このごろ思うこと パート6

☆孫のこと  (2003年9月)
  

 やっと「幸せテクニック」という本ができあがりました。嬉しさでいっぱいです。この本が求めていらっしゃる方の元へ届きますようにと願うばかりです。
 津留がよく言っていました。本を作ろうというアイデアがわいた瞬間、読みたいという人も同時に創っている、これが2極の世界のありようだと・・・。だから自然にわいてくる行動欲求にいつも気付いて、どのようにしようかと頭で考えるのではなく、おまかせするのだと。

 話は変りますが、津留が私と娘と孫と共に、世田谷の事務所兼住居で暮らしていた時の事です。この話はつい先日娘に聞いたので、是非お話したいと思いました。孫がまだ言葉を話せない6・7ヶ月のころ、「ばぶばぶ」と言っているのを聞いた津留が、「赤ちゃんは本当にばぶばぶって言うんだね!」と感動していたそうです。「家の子供はばぶばぶって言わなかったから、あれは漫画で作った言葉だと思っていたよ。」と感動していたそうです。ちょっとしたことにも感動し、ライオンキングやノートルダムの鐘、フォレストガンプなどの映画を見ては涙する津留でした。

 津留や多くの方が「スターチャイルドが生まれてきてる」と語っているとおり、魂のときの記憶にふたをしないで来ている子供たちがふえているようです。そのような子供たちが集まって、湾岸戦争やテロで傷ついた人々へ癒しのエネルギーを送ったり、また米大統領を始め各国の指導者たちにむけて、彼らを批判・非難するのではなく、彼らが自らの光と繋がれるよう祈りを込め、愛のエネルギーを送りましょうと世界へ向けて発信しているサイトを読んだことがあります。

 孫は5才になりました。私は精神世界のことを知ってから、お腹にいる子供はすべて聞こえているし、感じていると知って、そのように娘と一緒に育ててきました。「私はママの子供になろうと決めていて、いつも見ていたよ。そして生れようと待っている人が自分の前に2・3人いたけど、今だと思って飛び込んだの。」と話してくれます。
 お腹の中にいるときに行った事がある場所や、そのとき咲いていた花を覚えていて「ここ来た事があるね。」といってびっくりさせられたりします。

 孫はエネルギーに敏感で、ときおり天使を見ては教えてくれます。一方でネガティブなエネルギーにも過敏に反応し、夜突然恐がって泣き叫んだり、人ごみへ行った後など決まって熱をだしていました。
 娘はフラワーエッセンスを飲ませたり、オーラソーマでエネルギーフィールドを浄化してあげていたのですが、最近は孫も娘の真似をして、毎晩グラウンディングをし、守護天使にお祈りをし、必要なときには自分でオーラトリートメントをしています。ネイティブアメリカンのドリームキャッチャーやきれいな水晶などを枕元にたくさん飾り「お守りなの。」と安心して寝ています。

 言葉がしゃべれるようになってから、時々即興で作詞作曲の歌を歌います。何度も歌って覚えている曲もありますが、ほとんど一回きりなので忘れてしまいます。孫自慢ではありませんが、書きとめておいたあげればと娘にアドヴァイスしました。その中のひとつをご紹介します。


   しずくの歌   2003.3.27

 赤いハートは心をゆすぐ
 ピンクのハートは空にうかび
 うるるになって その雨があたらしい命にそそぐ
 その声が地球にひびき みんなの心が美しくなる
 
 海の中では みんな魚は一緒に遊んでいる
 その楽しい声が天国に伝わって また美しくきらめく

 きのうの朝はつらいことばかりあったけど
 今日の朝はその美しい声が心をゆすいでくれた
 その声はつながりあってみんなに広がっていく
 みんなは信じていないけど 知らないけど
 ほんとはある きせきの歌 まぼろしの声

 その歌が砂漠にひとつの花をさかせる
 そのしずくがみどりの森にかわる
 その歌が遊んでいる子供たちに伝わる
 こわくないよ みんなで手をつなごうと

 地球はうかぶ かがやきながら
 みんなの心は天国に帰り また美しい命にかわる きらめいて



☆「津留さんのことを語ろう」という講演会  (2003年10月)

