このごろ思うこと パート11

☆思っている通りを体験している  (2004年10月)

  やっと秋らしい日々が訪れましたが、急に寒くなると、何だかもの寂しい気もします。この四季のある日本という国に生まれたのですから、思いっきり四季を感じようと思っています。これからは紅葉の山や森を歩くのも楽しみです。
  孫は小さいときから、森が大好きで、街中は苦手ですぐに疲れたといってあまり歩きませんが、自然の中では何時間もよく歩きます。どんぐりを拾ったり、木の枝を拾ったり、木の葉をひろったり、きれいな石を見つける名人です。そして家に帰るとそれらを使って作品を作ります。

  最近のことですが、急に商品の注文がこなくなりました。内側をみてみると、忙しくて「ああ、もうイヤだ!」という思いを発していた時期があり、その思い通り注文がこないという現実を創ったことに気づきました。そしてその思いをキャンセルした次の日から、また注文が入り始めました。本当に簡単です。難しくしているのが、思い込んでいる固定的価値観です。

  「浄化の旅」という本も校正を重ね、あと少しで印刷が出来上がります。何かモノをつくるのは、大変ではありますが、形になっていく段階はとても楽しい作業です。

 「集合人」編集局では津留晃一の講演会テープを販売しています。元々の録音がMDのものは録音状態がいいのですが、元がテープのものは年数がたつに従い、テープの伸びなどが起きて来たり、また音量が元々小さいものもあります。何とか保存できないものだろかと思いつつ、私一人の能力ではどうしようもないので、宇宙に何とかして下さいとお願いして放って置いたところ、突然読者の方から、「元テープをCD化すると音質もよくなるので、ボランティアしましようか」というメールをいただきました。作曲のお仕事をなさっている方からです。

 そしてその方とお会いして色々お話し、お願いすることになりました。音質の悪いものから順に、すこしずつ直していくことになり、今の時点では2本分音がよくなっています。CDのままの販売も考えたのですが、英光舎さんのほうでCDは販売しているので、かさならないように、こちらではテープのみにしようと思っています。またCDだと聞いている途中で電話がかかってきたりして、続きを聞こうと思ってもまた最初からになってしまうので、CDは持っているけれどテープを送って下さい。という方もいらっしゃいましたのでそういう意味に於いてもテープのままにしておこうと思ったわけです。

  このことも「何とかしたいなー」という思いを宇宙に発して、どのように、いつまでにということは宇宙にお任せしていた答えが今、来たということです。

  読者の方の相談メールを掲載いたしますので、何かのご参考になればと思います。


お便り

  山口様こんにちは、RSです。先日購入しました新しい小冊子は、改めて自分 のブロックに気づくきっかけになったり、私がこれまでずっと探し続けて きたものが、「私とは何物であろうか…」という本来の自分へ戻りたい欲求だっと事を改めて気づかされました。ありがとうございます。

  私がずっと体験し続けている経済的問題や夫へも不満も、津留さんの浄化テクニックを使っていくうちにずい分変わってきました。これは私のブロックが浄化された事により、夫に対する見方が変わり、不満を感じなくなってきたのですね。

  経済的不安、恐れのブロックもかなり強力にありましたが何度も浄化していくうちに、不安、恐れに意識が向かなくなりました。そうすると、夫の収入が増えてきました。

  あと一つ、私がずっと体験しているものが家の問題です。私はアパートの4階に住んでいるのですが、3階の男性(独身、40代)から何度もうるさいと怒られてきました。男性は昼間家にいる事が多く、娘(現在5歳)が生れる前、そして生れてから現在に至るまで、もう何度も注意されています。一度は玄関に張り紙までされました。

  その為、私の意識は「恐い、怒られなくない」という方向に向いてしまい、娘が赤ちゃんの頃から注意をし続けストレスを感じ、また一方で「引越ししたい、でも経済的にそんなお金がない」というストレスも感じてきました。

  さらには将来引越しする際は夫は、姑の家の近くに引越しをしたいと考えているのですが、私は正直なところ、今の場所の近くで娘も今の学区の学校へ行かせたいと思ってます。ここにもう一つ私のブロックがあります(姑を恐れている点、友人が多い今の場所から離れたくないという執着)。

  娘の友達の家によばれ遊びに行く事もよくあるのですが、うちはよべない事にもストレスを感じています。以前、思いきって友達を呼んだことがあったのですが、すぐに男性から注意を受け、お友達の親にも恐い思いをさせてしまい、帰ってもらいました。娘の友達から「○○ちゃん(娘)のおうちに遊びに行きたい」と言われたり、クラスがえで新しいお友達のお母さんから「うちに遊びにきてください」と言われると、「うちにも遊びに来て下さいね」と言えない事にストレスを感じます(いちいち家の事情を説明するのも恥ずかしいと思っている自分がいます)。のびのびと暮らしたい、娘をもっと自由に遊ばせたい、友達を呼んで親子で楽しい時間を持ちたいという思いがあります。

