香港映画関係ということでまとめてみました。
香港映画がきっかけで中国本土、台湾の映画なども鑑賞するようになったため
どうしても自分の中では同じ土俵で考えてしまうことが多いのです。
すでにビデオ化された作品も数多くありますので、ビデオ鑑賞の参考にでも使っていただければ幸いです

作品名 ポイント  
THREE・臨死 初めてこの映画を観た時こんな風に熱く語っていたのを思い出した。そして今日もまた同じことを思う。生きている人間には多くを語らず、自分の心の中にいる人間に多くを語る黎明(レオン・ライ)の佇まいにはっとする。

Three  (三更之回家)

2002年台北金馬奨 主演男優奨を受賞・・・・


「映画は監督のもの」
だと私は思っている。特に黎明(レオン・ライ)の場合は今回の受賞および@ラブソングでの好演は彼のプロディユース力なくしては日の目を見なかったものだろう。

ラブソングでもこのThreeでも黎明(レオン・ライ)は愛に対してかなり身勝手な男性を演じている思う。ラブソングでは中国本土に婚約者を残しながらも、同じ中国本土出身の女性(マギー・チャン)と香港で出会い、寂しさを共有しあい、夢を語りあうようになる。マギーを大事に思っていながらも婚約者へのプレゼントをマギーに選んでもらい、そして感謝の気持ちから彼女にも同じプレゼントを渡そうとする。
Threeでは病気の彼女の再生を信じ寝食を忘れて世話をする漢方医だ。不信に思う刑事を自宅に監禁してまでも彼女を守ろうとする。
いずれも、自分自身の女性に対する愛に嘘はない。しかしその愛の示し方は他人にとっては容易にわかって貰えるものではないというという、役柄だ。そんな役柄を黎明(レオン・ライ)は淡々と演じている。そこには迷いのようなものは一つも感じられない。

黎明(レオン・ライ)の色々なインタビューを読んでいると、彼自身はとてもはっきりした性格なのではないかと思う。好きか嫌いかをはっきり言うし、無理だとおもったら深追いはしない。
チャンスがないことは「縁がなかったのだから」という一言でとあっさりと語ったりする。一見するとこのキャラクターとは正反対と思える発言の数々だ。
そんな彼を@ラブソングと@Threeの主演に起用しようとおもったピーター・チャンの眼力にはやはり敬意を表すべきだろう。また監督の望むとおりに演じようと、黎明(レオン・ライ)が素材に徹している感じがとても好ましのだ。
役柄でいうなら、@半生縁、@天使の涙 などはもっと彼の良さを活かせた作品だったと思う。(特にビジュアル面で考えるなら@半生縁などこれ以上ないはまり役だろう。)
ただこの場合は黎明(レオン・ライ)が素材に徹してもいいと思わせる説明を、監督が黎明(レオン・ライ)に出来なかったのではないかと思う。(勿論これは監督の力量だけでなく黎明(レオン・ライ)との相性も影響しているとは思うが・・・・)

音楽シーンではマーク・ルイと組んで色々チャレンジをしている黎明(レオン・ライ)だが、最近の二人はお互いがお互いをプロディユースしているのではと思える自己完結型が多いのが気になる。音楽シーンでもマークとの友情をはぐぐみつつ、さらに新しい黎明(レオン・ライ)を見せてくれることを願っている。


韓国のキム・ジウン(回憶)
タイのノンスィー・ニブミット(輪廻)
香港のピーター・チャン(回家)
オムニバス映画の難しいところは全部の作品のテンション・クオリティが同じでないということだ。同じでなくても複数のものを同時に見せる事によって特別な効果があったり、違うものを見たことによって逆に1本の作品では見えなかったものが見えてくるなど、それなりに面白い効果があるといいのだが、この場合はそのあたりは成功しているとは言い難いと思う。
「このように違う国同士の作品をあわせることにより、違う国の映画に興味を持ち、それが市場の拡大につながり、しいてはそれが映画の品質を上げることになる。云々」ということをティーチ・インでピーターがいっていた。それはそれでいいのだが、作品同士がもう少しお互い影響を持ち合っていたほうがより広がりがあったように思う。

韓国のキム・ジウン(回憶)
はじまって直ぐに内容が全部判ってしまうのはどうかと思う。40分弱という短い時間のなかで話を広げすぎて、収集が付かなくなることを恐れたのかもしれないが、カメラアングルや音楽だけに頼りすぎていたのがなんとも寂しい。

タイのノンスィー・ニブミット(輪廻)
タイの古典に対する知識がないため、どうしてもだからどうしたの?そうなんだで終わってしまう。
人形に乗り移った霊の悲しさや業のようなものを感じ取れなかったのは、観客側の私の問題か?

香港のピーター・チャン(回家)
申し訳ないが前の2本が引き立て役になってしまっている。
短い時間のなかでもこれだけの話が描けるということを証明した作品。
親子の愛、夫婦の愛
夫婦の愛はとても献身的なものに思えるが、自分勝手で身勝手でやがては破滅に向かっていく。しかしだからこそ悲しくもあり美しくもある。そのあたりがよく描かれていると思う。
クリストファー・ドイルのカメラワークも気に入った。
ウォン・カーワイ作品で見せたような先を急ぐ感じは息をひそめ、かなり落ち着いた雰囲気になっていたが、守りにはいった感じがなかったのが良かった。古いアパートの廊下の場面などは、昔だったらもっとせっかちにとっていたと思うが、なめるようなカメラの動きが怖かった。

黎明(レオン・ライ)
これは黎明(レオン・ライ)の演技力というより、ピーターの演出力の賜物だろう。
あれだけ普段と違う姿を見せながら、あれだけ違和感がないというのは素晴らしい。

この3本で共通することといったらどの作品にも7歳前後の子どもが出演することだろう。
このなかでは性悪説を思い出させるタイの子役の笑顔が怖い。
そして香港の子役の可愛らしさが光る。
ツインズ・エフェクト 子ども向け映画とちょっとたかをくくっていたのだが、結構面白く観る。無論子どもっぽいのだが、楽しませる趣向はきちんと盛り込んであり、特にイーキン・チェンがもっと照れがあるのかと思いきや、手を抜かずにきっちりやっていたので、よかった。アンソニー・ウォンが怪演するのとは違い、彼があそこまでやったのはちょっと感心する。
香港ではトップアイドルの阿嬌(アキウ)と阿Sa(アサ)の二人は、私からみるとちょっと首を傾げたくなるが、それでもかなりな量のアクションをこなしており、これには感心する。日本で同じ事をやるとしたらあの10分の1以下でも褒め称えられることであろう。勿論最高のスタッフがアングルなど殺陣など考え抜いて彼女たちにやらせているのだろうが、それでもあの量と時間である。2003年のナンバーワンヒットになるのもある意味当然といえば当然か。
(しかしクライマックスのアクションシーンはちょっと長すぎではないだろうか。ジャッキー・チェンに気を使ったのか?)
子どもっぽさと暢気さ この映画の持つ特色に一番あっていたのはバンパイヤー一族の王子を演じたエジソン・チャンであろう。他の映画の中では鼻につく軽薄さ加減が、この王子の役柄にぴったりしており、少しも気にならなかった。適材適所とはこのことだろう。
フルタイム・キラー ライバル同士に芽生える友情。ありきたりのテーマだし、きっとアンディ・ラウと反町隆史の共演が一番のポイントの映画だとちょっとたかをくくっていたのだが、結構お話も面白くて、言葉が適切かどうかは解らないが案外拾い物の作品なのではと思う。
(ただストーリー展開が上手かったかどうかというとやや疑問が残る点もあり。特に後半サイモン・ヤムが急に狂言回しになる展開はやはりちょっと安易だったとしか言いようがない)
アジア一の殺し屋(反町隆史)の座を狙う二番手の殺し屋(アンディ・ラウ)という一見逆のキャスティングではと思う配役も、アンディの余裕の演技であっさり受け入れることが出来た。これが逆だったら恐らく反町隆史の肩に力の入りきった演技に辟易したことだったろう。アンディの日本語も努力の跡が伺えて微笑ましい。それに引き換え反町隆史は何故か殆ど日本語だけだったのが残念なかぎり。アジアを又にかける殺し屋としては英語の一つでも華麗に操って欲しかった。
最後の屋内花火シーンも、綺麗な銃撃シーンが好きな私にとっては結構気に入った場面だった。
最後の恋、初めての恋 ウーロン茶CMの映画版と評していた文章を読んだが確かにその通り。それ以上でもなければそれ以下でもない。
シュー・ジンレイ演じる女性の強さ悲しさ、ドン・ジェ演じる妹の若さ故の奔放さ、チェン・ポーリン演じる若者の一途さは伝わってくるが、物語の核となるべき渡部篤郎演じる会社員の悲しみが伝わってこないのだ。
そして筧利夫、石橋凌の出演場面からは上海の香りが全然漂ってこないのである。
台詞では勿論日本人が異国の地で仕事に付く辛さを語っているのだが、どうもこのあたりが薄い感じがした。
(わざとなのかもしれないが、どうも腑に落ちない演出だった)
しかしありきたりではあるが、やはり見た後は上海へ行ってみたくなり、珈琲でなくお茶を飲んで見たくなる。外白渡橋からの夜景やフェリー乗り場の風景、花に囲まれた郊外の一軒家風景は心和むものあり。
渡部篤郎は英語の台詞を喋るときもやっぱり何をいっているかサッパリ解らない。以前はそんなことは無かったはずなのに、どこで道を間違ってしまったのか。
インファナル・アフェア 全編が青緑の色調だ。どちらが表でどちらが裏ともはっきりしない二人の人生。
主演の二人にたとえるなら青が梁朝偉(トニー・レオン)で緑がアンディ・ラウだろうか。
青は青でしかないが、緑は青と黄色を混ぜることによって作られる色だ。そんな混沌とした曖昧さをアンディがよく表現していると思う。
アンディの青年時代をエジソン・チャンが演じているが、黒社会に身を置きながらも自分の人生は自分で選ぶという強かさを感じさせる。これはいいキャスティングだ。