10月17日、津留晃一の3年目の命日に英光舎さん主催で「津留さんのことを語ろう」という講演会が東京のホテルで開かれました。7時開会で、英光舎の松浦英行さんの挨拶と講演、そして私の「津留さんが最も言いたかったこと」というスピーチがあって、その後、あまちゆうとさんの講演があり、次に3人が皆様の質問に答えたり、3人で対談したりというもので、11時終了という内容の濃いものでした。 

 定員50名のところ、80名くらいの方にご出席いただきました。生前の津留を知っていらっしゃる方は10名くらいで、あとは本や、講演会テープ、HPで津留のことを知った方々でした。

 今まで常識とされてきた考え方を、一度壊してみるという津留の役割が今も働き続けていることを確認でき、嬉しく思いました。

 私にとって始めてのスピーチであり、お伝えしたい事がいっぱいあるので、原稿を書いて、それを読ませていただきました。以下が、当日私が読んだ原稿です。


  兄弟と申しましても、大人になるとなかなか会うこともなかったのですが、専業主婦だった私が結婚23年目に家出をし、一人で生活しているとき、弟から自分の会社の経理をやってくれないかと頼まれました。津留は会社倒産後、友人の名義をかりて社員5名程度のトゥエンティファースト株式会社をつくって仕事をするかたわら、倒産の苦しみから自分の内側の探究を始め、勉強しているようでした。

  経理やコンピューターなど全く知らない私が、必死で勉強し、やっと仕事ができるようになった頃、「私はもう3次元の仕事はやめますから、会社をよろしくお願いします。」と、突然社長にさせられてしまいました。

  津留にとって会社を任せられる私の家出は、偶然ではなく、シナリオだったのでしょう。後にシャーリーンという方のチャネリングで、私は前世で、やはり先生役だった津留の追っかけをやっていたそうです。今回はサポート役をすることになっていたのでしょう。

 中小企業の社長さんの意識を変えることが先決だと考えた津留は「経営塾」という講演会をスタートしました。それが1994年9月です。そして最後の講演会が2000年3月ですから、津留が活動したのは5年と数ヶ月ということになります。

  口コミで少しずつ参加者がふえ、女性の方が多くなってきたので、「経営塾」という名前をとり、「新人類への覚醒進化プログラム」というタイトルの講演会を毎月開き、その会報として創生会レポートを作り始めました。創生会レポートに載せた文章が、ホ−ムページに載せているエッセイであり、そのエッセンスの部分を本にしたのが、「多くの人がこの本で変わった」です。そこに書かれていることが、津留が伝えたかったことの全てです。

  私は1回目から最後の講演会までほとんど出ていますし、創生会レポートの編集も一人でやっていました。津留と一緒にいるだけで、そばで話を聞いているだけで私はどんどん軽くなり、変わっていきました。そんな事はできっこないと思うことは横へおいて、「そうだ、そうだ」というところから始めました。

  私はそれまで魂の存在や精神世界のことなど全く知りませんでした。この肉体が自分だと思っていたので、結婚5年目くらいから、この結婚は失敗だったと思いながら、離婚して一人で働いて子供を育てていく自信がなかったので、いつも感情を閉じこめて生きていました。自分らしく生きると摩擦が起こり、ひどい目にあうので、自分をころして生きていました。「もうこれ以上我慢できない」という時がくると、くるりと反転するようになっているようです。

  今まで働いたことがないので、一人では食べていけないと、じっとがまんしていた私が、家出した2・3日後に近くのレストランの求人広告を見て面接に行き、「いつからこられますか?」との問いに、「今日から働けます」と返事をし、その日から働きだしました。決心してゆだねるとうまくいくようです。ですから、今、最悪な状態だと悩んでいらっしゃる方も、その最悪な体験を思う存分してください。「ああ、もうやーめた」と思える日が必ずきますから。

  決心した時からサポートが始まるということをもう少しお話します。人間には自由選択権が「初めの決め事」としてあるので、まず、「こうしよう」と決めない限り、宇宙の法則で、サポートしてはいけない約束になっているようです。

