1. 聴覚を介して行なう読書の特性


 A.はじめに


視覚を介して感覚及び、認知するという読書形態を獲得していた人が、聴覚を介して感覚及び、認知するという読書形態に速やかに移行するのは容易な仕事ではありません。脳の処理過程をプログラムし直さなければならないからです。この作業は音を聞かせて脳を馴れさせることに並行して、聴覚の特性や視覚入力の時には無意識に行なっていた追唱や主体的眼球運動などのメカニズムについての知識を提供することが必要となります。ここでは、聴覚、視覚の特性と聴覚を介しての読書に必要な認知処理の基礎について整理して見たいと思います。

 B.聴覚入力の特性と認知処理

 録音教科書の情報は、音素の連続と、その切れ目によって構成されています。音素の連続(音=空気の振動)は読者の鼓膜→耳小骨→リンパを経て、コルチ器で変換され蝸牛神経を経て聴覚領に達します。ここから更にウエルニッケ中枢に送られ言語として認知されるための処理が行なわれます。音素の連続がある程度蓄積されると形態素として、更に蓄積が増すと単語として、更に増すと文節として、文節が幾つかまとまると文として認知可能となります。音素の段階では、言語であることの判別が、形態素や単語の段階では語彙論的処理が、文節の段階になると語彙論的処理に加えて統語論(文法)的処理が行なわれ、文の段階になると意味論的処理が行なわれます。 このような処理が耳から入力される順に行なわれ、必要に応じて一次記憶に蓄えられ文末に到達した時には、その文が伝えようとしている内容が認知できるのです。これは極めて複雑な脳の処理過程ですが、それを促進する機能として追唱(shadowing)が行なわれるとされています。
追唱とは、ウエルニッケ中枢に入力された言葉を高速で反復し処理する機能です。通常の言語活動で意識されることはありません。難解な内容の文章を理解しようとして、ゆっくり音読することがありますが、これはこの機能を強化して脳の処理作業を援助している例です。

 つぎに耳で録音教科書を読む場合の問題点を明らかにするために、晴眼者が目で墨字教科書を読む時の視覚器や脳の処理過程について見てみたいと思います。
約25cmの距離に置かれた本の文字を運ぶ光は、眼球の通光装置を経て網膜に達し、視細胞→双極細胞→神経節細胞→視神経→視床を経て視覚領に達します。ここから、言語に感する情報は、ウエルニッケ中枢に至り認知処理が行なわれることになります。注目を要するのは光が眼球に入る過程です。眼球は、200msecから400msecの停留と10msecから50msecの移動により、1回の停留で3から5文字を同時に入力することができます。眼球は1方向に移動するのではなく、逆行や上下の行への移動、同じ部分の反復入力など読者の意図により複雑に動いて文字の情報を入力することができます。文字処理速度は普通毎秒20から40文字とされています。
 それでは、このような視覚を介しての感覚及び認知過程で読書をすることに慣れていた人が聴覚を介しての感覚及び認知過程で読書をしなくてはならなくなった場合に生じる問題点と可能な対応策について考えてみましょう。
視覚入力の場合は、3文字から5文字が同時に入力されます。これは最小でも単語、短い場合には文節が一時に入力されることを意味します。聴覚入力の場合は、入力された音素をその順番にメモリーに蓄え処理可能な量になるまで待って、適当なところで処理を行うことになります。この処理は、無意識的に素早くメモリーに蓄えられている言葉を追唱することを通して行なわれることになっていますが、この時にメモリーに追唱可能な痕跡が残っていなかったり、はっきりしない状態のまま読書が進行すると文末に到達した時、文の意味する内容を把握できないという事態が発生してしまいます。
これを避けるには、無意識的に行なっている追唱を意識的に行なうことで改善できます。特に難解な内容を読む場合は意図的に追唱を繰り返すことにより内容をより的確に把握できるようになります。また、適当な量のメモリーに認知処理をしようとして、認知処理に必要な語彙が読者の脳に備えている辞書を参照するのに手間取ったりしていると、テープレコーダーやCD再生機はどんどん読み進んでいて気がついたら幾つかの単語や文節が空白になってしまっているというような事態も頻繁に発生してしまいます。
視覚入力の場合は、主体的に眼球運動を行なうのでこのような事態は発生しません。テープレコーダーやCD再生機を用いての聴覚入力の場合は、必要に応じてテープレコーダーやCD再生機を止めたり、戻したり、先に進めたりすることで対応できます。

 つぎに入力速度(刺激頻度)について考えてみたいと思います。聴覚を通しての読書を始めた入所者から「テープ(CD)は速すぎて、内容が頭に残らない。」と言う訴えを聞くことが多くありますが、人はどのくらいの速さで読書が可能でしょうか。前述したように晴眼者は毎秒20文字から40文字を読むことができるとされています。聴覚を介しての入力は、NHKラジオのニュースが1分間に300ストローク(音)、毎秒5ストロークの速度とされています。どちらもウエルニッケ中枢で処理されるとすると、テープレコーダーの速度を4倍程度まで速くしても脳は処理できそうです。DAISYフォーマットのCD録音図書再生機(プレクストークやVictor Reader)は再生速度を300パーセントまで早くすることができますが内容が特別に難しい図書でなければこのスピードで十分読書を楽しむことができます。
 それでは、なぜ普通の再生速度でも「速すぎる」と感じるのでしょうか。この問題は上述したように、入力する速度や量を主体的にコントロールしないことによって発生します。テープレコーダーやCD録音図書再生機を主体的に操作すること、すなわち脳の処理速度に合った速度で再生し、必要なところで停止し、戻したり、進めたりすることによって解決できます。音声教材による学習のポイントは、脳が処理できる速度で再生、停止、戻しを行うこと、プラス追唱ということになります。

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