二つの音が二人の人生を決定付ける。
梁朝偉(トニー・レオン)演じる仁の場合はそれは上から下に落ちてきたものが地面に叩きつけられる音であり、アンディ・ラウ演じる明の場合は密閉された空間に響く銃声だ。チョウ・ユンファが出演していた一連のの香港ノワール映画がきっかけで香港映画を好きになった私にとっては、この映画の世界は本当に懐かしく、何年も帰ってくるのを待っていた世界だった。
梁朝偉(トニー・レオン)が出演しているせいもあり@ハードボイルドを想い浮かべる人が多いとは思うが、私はノワール物の傑作ともいえる@友は風の彼方に(龍虎風雲)を想い出した。

変な気負いもないし、出演者全員がするべき役割をキチンとこなしている感じがする。主演二人の世界、裏と表を余すところなく、上手いバランスで描いているのは本当に脱帽だ。こういうタイプの映画にありがちな偏りもなく、梁朝偉(トニー・レオン)アンディ・ラウどちらから観ても上手い映画になっていると思う。

@撮影アドバイスをあのクリストファー・ドイルが行っている。その香りは屋上の場面に感じられるような気がする。
たまゆらの女 女と書いてひとと読む。この演歌を連想させる題名が自分の中でしっくりこないが、年齢的に最後とも思える想いを詩人に向ける女の想いは伝わってくる。
汽車で10時間の道のりを週2回往復する。その事実がどんなに重いものであったかも想像に難くない。情熱的に愛を語るよりも何倍も重いものであったはずだ。ただ画面はその重ささえもまるで一つの夢であるかのように描いている。なんとなく靄のかかった町重慶。次々と後ろに流れていく汽車からの風景。女性ばかりの作業場での磁器への絵付け。ゆったりとした中で描かれるからこそ、女チョウユウの想いもしっとりと観客の心に入ってくるのだろう。
映画は詩人を愛するもう一人の若い女性(コン・リーの二役)の眼から語られるようだが、(ようだがという曖昧な言い方になるのは、そのあたりの区別さえもゆったりと描かれており、ちょっと解り難い作りになっているのだ。時間の流れがよく解らない設定になっている。)ここまでゆったりとした作りなのだから絵師の女、不甲斐ない詩人、無骨な獣医この3人だけの物語で充分だったように思う。

絵師である女の同僚が発した一言「あの人、また男の人と駄目だったみたい・・・・」それ以上細かい説明はなかったが、以前駄目になった恋も女の強い想いから駄目になったのだろう。そんなことを連想させる一言だった。何度恋をしても結局は同じようにしか愛せない。そんなことを思わせる女の強い想いが、映画全般を包んでいたように思う。

コン・リーが最後とも思える熱い女の想いを綺麗に熱演していた。そしてレオン・カーファイの頼りない存在感がここでも存分に発揮されており、これも感心する。
HERO(英雄) ロシアの民芸品にマトリーショカという人形がある。一見するとただの人形なのだが、その中には人形があり、そのまた人形の中には人形が入っているという、ちょっと人を食った人形である。この人形は一番表の人形が人形として形をなしてこそ、さらにその中に人形が入っていることに驚かされるのだ。
この映画も最初の赤の場面があってこその映画である。この赤の場面で描かれる場面の何が真実か何が虚偽なのか、それが藍、緑、白という色によって次々と語られていく。次の色で説明がつくかと思うと、その色からまた真実と虚偽が生まれ、その次の色によってまたその真実と虚偽が語り継がれていくのだ。そしてすべては始めの赤に繋がっていくのである。赤の場面が全ての始まりでもあり、答えでもあるのだ。武侠映画というスタイルでありながら、大きな愛の物語であることに驚かされる。恋人への愛であり、師への愛であり、自分の故郷への愛であり、国家への愛であり、愛の対象は違えども大きな愛を感じることに違いはない。


@ウォン・カーワイの@楽園の瑕を観た時、何もクリストファー・ドイルが撮影しなくてもよかったのではないかと思ったものだ。(監督のスタイルの違い、またあの映画とこの映画を同じ武侠映画という範疇で考えていいのかどうかも疑問の残るところだが)一見すると動きがありそうに見えるが、砂嵐が舞う絵と俳優の長い髪が画面一杯に広がる絵、、観終わった後にはその2つの静止画が心の中に残るだけの映画であった。
そんな印象があったので、彼が撮影をしていると聞き、一抹の不安があったことは否めない。しかしそんなことは杞憂だった。
赤のバージョンでは全体を大きく捕らえ、そして物語が進むにつれドイルのカメラはどんどんどんどん登場人物をなめるような熱い視線に変わっていくのだ。赤のバージョンでの広がりがあってこそ後半の舐めるような視線が余計に熱いものに感じられるのだ。そしてその熱い視線は全てトニー・レオンに注がれているのだ。
藍色夏恋 高校時代は平均交際期間は3ヶ月などとよく言ったものだ。付き合いだすと全てが相手中心の生活になるとても生真面目だった高校時代。授業の間の5分休みさえも廊下は言葉を交わそうとする者で一杯になり、放課後の自転車置き場は帰りがたい者たちで一杯だった。
体育館へつづく渡り廊下のきしむ音、先生と付き合っていると噂のあった上級生、忘れていた音や匂いを一瞬の内に思い出し自分でもビックリする。
私はもうあの時代に戻れないからこんなにも懐かしく思うのかもしれないが、今その時代にいる高校生はどんな思いでこの映画を観るのだろう。
最後に思い出したのがいつかさえも思い出せなかった高校時代を、簡単に思い出させてくれたこの映画の暖かさに感謝。

チェン・ポーリンの笑顔に驚く。そしてあんな笑顔を普通の生活のなかで久しく目にしていなかったことに気が付く。今度あんな濁りのない笑顔を見るときはいつだろう。
ハリウッド・ホンコン ホンコンの思い出。
夕暮れの中 どこへ行くでもなくワンチャイの市場を歩いている時、自分の目の前に突然飛んできビールの缶にビックリする。店じまいの最中に始まった喧嘩のとばっちりを受けそうになったのだ。そんな店の隣では腕に様々な刺青を入れた店の男たちの花札での博打が始まっていた。外灯も薄暗く、表通りからたった1本裏道に入っただけなのに、そこには私のような暢気な観光客を寄付けない普通の生活があった。

ションワンで泊まったホテルのそばに肉屋があった。店の中では朝7時過ぎから豚の内臓を取り出す作業がどんどん進んでいた。そして9時前には板切れの上に内臓の数々が並べられ、道く人はビニール袋に入れそれらを普通に購入していく。毎朝新しく並べられる内臓を眺め、血と脂がしみこんで滑りやすくなった歩道を歩きながら、どんな風に調理するのだろうと思った冬のホンコンを思い出した。

そこは、ホンコンにある”ハリウッド”
ビターな人々の街にスイートな娘がやってきた。
その日から、彼らの日常は、スイートな恋であふれだす。
このキャッチフレーズとポスターにだまされて、うっかり監督がフルーツ・チャンだということを失念していた。前半はダイヤモンドヒルにあったという@ダイホム・ビレッジの雰囲気に何度も旅したホンコンを見て、一種の懐かしささえも覚えたのだが、話が進むうちにそんな暢気なことも言っていられないことに気づかされた。これは監督がフルーツ・チャンだということを、忘れていた私がいけないのだ。
上海娘に恋をした。 恋をする代償は大きいが、人は恋をせずにはいられないのだ。
ブランコに乗る男たち。男の人はブランコに乗る感じなのか。(笑)

花花宇宙
肉屋の息子のベット脇にケリー・チャンのポスターが飾られていた。懐かしくなり、うちに帰って思わずCDを聴いてしまった。旅で訪れるだけのホンコンがこんなにも懐かしく感じれるとは・・・
運転手の恋 タクシー運転手の主人公が台湾の町をタクシーで走り回るにも関わらず、なんともノンビリした流れの映画だ。特に運転手が宮沢りえ演ずる婦人警官に出会うまでがゆったりゆったりの流れなのだ。(後半はロオ・ダーヨウの音を刻む感じの音楽のお陰で独特のテンポが生まれていた)語り口調はかなり面白いし、エピソードも奇妙なものが多くてかなり面白いのだが、テンポがのんびりなせいでかなり地味な感じに思える。ただこのテンポとどことなく地味な感じが台湾の感じさせることも確かだ。
あれだけタクシーを走らせながらも、これだけノンビリした感じを出すとはなんとも面白い。

タクシー会社の面々がかなり変わっているのだが、主人公アチュンを演じるチゥ・チョンハンの演技があまりにも淡々としているので、さらっと見ることが出来た。このあたりの雰囲気は良かった。

宮沢りえの婦人警官姿はひとめぼれしてしまうのも納得できる。あの姿で笛を吹かれたら、男性は笑って免許証を差し出す気になってしまうだろう。痩せた体は理由を知っている日本人には痛々しく映るが、理由を知らない台湾の人々には、「ちょっと痩せすぎだけれど綺麗だね」と評されたに違いない。
痩せた体のわりに本人はいたって元気に演技しているように思えた。言葉の通じない土地での仕事。痩せた体は一目でわかるし、周りのスタッフは事情も知っていたに違いないが、彼女に必要以上に気は使わなかったのだろう。否、気は使ったかもしれないが、それが本人には重荷にならなかったに違いない。


”しゃぶしゃぶ 東京都” 台北の街にこんな看板が日本語であるとは・・・
ジャンダラ オレンジ色の熱帯の空気がくまつわりつく2時間を過ごす。
しかしその熱帯の空気は無条件で楽しめるものでもなく、観終わった後には因果応報という言葉を思い出させるちょっと心が痛む思いも一緒に運んでくる。
滅んでいくものが滅ぶ前に魅せる一瞬の輝きと、熟んでいく時間の流れ。そしてその時間の流れは一定方向へ進むのではなく、巡りめぐって同じところへと戻っていくのだ。

禁断という言葉につられ、観る前は興味津々だったのだ。そのためしっかりしたスリーリーに逆にびっくりすることになった。この原作はタイで発表された時「猥雑だ」と物議をかもしたという。しかしそんな物議をかもすこと自体この作品がある水準を越えていることを証明しているともいえるだろう。ただのポルノならそんな形容詞で表されるまでもなくゴミと消えていくはずなのだから。

話題になった性描写より、一大メロドラマな話の展開にびっくりする。語弊があるかもしれないが、そんなにびっくりするような描写でもなかったような気もする。そんなことより熱帯の空気を感じさせるオレンジの色に感動する。

クリスティ・チョン
かなり体重を増やして望んだに違いない、豊満な肉体に感動する。いくら香港サイドが製作に携わっているとはいえ、言葉の通じない異国の地でのあの貫禄。@人魚伝説でみせたフェロモンに、年輪をかさねたことによる熟れた感じが加わり、さらに濃厚になっているのにびっくりする。
北京ヴァイオリン 子どもの頃、自分があんなに純粋であったかと胸に手をあてて考えたくなる映画である。
昔に戻ることは出来ないが、昔の心を思い出そうとすることをしてみたくなる映画でもある。

何かを極めようとしたことのない、これからも決してすることのない私にとって、一つのものをとことんやる姿は新鮮であり、極めようとする息子を、唯一の自慢としている父親の暖かさに、やはり心打たれる。
クラシックに普段ふれることがない私にもクラシックの調べが心地よかったのは、ストーリーとリンクさせた選曲の上手さなのか、それとも熱い絆にちょっと涙したせいだったのか?

