2006年10月12日から15日 二泊三日の釜山映画祭の旅

天気が良くてよかった ・・・秋の釜山を堪能する


釜山1日目

二泊三日の短い旅。釜山映画祭の会場前。

釜山2日目

映画祭のTicketはこんな風に買えるTicketの番号が貼り出されている。窓口で番号をいえばTicketを買えるシステム。


釜山3日目

チャガルチ市場。魚のにおいと、沢山のおばさん達に圧倒される。一山5000wonの物多し。

映画 秋へ

2006年第11回釜山映画祭のオープニング作品はユ・ジテとキム・ジス主演の@カウルロ(秋へ)だった。
釜山へ行ってからのチケット購入だったので、舞台挨拶つきの回ではなかったが、開幕式の翌日に鑑賞することが出来た。

*****
「待ってるから」と職場の前で待つという彼女に、待たれると気になるからと無理やり「冷房の効いた涼しいデパートのカフェで待っていて。
遅くとも6時までには行くよ」と彼女を送り出す彼。
彼は結局6時までにデパートへ行くことは出来ず、そしてデパートは6時前にまるで嘘のように崩れ落ち、沢山の人の命を奪ってしまうのだ。
こんな風に10年前のデパート崩壊事故で、結婚を目前に彼女をあっけなく失ってしまう検察官ヒョヌ。

10年後、忙しい仕事から急に外され休暇を取ることを半ば強制されたヒョヌは、彼女が残した10年前の旅日記に従って秋の山や秋の海を旅していくのだが
、行く先々で必ず一人の若い女性と出会う。
「昨日夕食を食べた店でも一緒でしたよね?今朝も朝日を見ようとした時を見かけたのですが、気が付きませんでしたか?」彼女が話かけても何の反応
も示そうとしないヒョヌ。確かに10年は経ったけれど、どこか10年前の心のままでいる検察官ヒョヌと「夏には必ず具合が悪くなって・・・秋にこ
んな風に旅行をするんです。ここを旅するも初めてではありません」そんな風に少しずつ自分の話を始めるオム・ジウォン演じる若い女性。

10年前の暖かい思い出と秋の現在。二つの時間が交互に行き来するものの、デパートの崩壊場面以外はわりと静かな場面が続いていく。
画面もそうだが、時間経過もせわしなくない。
若い女性の過ごしてきた時間と検察官ヒョヌの過ごして来た時間が静かに語られる映画だ。

黄色の街路樹は美しく、秋の海も穏やかで美しく静かな映画ではあるが、そこにたどり着くまでの10年間、感じ続けた喪失感や罪悪感を考えると
辛い映画でもある。
ただその喪失感や罪悪感はどこまでも美しい秋の景色に包まれているので、物足りなく思う人もいると思う。
私はこんな風なオーソドックスな造りも好きなので、かなり楽しく見る。

亡くなる婚約者を演じるキム・ジスは、前半でなくなってしまうにも関わらず、物語全体を引っ張っていく役柄のせいもあり、かなり印象的。

***
原題 ??? 「秋へ」としたが「秋路」の方がいいのだろうか?それともどちらにもかけているのか?秋への方が雰囲気が出るような気がしたので
「秋へ」としてみる。

海岸での舞台挨拶


釜山映画祭は海辺の町で開かれる映画祭らしく、海岸に特設会場が設置され、そこでゲストのトークなどを聞くことが出来る。
お客さんはそれこそ砂浜に腰をかけてそんなゲストの話を聞くことが出来るのだ。
映画の上映と一緒の舞台挨拶は見ることが出来なかったが、そんな特設会場で夕方の5時半から30分の予定で行われた主演の三人と監督の挨拶を見る
ことが出来た。(以下私のいい加減な超訳。多分こんな感じの話しだったと思う・・・)

「脚本を貰って読んだ時、良い映画になると思いました。」そんな風に言っていた白いフリルのブラウス姿のキム・ジスは、三人の中で一番声援も
大きかった。
笑顔のキム・ジスに比べ、黒い(いや紺?)ワンピース姿のオム・ジウォンは、化粧こそ濃い目だったが、とても緊張した様子だった。開幕式の上映の
際、涙ぐんでいたことを指摘された彼女は、その場でもやはり涙ぐむ。
そんな姿を見たユ・ジテが「何故彼女が涙ぐむかはスタッフが知っています」と言っていたが、かなり撮影中は苦しかったのだろう。
(それは映画を見れば良く分かる)
並んだ四人の中で頭一つ大きいユ・ジテは、司会の人に今後の予定を聞かれ「日曜日まで滞在します。土曜日と日曜日は映画を見る予定です。」
と正直に答え(真面目だな〜と思う。しかしさすがに何を見ますか?という司会者の更なる問いには言葉を濁す・・・)そして「みなさんも沢山食べて、
沢山飲んで、そして映画を楽しんでください。」と笑顔で答えていた。

