしまったのだ。噂のウン・ソウちゃんの悲鳴演技も思わず笑ってしまったし・・・(しかしこの映画の中でやはり彼女が一番の演技者であろう。)いや これは韓国映画史に残る怪演だろうが、冷静になってみると結構面白い場面だとおもうのだがどうだろう。
エクソシストでのリンダ・ブレアの演技と比較されたりしていたが、実はエクソシストの階段の場面でも怖いより先にちょっと面白いなどと思ってしまったくらいなので私の恐怖の感じ方は余り参考にならないかもしれない。
一番怖がったのは出演者たちではなかったかと思うのだが、ちょっと言い過ぎだろうか?

2時間ドラマで見たような話だったのがかなり残念だった。

覚えた韓国語
クマナ→止めて
ガン&トークス 殺人を描きながらも、こんなに可愛い青春映画になっているとは・・・・
殺人を生活の糧にしている4人。彼らに殺しを依頼する普通の人々。先生を殺して欲しいという女子高生。恋人の俳優を殺して欲しいと依頼してくる美人キャスター。簡単な英語も判らない殺し屋の4人組。みな何か勘違いしているとしか思えないちょっとピンぼけな感じが、なんとも楽しくていい。
ウォンビンの映画初出演作(主演作?)ということで宣伝されている作品だが、主演とはいえずどちらかというと弟分の役柄のこの作品。しかしこの作品をを選んで正解だったのではと思う。共演の3人と並んでも負けない存在感や、女性の母性本能をくすぐるであろうしぐさや表情など確かに見るべきところは沢山あるが、まだまだ一杯一杯な感じがかなりする。演技というよりまだまだ素材のよさで勝負しているところが多分にあるのだ。これからの成長過程を見守りたいといったところか。

シン・ハギュン(市川染五郎似)
JASに出演していた時とはまったく違う感じで驚く。4人のなかで一番勘違い度が高い役だが、これが一番はまっていた。

チョン・ジェヨン(田辺誠一似)
銃を構える仕草というのは誰でもかなり素敵に見えるが寡黙な感じでそれなりの及第点か。

コン・ヒョジン(酒井若菜似)
彼女の演じる女子高生もかなり勘違い度高し。しかし韓国女優にありながら自然な笑顔はなかなかである。
猟奇的な彼女 可愛らしい映画だ。
最初のシーンに繋がる伏線もわざとらしくないし、小さなエピソードの数々が上手く繋がって描かれていることに感心する。
口から出る言葉はきついが、彼女がねだる行動の数々はおそらく女性だれもが一回はやってみたい、ねだってみたい行動の数々だろう。やってみたくても出来ない行動の数々を可愛らしい子が、きつい言葉の数々でねだるから女性からも好感を得られたのだろう。
これを可愛らしくねだられたら反感を買うことは判りきっている。
この猟奇的な彼女に名前はない。情けない男の子はキョヌ!キョヌと何度も連呼されるにも関わらず、彼女は最後まで彼女のままだ。これだけ印象深い女性でありながら匿名性を持っていることが面白い。
名前を特定しないということは誰にでも猟奇的な彼女になる可能性を持っているということなのか?

劇中に挿入される空想の映画シーンがいいスパイスになっている。
「ぶっ殺されたい?」と口に出来るのも彼女が可愛いからだが、チャ・テヒョンの情けなさは日本男性にもかなり当てはまるだろう。
覚えた韓国語
「アラッチ?」→判ったの?ということらしいが、これが「ぶっ殺されたい」よりも怖かった。(笑)

二人が共演しているドラマ@
Happy TogetherをDVDで視聴している私にとってはなかなか興味深い映画だった。ドラマではチャ・テヒョン演じるチンピラがチョン・ジヒョン演じるサーティワンアイスクリームでバイトする少女に一目ぼれし、彼女に付きまとうという設定だった。
(この映画では二人が始めて出かける店がサーティワンアイスクリームだった。)
実はドラマではどうしてもチャ・テヒョンの良さがわからなかった。今回映画を観て感じたのは、あまりの普通さが愛されている理由ということだ。
本当に居そうだし、本当にグウタラしていそうな感じ、それでいて隠せない人の良さが人気の秘密なのだろう。逞しい韓国俳優が多い韓国映画界のなかで軟弱な感じはそれだけで目立つものがあるだろうし・・・