  「講演会を開こう」と決心した時、「聞きたい」という人も同時に生み出します。「本を作りたい」と決心した時、それを読みたい人も一緒に生み出しています。「セッションやヒーリングを始めたいけれど、まだまだ自分は完全でないので、もうすこし勉強してからにしよう」と思う人は、「もうすこし勉強しなければ、始められない」という事にいつも、いつも意識の焦点が合っているわけですから、いつまでたっても始めることは出来ないと津留はよく言っていました。

  ある時、津留から「個人教授」というワークを始めるので、レポートに載せて下さいと言って渡された原稿を見て、30万円と書いてあったので、びっくりしたことがありました。月に1・2度個人セッションして、6ヶ月間連続して16回〜18回でハイヤーセルフとつながるというものでした。

  当時、統一協会や麻原彰晃が新聞をにぎあわせている頃だったので、津留もとうとう教祖になってしまったのかとびっくりして、たずねると「30万円」というのは、変わろうと決心する為の額なのだと教えてくれました。それだけ出しても変わりたいと決心した時点で、もうサポートが始まっているのです。冷静にセッション1回分を計算すると、通常の個人セッションと同じくらいの金額でした。その個人教授の最短卒業生があまちゆうとさんです。3回で卒業なさいました。

  私にとってブロックをはずすのが最もむつかしかったのが、主人との関係でした。どうしても一緒に暮らす気になれないのです。しかし私が私らしく、やりたいことを体験し、感情を味わっているのと全く同じように、彼も彼のシナリオをただ体験しているだけなのだ、彼を変えることなど出来ないのだということが腑に落ちたとき、家へ帰ることができました。3年かかりました。

  津留が一番言いたかったことは、「ここは体験の世界、そしてその体験によっておきる感情を感じる世界である」ということです。

  なぜ無限の神さまが、波動を重くして、人間になっているのでしょう。神さまでは体験出来ないありとあらゆる感情を、体験したかったとしか考えられません。

  生まれてくるときにシナリオを書いて、今回はこれと、あれと、それを体験し、感じつくすぞと、決めてきたと思い込んでみて下さい。何かイヤな事が起きた場合、「これは自分が体験したくて決めてきたシナリオなんだ」と思うと、被害者意識が半分くらいになりませんか? そして感情に良い感情も悪い感情もありませんから、起きてくる感情をじっくり集中して感じてあげると、その体験が終わるので、次に同じような体験をしても反応が起きなくなります。

  それと同じように、他人も今、必要があってその体験をしている神様ですから、同じ力を持っています。だから他人を変えようとしてもそれはうまくいきません。

  私は肝硬変なので、定期的に胃カメラの検査をしています。始めて胃カメラをのんだとき、すごく辛かったので、次の検査の日が近づいて来るだけで、今に留まる事が出来ず、意識が未来にとんで不安になります。それで「これは私が体験したくてしているのだ」と、発想を転換すると、不安がなくなりました。そして検査の時には、「のどの細胞さん、緊張しないでゆるんでね。ゆるんで、ゆるんで」と意識をかけつづけ、何の苦痛もなく終わることが出来ました。それ以後、私はよく足の肉離れをおこすのですが、その時も、その場所に軽く手を当て、「ゆるんで、ゆるんで」とリラックスしながら意識を向けていると、すぐに筋肉の硬直がよくなります。是非お試し下さい。

  真理の勉強ばかりしても、それを日々の生活に活用し、今、ここが楽しくなければ何の意味もないと津留はよく言っていました。

  宇宙は循環する輪ゴムのようなものです。ただその上を循環しているだけなのです。神から別れて人間を体験し、また神へ戻って神を体験しまた人間を体験する。そのプロセスを楽しめばいいだけです。一番いい場所なんかどこにもないのです。今あなたがいる場所が、あなたの意識の進化に最もいい場所だからそこにいるのです。ですから、そこから逃げないでその場所を体験し、体験から起きる感情を感じつくせば、その体験は終わります。

  私達は常に何かに意識を合わせています。そしてその意識の焦点がピタリと合っているものを、現実の世界に引き寄せています。ですから、今、自分が何に意識あわせているのかを、瞬間に気づく練習をしてください。不安に意識を合わせていませんか? 病気やお金が足りないこと、嫌いな人に意識を合わせなくなると、ストレが少なくなります。不安感がやってきたら、すぐに「今・ここ」に意識を合わせてください。一番わかりやすいのが、呼吸に意識を合わせるという方法です。呼吸は大我の担当ですから、呼吸に意識を合わせていると、不安感がなくなります。「今・ここ」に全てがあります。