20ドルと2万ドル
親子が地方から出てきて始めて泊まる宿(宿といっても銭湯のような処に雑魚寝するだけなのだが)が20ドル。息子が大切にしているヴァイオリンの下取りが2万ドル。

監督が自分の作品に出演するということ。
ヒッチコックがまるで自分の作品に署名するかのように1シーンだけ出演していた話は有名だが、これは署名どころの話ではない。それだけでなく自分の奥さんまでも出演しているのだ。(奥さんがプロデューサーだから当然か?)
チェン・カイコー演じるユン教授は少年が最初につく先生と違って冷静な師である。それだけに傍観者的な感じもあり、このキャラクターだったら自分が演じても映画の流れを妨げないと思ったのもわからないでもない話だ。ただ正直なところ演技を見てくれといわれてもどうしても気が散るものだ。
奥さんのチェン・ホンは本当に綺麗な女優さんである。少年に感化され、本来の優しさを取り戻していく様も自然である。自慢の妻に最高の役柄をプレゼントすることが出来て、監督としてはかなり満足のいくものだったに違いない。

北京の町並み
少年が暮らす町並みは北京の下町なのだろう。都会とはいってもまだまだノンビリした雰囲気を感じさせていた。今の北京は街中を歩く人も数少ないに違いない。早く肺炎騒ぎが収まることを心から願う。


気になったこと
少年が部屋に飾る女優さんのポストカードが韓国のキム・ヒソンだったこと。そしてなぜかチェン・カイコー演じるユン教授の部屋に自身の大きな写真が飾ってあったこと。
ミレニアム・マンボ 左端に@愛される一瞬が彼女のすべてになる。というコピー。真ん中にはミレニアム・マンボというカタカナが千曼嬉波という漢字で囲まれている。その下には
薄暗い灯りの中で、棚に並べられている酒瓶の数々。そしてその前でまるで月明かりに照らされているかのように蒼く浮かび上がるスー・チーの横顔。
いいポスターだと思う。
そしてこの映画は100分かけてこのポスターの説明をしているかのような映画だ。
タバコを吸う彼女。水割りを飲む彼女。何度も何度も繰り返される彼女の日常。夜と昼が逆転したような毎日を送りながらも若さからかしなやかさを失わない彼女の姿。
まとわりつくような熱気は感じられず、ふわふわとした毎日。スー・チーファンであれば100分も長くないかもしれない。
クローサー ソニーピクチャーズのワールドシネマプロジェクトの第一弾作品。それだけに興行的に非常に目的意識のはっきりした作りになっている。香港映画で女性グループのアクションものというとマギー・チャン・アニタ・ムイなどの出演した@ワンダーガールズを思い出す。これは香港映画らしくアクションとそして話の面白さでグイグイ押してくる映画だったがこれは違う。あくまで女子三人三様の魅力を余すところなく伝えることが最大の目的の映画だ。それゆえストーリーにはあまり重点が置かれているわけではない。ストーリーそれさえもこの女子三人の魅力を引き出すための一つの道具でしかないのだ。しかしそれも成功といえるだろう。特にしなやかなアクションシーンは圧巻である。よくしなる鞭は痛いというが、そんな感じのアクションシーンが続くのだ。これは力や技量、スピードで見せるアクションシーンとは違って新鮮な感じがする。(開脚180度はやはり見ごたえがある。)そして女子三人が逞しくキャラクターがはっきりしている分だけホントに出演男性が弱く見える映画である。あの倉田保昭であってもあの若さにはなかなか太刀打ちできなかったに違いない。
私自身は残念ながらあまり日本刀を使っての殺陣には興味がなく、どちらかというと前半部分のスー・チーとカレン・モクの二人のアクションシーンの方が面白かった。

私はスー・チーの相手役を演じたソン・スンホン(宋承憲)ファンであるが、これは彼にとって単なる客演でしかなくかなり残念。韓流ブームに沸く香港での公開時にはスー・チーとのからみももっとあったらしいが、残念ながら日本では必要ないシーンだったらしい。しかしこの映画では男性は本当に必要ないのだ。

スー・チー が本当に綺麗だった。後半の展開はちょっと腑に落ちないところもあるが、前半部分のアクションシーンはそれを補って余りあるもがある。

おまけ
普段香港映画というと客席の8割は香港スター目当ての女性客なのだが、今回の場合は全く比率が逆なのでびっくりする。特に私の後ろに座った男性客二人はスー・チーの香港芸能界デビューについて熱く語っていた
アイ(the EYE) せつない恐怖。
この短い言葉で映画の内容を端的に表している。これはかなり説得力のある宣伝文句である。肉体的には死んでも精神的には死なないということを、信じるか信じないかは別だが、かなり説得力のある内容であった。物語を一人で引っ張るアンジェリカ・リーの演技は力演ともいえるだろう。しかも浮ついたところのない演技には本当に感心する。
医師役のローレンス・チョウ 好青年ではあるが、あくのなさが気になる。もっと押しの強さがあったほうが役者としては大成するのではないだろうか。

パン兄弟の映画らしく、そして製作がピーター・チャンということもあり、後半タイへ舞台が変わることも違和感がない。

おまけ
初日 プレゼントが何故か@鬼太郎のお父さんの形の棒付き飴だった。このプレゼントもどうかと思うが、隣に座った30歳代後半の男性が上映前からそれをなめ始めたのに更にびっくりする。上映中もずっと美味しそうになめていた。怖さが一挙に半減したのは言うまでもない。
カルマ 患者として医師(レスリー・チャン)の元を訪れる患者(カリーナ・ラム)。彼女が良くなっていくと今度は医師が・・・・・と宣伝されている映画だが、本当ならなんの情報もなく観たほうが何倍も楽しめる映画だ。前半 患者であるカリーナの話が落ち着くと今度は一転医師であるレスリーの話へ移っていくのだが、唐突かと思いきやなかなか面白く観られる展開である。
(無論展開を知っていても何の問題もないが・・・)
私は香港版のポスターからもっとえげつない展開を想像していたのだが、いい意味で期待を裏切られた。ちょっと観ると何処にでもいるような可愛い子だとおもっていたが、どんどん顔が違ってきて、特に前半部分と後半ではがらっと変わった演技を見せるカリーナ・ラムに感心する。
またレスリー・チャンの映画は何本も観てきたが、その中では一番彼の存在を意識することなく普通に見られた映画だった。良くも悪くも彼は彼でしかないことが多いのだが、この映画では彼そのものより、映画のストーリーを楽しむことが出来た。
心の闇 人間の記憶はいい加減なものだ。いいことは何度も思い出すことによってさらに美化されるし、嫌なことは記憶の外に追いやろうとする。でも起こった出来事を忘れることができなかったら、おそらくその記憶の重さに人は押しつぶされるだろう。そんな記憶の重さを感じさせる、ちょっと面白い映画だった。

ちょっとキョンシー映画を思い出させる場面があり、思わず笑ってしまった。
(本来なら笑う場面ではない。これはあくまでも私自身の記憶が笑わせたのだ)
小さな中国のお針子 小さな中国のお針子と文化大革命の再教育によって湖南省の山の村に送り込まれた2人の青年。
女性の方が現実的で力強いのだなと思わせる映画だった。おそらく小さな中国のお針子はダムの底に沈む村を訪れることもしなければ、青年二人を探すこともしないだろう。
30年近く経ち、辛くとも楽しかった山奥の村を訪ねるのは、ヴァイオリニストになった青年であり、香港へ渡ったらしいお針子を探そうとしたのは歯科医になった青年だった。
青年が毎夜読み聞かせるバルザックの小説が自分を変えたと言って、村を出たお針子は昔を振り返らずに活きて居るに違いない。
ラベンダー 愛を食べて生きる天使(?)金城武と、無数の香りに囲まれながら、本当に自分の欲しい香りを手にすることができないケリー・チャン。
ゴールデンコンビともいえるこの二人を主人公に、猥雑な街香港をここまでロマンティックな街に描いていることに驚く。
工事現場からみる湾仔や九龍の夜景の美しさ、高い建物に囲まれた狭い空間を漂っていくオレンジの風船、そして長くセントラルのエスカレーター。
最初はただの退屈な長い道でしかなかったエスカレーターが、どんどん楽しい道に変わっていく様などはラブ・ストーリーの王道ともいえるだろう。
ケリー・チャンは寂しさを感じながらも、普段の気の強さなどを上手く感じさせていて、いままで観た映画のなかではかなり自然な地に近い役柄なのではと思わせる。

