じゃんがらの取材記録

その2 


1991年8月7日(水)

 14時頃平駅(現在のいわき駅)到着。父と。
 豪雨の為、じゃんがらの大会は文化センター大ホールへ変更になっていた。15時からの市中練り歩きはなしに。 文化センターの位置がわからず、大黒屋(デパート・2001年に倒産)の入り口の公衆電話の電話帳で番号を調べる。いわきの人はみな親切で、電話帳をめくりながらあーでもないこーでもないと言っている親子に声をかけてくる。
「文化センター?あれっ?あすこにあったのは違うのげ?」
「あれはちがーう。向こうに出来たのでねえの?」
って、デパートのお客さんたちで考えてくれる。でも結局答えは出ず。
電話番号を探し当て、かけてみると、
「は?今、大黒屋ですか?道路をはさんでとなりですけどー」
と言われた。なんと目の前の建物だった。
 17時半から開会式だったが、1時間ほど早く入ってしまった。ロビーで青年会の役員のものと思われる腕章をした前会長に会う。今後の菅波青年会の活動予定などを説明してくださった。新盆供養の際、マイクロバスに一緒に乗せてもらえるとのこと。

 じゃんがらは外で見るものだと思っていたが、文化センターの舞台の上はとても見やすく迫力があり、全体が見えるので、各チームの特色がよくわかった。
 チームや地域で曲の感じや早さがぜんぜん違う。取材をする菅波はテンポが遅いほうで、三和渡戸(みわ わたど)地域の速さは倍くらいあった。また、浴衣や襷(たすき)、手甲の色も様々で、とても面白かった。
 浴衣は基本的に白地に紺の柄か、紺地に白の柄が多い。中には白地に茶色の柄のところもあった。襷は白が多いが、黄色やピンク色のところもある。ところが菅波青年会の浴衣は群青色というより紺青という感じの色だった。柄は裾に白い字で「菅波」と入っているだけ。鉢巻も襷も手甲も足袋も、雪駄(セッタ)の鼻緒も白。とたんに不安になった。よりによって珍しい紺青色のチーム。色数も格段に少ない。帯も金の柄が入ってはいるが、黒なのだ。確かにじゃんがらはうまいが、作品にすることを考えた時、不安だった。


その3


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