  神の側から見ると、一瞬ですべてが見えますので、プロセスを体験することはできません。私達はプロセスを体験するために「今・ここ」にいます。私はまだダメだと思っている方も、今はダメな方がいいからダメなんだと、自分を否定することなくダメな私を丸ごと受け入れて下さい。ダメな私を体験しつくせばその体験は終わり、次のステージへシフトします。

  どうぞ焦らないで下さい。「今・ここ」を楽しんで下さい。折角人間として生まれてきたのですから、そして瞬間、瞬間心地いい方を選択して、ストレスのない状態でいれば、行き着く先は初めから約束されています。そして選択にいい選択も悪い選択もありません。Aの選択をすればAの体験があり、Bの選択をすればBの体験があるだけです。

  あなたは誰とでも意見の相違点を持っています。それが、あなたが肉体を持つということです。一つの真実に対する違う見え方を表現するのがあなたの役割です。地球に住む人の数だけの宇宙が存在しています。そして、あなたはあなたの宇宙の創造主です。みんな違ってみんないいのです。津留が良く言っていたのは、「一人一人がジグソーパズルの一片で、色や形は一つとして同じものはないけれどピタリとはまると完璧な絵になる。こうして宇宙はバランスしているのです。この瞬間に、今のあなたがいないと、宇宙は完璧にバランスしないのです。あなたはユニークな存在なのです。そして他の全ての人も・・・。ですから、今そこにいて、そこを体験し尽くしてください。感じつくして下さい。

  そして「知識としてはよく分かった」「ずいぶん楽になった」「でも、なぜか分かってはいるけれど、いまいち幸せ感がない」という方々のために、幸せテクニックを書きました。まずは真理を頭で理解することが大切です。そしてテクニックを実践して下さい。ストレスを感じたらすぐに実践して下さい。

今、この瞬間が幸せなら、その今が点として続いていけば、いつも幸せということになります。常にハートの感覚に意識を向けていて下さい。ハートが閉じていると感じたら、すぐにテクニックを実行して下さい。やり方は本やビデオでくわしく説明しております。

  これも津留の講演会での話ですが、「ガンですよ」と言われた夜、友人と食事をしながら、「ああ俺は生きているんだ!」と、ものすごい悦びがこみ上げてきたそうです。「死を目の前に突きつけられ、53年間生きてきて、これほど生きている悦びを感じたことはなかった」と言っています。そしてその後、毎朝目覚めるたびに、「今日も生きているぞ!」と、ものすごい悦びを感じたそうです。「これほどの悦びのなかで、あと半年生きられるなら、それで充分だ」と言っていました。自分にとって、ガンになることがいいことだから、ガンになっただけで、ガンがあるからといって、ガン患者になる必要はないとも言っていました。

 ガンといわれるまでの1年間、ずっと咳が出ていました。私の友人でやはり若くして肺ガンで亡くなった方の咳と似ていたので、姉としては病院に行けばいいのにと思っていたのですが、津留には、全く病院に行くという発想がこなかったし、高熱が出て病院にいき、「ガンですよ」と言われても、治療しようというアイデアがなかったということは、この病気で肉体をぬぐというシナリオだったのでしょう。小我の観点からみると、ガンになったことで、残っていたブロックに気づき、肉体にとどまることができなくなったという事です。大我の観点から見ると、「自分が体験して、それを人に教える」という役割が終わったということだと思います。

 最後に「その間にあるもの」という講演会の中で話している、私の好きな言葉をお送りします。

死とは魂の飛翔の瞬間であり、急激な魂の成長が、もはやこの肉体に留まり続けることが不可能となり、おきてくる現象です。どんな死に方であれ、例外なしに死とは魂の急激な成長の時です。我々の本質は生でもなければ、死であるわけでもありません。「生」と「死」、その間にあるもの、それこそが我々の本質そのものです。そのどちらでもなく、その間にいて永遠であるもの、それが貴方です。