このごろ思うこと パート2

☆ウエサク祭
  (1996年5月)

  アセンションチャネリングセミナーで、瓜中氏が初めてサナト・クマラをチャネリングしたのを聞いて間もない頃、京都の鞍馬寺の奥の院魔王殿にサナト・クマラが祀られていると聞きました。サナト・クマラは650万年前に人類救済のため金星から天降ったと言い伝えられているそうです。行ってみたいと思っていたところ、5月の満月の夜に大宇宙から特に強いエネルギーが降ろされ、人類の進化と平和を願う「ウエサク祭」がとり行われるとの情報が入ってきました。
  さっそく鞍馬寺へ問い合わせると、今年は月3日だということでした。娘と二人で行くつもりが、一緒に行きたいという人がふえて、10人で行くことになりました。

 4時頃、仁王門のあたりで早めの夕食をとり、ケーブルには乗らず、つづらおり参道を歩いて行くことにしました。鞍馬山は7千万年前の地質で成り立っているそうで、地球の創造神の一人だと言われているサナト・クマラの発する波動のためか、とても強い男性的なエネルギーを感じました。みずみずしい若葉の山道は生命の躍動感にあふれ気持ちよく、ぜんぜん疲れを感じません。ゆっくりのぼって1時間位で本殿につきました。本殿は見晴らしの良いところにあり、広場には八重の桜の木々が満開で、まるで桃源郷のようでした。しかも空にはまるで違う種類の雲がたくさんあって、祝福されているように思えてなりませんでした。行きの新幹線の中でも、前の席の男の子が「あっ、雲が虹のように見える」と大きな声で言うので空を見ると、一直線の長い雲が虹色に輝いていました。

 本殿にお参りして、すぐに魔王殿へと急ぎました。夕闇が迫るなか、牛若丸が修行したという木の根道を歩いていると、木々の間からちらちらと天狗の顔がのぞいているように感じました。魔王殿は今まで感じたことがないような不思議なエネルギースポットでした。今回は7時からはじまるウエサク祭が気になり、時間をとれなかったので、もう一度ゆっくり行ってみたいと思っています。

  ウエサク祭は密教の秘儀で、ヒマラヤ山中やインドでも行われていた祭りのようですが、近年ではアメリカのマウント・シャスタでも行われ、世界中から人々が集ったそうです。ここでも外国の方々を多く見かけました。東の空から大きな月がゆっくり姿を現し、私達をその光で包み込みました。金星と月からの愛のエネルギーに満たされ、喜びの中、その場が一つに溶け合っていくのを感じました。参加者全員が「こころのともし灯」というローソクを手に持ち、ご尊天のご宝前の「きえぬ灯」から移された灯を一人一人、隣の人から人へ灯していく行事が感動的でした。そして、「一人の魂が輝けば、その輝きが隣の人を輝かせ、その輝きが少しずつ広がって、世界中が輝きます」というお話もその場にいると、深く心に響きました。

  鞍馬寺は京都御所の北の守りという位置にありましたが、今では既成の宗教から離れ、ご尊天(宇宙の根元の意識)を祀っている独特なお寺です。夜、ローソクの灯のなかで進行していく儀式は厳かで、心暖まるものでした。儀式は7時と10時と翌朝3時と3部あるそうですが、同行の中に小さいお子さんもいたので、1部だけで帰ることにしました。皆、無口でそして満たされた気持ちで、暗い道を黙々と下っていきました。翌朝、娘は強烈なエネルギーを受けすぎたせいか微熱を出してしまいました。

  この旅行が決まったとき、娘が奈良の三輪山によばれていると言うので、一緒に行くことになっている黒川さんに、奈良に行きたいところがあると言うと「もしかして三輪山ではないですか」と言うのです。実は、彼が鞍馬山へ行くと友人に話したところ、コミック作家の美内すずえさんの「宇宙神霊体験記」を読むといいと進められ、貸してくれたそうです。その本には、鞍馬山と京都御所を南に一直線に結ぶと、天理があり、三輪山があり、その先に天川があると記されているそうです。日本の中心を南北に走るくっきりとした線・・・(美内すずえさんは鞍馬へ行き、その後天川で開き、チャネリングがはじまっています)黒川さんはその本を読み、天川までは無理なので、せめて三輪山まで行きたいと思っていたそうです。シンクロしていて、わくわくしました。