そして愛に活き、愛を感じていれば、愛を得ることが出来なくても幸せという、ゲイを演じるイーソン・チャンが可愛い。

おまけ
香港に行ってびっくりしたのが街中の食堂で出前一丁がメニューにあることだった。
あんなに美味しいお粥や麺がありながら、何故出前一丁なのか?一度食べて見たいと思いつつ、結局まだ一度も街中で出前一丁を食したことはない。
棚の中一杯の出前一丁。ケリー演じる寂しい女性 アテナの夕食は毎日出前一丁である。
スパイチーム 香港で購入したVCD鑑賞後の感想は次の通り
神偸次世代(未公開)
またまた辛口をたたきたくなる作品だが、共演者は
舒淇・陳小春・李燦森豪華。李燦森などと並ぶと妙に落ち着いた感じがしてしまい、アクション映画という感じが微塵も感じられない。あれだけアクションをこなしているのに、もったいないという気がする。ストーリーの設定にもかなり無理が。
黎明(レオン・ライ)ファンではあるが舒淇も大好きな女優の一人。潔い感じをもちながらも、あのけだるさ。相反する二つの雰囲気をたくみに使い分け映画界を泳いでいる様は観ていて気持ちいい。

今回@スパイチームという邦題で公開され、大きなスクリーンで観た感想は次の通り。

映画は楽しく面白く観られればいいという私にぴったりの映画だ。
(メッセージが必要などと大上段に構える必要は全然ないのだ。)
アクションの数々も微妙に凝っていて、それがまた笑い(いや苦笑)を誘う。
アクションが妙に落ち着いた感じがするのは、必要以上にアクションに緊迫感を出していないからで、肩の凝らない映画の中では正しいアクションの使い方ともいえる。
黎明(レオン・ライ)のファンであるので、黎明(レオン・ライ)の無表情なアクションシーンの数々もかなり笑えた。
お菓子片手ににぎやかな感じの香港鑑賞スタイルで、観て欲しい映画だ。

ちなみにスー・チーの役柄はちょっと彩り程度である。アクションとしては新作@クローサーを楽しみにしたほうがいいだろう。
きらめきの季節/
美麗時光
光の美しさは周りが暗ければ暗いほど美しさが増していく。そんな当たり前のことに気づかされ、そしてその光の美しさと移ろいやすさに息をのむ。
いわゆるチンピラと呼ばれる若者二人。でも家族を思いやる心があり、キチンと家族と食卓を囲む時がある。アウェイ、アジェという二人の若者の歩む道の歯車が少しずつずれていく姿を描きながらも台湾の家庭、台北の街の姿がキチンと浮かび上がってくることに驚く。
映画の内容は忘れてしまったとしても、熱帯魚の泳ぐ青い水槽、部屋の片隅で赤く光る電燈、いつもチカチカとする外灯、そんないくつもの光の美しさを忘れることはないだろう。
至福のとき 普通の人々が盲目の少女を悲しませないようにとつく滑稽な嘘の数々。
滑稽な嘘にだまされるふりをする盲目の少女。
中年男性が、失業中の仲間を嘘に加担させるために展開する、いい加減な屁理屈。

本当ならこんな嘘につきあっている暇はないはずなのに、何故か中年男性の職場仲間はこの滑稽な嘘に付き合う。時間があってこそうまれる優しい嘘の数々。
弱い者同士がまるでお互いの傷を癒すような出来事も、有り余る時間があってこそだ。
そしてその心優しい嘘にいつまでも甘えることをしない、少女の強さにやはりちょっと涙する。

北京でのハーゲンダッツアイスクリーム
一つ25元だというそのアイスクリーム。お金があれば手に入るものの象徴とでもいうのだろうか。店員の妙にキチンとした制服姿に驚く。
夜間飛行 「モロッコって怖い」勿論本当は話の展開があまりにも奇抜なので怖いと思ったのだが、その舞台となるモロッコがいかにもそんな出来事がありそうに描かれているために、一番最初に思い浮かぶ感想が「モロッコって怖い」になってしまうのだ。
物語の前半は、一体これからどうなることかと思うのだが、日本人女性MIKIの無神経な無邪気さを純名りさが上手く演じておりびっくりする。(余り期待をしていなかったせいもあり、感じるものが多かった)
怖い出来事が起こるにも関わらずモロッコの映像はとても透明感のある光で彩られている。
しかしそのモロッコは決して異邦人を簡単には受け入れることのない土地だ。
純名りさの不倫相手 (香港人医師を演じるサイモン・ヤム)が失踪した彼女を思い、香水 夜間飛行の壜を握り締める場面は、香りが記憶の中でどんなに重要であるかを気づかせてくれる印象的な場面だと思ったが、演じるサイモン・ヤムの脂ぎった風貌、過度に日焼けした様にはちょっとがっかりする。


おまけ
純名りさの名前が  Risa Jyunnaでなく  Jyunna Risaとクレジットされていた。
日本人の名前を英語表記する際に名前と姓が逆になることにどうも慣れないので、このクレジットのスタイルにちょっと感心する。
快盗 ブラック・タイガー 怪作 いえ快作だろう。
恋に涙する が映画のキャッチコピーだが、あまりの破天荒さに笑いすぎ、笑いに涙するありさまだった。

こんな映像ありだろうかと、ブルーがかったピンクとエメラルドグリーンを基調にしたマットな色調の画面作りにまず驚かされる。子どもの頃よく観光地で見かけた、現物が解らなくなるくらい修正された絵葉書を思い出させる感じだ。この懐かしさを思い出させる色調に古い歌謡曲調の音楽が古臭くて、懐かしさを更に倍増させる。また凝ったアングルの数々が、書割の前で演じられるアンバランスが気取りすぎておらず丁度いい感じだ。
時代設定がなんだか解らないのもいい感じだし、おまけにタイ語を喋っていなければ場所さえもわからなくなりそうだ。しかし、繰り広げられるエピソードの数々(幼馴染との恋、敵討ち、義兄弟の契り、裏切り等)は古今東西どこにでもあったことであり、時代が違っても場所が違っても大差はないはず。そのあたりのわかり易さが安心感を感じさせるのだ。

丸の内ピンク
バブル全盛期に流行った青みがかったピンク色の口紅のことを、女性雑誌ではこう読んでいたものだ。女性らしさを感じさせ、かといって派手ではなく、職場を明るく優れものの一本などというキャッチコピーが付いていたはず。あの頃は本当に大勢の人があの色の口紅を付けていた。タイ映画の中であの丸の内ピンクを目にすることになろうとは思ってもみなかった。
金魚のしずく 香港はとても狭い街だ。数回訪れただけの私が思うのだから、住んでいる人間が閉塞感を覚えるのは想像に難くない。ましてや若い女の子なら当然だ。しかし狭い土地ゆえ家出さえもたやすくはないはずだ。何処にいっても知った顔があり、どこまでも見たことのある風景が続いていくに違いない。
赤い色があんなに爽やかな感じだとは思ってもみなかった。世の中にもっと甘えた女の子が主人公の映画を想像していたのだが、映画はそんなに甘くなく、なかなかすっきりした感じだった。香港が舞台の映画でありながら、汗臭い感じがしないのも珍しい。そして閉塞感を感じている若者を主人公にしているはずなのに、これだけ広々とした香港を感じさせる映画も面白い。
原題の@玻璃、少女 のままでも良かったのではと思う。赤い色があんなに透明感を感じさせる色だとは思わなかった。
藍宇 (ランユー) 8月4日 第11回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭 にて鑑賞

ファンの中ではとても評判が良かったようだが、私は、1980年代の北京を舞台に数年間にわたるゲイのカップルの関係を描いた作品としか知らずに鑑賞。

同じスタンリー・クワンの作品@ホールド・ユー・タイトは観終わった後、何となくすっきりしないものが残ったが、この作品は視点がはっきりしているだけにそんなことがない。
縁としかいいようのない二人の関係にひたりながら90分を過ごすことができる。

映画を観る時、案外大事だと思うのは、観終わって映画館から出てきたときの街の様子だ。
この映画でいうなら、季節は秋、時間は夕暮れもしくは夜。連れもいなく一人 家路につく。
そんなシチュエーションが欲しいと思える映画だった。
ファイティング・ラブ 昨年の夏 香港へ行った際に2回も映画館に足を運んだはずなのに、あの軽い感じをもう一度味わいたくて映画館へ足を運ぶ。
サミー・チェンとトニー・レオン以外はビックネームも出演していないすっきりした作りがいい。
主人公トンザイの煮え切らない感じもトニー・レオンにかかると、愛すべきキャラクターに早変わりである。そしてサミー・チェン演じるデボラの気の強さも、映画で見ている分には実害もなく楽しいもの。(実際 会社にあんな人がいたらお断りだが・・・)サミーのOLルックもさっぱりしていて好印象。
SPY−N 前売りチケットを購入せず、1800円を払っての鑑賞。
値段分楽しめたかどうかがかなり微妙な映画だった。
映画として本当に楽しめたのは、最後の30分の格闘場面とビルの上 大きなガラス板の上でのシーソー格闘場面だけだったのだから。

藤原紀香  
本当に顔が小さい。テレビでは顔のアップが多いので気がつかない時が多いが、大きいスクリーンではスタイルの良さ、姿勢の良さは一目瞭然である。本人も自分の良さを解った上での出演なので、気風のよさは伝わってくるが、伝わってくるのはそれだけ。やはりというか当然というか、英語の台詞が足を引っ張っているのが残念。

ワン・リーホン
最初に映画出演の話を聞いた時は、何でいまさら?歌だけで生きていくのはやはり難しいのか・・・・と思ったのだが、なかなかどうして、好演の部類に入る演技を見せてくれている。
キャラクターを選ぶ必要はあるかもしれないが、作品を選択しつつ映画出演も続けていって欲しいもの。

アーロン・コック
今思い出すのは、藤原紀香相手に妄想を繰り広げる場面のことのみ。
最後に172メートルもの高さでのバトルシーンを繰り広げたはずなのに、こちらのことは殆ど思い出すことはなく・・・・・
冷戦 シリーズ化される作品は、当初は作品それ自体の面白さで観客をひきつけるのだが、あるところまでいくと、スタイル=安心感となり、その安心感が作品の完成度の高さは抜きにして、観客を引き付けるものだ。
イーキン・チェンの出世作@古惑仔シリーズもシリーズものにあるスタイル=安心感はいいが、6作目ともなると設定がどうしても限られてしまい、遊びの感覚が薄れてしまっていたと思う。
(ロケ地をシンガポール、日本とすることで新しい感じを取り入れたい気持ちもわかるが、展開が読めてしまうので、面白さは半減である。)