おまけ
韓国のラブホテル→オンドル部屋があるとはやはり韓国。。なかなか観る機会はないだろうから、そちらも観てみたかった。

ソナギ→米倉涼子が出演した韓国との合作ドラマでもソナギの話が印象的に語られていた。
ソナギとは夕立のことだという。
火山高 ゲームを全くしない私には、このグリーン(オリーブグリーンとでもいうのか)がかった画面がとても新鮮だった。殆どの場面で雨が降り画面も暗い感じであるはずなのに見えにくくない画面になっていることもいい。
学校のシャワー室での場面など流れる水が次々と水の珠になる場面などCGの本領発揮といったところなのだろう。綺麗なシーンだったと思う。
CG合成も話題の映画だが、多用されているワイヤーアクションも面白かった。
学校の廊下で気を飛ばしあい、お互いの力を試しあう場面など、ワイヤーを使わなくてもいいような場面でまで使っているのが逆に新鮮だった。しつこいほど繰り返されるワイヤーアクションだったが、一番面白かったのは時間が一番短かったこの場面である。
大変レベルが低い話で恥ずかしいのだが、韓国映画を見始めて一番最初に感じたのは、韓国俳優陣の体格のよさだった。香港、中国の俳優はいわゆるカンフーものに出演している人たちであっても、体格がいいという言葉で形容するほど筋骨隆々としているわけではない。どちらかというとしなやかさを残した身体の鍛え方とでも言ったらいいのだろうか。
反対に韓国俳優陣の身体の鍛え方は欧米人に近いものがあるようだ。厚みのある身体の作り方とでもいうのだろうか。
ワイヤーアクションにもそんな違いが顕著に出ていた。香港だったらもっと切れのよさやスピード感を求めてくるような場面でどっしりとした重いワイヤーアクションがこれでもかこれでもかと続いてくるのだ。またそのワイヤーアクションの場面がくどいほど繰り返される。クライマックスの校庭での決闘場面などあまり長いので、「判った。もういいから。」といいたくなるほどである。
言葉は悪いがちょっとしつこいといった感じがする。しかし、これが韓国映画の持ち味なのだろう。
面白かったのは韓国映画というとハングル文字の羅列に酔ってしまうのが常なのだが、今回は漢字が多用されていたことだ。エンドロール、タイトルバックなどの漢字が逆に新鮮だった。

ところどころコミカルな場面もあるのだが、そのあたりはちょっと中途半端な感じがしないでもない。この際ストーリーはどうでもいい、そういう映画なのだから。

チャン・ヒョク
染めた髪の毛もなかなかいい感じだ。
シン・ミナ
妙に派手な顔立ちの女優さんが多い韓国女優のなかでは、普通っぽい顔立ちが逆に印象に残る。
イ・ムヒョン
ラスト・プレゼントでいい詐欺師を演じた彼が高校生役で出演している。
この映画高校生が全員高校生らしく観えないし、また高校生に見せようと努力もしていない、面白い映画である。

素朴な疑問
剣道は日本古来のものだと思っていたのだが、韓国でも武術として愛好されているものだったとは知らなかった。
ラスト・プレゼント 「着ては貰えぬセーターを涙堪えて編んでます。女心の未練〜」都はるみが歌うあまりにも有名なこの歌。この歌があまりにも有名であるが故、日本では無意識のうちに、セーターを編むという行為が未練がましいものと思っている人は本当に多いと思う。(私もその一人だ)
この映画のなかでは@イ・ヨンエ演じる主人公が義理の両親に、そして一人残していくことになる@イ・ジョンジェ演じるお笑い芸人の夫にセーターを編む場面が出てくる。
(未練という言葉には自分をかわいそうと思う気持ちを連想させるものがあるが)
病気の為、芸人としてまだまだの夫を残して死ぬことに未練がない訳がないはずなのに、そんなことは微塵も感じさせない。ただただ純粋に残していく夫のことを心配するだけだ。
イ・ヨンエ演じる主人公には自分を可哀想と思う気持ちはなく、ただただ残していくことになる夫を思いやる気持ちしかない。この純粋に相手を思いやる気持ちが、この映画を気持ちのいい@催涙映画にしている大きな要因だろう。
夫婦を演じる@イ・ヨンエ@イ・ジョンジェがいいのは勿論だが、この映画がただの催涙映画にならなかったのはやはり詐欺師コンビ@クォン・ヘヒョ@イ・ムヒョン二人を配したことが大きかったと思う。この二人がいてかなりバランスが取れていると思う。
最後のお笑い王決定戦の収録場面は、韓国映画らしくかなり長い。イ・ジョンジェの頬についたキスマークが汗で流れ、まるで涙を流しているようなこの場面は、楽しくも悲しい場面であるが、それでもやはり長い。良くも悪くもこれが韓国映画なのだろう。
甘い映画かもしれないが素敵な映画だ。