  ゴールデンウィークにもかかわらず、道はすいており、レンタルのワゴンカーは天理を通りぬけ、三輪山をご神体とする大神神社へ到着しました。鳥居を一歩くぐると、深い木立に囲まれた参道は、しんと身の引き締まるような清浄な波動でした。本殿そして奥の院にお参りした後、大神神社の左奥にある、荒御魂をお祭りしている狭井神社へお参りしました。三輪山へ登るにはこの狭井神社で入山許可を受けなければなりません。
 静寂の中、女性的なやさしいエネルギーに包まれ足どりも軽く登っていきました。途中から霧雨が降ってきましたが、誰一人途中で帰ろうと言う人はいませんでした。若葉の木々に、ご神木に、小鳥の歌声に癒され、娘は熱も下がりすっかり元気になったようです。頂上付近に岩がごろごろあって、ある岩の前まで来たとき、私はそのエネルギーの強さで動けなくなってしまいました。目を閉じて手をかざしていると、身体や手が熱いくらいで、岩の中に入り込んでしまいそうになり、岩と一体になった感覚を味わいました。1時間くらいで山頂につき、お社にお参りし、心から愛と感謝の気持ちを伝えました。

 実は、私は三輪山のことを何も知らずに登ったのですが、旅行から帰って調べてみると、このようなご神体になっている円錐型の山を神奈備(かんなび)と言い、神奈備の山には祭祀がとり行われた磐座(いわくら)があって、三輪山の起源ははるか遠く、天孫降臨以前だと伝えられています。三輪山には磐座が残っているとも書いてありました。私が強いエネルギーを感じたあの岩がまさに磐座だったのです。
 今回の旅は本当に充実した、心の癒しの旅でした。愛のエネルギーをたくさんいただいて、私の体を通してそれを地球に送り、イメージで地球を癒しました。

 そして全ては一つなのだとしみじみ思えた旅でした。土も岩も、草も木も、月も星も、風も人も・・・。



☆あなたはそのままで完全です  (1996年6月)

  愛とは誰かから与えられるものだとずっと思いこんでいました。両親から、友人から、恋人から、夫から、子どもから、そして神様から・・・。いつもいつも愛が足りないと、愛してくれる人を捜し求めていました。自分の不安、寂しさ、自分の欠けている部分を他人から埋めてもらう事しか考えていませんでした。そして決して満足することはありませんでした。

  精神世界の勉強を始めて、愛が自分の内にあるとわかった時、本当に嬉しく思いました。自分のハートセンターに愛がいっぱいあるのが感じられ、ハートのチャクラが全開する感覚を味わってから、愛はいつも私の内にあり、ハートセンターに意識を合わせると、いつでもハイヤーセルフとつながることが出来ます。その状態の時、全体と一つという意識に満たされます。人混みの中でも、どこにいても意識を合わせるだけで、安心感に包まれます。

  『無条件の愛』という言葉をはじめて聞いたとき、そんなこと私にはとうてい出来ないと思いました。一心不乱に修行をつみ、我が身の行いを正さないと『無条件の愛』という境地になれないと思ったのです。

 その時、私の中に飛び込んできたのが「あなたはそのままで完全です。あなたの今いる場所が、あなたのいるべき場所。あなたは何かになる必要などないのです」という津留の言葉でした。いつもこのままではだめだ、はやく悟りたいと焦っていた肩の力がふっと軽くなりました。さらに「今のあなた、そして今のあなたのポジションが悟るための一番良い場所なのです」と続きました・・・。

 「わたしは自分の嫌いな部分も含め、ありのままの自分を受け入れ、許し、愛します」と意図すると、生きていくのが楽になり、心が軽やかになりました。
 そして全ての人をなんの条件もつけずに、そのままを受け入れ認めてあげる、それが『無条件の愛』なのだとわかりました。まずは自分のいっぱいあるダメなところを「まあいいじゃないの」と受け入れることが出来ると、人様のちょっとイヤだなと思うところも、すごくイヤだと思うところも「その人にとって、今のその人のあるがままが、宇宙的に見ると一番良い状態なのだ」と思えるようになり、他人を裁かなくなりました。