同じ黒社会ものでも@古惑仔シリーズの設定にとらわれないこの作品。
期待していなかったせいが大きいのかもしれないが、かなり面白く観ることが出来た。
話の流れに無理がなく、キャラクター設定がしっかりしている。
一番の勝因は舞台を@九龍冰室にしたことと昔からの友人に@ラム・シューを配したことだろうが、貫禄のあるカレン・モクと新人のレイン・リーの女優陣二人も互いの持ち味が違うところを無理なく補っていて悪くないし、台湾系のボスを演じる@ホアン・ピンユアン(アレックス・トーとアレックス・フォンを足して2で割った雰囲気あり)、ジャッキー・ロイもそれぞれ見せ場がある。
きっちり固めた脇役に囲まれ、イーキンは@古惑仔シリーズで培ったかおりを感じさせればいいのだ。

蛇足1 子役のタム・ワイホウは可愛かったが、小芝居は必要なかったように思う。

蛇足2 カレン・モクが好きだと言う檸檬珈琲(アイスレモンコーヒー)はともかく、壜コーラをストローを飲む香港式が懐かしくなった。
拳神 CGがあまりにも綺麗に使われていることに驚く。
香港映画のSFというともっと泥臭いものだったはずなのに、これだけの香港映画スターが出演しているにも関わらずその泥臭さはどこにもない。かなり洗練されていることへの驚き、それがあまり違和感ないことにも感心する。
(少林サッカーと比べ)
同じCGを使っても目的が違えばここまで作品の質が違うものになることを目の当りにしたことも面白かった。
どちらがいいというものでもなく、かなり好みに左右されるものだろう。
そして王力宏(ワン・リーホン)の演技 期待していなかったせいもあるのだろうが、
まぁまぁなのに驚く。そしてスティーブン・フォンが一時期の汚い感じから普通に戻りつつあることに安心する。
ただ如何せん話が子ども向けだ。これだけの出演者を使って描く価値があるかどうかは不明。(そして爽やかな王力宏(ワン・リーホン)の歌声がこの映画の主題歌としてふさわしいかも不明だ)
少林サッカー 2002年6月1日 (土)新宿ミラノ座にて
1200席ほどの座席がほぼ満席。
饅頭屋の前で繰り広げられる群舞の馬鹿馬鹿しさに笑いが起こったのを手始めにどんどん笑いの渦が広がっていく。
あまりにもばかばかしいシュートの数々に惜しみない拍手がよせられる。
試写会でもなく、映画祭でもなくただの普通の上映なのに
エンドロールになった途端会場が拍手でつつまれた。
アンディ・ラウの主題歌が流れる間も観客は席を立とうとせず、幕が下りるときもう一度拍手が起こったのだ。
香港映画好きなことをちょっと誇らしく思った瞬間。映画よりも観客の拍手に感動したかもしれず・・・・

一つ残念だったのはブルース・リー似のGKがサングラスをかけた時、笑いが起こらなかったことだ。ブルース・リーを知っているならあそこは笑う場面なのだが、マニア以外にはブルース・リーも遠い者になってしまったのだろう。
ドリアン ドリアン 世の中で一番最初にあった職業は娼婦だという。
その言葉で形容するのが一番ぴったりくる前半の香港部分と、後半 一面雪景色の広がる、主人公イェンの故郷 牡丹江。

起きている間は仕事をするか、食事をするかのどちらかという、とても解りやすい毎日を送っている香港での場面と、手にした大金をどうしていいかわからない故郷での場面。どちらも言い訳がましくないのがいい。ドリアンでチンピラが殴打される以外はたいした出来事も起こらない香港での日々。手に入れたお金をどうしていいかわからない故郷での日々。同じ人間であるにも関わらず、居る場所、過ごす時間がちょっと違うだけで、ここまで一人の人間の印象が異なるものかと驚かされる。

イェンにドリアンをプレゼントするマク・ワイファンの自然な演技に心打たれる。
聖石傳説 日本語吹き替え版の上映が終了し、劇場内が明るくなると場内にはちょっとしたざわつきと苦笑の渦が広がった。
大半は@原口まさあきとさとう珠緒の吹き替えに関する感想と思われる。
擬音をつかった吹き替えがどうも全体の流れとあわなかった@原口まさあき。
本人も首をかしげながら吹き替えていたであろう光景が浮かぶ。
さとう珠緒の場合は彼女自身の問題というより彼女が吹き替えた@ルービンというお姫様
のキャラクターに問題があると思われる。
ルービンが石を手にしていることを不思議がる@素環真がそのことを尋ねると
「世の中にはお答えできないこともございます・・・」
そんな説明で終わりかとびっくりするが、父親のためにはどんなこともするルービンお姫様はひるまず、そして物語もそんな細かいことには特にスポットも当てずどんどん進んでいった。
おそらく台湾の人なら、何度も手を替え品を替えて演じられたこの物語には愛着があるのだろう。今更詳しい説明も要らぬ物語らしい。話はどんどんテンポよく進んでいく。
私も布袋戯(ブータイシ)のことを知っていればもっと楽しめただろうが、そんなことを知らずとも
人形が外で操られ、水、火という人形劇とは縁遠いものを使った演出は十分楽しめる。

さすがお茶の歴史がある台湾。
@素環真が工夫茶器でお茶を楽しむ場面が出てくるなど芸が細かい。

原口あきまさが吹き替えていた悪役は@ひーぜんるい。観終わったあとそれが@非善類だったことに気が付きさらに苦笑。
ふたつの時、ふたりの時間 孤独とはなんと滑稽なものなのだろう。そしてそんな滑稽な毎日が続いていく日常。
しかし孤独を感じる毎日だからこそ、孤独な時間があるからこそ、交わる時間も生まれてくる。一度だけの出会いが、偶然の出会いが積み重なって出来上がる日常。あるものは交わりあるものは離れたままの毎日。
孤独であることを悲しむ必要はないと思わせる映画。
無問題2(モウマンタイ) 前作 無問題よりはかなり面白い。がまぁ比べるレベルがレベルなのでなんとも言えないが。
「出来がどうこう」といったタイプの映画ではない。まぁ2時間 苦笑して、時間も潰せたし、
いいかといった映画ではある。
作り手もそういう映画と思って作っているはずなので、映画の質にあった楽しみ方のはず。

岡村隆史とユンピョウのシーンはなかなかである。岡村がかなり個人的に楽しんでいる感じもするが、そこそこ楽しめる。
エンディングに流れる岡村とサム・リーのラップも違和感はない。
ただキャンディ・ローがどうしてこの映画の出演を承諾したのかは最後まで謎。
無問題(モウマンタイ)という広東語を世の中に広めた功績は称えてもいいかもしれず。
ダブルタップ 一度人に発砲したことで、人を殺す快感を覚えてしまった男性をレスリーが演じている。
彼自身はかなり好演といえるかも。
彼特有のナルシストぶりも今回は影を潜め、狂気と狂喜の間を彷徨う感じはかなり出ていた。
ただ一発の銃声が彼を奈落の底に突き落とす感じがとてもあっさり描かれており、あれいつのまに狂気の世界に足を踏み入れたんだろう。という感じがどうしても最後までぬぐえなかった。
間違って人を殺めてしまった。場面が変わって何年後 彼は人を殺すことに快感を覚えていました。
そんな風にあっさりした語り口のため、いくらレスリーが好演しても、どうしても話にのめりこむことができなかった。
共演のアレックス・フォン レスリーよりかなり若いはずなのに、身体もかなり鍛えているはずなのに、レスリーより老けて見えるのは何故か。そして彼自身も好演していたはずなのに、そんな感想しか思い浮かばないとは、レスリーの存在感恐るべしである。
レイン タイ映画、監督しているのはオキサイド&ダニー・ハン兄弟だということしか知らず
観た作品だったのだが、この映画を選択してよかった。
話はいたってシンプルである。運命のラストも最初からわかっている。
でも切ないのだ。殺し屋が仕事で見せる冷静さと、少女の前で見せる純粋さ。
音のない孤独ではあるが、緊張感のある世界が、少女の出現で少しだけもどかしいものに
なっていく様、少しだけ幸せを感じるようになる生活が、殺し屋という自分自身の生業のせいでだんだんと壊れている様が本当に上手く描かれていると思う。
特にオレンジがかった映像が古臭くも新しく感じられる不思議さ。


香港映画好きには見逃せないポイントが二つ

殺し屋が香港で仕事を請け負う場面 地下鉄内での暗殺シーン
自分でも何度も乗り、また映画の中でも何度も目にした地下鉄。
香港映画人はあのシーンをどのように見たのだろうか?
主人公の技量を示す大事なシーンだが、主人公の技量だけでなく、監督の映像へのこだわりも見ることが出来る新鮮なシーンだった。
(地下鉄で発生した初めての殺人事件として、香港芸能好きには有名な@りんご新聞に
記事が掲載される場面まで出てくる 芸の細かさよ)

友人の敵討ちのため、敵が宴会を行っている料亭にたった一人、二丁拳銃で乗り込んでいく。
ストップモーションのなかで撃たれる無数の弾丸。香港映画好きなら誰もが知っている。
@男たちの挽歌の中でチョウ・ユンファが演じたあのシーンが繰り広げられるのだ。
ニーディング・ユー キャッチフレーズ
ねぇ、神様 彼が私の特効薬 胸キュン?!