イ・ヨンエの着こなすセーターの数々。
ざっくりした明るい黄色のカーディガン、胸元にラインのはいった薄い檸檬色のチョッキ(ベストというよりチョッキという言葉がぴったりの品)、グレーのチョッキと手編みらしき数々のセーターが出てくる。これに長めのスカート、ソックス、リュックサックと一歩間違えばちょっと浮世離れした感じしないでもない組み合わせを、素朴な感じで見せていた。美人は何を着ても似合うものだ。

番外   予告編
@キラーたちのおしゃべり
@黒水仙
映画の本編の好きだが予告編も好きだ。映画そのものが面白くなくても、予告編は最高に面白そうだということは間々有るもの。監督の手を離れ宣伝部員によって制作されるのだろうが、ヒットさせたいと願う気持ちと、本編に必要以上に思い入れがないことが、予告編を面白くさせているのだろう。

2002・5・25から7・14 世田谷美術館で@韓国大衆文化展 ソウル・ポップ2002
が行われていた。その中の展示物の一つとして何作品かの予告編が流されていた。
そして何枚ものポスターの上には、昔映画館でよく目にしたなんとも似ていない@キラーたちのおしゃべりの大きな看板が掲げられていた。かろうじてウォンビンが解るだけで他の出演者は全然似ていなかったような気がする。

@キラーたちのおしゃべり
韓国のキムタクという枕詞が何時まで着いてくるのかとちょっと同情したくなる、ウォンビンの出演作品。短い予告編のなかで見せる笑顔はファンでなくても微笑まずにはいられない。

私はキムタクのファンでもウォンビンのファンでもない。どちらの肩を持つわけでもないが、現在およびこれからの可能性 どちらを考えてもウォンビンに軍配を上げたい。どこでもキムタクなんでもキムタクという彼の態度も一つの生き方かもしれないが、演技者としていつでもキムタクというのはいただけない。ウォンビンはまだまだ若い、これからの青年だ。ちょっと背伸びをしている感が否めない@秋の童話も若い恋に悩む@フレンズもこれからという可能性が感じられる演技だった。残念ながら本家のキムタクに可能性を感じることはない。
この@キラーたちのおしゃべり 日本公開も決定しているようで嬉しいかぎり。

@黒水仙
日本ロケも行われたというイ・ジョンジェ主演のアクションサスペンス映画。
(こちらは配給会社が決まらず日本公開のメドは立っていないらしい。)
まだまだこれからというウォンビンに比べ、落ち着いた雰囲気のジョンジェ。
清潔感を持ちながら大人の雰囲気も感じさせる不思議な俳優さんだ。
春の日は過ぎゆく しっとりしたいい映画だ。だがイ・ヨンエ演じる恋の相手となる女性の振る舞いを、心よく思うかどうかはまた別の問題だ。心変わりはどうすることも出来ないだろう。しかしわがままな振る舞いの数々に、「綺麗だったらなんでも許されると思うな」と悪態の一つでもつきたくなる。
ユ・ジテ演じる若者は年老いたとき、過ぎてしまった昔の恋をどんな風に思い出すのであろう。彼女と過ごした春は美しく、二人が別れることになったのは自分がまだ若かったからなどと思うのであろうか?別れることは仕方のないことだが、彼女のわがままな振る舞いまで美しい思い出にする必要はないだろう。おばーちゃんの言う通り「去るバスと女は追わない」に限る。
心優しい男の恋がゆっくりと消えていく様。ギラギラしていない感じは心地よく感じられる
ラストシーン ユ・ジテが草原の中に一人たたずむ姿 を観るだけでも一見の価値あり。