 私は両親から、個性を大切に、自由にのびのび育てられ「ねばならない」の少ない人だったのですが、結婚した家が「嫁とはこうあるべきだ。世間様に笑われないように生活しなければいけない等々」古い家風の家だったのです。ありのままの自分を受け入れてもらえない苦しみを嫌というほど味わいました。そして身につけたことは仮面をかぶることでした。心を閉ざすことでした。でも私の本当の心は「これは私ではない。私ではない」と叫んでいました。

  今、はっきり解ります。その20年がどうして私に必要だったのか。私が悟るのに一番いいポジションを自分で選択して来たのだと・・・。

 最近電話で色々相談を受けるようになってきました。自分で逃れられないと思っている人間関係で悩んでいる人が多いようです。私はこう思います。何か強い調子で言われたとします。その時「ああこの人は今、こんな表現をしたいのだ」とテレビの画面を見るようにただ見ているのです。でもその時、やわらかく「はい、わかりました」と受け流すのがカギです。他人の思い通りの自分にならなくて良いのです。自分らしくそのままで・・・。そういうことを、ある人との関係の中で続けていくと、相手もなんとなく「変だな」と思いつつ、今のままの自分を認めてくれるようになるようです。この生き方が身についてくると、生きるのが本当に楽になります。自分の思いが現実を創っているという経験を一つでもすると自信がついてきて、この生き方で良いのだとわかってきて、そういう経験を多くするようになってきます。皆様もどうかあるがままの自分を受け入れ、愛してみませんか?

 はじめから知っていたのです。全ては自分の内にあったと・・・。思い出しただけです。そして生まれ変わって赤ちゃんのように一つ一つ体験して行くだけです。ただ淡々と、そしてスリリングに・・・・・。




☆御蔵島のイルカ  (1996年7月)

 7月の初旬、御蔵島というイルカの棲む島へ行きました。誘われた時、私は自分が泳げない事も、水に顔をつけるのが恐い事も忘れていました。ただイルカを身近に感じるだけでも良いと思って出発しました。津留を含め一行7名は、私以外は全員ダイビングの経験がある人達です。

 イルカをこわがらせないために御蔵島では、シュノーケリングだけしか許されていないし、ウオッチャーも1日40名以内と制限を設け、イルカと共存しています。
 ボートが出る前に初めて足ヒレをつけ、シュノーケルの使い方を教えてもらい、ぶっつけ本番という無謀なことをしてしまいました。ボートからイルカを間近に見るだけでも良いと思っていたのです。

  この島はいつも波が高いそうで、イルカのいるポイントまで行くとき、振り落とされないようボートにしがみついていましたが、ぜんぜん恐怖心はありませんでした。初めてイルカを見たときは興奮してしまいました。ボートのすぐ近くを何頭も何頭も泳いでいきます。
 群を見つけるとリーダーの合図で、皆いっせいに海に飛び込むのです。私は一回目はもたもたして、水に慣れるのが精一杯でしたが、二回目、ついにイルカと一緒に泳ぐことが出来ました。泳げない私が浮きを持っていたとはいえ、海に飛び込むことが出来たのはイルカのサポートがあってこそだと思います。

  夜、ものすごい風が一晩中ふき荒れました。島に着いた時、家の屋根が皆トタンなのを不思議に思ったのですが、夜になってその意味がわかりました。海に浮かぶ小さな島では風が強く吹くのは当たり前のことなのです。

 人には生まれながら持っている恐怖心がありますが、私ははげしい風の音を聞くと、どうしようもないほどの恐怖心におそわれます。冷や汗が出るくらいです。そこで私は風と一体になる瞑想をしました。全ては一つなのだと思っているとだんだん自分の身体の境界線がなくなり、恐怖心が消えていました。恐いものを嫌うのではなく、受け入れて一体になるのです。私は結構恐いものが多いのですが、最近この瞑想で恐怖心と闘わずにすんでいます。

  御蔵島はアルクトゥルス(イルカの波動の星)の波動の島なのでイルカが多く棲んでいるのだそうです。そして島の原始林も旅人を癒してくれました。
 私達一行もイルカに、森に癒され、又、封印されていたエネルギーを解放してきました。一人一人にお役目があって、見事にそれをこなしていました。宇宙は見事にバランスしているようです。