結婚したばかりという監督は、「このこと(デパートの崩壊事故のことを指しているのだろう)の責任は誰が取るのかなど・・・難しいことですが、いい映画
になると思いました。三人と一緒に去年一年間頑張りました。」と言葉少なではあったが、映画に対する手ごたえを語っていた。

日が沈む中で海風を感じながらの舞台挨拶は簡単なものではあったが、とても気持ちのいいものだった。砂浜そばの階段に座りながら挨拶を待つなん
てなかなかノンビリして気持ちのいいものだと思う。

アンディ・ラウとアン・ソンギの挨拶


13日の午後は野外特設ステージで、ジェイコブ・チャンが監督をした@墨攻(ぼっこう)で競演をしたアンディ・ラウとアン・ソンギのトーク・ショーがあった。
砂浜はちょっと暑そうだったので、少し離れた階段の上にたって二人の様子を眺めることにした。
去年の秋(冬?)中国で一緒に映画を撮り、友達になったという二人は、アンディが白いセーターにジーンズ、アン・ソンギもノーネクタイのブルーのシャツ
とアンディと同じようにジーンズ(そして多分素足・・)という非常にリラックスした感じで登場。更にユウ・トクファ!(韓国語デアンディ・ラウという意味だ)の
大きな掛け声があがり、会場は非常に和やかなムード。

(ここから先は、あくまでも私のいい加減な韓国語の超訳・・・)
「アンディは先輩として、制作などにも携わっているが、アン・ソンギ先生は?」と司会者から尋ねられると、「私は5歳から俳優をやって、もう50年にな
ります。(そんな風にはぜんぜん見えない。遠くからなので顔のしわも見えないから余計だろうか?)私が出来るのは、俳優として、先輩として、後輩た
ちにここまで進めるというか、私が進んできた道をみせて、一緒に進んいでいく・・・・というそんなことだと思います。」と一俳優としてこれからも頑張る
というようなことを語っていたと思う。

話の流れはお互いの功績をたたえあい、これからもお互いに頑張りましょう!というエール交換に終始したのだが、「○×○***!!!?と思います」
とアンディが語ることに「私も同じです」とアン・ソンギ先生が同調するという感じで話しが進み、なんとなくトークショー全体のイニシアティブをとってい
たのはアンディだったと思う。
「今度は私が韓国の映画に出たいです」と語っていたアンディは、最後の挨拶も「これからも私たちを愛してください」とまとめ、それにアン・ソンギ先生が
同意するような形で終了。いつでもどこでもにこやかに話を進めるアンディらしい姿を見ることが出来たと思う。

旅の後日談

旅から一週間近く経ってしまったが、楽しい思い出はまだ心の中にあり。帰ってきたら直ぐに仕事の波に飲み込まれてしまったが、それを乗り切れたのも、楽しい思い出があったからといえるだろう。


10月12日(木)から14日(土) 二泊三日の短い旅だったが、天気にも恵まれ、初めての釜山を満喫することが出来た。
ただ釜山には二泊しかしなかったのだが、エアチケットの関係で往路は成田→釜山だったのに、復路は名古屋に一泊してから成田へ飛ぶという変則的なフライトになってしまった。

土曜の夜、名古屋で「日曜日は国内線扱いでいいんですよね?」と尋ねたら「そうです」という明るい返事だったので、ノンビリしていたら翌日の日曜日の朝は「急いでください!お客様」という係員の方の声が・・・
45分のフライトだったにも関わらず、非常に大変なことになってしまった。
飛行機は国際線扱いだったのだ。

名古屋→成田間は国内区間搭乗票を持ってのフライトとなり、土曜日に一度入国したにも関わらず、日曜日に再び出国→入国をすることとなる。(本当の出入国ではないらしいが、兎に角皆と一緒に出国手続きだの入国手続きをするのだから、実質一緒だと思う。)

名古屋→成田という短い区間のフライトは、基本的に乗り継ぎ用のフライトらしく、4社のコードシェア便、更に乗客にフライト関係者が沢山いるという不思議な雰囲気だった。
当然成田で出国する一般人などいない。丁度エアポケットのような時間帯だったようで、出国窓口にいる一般人はもしかして私だけ?というような閑散とした雰囲気だった。
一つも開いていなかった窓口を開けてもらい、仮の出国手続きと仮の税関を通り過ぎる。「成田の窓口が貸切だ・・・」面白い出来事とともに釜山への短い旅が終了。

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