ーインスタントラーメンー
韓国にはラーメン屋はないが、インスタントラーメンは日本以上によく食べられるという話を聞いたことがある。暖かい汁物が食事に欠かせない韓国にあっては、手ごろな汁物として受け入れられたらしい。そしてインスタントラーメンに入れる具はキムチの次にご飯が人気なのだそうだ。

ー松任谷由実作曲のエンディングテーマー
ユーミン世代の私にとっては耳慣れたメロディラインだ。字幕で流れる歌詞も映画の内容にあったものだった。この映画をかなり気に入ったであろうことは想像できる。しかしだからといって取ってつけたようにエンディングに流すのはどうかと思う。ホ・ジノ(監督)がよく許したものだ。

銀杏のベット 古代において月食、日食などはとても恐れられた自然現象であったらしい。
古代に芽生えた恋物語が月食、銀杏の木をモチーフに現代に繋がる様が綴られるのだが、CGの稚拙さが気になってしまい、(特に古代の月食の場面など)物語に入り込むことが出来ず。話自体にもかなりご都合主義があり、こういうSF調の話はひとたび気になりだしたらもう映画の世界に戻ることはかなり難しい。
ハン・ソッキュの演技はかなり自然なのだが・・・(古装片のシーンはご愛嬌か?)
CGの稚拙さに目をつぶることが出来るならかなり楽しむことが出来ただろうに、残念なことになってしまった。
友へ チング ローラースケート場で流れる@コール・ミー(ブロンディ)を聞いた途端、心の中であの時代を懐かしむスイッチが入る。韓国と日本 若干の違いはあるが(あの時代 日本ではヒロポンはすでに昔のものだったはずだが)主人公あの4人と同じ時代を生きてきた私にとっては、それでもそうそうと頷く思なにかがあった。制服の下にハイネックのシャツを着る男子学生の姿を、私も何度も校内で目にしたものだった。
があんなに何かにイラつき、有り余るエネルギーを持て余していた学生は居なかったように思う。それが日本と韓国の差なのか それとも私が女だからそのもて余るエネルギーの存在に気が付かなかっただけなのか。もうあれから何年も経ち、それを確認する術はない。
情事 an affair 色を感じさせない映画だ
人妻と人妻の妹の婚約者の不倫。私にとってはこの設定がかなり印象的だった。
逆のパターンだと女性側から「やっぱり奥さんの居る家に戻るんですね」などというお決まりの台詞が繰り返されるのがおちだと思うのだが、この設定だとそんな心配もない。
また人妻から「私より若い子のほうがいいはず」などとという言い訳がましい台詞がないのもいい。
また韓国では不倫は違法のはずなのにそれに言及する台詞もない。
いらぬ台詞を配し、ただただ二人の姿をおうだけの展開が潔い。
後半は
いつでも会いたい。何処でもよかった というようなシーン(人気のないゲームセンター 学校の理科室)が続くにも関わらずちっともいやらしくない。。 特に@イ・ジョンジェの自然な感じには感心する。(ラブシーンがかなり上手と観た)
ソウル ナイナイ 岡村の主演作 無問題2の後、TOKIO 長瀬主演のこの作品を観たのだが
改めて中途半端は良くないと思う。
中途半端なのは残念ながらこの@ソウルのほうである。
韓国の俳優@チェ・ミンスをむかえスケールの大きい作品を作ろうとしているにも関わらず
長瀬が出演すると急に場面が軽くなってしまう。彼の軽さをカバーする術は残念ながらなく、
最後までなんとなくかみ合わないまま、あの脱力のエンディングシーンへとそのままなだれ込むのだ。
あのエンディングシーン 演じる長瀬もかなり恥ずかしかったと思うが、観ている私もかなり恥ずかしかった。どうしてああいう中途半端なことをやるのか。スケールの大きい作品を目指しているからといって、大きい物をスクリーンに出せばいいというものではない。

長瀬くんは軽いながらも一生懸命さは伝わってくる。が一生懸命やればなんでもいいかというとそういうものでもないだろう。確かに体格もよく海外へ行っても物怖じしない感じは買うが・・
まぁ 何度もグーで殴られ痛い思いもしただろうが、更なる奮起を望むといったところ。
番外編

