六本木と渋谷での開催というスタイルは、あまり使い勝手の良くないものだった。実際観ることが出来たのは2本のみ。
後は香港と韓国で実際の上映時に鑑賞したものだ。
| 作品名 | ポイント |
| アジアの風 愛・作戦 |
上映後のティーチ・インで「題名からラブコメだと思ってみたらすっかり騙されましたが、嬉しい誤算でした。」という感想があったが、まさしくこの言葉は私にも当てはまる。主演がイーソン・チャンだからというただそれだけの理由でこの映画に足を運んだのだ。でも観てよかったと思う。倦怠期を迎えた若い恋人たちの話しかと思いきや、男性が中国からのマフィアに誘拐され一挙に話しは思わぬ方向へ進んでいくのだ。 別れ話まで出ていたにも関わらず、恋人が誘拐されたと知り助けに走る女性。 香港での仕事が失敗するもただでは帰れないと、身重の妻と一緒に再び悪事を働こうとする中国からやってきたマフィアの男。 あっという間に香港、そして中国本土の二組のカップルの話になっている流れも自然だし、巻き込まれ型のストーリーとしては、主人公の普段の生き方がストーリーに自然に生かされているのもよかった。 愛・作戦というタイトルについての質問に対する監督の答えも興味深かった。 「作戦という言葉を使ったのは、愛は簡単には手に入らないということを描きたかったからです。この映画には二組の男女の愛の形が描かれますが、どちらのカップルも諦めません。中国本土から来たカップルは麻薬売買でお金を手に入れることが失敗しても、手ぶらで帰ろうとはしない。そして身重の妻も自分の夫のことを一瞬たりとも疑おうとしません。そして香港のカップルも女性は何とかして男性を助けようとします。こちらも決して諦めません。映画だから特別だといわれそうですが、そんなことはないと思っています。こんな状況になったとしたら、皆さんも決して諦めないと思うのです。愛は勝ち取る物だと思うのです」 香港版のDVDにはラストのバージョンが二つ収められているのだという。現実世界ではハッピーエンドがいいが、映画としては悲しい終わり方の方が余韻を残していいのではないかと思う。 ニッキー・チャウとチン・ハイルーの二人の女性がよかった。特にチン・ハイルーの殺気だった演技にビックリする。 |
| 協賛企画 コリアン・ムービー2004 火星からの手紙 |
いつまでも変わらない人、こんなに穏やかな韓国人男性がいるのかと本当にびっくりした。 両親がなくなり都会の親戚を頼って田舎の街を出て行ってしまったソヒ(キム・ヒソン)をいつまでも待ち続けるスンジェ(シン・ハギュン)。 木綿のハンカチーフに歌われるのと同じようなストーリーが展開されていくのだ。 変わらないことの暖かさと、変われないことの寂しさ。変わっていかなくては生きていけない現実と、昔を忘れてしまった寂しさ。 誰も悪い人はいないのに、何故こんなに切なくなるのか、スンジェがソヒを無条件に愛する姿が、幸せというより寂しく感じられてしまうのは何故だろう。 本当にシン・ハギュン演じるスンジェがあまりにも愚直なので、涙が出てくる。 |
| 特別招待作品 美しい夜、残酷な朝 |
2004年9月香港で鑑賞 (香港ではタイトル@三更2として公開) これは7月に韓国に行った際持ってかえってきたチラシ日本版→三池崇史(含葬) 主演 長谷川京子 香港版→フルーツ・チャン(餃子) 主演 ミリアム・ヨン レオン・カーファイ 韓国版→パク・チャヌク(割愛) 主演 イ・ビョンホン 含葬 中原中也の有名な詩に@サーカスという詩がある。 この詩のことと知ったのは大人になってからだが、子どもの頃からサーカスに持っていた印象はこの詩の内容そのものだった。 どこか物悲しく隠微なイメージ。 この映画を観ながらまさにそのどこか物悲しく隠微な香りを思い出す。 長谷川京子演じる若い作家の、夢とも現実とも区別のつかない話が、雪の降る街を舞台に様々な青で彩られながら進んでいく。 (映画を観終わって思い出す色は青なのだが、韓国版のパンフレットには日本版を色にたとえるなら赤とあった。 ちなみに韓国版は青、そして香港版は緑(碧)だという) 私は映画全体に漂う隠微な感じに最後まで馴染めなかった。 餃子 食べ続けることによって若さを取り戻すことが出来る餃子をこっそり食べに通うある婦人(演 ミリアム・ヨン) 残念ながらミリアム・ヨンはまだ十二分に若く、夫が若い女に走る寂しさや、中年女性だけにある、 散る寸前の華の妖しい美しさを感じることは出来ないが、クリストファー・ドイルのカメラは餃子を口に運ぶ ミリアムの口元を舐めるように撮りながら、散る寸前の華の美しさや妖しい香りを出そうと苦心しているようだった。 携帯電話を使う姿が違和感を感じさせるほどのクラシックなミリアムのスーツ姿も綺麗だったし、話は3本の中で 一番まとまっていたと思う。 しかしフルーツ・チャンの何もそこまでという画は健在で、これはやはり好みの分かれるとことだろう。 割愛 韓国とは思えないほど場違いな西洋風の家に住む映画監督。 ある日家に帰ると見知らぬ男に監禁されてしまう。 イ・ビョンホン演じる若くして映画監督として名を成した男と、来る日も来る日も監督の言い成りになりエキストラを演じる男。 今まで自分が演技をつけていたエキストラの男から許しを請う態度がなっていないと駄目だしされるなど、 立場が逆転することによっていたたまれない場面が続くのかとおもったが、必要以上にあざとい訳ではなく、割と拍子抜けだった。 エキストラの男の持つ恨(ハン)もそれほど強くは感じられず、どこか笑ってしまうような滑稽な雰囲気も残していたので、 最後まで面白く観る。しかしそんな雰囲気を感じさせたせいか、最後の展開はややあっけないような感じだった。 「見せて 本当のお前の姿を」 韓国ではモンスターという題で公開。 |