この恥ずかしいキャッチフレーズからも想像できるように、
なんの心配をすることなく画面の楽しさに身をゆだねることが出来る映画。
そんな映画を観ることがどんなにほっとするひと時であることか・・・・
これこそ真の@癒し系映画といってもいいかもしれず。
女性雑誌では@香港版ブリジット・ジョーンズの日記などと紹介されていたようだが、
ブリジットよりもっと純粋で単純な女性が主人公であるため、もっと暢気に鑑賞することができる。
アンディ・ラウの売上総てのサラリーマン姿、サミー・チェンの
仕事は出来るけれど、ちょっと情緒不安定なOL姿もありそうでなさそうで・・・・
そのあたりのバランス感覚も絶妙。

おまけ
トイレ掃除はやっぱり自分できちんとやりましょう!いいことが起こるかもしれず。
バレット・オブ・ラブ キャッチフレーズ

たった一度でいい、私を愛してほしかった。
時は二つの恋を刻み、悲しい銃声と共に止まった。

この映画、瀬戸朝香演じる女性の愛するが故の苦しみが観客に伝わるか否かに
総てがかかってくる映画であるが、残念ながら脚本そのものにそこまでの力がなかったようだ。
瀬戸朝香はかなり頑張っていると思う。
(キチンと厚みのある身体で それなりの存在感を持ちつつ演技している)
レオン・ライも監督の要望にこたえつつ、淡々と演技しているようだ。
が脚本が・・・・・・・

おまけ
映画鑑賞後はランタオ島を訪れたくなってくる。そしてリプトンのティーバックで入れた紅茶も
飲みたくなってくる。
ラッシュ・アワー2 J・チェンの映画は本当にチケット代分だけきっちり楽しませてくれる。
が感想といわれるとちょっと困るのだ。
楽しい瞬間を演出してくれはするのだが、残念ながらその楽しさは瞬発的で、なかなか
持続しない。「おもしろかった!」その一言につきる。それ以外の何物でもない。
でもそんなシンプルな感想でいいんじゃないかなと思う。
これだけの高品質で、毎回90分の楽しさを演出くれる技量には本当に
敬意を表したい。

ジャッキー以外の見所というと、ジョン・ローンの老体(?)チャン・ツィイーの
アメリカナイズされた濃いメイクと開脚180度などちょっと小粒な感じは否めない。
香港映画好きとしては船上パーティで演奏される歌が@甜蜜蜜だったのに
ちょっと笑みがこぼれた。
ザ・ミッション 非情の掟 今の世の中、自分の欲望の赴くままに行動する人々で溢れかえっているはずだ。
(恥ずかしながら私もその一人かもしれず)
そんな世の中で、勝手気まま間に生きているようでいながら、心の片隅に、従うべきルールを
持っている男5人。
自分の世界をキチンと持っている男5人のキャラクターがはっきりしているので、
観ていて安心だし、清清しささえ感じられる。
(心の清清しさは見た目とはなんの関係もないことがよく解る。)
そしてあの一度聞いたら忘れることのないテーマ音楽。

従うべきルールがどうやら掟ということらしいのだが、
それを日本語で掟といってしまうと、途端に陳腐な感じを醸し出す。
これはこの日本語がすでに生きた言葉でないからなのか、それとも自分の中に
掟がないからそう感じるのか?
キス・オブ・ザ・ドラゴン パリを訪れる異邦人を主人公にしたサスペンスで思い出すのは、
ロマン・ポランスキー監督ハリソン・フォード主演の@フランティックだ。
英語も通じず、土地感のない地での妻探し。
見知らぬ地での不安が雪だるま式に大きくなっていくさまが、ストーリーに緊迫感を与えていてた。
パリを訪れる中国人捜査官とアメリカ女性という設定から、これはもしやジェット・リー版
フランティックが観られるのではと思ったのだが・・・・・

話の展開は早い。あっという間に本題に入る。ワイヤーも使わないアクションも早い。
スピーディな展開はいいのだが、
でも何故中国人同士で会話を交わすのに、英語なのか。何故フランス人同士で話すのに英語なのか。
国際語英語の重要性はよく解ったが、異国の地での不安感は微塵もない。
(唯一異国の地での不安を感じさせる場面はジェット・リーがメトロを使い逃げる場面だった。
乗客全員が追っ手に見える不安さ。
この辺りをもっと突っ込んで描いていたなら、もう少し深みもでたのではないかと思う。)
またいわゆるラブシーンというものはないので、かなり物足りなさも感じるが、
まぁ東洋人の奥ゆかしさということでこの辺りは許容範囲だろう。
そして、もし という言葉はなしだろうが、もしもう少し身長が・・・と何度も思わせるアングルが出てくる。
何も引いて全部を見せることはない。アップにしてもいいのだし、もう少し気を使ってあげてもいいのではとちょっと残念だった。

おまけ
首が人の弱点というのがよく解る。首は大事にしないと・・・
恋戦。沖縄 フェイ・ウォン、レスリー・チャン、レオン・カーファィ
そうそうたるメンバーがそろっているにもかかわらず、まぁなんというか
ノンビリしているというか、脱力しているというか・・・・・・
沖縄らしい青い空や海が満喫できる映像があればまだ良かったのかも
しれないが、それにも恵まれず、かなり泣きっ面に蜂といった感じになっている。
唯一の見所といったら天下のレスリーをイチコロにしたフェイ・ウォンの魔性の女ぶりだけか?
しかしそのフェイサイドから見ても挿入曲として流れる@新房客はかなりミスマッチ感が
あるのでは?
どうせなら日本だけでも@ウソコイの主題歌を流したほうがいいのではというくらい、映画の
雰囲気から浮いていたと思う。
ドリフト ハリウッドへいってすっかりくたびれきってしまったツイ・ハークが
香港へ帰ってきて生き返り、喜び勇んで作った作品。
@男たちの挽歌シリーズで香港映画好きになった私にとっては、原点ともいえる
男の友情が懐かしく感じられ、ストーリー展開のスピーディさもワクワクさせられるものでした。
ウー・バイの渋い男らしさは演技でなく地なのでしょうが、それをうまくストーリーに絡め、
対するニコラスの若さ故の律儀さと絡めながら過剰な説明なく次々と流していく様は
やはりさすが。
そして特筆すべきはシンガーソングライターの@キャンディ・ローの演技でしょう。
出産アクションシーンという素晴らしいものを見せられたときにはもう唖然。
まさしく出産はドラマだと深く頷いてしまいました。
アクションはアイディアだというのを力技で見せられたような気がします。
これがツイ・ハークのハリウッドに対する答えだと思っていいのでしょうか?


蛇足

@日本人としてちょっとうれしいのはアクション健ちゃんこと谷垣さんが台詞ありで
出演していること。
がパンフレットではそのことに一言も触れておらず、残念なかぎり。

@頭に少しだけ写るニコラスの部屋のシーン
入り口に沢山の黒の傘が吊るしてあるのにびっくり・・・
一体何本かけてあるのだろうと数えようとしたのですが、あっという間の出来事なので
残念ながらできませんでした。
天上の恋人 映画を観て理解するということについてちょっと考えさせられる映画でした。
観終わったあとのなんともいえない感じをどう表したらいいのでしょう。
監督が表現者としてやろうとしていることは悪いないはず。赤を基調した画面からは、
けだるい日常、かみ合わない心、焦燥感なども感じられる。説明は確かに少なく
解りずらいが、非難するほど一人よがりの画像が続くわけでもないし。
だけれどもこの後味の悪さはなんなんだろう。うーん説明不能。
呼吸の間合いがあわない感じとでもいったらいいのだろうか?

レオン・カーファイがひもの男をいやらしく演じていて、これがかなり上手い。
若い女を部屋に連れ込んだことがばれても特に悪びれた風でもなく、カップラーメンをすする
後姿は蹴飛ばしたくなるほど嫌な男だが、女好きのどうしようもない奴という嫌らしい雰囲気が
プンプン匂ってくる。この嫌な男の感じが映画の描く香港のくたびれた感じとあいまって、
なんとも言えないのだが、そこに心地よさはひとかけらもない。
それがこの映画の後味の悪さを説明しているかも・・・・
ふたりの人魚 宇宙から見た地球はとても蒼く水で包まれた球体で、水から生命が生まれたことを思い出させて
くれると聞いたことがあります。
この映画の原題になっている@蘇州河。
けっして海のようにすんだ色はしていないのですが、その岸辺で流れる4人の日常に欠かせない
水として圧倒的な存在感で迫ってきます。
主な登場人物が4人というシンプルな佇まいを見せながらも、ミステリアスな雰囲気を残す
不思議な世界が繰り広げられてかなり魅了されます。
夢か現実かわからないストーリーを結びつけるものも水槽の水であり、にごった河の水。
そこには生命の誕生を司った水ではなく、人の行く末を見守る水の姿がありました。

邦題 原題もいいのですが、日本人にはわかりにくいですから、@ふたりの人魚に
して正解だったと思います。
ファイターズ・ブルース 常盤貴子 @香港映画主演第2作そしてアンディ・ラウ@映画出演100作目。
アンディの相手役が日本人である必要性は特にないストーリー展開ですが、
常盤貴子は前作と違い、等身大のアンディを見つめながらの演技で
そのあたりは誉めてあげていいのではと思います。
(前回はじめての映画出演は、共演者のレスリーを必要以上に王子様と思いすぎたのか
かなりのオーバーリアクションが目にあまりましたから・・・)
香港映画ファン(特に女性ファン)からは厳しい目を向けられている彼女ではありますが、
私はかなり擁護派です。出来はどうであれ、現場での機敏な対応が求められる香港映画
に果敢にも挑戦する勇気はやはり見上げたものだと思うのです。
ただ一つ気になるのは彼女のファッションセンス。
ドラマでもそうですが、彼女のファッションは絶対参考にならないですね。(笑)
スタイリストさんもついて彼女のバックグラウンドに合わせて色々やっているはずなのに、
何となくそのあたりにあるTシャツとスカートを着てみた。暑いので頭にスカーフ巻いちゃった。
という感じにしか見えないのは何故なんでしょう?
それが狙いだったらいいのですが、それにしてももう少しなんとかしてもいいような気がします。