フレンズ
日韓完全共同制作ドラマ
映画ではないが、色々と思うことがあったTVドラマのため急遽追加。
甘いところも多分にある作品ではあるが、2日間 チャンネルを合わせてしまうだけの
意気込みは感じられる作品だった。

二人が異国の地 香港で出会う場面など 深田恭子演じる日本人女性の余りの馬鹿さ加減に涙が出てくるが(簡単な英語さえ、一言も理解せず、韓国人というウォンビン演じるジフンに向かって「カルビ、ビビンバ」とは もうノー天気丸出しである)
がその素直なノー天気さがなければ、この辛い恋物語が始まらないのだから仕方ない。
日本側のドラマが暢気な作りだったのに比べ、韓国側のドラマの作りはかなり現実的な
地に足がついたもののように思われた。
韓国のキムタクことウォンビンの一歩引いた感じも日本人には新鮮に映る。

日本側の誤算は深田恭子の豊満さにあったかもしれない。
冒頭の走り回るシーンのドタドタした姿 現実味はたっぷりだが、ドラマとしてはやはりいただけない。
そして ラストシーン 短編映画として仕上げられた海辺を走るシーンなどは、あまりの豊満な胸がAVビデオを連想させ、苦笑を禁じえない。

深田恭子 豊満な胸と顔のアンバランスさをこれからどうやって演技にいかしていくのか。
バラエティでの喋りはいただけないが、ドラマになると突然スイッチがはいり、
時々きれたような演技を見せるが、これからそれをどのように活かしていくのか?
リベラ・メ 火が走る、走る、走る・・・・
8割以上が火の場面であり、最後には火に酔ったような感覚さえ襲ってくる映画である。
(煙っぽさや、においまでしてきそうな感覚に襲われるのはやはり本物のビルが爆破され、
炎上したからだろう)
消防士VS知能犯 灼熱の闘い!というキャッチフレーズの映画である。
消防士の灼熱の闘いは心に伝わってきたが、知能犯の悲しい思いが消防士の熱い思いほど
伝わってこなかったのは、私の理解力のなさか・・・・
炎上の場面が殆どながらも、チェ・ミンス、チャ・スンウォン、ユ・ジテとそれぞれの見せ場は
キチンとあり、人間ドラマを描くことを忘れてはいないところは偉い。

キム・キュリ
@小川菜摘似の女優さんだ。
韓国の女優さんはみなお人形のように美しいとおもっていたのだが、そんなことも
ないのだとちょっと安心したりする。
リメンバー・ミー もし、あの時別れていなければ、
もし、あの時あの道を選んでいたならば・・・・・・・
人生はいくつものもしで成り立っている。もしあの時・・・と思うことは出来ても、決してやり直す
ことは出来ない。
時間の流れに逆らうことはできないし、時間の流れがある限り、いくつものもしは続いていく。

もし、あの時あの言葉を口にしなかったら・・・・
ユ・ジテ演じる現代の青年がそう思うのも無理はない。しかし、その言葉から
ある選択をしたのは1979年を生きる彼女自身の選択だったのだ。
だれが強制した訳でもない。きっかけはあったにせよ、最後の決断は彼女がしたのだ。
何かに区切りをつけることで優しさや辛さは感じたであろう。しかし、自分の人生を自分で
選択して生きてきたのだ。


キム・ハヌル

松たか子をさらに清純にしたようなその容姿。男性なら一度はあこがれるであろう、
清楚なたたずまい。待ち伏せという言葉がこれほど似合う女性がいたとは・・・・
白いスカート、白いシャツ
ハマトラの匂いが感じられる着こなしの数々も新鮮に感じられる。

キャッチフレーズ

会うことも見ることも出来ない。
けれど、すぐそばで優しさと
暖かい息づかいをお互いに感じ合えるなら、
それは愛なのでしょうか・・・・・
純愛譜 キャッチフレーズ

いつもひとりぼっちだった。友達も、家族だって・・・
その日まで世界に愛はないと思っていた・・・・

いやー不思議な感じのする映画だった。中途半端な清潔感を感じさせる主人公ふたり。
ピュアというには程遠いのだか、汚れてはいない感じは伝わってくる。
現実に寂しさを感じながらも何となく過ぎていく日常。あせりは感じているはずなのに、
いらいらしたような焦燥感は画面からは感じられず、ふわふわとただような感じのみ。
一つ間違えば退屈極まりない話のはずなのに、最後まで見られる映画になっているのは
主人公二人のあっさりした雰囲気のおかげだろう。
最後に二人が出会うシチュエーションであるにもかかわらず、話に統一感があるのも
イ・ジョンジェと橘実里の持っている雰囲気が似ているせいのようだ。