| 特集上映 香港新人類 パン・ホーチョン監督 大丈夫 |
2003年9月 香港で鑑賞 カメラを銃に見立てたアクションシーンとエリック・ツァンのラブシーンだけでも充分に料金分は楽しめる映画。 (というか、そのほかには特に目新しいものもないのだが、でもバカバカしくて面白い。) エリック・ツァンはこの後も新作の公開が控えているようだが、出演男性陣の中で一番元気だった。 それに比べて陳小春はやや疲れ気味なのか、元気のなさが気にかかる。 客演も豪華。レオン・カーファイも客演だろうか。客演とは思えない老顔まで見せて怪演。 林雪さんがネットカフェに乗り込む警官役で出演。(ホントにコツコツと働いていると感心する) 追記 レオン・カーファイは確かこの怪演で賞を受賞しているはずだ。若手が出演している映画にも関わらず、そして監督が若いにも関わらず、年配男性が頑張っているという皮肉な出来の映画だったと思う。 ![]() |
| アジアの風 狼の誘惑 |
アイドル映画の王道か?狼の誘惑2004年7月ソウルにて鑑賞 狼の誘惑は平凡な女子高生、そしてその女子高生をを何故か「姉さん」と呼ぶ高校生、平凡な女子高生を何故か好きになる高校生、この三人の物語だ。 主演のカン・ドンウォンが涙を流せば、胸の前で手を合わせ、彼が喧嘩で血を流せばその傷を手当てできないもどかしさを感じつつ手を合わせ、彼がバイクを走らせれば、まるで彼の腰に手を回すかのように胸の前で手を合わせと、こんなにも女子中高生が胸の前で手を合わせうっとるする映画を観たのは初めてだった。観客の女子中高生は本当に映画と現実の区別がついていないかのようだった。本人たちからは映画を楽しんでいると反論されそうだが、カン・ドンウォンに何の思い入れもない私にとっては、うっとりする女子中高生のなかに混じりながら、居場所のない感じの2時間だった。 女子中高生は一緒に出演しているチョ・ハンソンをどれくらい観ていたのだろう。私はドラマ@ナイスガイで見慣れているせいもあり、なんとなく無視されているチョ・ハンソンになかり同情してしまった。彼もそこそこ格好よかったと思うのだが・・・ 映画は胸の前で手を合わせうっとりしていても問題ない、とてもシンプルなストーリーだった。 カン・ドンウォンのちょっと寂しげな雰囲気と若さをいう素材の良さを活かしきることに重点を置いた、女子高生志向の作品だろう。 同じ原作者の手によるネット小説を題材にした映画として、同時期に公開された@あいつは格好よかったと話題になるが、カン・ドンウォン人気によりこちらの作品の一人勝ちとなる。 |
| 特別招待作品 誰にでも秘密がある |
ヌグナ ピミル イッタ 2004年7月 ソウルで鑑賞 腰は軽いが口は堅い?三姉妹とそれぞれ関係をもつ色男ビョンホン。 三女との時間の流れを最後まで見せておきながら、時間を行ったり来たりするストーリー展開は、見せようによってはもっと驚きのある展開になっていたかもしれない。 しかしこの映画はビョンホン演じる男が女性にたいして、日々どんなにまめに忙しく過ごしているのか。そしてその忙しさを相手に悟らせずにいかに明るい秘密にしていくかが徐々に明らかになることに面白さがあるのだろう。 この映画は秘密を持つことの善悪を問う映画ではなく、ビョンホンの笑顔は、秘密を持つことの免罪符になりうるかどうかを2時間かけて証明する映画だ。 実際今のビョンホンの笑顔に、それだけの力はあるに違いない。 映画自体がコミカルなつくりだから、チェ・ジウが見せる演技もコミカルだ。妹に恋愛経験がないことをからかわれて、声を荒げる様や知識に頼ろうとAVビデオを観まくる演技は、面白くはある。けれど彼女の演技は、何故か当然するだろうと簡単に予想が出来てしまうのだ。 こう演じるだろうと予想される演技を当然のごとくきっちり演じているチェ・ジウ。 これは彼女の演技力云々というより役柄の設定そのものにあるだろう。奥手でがり勉だからと眼鏡をかけ、地味な服装。確かにそうだが、それ以上の何かがなく、ステレオタイプの人物設定のせいで彼女の演技まで簡単に予想させるものになってしまっているのだ。 これは妹、姉の設定にもあてはまることで、それぞれ新しい一面を見せられているのは解るが、それが観ている側にとっては新鮮な驚きとなって感じられないのだ。 |