話の展開に目新しさはないですが、ムエタイをスパイスに語られる親子の愛情にはやはり
ちょっとほろっとさせられました。
アンディ・ラウは年齢を重ね精神的に落ち着いてきたのでしょうか?
以前のような空回りする感じもなくなり、とてもいい感じになってきました。
これからも綺麗に年を重ねていって欲しいと切に願います。
花様年華 お互いの伴侶が不倫関係にあることを知った男女。
最初は配偶者の不倫関係が、共有する秘密だったはずなのに、
いつしか自分たち自身の気持ち自体が、共有する秘密となっていく・・・・
秘密を共有するということはお互いの連帯感をはからずも深めるものです。
ましてやその秘密によってお互いが受けた傷を一番わかりあえるのが自分たち
だけだとしたらなおさらでしょう。
秘密を心に秘めたまま生きていくことが、艶やかな感じで描かれていて、直情的な愛情より
もっと深いものを感じることができました。
秘密をアンコールワットの石に埋める男と、秘密の結晶ともいえる子供を1人で育てていく女。
秘密を封印する男と自分の秘密と向き合って生きていく女。

同じ秘密をもっていても、男と女ではこんなにも違う行動をとるものなのですね。
東京攻略 香港で旧正月に公開される映画は全てハッピーエンドという結末が約束されている
ものです。この映画も旧正月映画の王道をいったものですから、楽しくみられれば
それでよしでしょう!(アクションシーンも踊るような感じで生々しくなく、映画の雰囲気に
あっていました)
香港の人向けの東京観光映画でありますが、面白いなとおもったのは終盤、日本橋近辺を
舞台に繰り広げられるアクションシーン。
東京の地理をなにも知らずに映画をみたら、東京の街中には至る所に水路(河)があるような
イメージをもつのではないでしょうか?
香港の街中に河らしきものはありませんから、河を利用したアクションシーンも
日本を舞台にすればこそ、といったところだったのでしょう。
レジェンドオブヒーロー 裏切り、復讐、生き別れ、三角関係、と人間関係のどろどろしたところが次々にでてくるにも
かかわらず追及されることなくさらっとながれ、そしてどんどん次のエピソードに流れていくため、
かなり消化不良。

自由の女神に特に思い入れのない東洋人らしく、思い切りよく自由の女神を使った
クライマックスのアクションシーンは必見でしょう。

(自由の女神が観音菩薩像に見えたのは私だけでしょうか?)
わすれな草 この映画の主題歌@時の流れに身をまかせは私の大好きな歌でした。
カラオケにいくたび歌う私を見かねた友人からは、
「こんな歌、歌っていると不幸になるよ!幸せをつかめないよ」
と忠告を受けました。
忠告に従わず歌い続けた私は、やはり幸せをつかむことが出来なかったのですが、
そんな悲しい思い出さえ、覚えていることさえできたら、いつか楽しい思い出変わる
日がくるかもしれない。
「一番悲しいのは忘れられた女」
先日観ていたドラマの中で語られたせりふなのですが、
上手いこというなと思い、感心しました。
忘れることの悲しさ、忘れられることのつらさ、忘れることを恐れない若さ。
若いニコラス・ツェーを観ながらそんな忘れるについて、いろいろ考えてしまいました。
ユーミンではありませんが、「憎んでても、覚えていて欲しい」
そんな風に思うからいつまでも幸せをつかめないのかも・・・・・
ヤンヤン 夏の想い出 全てについてやさしいのです。
現実は勿論厳しく、みなの上にのしかかってくるのですが、
エドワード・ヤンはそれについて特に批判がましい目線でかたることなく、
ただただやさしいまなざしを送り続けているので、2時間53分という
上映時間もけっして長くなく心地よくすごすことができます。
ヤンヤン役のジョナサン・チャンが@カリスマ子役(勝手にそう呼ばせてもらいます)が
名前に恥じることなく素晴らしい演技を披露していて涙がでます。

部屋には鉄腕アトムの人形、そしてピカチューキャラクターのリックを背負いながらも
人生の機微を無意識の内に家族のなかで一番わかっているヤンヤン・・・
大人から見ると一見ばかばかしいことでも彼なりのきちんとした価値観のもとで
行われているのを見ると、周りに流される自分の弱さを恥ずかしく思ってしまいます。

蛇足
英語を話すイッセイ・尾形を見ながら、人とコミュニケーションを取るということに
ついて考えさせられました。
流暢でなくても、単語が高度なものでなくても、通ずるものがあれば会話には
困らないのですね。
ただ言葉がすらすら口をついて出ても、通ずるものがなければなんの意味も
なさないのですから・・・
初恋のきた道 題名そのままのシンプルなストーリーがしみじみと心に響いてきて心洗われる作品。
40年前の中国の田舎村が舞台ですから、村初めての自由恋愛と
いっても特に逢引き場面があるわけでもなく、ただ食事を作り、相手が通るのを待ち伏せし、
と現代に置き換えたらまるで子供でもしない、駆け引きのないストレートな恋心満載の
つたない恋物語が綴られているだけ。
しかしそれでも涙を誘われるのは、結局のところ、どんなに飾ってもそれが全てという
ことなのでしょう。
待ち伏せするだけで1日の半分が過ぎていくような
時間のゆったりとした流れは、現代では望むことも出来ない贅沢な時間の過ごし方ですよね。

チャン・ツィイーがみせる桃色、赤の上着の美しさ!
厳しい自然環境の中での一服の清涼剤です。
そして現代の家のなかには何故かあの@タイタニックのポスターが・・・
タイタニックのポスター以外は40年の時間の流れを感じさせるものが殆どないのも
印象的でした。
流星 やはりレスリー・チャンが相手役に子役を持ってきたことを
抜いてはこの映画については語れないでしょう。
相手役に子役をもってきたことで、彼の演技の幅が広がるわけではありませんが、
(けっして失礼でいっているのではなく、彼の場合、自分が主導権を取れる映画の
場合はどこまでいってもレスリーですし、彼もそれを望んで演じているはずですから・・・)
ストーリーに幅を持たせ、演じる役柄を広げていくことは必要ですから・・・・
子役もかわいい感じより芸達者な子をもってきたのは成功といえるでしょう。
硝子のジェネレーション 生意気な二世タレントから香港ロック界を代表する歌手に
なりつつあるであろう謝霆鋒(ニコラス・ツェー)の映画
デビュー作品。
最近は影を潜めていると思われていた@アイドル映画の王道
を行く作品であるにもかかわらず、なかなか見ごたえのある
作品になっているのは、彼のアイドル性もさることながら、
周りをささえるベテランの力あってこそ。
古惑仔の派生映画は本当に沢山ありますが、
全くのアイドル映画としてみてもなかなかの楽しさです。
ただ、細かいことかもしれませんが
12年ほど前に@DKNYブランドがあったのか(お嬢様役の
リリアン・ホーが着用)ナイキがあのマークのついたTシャツを
創っていたのかちょっと疑問です。(笑)
ファッションは全然10年前という時代を感じさせないのでした。
ホールド・ユー・タイト 前作でカミングアウトした(自分がゲイであることを公表した)
スタンリー・クァンの監督作品ですが、
かなり変わった雰囲気をもった作品に仕上がっています。
変わったといっても決して居心地が悪い感じはしないのですが、
見る前に、監督そして俳優のバックグラウンドをある程度わかっていることが
必要な気がしました。
映画として画面に現れない部分が随分観念的にクローズアップされ、
それが映画になんともいえない余韻を感じさせているのです。
台湾からやってきた青年がある一人の香港男性に興味を持ち、
男性に近づきたい気持ちとは裏腹に、男性の妻と付き合うのですが・・・
私の洞察力はまだまだなのか、どうしても好きな女性の夫がどんな
人間なのか知りたくて、夫にも近づいていく・・・といった
ストーリーにしか思えなかったのです。
初監督作品の@地下情も香港映画らしからぬ、けだるい感じでしたが、
この映画はさらに、けだるい感じ(決して厭味なけだるさではないですが)
で香港の熱気より、心の中のそして決して外に出ることのない熱気を
静かに感じさせる映画です。
リトル・チュン 香港のちょっと生意気な小学生と中国本土から
やってきた女の子の微笑ましくもたくましい日常。
子供が主役ですから、、物理的には狭い香港のさらに狭い
地域での話なのですが、そんな狭いなかにも、真実、現実が
沢山あり、そしてそんな毎日こそが、現実であり、真実なんだなーと
しみじみ感心してしまいました。
たしかに子供の目からの日常ですから、
甘い描写もあるのですが、そこは子供が主役。やさしい気持ちで
観てあげたいと思います。
観光向けの場面はひとつもないのですが、確かにモンコックはあんな
感じの街でした。そういう意味では正しい観光情報源に
なっているかもしれませんね。
あの子をさがして 平たくいってしまえば、代用教員の女の子が
生徒を一人でも減らしたら、お金がもらえないからと
まかされた授業を放り出して街に子供を捜しにいくという
本末転倒の物語であるにもかかわらず、最後に感動してしまうのは何故(笑)
現実の世界がそれだけ、本末転倒から成り立っているからなのでしょうか?
女の子の愚直さがやけにかなしく、そしておかしくもあり、
まだまだ貧しい中国農村の現実を、
子供たちに演じさせることによって生生しくさせない演出は
よかったのではないでしょうか?
暗戦(デッド・エンド) 劉コ華(アンディ・ラウ)が共演の劉青雲(ラウ・チンワン)
の熱い個性に負けない熱演を見せているのに本当にびっくり。
香港映画好きの間では劉青雲(ラウ・チンワン)イコール熱い
というのは有名な話ですが、そのラウ・チンワンにも負けていないのですから、
香港四天王の面目躍如といったところでしょう。
年齢も30歳半ばを超え、本人にも期するところはあったのでしょう。
香港ノワール映画の約束とも言える、敵同士の友情を盛り込みながら
(そしてアンディ映画にお約束の血糊もふんだんにみせながら、)
滅びる男の美学を語らせたら、右にでるものなしのアンディの真骨頂ここにあり。
ちょっと誉めすぎとも思えるコメントになってしまったのですが、
テンポよく見れる演出もなかなかだし、かなりお薦めです。
喜 劇 王 チャウ・シンチーのちょっと泣かせるコメディーですが・・・
シンチーより相手役の新人セシリア・チャンがやはり印象に残ります
黙っていると井森美幸ですが、あのダミ声!!
今は若くて目新しいから喜ばれるかもしれませんが、
これから一体どういう風に演技の幅を広げていくのか・・・・
余談
私の隣に座った女性2人!!
かなりのりがよい2人で予告編の@欲望の翼@上海グランドから
盛り上がっていました。
レスリー迷のようでしたが2人のおかげで楽しく観ることができました。
現実の続き夢の終わり いい題名ですね。題名が一番いいかもしれないです。
@jamの監督チェン・イーウェンの作品ということで観にいったのですが・・・
水野美紀は好演してます。主役のはずなのに出演シーンが少ない
ように感じてしまうストーリー展開なのですが、
アクションシーンも淡々と演じていてこびてないところがいいです。
台湾マフィアの抗争を外郭に水野美紀の復讐を浮かび上がらせて
という構想だったのでしょうが、やや中途半端感が・・・・
面白くないわけではないんだけれど、じゃ面白いのかといわれると
言葉に詰まる感じで・・・。
音楽がほとんど入っていない銃撃シーンが妙な現実感でそれなりに面白かったです。