おまけ
橘実里の父親役の大杉漣が観たくてみた映画だったのだが、大杉漣よりダンカンのほうが
見せ場が多し・・・
そしてイ・ジョンジェのむっつりすけべぶりも一見の価値あり。
爽やかなむっつりすけべな感じはかなり貴重だ。
イルマーレ 愛と一口にいってもその形は様々だ。
遠く離れることによって姿を変えていく愛もあれば、二人が歩む時間さえ違うにもかかわらず
育っていく愛もある。

ポストカードを集めたような映像の数々、しっとりと心にしみる音楽、けっして生々しくなく
あくまでも清潔感のただよう主人公二人。
最後まで映画の流れに乗れないか、自分が主人公になってしまうか、
自分の純粋さが試される映画である。
映画の流れに乗りきれたとは断言しがたいが、愛の不思議さは信じたくなった。
その程度の純粋さはまだ私にも残っていたようだ。


この映画のキャッチフレーズ

海辺の家で受け取ったのは
未来から出された消印のない手紙・・・・
それはふれあうこともできない 恋の始まりだった
(入力する自分がちょっと恥ずかしくなった)
反則王 人生には色々な風が吹くときがある。
追い風に乗ってなにをやっても上手くいく時。
どんなに頑張っても向かい風ばかり。
二人で過ごす楽しいひと時に吹くそよ風もあれば、恋に破れ打ちひしがれた後姿に
追い討ちを
かけるように吹く突風。
そんな色々な風を感じさせながら、沢山の笑いを誘う。

観ている間は笑ってばかりだったのだが、観終わった後、思い出すのは
サラリーマンの哀愁を感じさせる、カラオケ場面だったり、いつまでもだめな息子を嘆く父親だったり
と、どちらかというと切ない感じの場面ばかりである。
面白くてちょっと寂しい、いい映画だと思う。

またアントニオ猪木、ジャイアント馬場の活躍したプロレス全盛期を知っている私にとっては
数々のプロレス技も懐かしく、またその懐かしさがちょっと寂しさも感じさせたりと、
痛いところを付かれた感じである。
特に自分の年齢を感じたのはブッチャーの「フォークねた」で殆ど笑いが起こらなかったことである。
あそこは笑う場面なのに・・・
JSA 生活に危機感があるというのは、何が大事なのか、何が余計なことなのかとてもシビアに
映し出すものだということが痛いほど感じられました。
そして大事と解っていることでも自分だけの力だけではどうすることも出来ず、捨てるという
選択しかないことも痛いほど感じられました。
毎日、何を信じて生きていくのか、何を大事と感じて生きていくのか、そんなことと無縁に
生きている私にとっては、なんとも痛い映画でありました。
自分にとって今一番大切なものは何なんだろう。
そんなシンプルなことさえ解らない自分が少し恥ずかしく思えてくるのです。

