元海上自衛隊員・元住友海洋開発株式会社(日本海洋産業株式会社)取締役である逸見隆吉様から以前頂いた一文をご紹介いたします。逸見氏の非常に強い錨への探究心とV型爪錨の基本理論である斜面効果をもって、単なる経験則と古くからの伝統でしかなかった「旧錨泊法」を改革するという情熱が多くの人を動かし、大がかりな実験を成功へと導いてくれました。
 紙面などではこれまでも何度か掲載しておりましたが、資料等のデータ化に合わせてHPにてご紹介いたします。
なごみ会(海上自衛隊75期会)
自衛隊退官者文集 「海上自衛隊と私達」寄稿
「思いがけない体験」
逸見 隆吉
 今でも眼をつぶると頭の中に甦る懐かしい海の光景は沢山ある。「鋭い舳先があくまでも透き通った太平洋の水を切り裂いて進む僚艦の姿」とか「一糸乱れぬ動きを見せる艦隊運動」、「マストの上の小さな信号灯をチカチカさせて会話を交わしている艦隊の泊地風景」等々数え上げればきりがない。こんな想い出の中でも、私の船乗り生活に強烈な影響を与えた一こまの光景がある。
1.海底から見上げた錨鎖の動き
 私が、アクアラング実験を命ぜられて、潜水訓練に没頭していた昭和29年のことである。幾つかの実験命題の中に、「どのくらい自由に水中運動ができるか」「どのくらい連続作業ができるか」「どのくらい正確な観察作業ができるか」など、今では「なんだいそれは!」というようなつまらない命題ではあったが、その頃初めて海の底で働く私にとっては全てが未知のことであり、一生懸命取り組んだものだった。旧海軍の飛行機救難艇から転用された掃海艇(鉄船)「おきちどり」(艇長72期飯田嘉郎さん)を母船として毎日アクアラング潜水の訓練・実験が行われていた天気晴朗波静かなある日、鏡が浦(館山湾)に錨泊中の船は「穏やかに浮かんでいる」というのんびりした状態であった。
 そんな中で、その日の観察目標を「作業母船の錨」と定めて船尾から潜水を開始した。水深12~3メートルの海底に着き、白い砂に写る黒い船の影を伝わって前部に進み、鎖錨に近づいた。船も、カーブを描く錨鎖も、全体としてはゆったりとした動きを続けているのに、錨鎖が海底に接するあたりに近づいたとき突然全身に緊張が走ったのを覚えている。潜水を開始したときは確かに天気も、海面も穏やかで船は気だるいほどゆったりとした動きをしていたのに、この、錨鎖が砂地に接するあたりだけはまるで別の生き物のような忙しい動きをしていた。規則正しい動きではあるが、錨鎖はツツツツーと素早い動きで海底から引き剥がされ、暫くすると何もなかったかのようにまた、ホトホトホトと穏やかに元の位置に戻ってくる。穏やかに「たゆとう船」の下なのに、錨鎖が描くカテナリーカーブの末端だけが素早い動きで変化し、船と地球との結びつきをせっせと調整してくれているということを実感した。たったこれだけの光景ではあったが、私の瞼にはしっかりと焼き付けられた。
2.「目からうろこ」の思い
 この体験は、私のその後の艦隊勤務で随分役に立ったと思っている。「あやなみ」水雷長として勤務していた当時、出入港では前甲板指揮を担当していた。そんなある日、荒天のため岸壁係留から錨泊地に避泊したことがある。錨泊について、当時私が持っていた認識は「錨は動くもの」、「錨は動く直前までは頼りになるが、少しでも動いたが最後、その瞬間から単なるデクの坊になってしまう厄介なもの」というものであったから、その日の吹きつのる強風に押されて頭を振る艦の錨鎖がどんな形で耐えているのかはとことん気になるところであった。前甲板に立って、錨口に軋む錨鎖に触れ、それを伝わってくる振動、錨鎖の傾き等からこの艦の錨鎖が今どのあたりで海底と接し、カテナリーがどんな変化をしているのかあの経験と照らし合わせ、頭の中でイメージとして描きながら、「艦長!錨は大丈夫です!」と自信を持って報告できたことが鮮明な印象として残っている。「3D+90m」、「4D+145m」という錨泊理論、一度走り出した錨は決して止まらないぞという先輩の教えに加えて、錨泊時の船の動きとカテナリーカーブの変化模様を見ることが出来た体験、その結果実際に一度も走錨事故に遭わなかったことなどから、「錨泊については白信あり」と思っていた。しかし、これは単なる過信であり、走錨事故に遭わなかったのは単に幸運のせいでしかなかったということを思い知らされる日がきた。