水野美紀ちゃんは
台湾映画ということにあまり思い入れもなく

淡々と演じているところが返って映画のトーンに
あっているかもしれないですね。
逆三角形の体型もアクションにはあっているでしょう。
でも手放しでお勧めはできないのが、つらいところ・・・
私は柏原君が出演する必要はなかったと思うんですね。
台湾公開も考えたら仕方のないことなんでしょうが・・・
あの役にはもっといかがわしい感じが必要ですよ!!!

花火降る夏 フルーツ・チャン監督作2作目ですが、
私はかなり興味深く観ることができました。
香港という街に興味をもったりした人なら、
なにかしら感じるところがあるはず。
これを観て香港の街に興味が湧くというより、香港の魅力を
何か感じている人には興味深い映画というところでしょうか。
ガラスの城 やっと観れた字幕付き・・・
不倫関係を続けながらも、何故ラファェルは結婚指輪をはずさないで
いたのか?
それは彼がそれだけ2人の関係に真剣だったからだろうか?
自分の立場をわかった上で、不倫関係を続けて付き合っていくことの辛さ。
少なくとも二人であっている時に、指輪をはずしてごまかすよりは
何倍も誠実であろう。

追憶の上海 上海が舞台であるにもかかわらず
台詞の80パーセント以上が英語なのに
どうしても違和感を感じてしまいます。
まぁ狂言回しの方がアメリカ人ですし、あの当時の上海は
私たちの想像する以上に国際都市だったのでしょうが・・・
英語で語られる彼らの愛をロマンティックとみるか、嘘っぽいと見るか
意見の分かれるところでしょう。
彼らの悲恋を雨で強調している演出が多用されていますが、
あのレスリーの髪が気になってそれどころではありませんでした。
無問題 言わずと知れたあの@ナイナイの岡村の最初でそして最後の香港映画
主演作。(もう決してないでしょう)
はちゃめちゃな映画を想像していたのですが、まぁ恋愛映画だったので
かなりびっくりしました。
岡村くんの演技、上手い下手はともかく、わざとらしさが鼻につかなかった
だけでも及第点でしょう。
そしてびっくりしたのが佐藤康恵ちゃんの演技。
あの年代の女の子のわがままさ加減をよくだしていました。
香港映画迷としてはン・ジャンユーのチンピラぶりもうれしいおまけでした。
君のいた永遠 主演の3人 金城くん、ジジリョン、カレンモクの三人がいいです。
   特にジジリョンがかわいい(必見です。)
3人の出演場面は観ていて気恥ずかしくなるような大甘の映画ですが
それに徹底したほうがよかったのでは思います。
現在の場面を入れることにより、より青春の美しさを際立たせようとする
意図はわかるのですが、それにしても現在の場面が多すぎです。
中途半端はよくないです。
オレンジ色の照明は美しく、繰り返される@哀愁のヨーロッパ(サンタナ)
のギターは泣かせます・・・
哀愁のヨーロッパが流行っていたのをリアルタイムで知っている私にとっては
それだけで懐かしさいっぱいになってしまいました。
スパイシーラブスープ お金も大事だけれどアイディアの方がもっと大事
というあたりまえのことを思い出させてくれました。
オムニバス形式も散漫にならず、そして決してハッピーエンドでは
ないのに、@人生って捨てたもんじゃない
と元気がでます。
ロックレコード所属の歌手の歌がふんだんに挿入歌として使われていて
びっくりするほど(?)おしゃれな北京の街を彩っています。
私は老婦人が再婚相手を探すエピソードがかなり掘り出しものだと
思います。マージャンのエピソードといい、4人で手をつなぎながら階段を
降りる場面ではバックの音楽も相まって熱い気持ちになりました。
中国映画というと文芸大作をどうしても連想しがちですが
アイディア次第でこんな爽やかな映画が出来るんですね。
Who AM I? 成龍の映画は本当にエンターティメントに徹しているので
観ていて本当に楽しいです。
言葉にとらわれないアクションであれだけのものを
作り出すのですから、どんなに厳しい練習を自分に課しているか
そんなことを微塵も感じさせない楽しさに溢れ・・・
難しい理屈は必要ない映画は本当にすっきりします。
必見なのはこの映画の中で一言も広東語を話していないこと
(私のチェックだけなのではっきり断言することはできませんが)
@ラッシュアワーでの英語のせりふに随分注目が集まっていましたが
その前に撮影されていたこの作品でも9割は英語を使っている様子。
彼の場合は人とコミュニケーションを取るということに
天性の才能があるようでアフリカの現地の人たちとのコミュニケーションも
楽しいショーのようになっています。
エミールチョウと一緒に歌っている主題歌も遊び心溢れた耳に残る旋律です。
作品名 ポイント
孔    雀 クリストファードイルのカメラワークが楽しみです
鑑賞後  うーん
ドイルの夢の中に入り本当の夢の中へも入ってしまいましたが
見終わった後は青い色って落ち着くなと思っていたのですから
彼の思う壺というところでしょうか
おまけ
渋谷で映画を見た帰りにポケビのゲリラライブに遭遇
千秋ちゃんの衣装もブルーだったのにはびっくりでした。
スパイシー
ラブスープ
オムニバスムービーとのこと
カレンモクやターシースーそしてあのサンディラムが
楽曲を提供とのことですがそれも私にとってはとても楽しみです
@運動靴と赤い金魚を見たときに予告編を見ることができました。
予告編でも音楽のことポイントに宣伝していたようです。
サントラ盤がロックレコードから出ているようですから、ロック所属の
歌手の歌がふんだんに使われているのでしょうね。
Hole ゴキブリ病とはなんぞや?・・
2000年になる記念にぜひ見てみたいです
こちらも@運動靴と赤い金魚の前に予告編を見ることができました。
ヤン・クイメイがスパンコールのワンピース姿でかわいらしく歌っていました。
鑑賞後
ずーっと雨が降っているんですね・・・・・
聞いてはいたけど徹底的に降っているんだからもうやりすぎですよ
外も中もどこもかしこも水浸しだし・・・・・・
唐突なミュージカルシーンにはびっくりですが、ずっと雨が降っていておまけにゴキブリ病
ですからね〜もうなにがあってもびっくりしないです。
3曲目は@月夜の願いでカリーナが赤いスポーツカーで登場するとき使われていた曲
なのでうれしかったです。
ヒーローネバーダイ この感動は王子のページへ

作品名 ポイント
ラブゴーゴー まだビデオ化されてはいませんが、ビデオ化されたら、見返したい作品です
チャーミングってこういうことだ。たくましいってこういうことだ。と実感させてくれる
リャオ・ホェイチェン(金馬奨助演女優賞受賞)
動物園の場面はもちろん屋上で髪を切ってもらう場面が秀逸。あのエピソードは
映像で見てこそ 大きなケーキ、そして屋上の開放感が失った思いを余計に思い起こさせる
切ない場面です 主人公が次々作り出す新作ケーキのネーミングも泣かせます
ラッシュアワー 満を持して再度ハリウッドに殴り込みか?  ジャッキーチェン
フィフスエレメントのマシンガントーク再び クリスタッカー
ジャッキーの持ち味がフルに生かされているかは彼本人も疑問にしているところでしょうが
映画自体はお金を出しても元は取れる面白さです。
ボクらはいつも恋してる あの名作@君さえいればの続編なのに。でも一体どこで間違えてしまったのか?
テレサリーと小春のエピソードは中々だが、それはあの続編の中でなくてもよかったはず
映画とは直接関係ないが私の隣に座ったレスリー迷の女性が主題歌の@有心人をレスリーといっしょに
合唱(注 鼻歌にあらず)愛は感じられたけれど映画の内容はさらに頭の中から消え去ってしまった。
君をみつけた25時 トニーレオンさんがビビアンスーと競演しています。
ビビアン効果もあって公開されたと思われますが、話の内容はたわいもないもの。
でも香港迷にはみどころがたくさん。
肩のこらない香港の今がわかる軽いコメディを字幕付で見る機会はありそうでないもの。
そういう意味では一見の価値あり。
香港での日本ブームも興味をそそります。
もういちど逢いたくて 連ドラを蹴って出演 常盤貴子
若さの秘密はコラーゲンか?レスリーチャン
常盤貴子レスリー迷ということを知らなくてもすぐわかります。
綺麗なのはわかりますが、常盤ちゃんのアップが多用されすぎのかんあり。
日本のTVドラマの影響でしょうか?折角の映画なのですから、もっとひいたアングルがあっても
よかったのでは?
彼女には立ち姿が美しい女優をめざし欲しいし、映画にでるならそうであって欲しいです
メイドインホンコン 主演のサムリーが町でスカウトされたのは有名ですが、そんな彼のサクセスストーリーとは別に
映画自体のカラーはとても息苦しいものです。古いフィルムを使用した怪我の功名による
青の色調は一見の価値ありですが、香港のむっとするような熱気がねっとりとまとわりつき
見ていてほんとうに息苦しくなってきます。一番広く息が抜ける場所が墓地とは・・・


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