鑑賞前はソン・ガンホが恰幅が良すぎて北朝鮮兵士に見えないとか、イ・ビョンホンが
ちょっと爆笑問題の大田に似ていて緊張感がないとか、かなり失礼なことを思っていたのですが、
(そしてそれはかなり真実でもあるのですが)
映画自体はそんなことは忘れさせてくれるほど緊張感のある出来となっています。
イ・ヨンエが紅一点として花をそえていますが、ちょっと押しが弱くかなり残念です。
逆に男たちの純粋な関係が際立ったともいえるのですが・・・・
アタック・
ザ・ガス・ステーション
「良い子の皆さんは面白くても真似しないでくださいね」
そんなキャッチフレーズが思い浮かぶぶっとんだ映画です。
だれもが時々感じるであろう「何となく面白くない」という閉塞感。
悲壮感のかけらもない淡々とした襲撃を、
こんなにも面白く映画にしてしまうとは・・・
ガソリンスタンドを襲撃する4人組、特に友情についてのエピソードがあるわけでもないのに、
四人組の結束の固さ、男気が感じられるのは演出の上手さでしょうか。
襲撃の最中、沢庵を齧りながら甘いたれのかかったジャージャー麺をすする四人組。
こんな場面もかなり絵になるクールな4人に拍手喝采です。
美術館の隣の動物園 登場人物のキャラクター設定がキチンとされていると、
たとえ甘い恋物語でも
観ていても安心できるということを、証明してくれている一本。
主演のシム・ウナがちょっと身なりに構わないがさつな女性にもかかわらず、
恋に対しては大変臆病、繊細というのがキチンと描かれているので、
女性がみて大変楽しめるラブストーリーになっています。
がさつな女性の部屋といっても、そこは映画らしくかわいい煉瓦作りの暖かそうな
部屋に住み、部屋のインテリアもとてもかわいらしくまとまっているのですが・・・
煉瓦作りというのは暖かい感じが伝わってきていいですね。
ソウルの秋もとても綺麗に撮影されていて、甘い恋物語の良いスパイスに
なっています。
カル
韓国映画 
(2000・11・3から公開)
2000年4月に香港で中国語、英語字幕のものを
観ていたので今回が2回目だったのですが、2回目で初めて発見することが
多々ある映画でした。
いわゆる最後の謎解きの場面がかなりのスピーとで展開するので
2回目でやっとという感じ。
そういう意味では観客に親切な映画ではありませんが、
イマジネーションをかきたてられることは確かです。
儒教の国の作品とは思えないほどの残虐さなのですが、
それがカルト的になっておらず、きちんと商業ベースの作品に仕上がっているのは
やはり監督の力なのでしょう。
ただやはり残虐なので、苦手な方にはお薦めできないのが
残念なところ・・・
燃ゆる月
韓国映画
本国韓国でもまだ未公開
今回がワールドプレミアとのこと
2000年東京国際映画祭にて
冒頭20分くらいはちょっと説明口調なのですが、
そのあとはもう畳み掛けるようなストーリーの力技で
ぐいぐい進み大作風格たっぷりの映画。

愛のために仲間を捨てるというストーリーはちょっとくさくもあるのですが、
大作の風格でそんなものは吹き飛ばしています。
「おまえのは愛ではない!ただの執着だ!」
こんな台詞がぴったりくる時代劇もなかなか楽しいものです。
カル 監督が来日しており話を聞くことができました。
話事体は前作@接続 ザ・コンタクトの興行的な成功が
あったので、この作品を撮ることが出来たということだったのですが、
驚いたのは
とてもあの猟奇的な場面の数々を生み出したとは思えない
監督の温厚そうな風貌・・・
人の奥深さを垣間見た瞬間でした。
燃ゆる月 主演のキム・ヨンジン(シュリの主役の人ですね。)とキム・ソックンが
舞台挨拶にきていたのですが、
本人たちも挨拶の後、会場内で一緒に鑑賞していました。
監督が現在韓国で編集作業中ということですから、
本人たちもはじめて大きなスクリーンで見たのでしょう。
たまたま出入り口近くに座っていたので、入るときと出るときと2回二人のそばに
いることができたのですが、キム・ヨンジンは燐とした素敵な女優さんでした。

気になったのはキム・ヨンジンよりも目立っていたチェ・ジンシルが
モーニング娘の@安部なつみにそっくりだったこと。
もー気になって気になって・・・
クワイエット・ファミリー 「殺人は喜劇である」といったアルフレッド・ヒッチコック
の言葉を思い出させる映画です。
韓国版「ハリーの災難」とでもいったらいいのでしょうか?
儒教の国とは思えないほど次々に、それも簡単に人が殺されていき、
そしてちっとも怖くないんですから・・・・
また殺す理由が特に善悪に関係ないのもいいですね。
殺人が起こるのもすべて歯車が狂っただけ、としているのも
すっきりしています。
シュリ 韓国映画を大画面で見たのは初めてだったのですが
韓国での公開時にブームになったのもうなずけます。
話としてはよくあるパターンではあるでしょうが、
緊張感のある画面で2時間あまりの時間を退屈させません。
軍事訓練の場面の緊張感はハリウッド映画を超えています。
水槽越しのアングルから映されるキスシーンは綺麗です。
効果的に使われる水槽そして熱帯魚
水に関係あるものは安心感を生むと同時になにかもの悲しい感じを
かもしだします。


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