3.退官後の実験
 私は病を得て、止むを得ず海上白衛隊を離れはしたが、幸いにしてその後も海の仕事を続けていた。そんなある日、海洋科学技術センターで波浪発電機の研究を続けていた、73期の益田善男さんの紹介で、錨の研究家中村宗次郎さんとお会いする機会を得た。彼の錨に関する考え方はまことに明快で、「錨は動くもの」、ここまでは私たち運用者と同じだが、その後が大きく違っていた。「動いた錨はその動くカで海底に潜っていくような形にすれば走錨事故は減る」という。その信念で続けていた彼の模型実験を見せてもらうと、JIS規格の錨であれ、ダンフォース錨であれ、事前にパームをしっかりと砂に食い込ませておいた錨でさえも、張力が耐力眼界を超えると、パームはクルッとひっくり返って上を向いて走り出し、その途端に錨鎖にかかる張力は激減してしまう結果を示した。これでは実際海で走り出した錨は止まらないわけである。それに彼の理屈では、投錨したときJIS型の山字錨のパームが下を向いて、しっかりと海底に食い込むチャンスはそんなにはないだろうという。投錨した経験から見ても、一番面積が大きくて抵抗が多いパームが真っ先に海底に食い込んでゆく筈はなさそうだと想像できる。模型実験では何回やっても彼の理屈の方が正しいという結果を見せ付けてくれた。彼は模型実験と、陸上の砂浜で小型錨を使った実物実験を重ねて研究を続け、中村技研工業という会社(足立区内の町工場)を経営、「NGK」印の錨を作っている。ここの「ローターウイング」錨は当時既にヨット界では、『安心して使える錨』として認められ始めていた。そんな中で彼の希望は、実際に海底で錨がどんな挙動をするのか、陸上実験との違いがあるのかを見たいというものであった。
 そのころ、私たちの会社の潜水艇「はくよう」が定期修理直後の試運転の機会と重なっていたので、試運転項目の一つとしてこの作業を組み入れ、彼に協力したことがある。作業船(船名「ねりうす」)は、葉山沖、水深約15m、底質砂という環境で、自分の200キロ山字錨に22ミリスタッド錨鎖約7節(175m)を伸ばした単錨泊とし、その船尾から75キロのNGK錨を投入、錨索は18ミリワイヤー約40~50m(3D程度)としてそのワイヤーを張力計に接続固定、前部揚錨機を捲いて前後部の錨で引っ張り合いをさせ、引っ張り合いに負けて動き出す後部錨の挙動を海底で潜水艇内から観察・撮影すること及び作業船上ではワイヤーにかかる張力の変化を観察するという作業を行った。この実験で驚いたことが3つあった。
  1. 引っ張り合いは当然直ぐに勝負がつくものと思っていたところ、小さなNGK錨がなかなか動こうとしなかったこと。(正確な張力の記録は持っていないが、強烈な把駐力を示した。)
  2. NGK錨の幅はせいぜい50~60センチ程度でしかないのに、その錨が動く際に掘られる溝の幅と深さの大きなこと。2m位の幅、1m位の深さの溝が掘られてゆく様はあきれるくらい見事であった。
  3. NGK錨が動き出しても、ワイヤーにかかる張力は増えこそすれ、少しも減らないこと。
等であった。一度走り出した錨の張力が、錨が動いている間中少しも減らなかったことで、私は錨に関しての観念を全く変えざるを得なくなった。
4.錨・投錨法変革への夢
 この錨が従来の錨に代わって、あらゆる船に搭載されるようになれば、走錨事故は大幅に減少することになるのではないだろうか。ダンフォース錨、AC錨、ブルース錨等、時々新しい錨は発表されるし、「ハンマーロック投錨法」など、投錨方法の研究についても発表されることがあったから、どこかでそんな地味な研究が行われているのだろう。海上自衛隊でも、術科学校とか実用実験隊などがこの研究を取り上げられれば、「3D+90」、「4D+145」という明治の海軍の先輩が作られた運用作業教範が久しぶりに書き換えられることになるとか、艦隊錨泊の標準スタイルが2錨泊方式に変わったり、泊地の選定がしやすく楽になるなど、波及するところは相当大きいだろうとか等々、考えると夢はどんどん広がり、楽しくなる。
 「アクアラング実験員を命ず」という一片の辞令から得られた思いがけない特殊体験は、私にとっては忘れられない強烈な印象だったし、その偶然がその後の私の海上生活で絶大な自信を与えてくれたことには今でも感謝している。