じゃんがらの取材記録

その1

1991年7月5日

 その日は用事があっていわき市にいた。用事が済むと、私は以前から考えていた行動に出た。いわき市役所の観光物産課を訪ねたのである。昼休みだった為、あまり人がいなかった。おそらく課長であろうか、一番奥に座っていた方と目が合った。
「すみません。じゃんがらの大会があると聞いたのですが、今年の日時と場所を教えてください。」
本来なら電話で済むところを直接観光物産課に行ったのは、それ以上の情報が欲しかったからだった。ところが課長(多分)には
「それは青年会のほうでやってる行事だから、うちではわからないなあ。」
と、言われてしまった。でもそこは、親切ないわきの人である。
「いつなのか聞いてあげるから待ってて。」
と言ってくれた。どこかに電話してくれるらしい。何かを調べながら、
「どこから来たの?」
訛りがないせいか、やはり聞かれた。
「埼玉です。」
「へえー。じゃんがらを?なんで知ったの?」
「父がいわき出身なもので・・・三和なんですけど。」
すると、納得した様子で頷いた。私は本題を切り出した。
「実は美大に通っているんですが、卒業制作にじゃんがらを描こうと思っています。」
すると、周りにいた数人も驚いた様子だったが、課長(きっと)も
「えっ!じゃんがらを?!」
と言った。
「難しいんでないの?今までじゃんがらの絵は見たことないけどなあ。」
「油絵で一枚見たことあっけど、他は知らないなあ。」
「”みよし”の包装紙くらいでない?」
周囲から一斉に同じ反応が返ってきた。
「でも他には考えられないんです。」
と私が言うと、課長(?)は
「じゃあ、市役所にじゃんがらの本書いた人いっから。その人紹介してあげる。」
と、どこかに電話をした。
「今、空いてるって。」
そう言うと、私を他の階の企画課に連れて行ってくれた。


 企画課で待っていたのは、夏井芳徳さんという方だった。私は卒業制作のテーマにしたいという話をした。すると夏井さんも
「珍しいね。あまり描く人いないんだよ。」
と言った。でも驚きも否定もしなかった。夏井さんはあまり訛ってはいない。
「去年ね、じゃんがらを取材して本を書いたんだけど、その取材した青年会の去年の会長が市役所にいるから、後で紹介してあげるよ。」
そう言って、『ぢゃんがらの夏』という著書(神谷漣文庫)を出した。
夏井さんはじゃんがらについて、いろいろと説明をしてくださった。
「菅波と書いてすぎなみっていう地区でね。ここの青年会は去年女性も一緒に踊ったし、紳士的で優しいから嫌な思いはしないと思うよ。」
そしてまた、どこかに電話をした。
「これもあげる。」
先程の『ぢゃんがらの夏』の他に『獅子よ永遠に』という、いわきの獅子舞をテーマにした夏井さんの本だった。


 夏井さんに連れられて行った場所は、たくさん机が並んでいるところだった。入って行って、一人の男性に声をかけた。小柄で筋肉質のその男性が、菅波青年会の前会長である。夏井さんがひととおり、私のことを説明してくれた。すると前会長は
「なんでじゃんがらなんですか?絵にならないですよ。他にもっといいものあっと思うけどなあ。」
とはっきりと言い放った。実際に踊っている人に、これから取材をさせてもらえるかどうかという話をしているのに言われると、ショックで反論も出来ない。
 結局、お盆にじゃんがら一行のバスに同乗できることになり、その前の練習期間から取材させて頂けることになった。前会長の言葉が謙遜だったとわかったのは、取材を始めてからだった。


その2


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