第一海軍燃料廠跡周辺の遺構について
改めて、横浜市栄区本郷台の第一海軍燃料廠跡の遺構について確認をしてみました。既に知られている
ものも含めて、以下に画像も交えて挙げていきます。
撮影マップその1(
PointA〜E)本郷台駅北側Point A(小菅ヶ谷石神公園)
前にも報告した公園内に設置されている境界石柱
Point B(小菅ヶ谷石神公園側稜線)
コンクリート柵(公園内フェンス越しに撮影) 同じものを公園外から撮影
小菅ヶ谷石神公園周辺を探索中に見つけた境界石柱
Point C(信光社外塀)
信光社北側の外塀 外塀脇の排水溝も当時のものと思われる
Point D(信光社北側)
現在駐車場の一角(別途補足記述あり)
Point E(信光社外塀)
門柱の跡と思われる(別途補足記述あり)
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補足事項>(1)
Point Dについて当時の燃料廠周辺の地形を参考とするため、横浜市が公開している「
横浜市三千分一地形図」で確認を行った。それによると、現在の駐車場の位置に建物が有った事が確認できた(地図の作成年は
不明であるが昭和
20年台後半と思われる)。燃料廠北門(現在の下水処理場横の道)へ続く道の途中で施設外塀の末端に位置していることから、監視所などがあったのではないかと考えている(地図は
Webなどで公開できない決まりのため上記リンクから確認してください)。
余談であるが、画像で背後の崖が一部のみコンクリート壁で覆われているのを見ると、防空壕の入口か
何かを隠蔽しているのではないかと考えてしまう(考えるようになってしまった)。
(2)
Point Eについて同じく同上の地図により、北門の他に撮影地点付近に外塀の切れ目が確認できた。よってここに門が
あったと判断した。
撮影マップその2(
PointF〜G)本郷台駅西側Point F
防空壕その1(大小2箇所)
北門側のすぐ外側を走る道沿いの斜面に防空壕が2箇所確認できた。この道を辿ると、現在の小菅ヶ谷小
方向に抜けることが出来た(当時は北門から直接道は繋がっていない)。位置的に燃料廠で働く人員の避難用
ではないかと考えられる。
Point G
防空壕その2
根岸線のトンネル近くの崖に防空壕が掘られている。コンクリートで塞がれているものや、掘削途中?のもの
などが幾つか見られる。燃料廠からやや離れているため、民間人用のものか判断が難しい。
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調査をしてみたい箇所について>マップ1・2で、引き続き調査をしてみたい箇所を赤紫色の線で囲ってみた。
(1)マップ1のエリアでは、コンクリート柵や境界石柱が見られることから、その他遺構も存在する可能性が
高い。本文中では書かなかったが、北側の中腹に一部コンクリートで覆われた不自然な箇所も見られる。
○印の箇所は、畑内に不自然な地形が見られる(これは以前からの航空写真にも存在が確認できる)。
(2)マップ2のエリアでも畑内に終戦後の航空写真から存在が確認できる地形が見られる。この箇所は
背後の崖のコンクリート壁が、周りの構造と異なっており、この周辺に何か関連するものが有ったのでは
ないかと考えている。
ただし、どちらも他人の所有地のため、実際の調査は難しいと思われるが、自分なりに出来る範囲で調べて
みようと考えている。
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おまけ>以前撮影した、大船駅にあった燃料廠への引込線跡の画像を載せておきます。
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