 長くなりましたが、この家の問題でいろいろなブロックがありますよね。「人に迷惑をかけてはいけない」「人が怒っているのを見ると嫌な気持ちになる」「お友達を家に呼ばないといけない」「人とうまくやっていかないといけない」「お金がないと引越しが出来ない」「簡単には引越しできない」「姑のすんでいる場所へは引越ししたくない」「お友達の家がうらやましい」などの価値観をM2でやったみたり、階下の男性や姑への不満、恐れに「どうして」と意識を向けたりとやってみてます。しかしながら、この家の問題については、まだなかなかうまく浄化できません。

  私が浄化すべき点が他にあるのでしょうか…? 何か気づいていないブロックがあるでしょうか…?

  私は20歳頃まで2DKの団地に父、母、私、弟と4人で暮らしていました。なので自分の部屋がもてたは20歳になってからです。なので幼い頃から家に対するコンプレックスをかなり感じてました。それも今、体験していることのブロックになっているのかな…?

  今月で36歳になるのですが、この家の問題が、今、私がここにいる最後の大きなブロックのように感じてます。もちろん体験はまだまだ続きたくさんのブロックに気づくのでしょうが、お金の問題、夫のこと、そして家の問題の3つは私がずっと長い間、体験し続けてきた事なので、そろそろ浄化してしまいたいのです。

  よろしければ、アドバイスを下さい。よろしくお願いします。


返事

  お便りありがとうございました。すでに、RSさまはご自分のブロックに気がついていらっしゃいます。

  「人に迷惑をかけてはいけない」「人が怒っているのを見ると嫌な気持ちになる」「お友達を家に呼ばないといけない」「人とうまくやっていかないといけない」「お金がないと引越しが出来ない」「簡単には引越しできない」「姑のすんでいる場所へは引越ししたくない」「お友達の家がうらやましい」

 全ての人は、人とは違うストーリーを書いています。それがその人の存在理由です。地球上の全ての人で宇宙の全てを表現しています。今・この瞬間において・・・。ですから、RS様はRS様が楽に心穏やかになれるように浄化していくだけです。

  今まで同じ思いで生きてきたのですから、固い固い固定的観念は、たくさんのブロックの風船をつくっています。2、3回やってあまり変化がないように感じても、その時、必ず一つの風船はわれていますから、あせらずにやり続けてください。

  下の階に住んで、RSさまの「人に迷惑をかけてはいけない」という価値観をはずさせてくれようとしている方も、RSさまの心が外に見えているだけなので、そこから逃げ出すとまた同じような体験をすることになります。

  どうぞそこから逃げないで、「人に迷惑をかけることなど出来ないのだ」と決めて下さい。ご自分が迷惑をかけていると思っているから、文句を言いにきてくれるのです。どうぞその恐れを取ってください。

  呼吸に意識を合わせ「迷惑をかけたっていいじゃない」と言ってみて下さい。色々な想いがやってくることでしょう。その湧き上がってきた感情と共にいて下さい。その感情を味わいつくして下さい。はじめは胸が締め付けられるように苦しく感じるかもしれませんが、じっとそこにいるとだんだん「恐れ」が解けていく感じが解ると思います。そしてハートが暖かくなってきたら一つのブロックは消えました。「恐れ」がくる度にこのワークを行って下さい。そして、もし、今度その方がこられたら「自分も気をつけ、子供にもよく言い聞かせている。これ以上はできない。」と、はっきり言ってください。冷静に対処して下さい。そのうち文句を言われなくなります。

  私の家の犬が無駄吠えをして、隣の家の方からいつもいつも文句を言われ、小石や水をかけられたりしました。私は犬が鳴くたびにドキドキして、本当に保険所にお願いして安楽死させてしまおうと思いつめた事がありました。でも犬の目を見るとどうしてもできませんでした。

  あるとき文句を言いに来てくださったとき、自分の思いをすべて言葉にだしました。自分の気持ちをつたえました。犬の訓練をしてくれるところに相談した結果、子犬の時に訓練をしていない場合、老犬になって訓練をするのは難しいと断られたこと。無駄吠え防止の装置を取り付けているが、ぜんぜん利かないこと、保険所で安楽死をさせようかとまで思いつめたが可愛そうでできないことなど・・・。

 すると、その日を境に文句を言われなくなったのです。自分の心を見てみると、自分の気持ちを全て言葉で出したことによって、犬が鳴いてもドキドキしなくなっていたのです。「文句を言われたらどうしよう」という恐れがなくなっていたのです。自分が変われば、外側は自分の心が写っているだけですから、外側も変わってしまうのです。

  そしてその後、その文句を言っていた方の裏の家が、我が家の犬よりもっと大きく、よく鳴く犬を飼い始めたのです。面白いでしょ。

  RSさまのやり方で、ペースで一つ一つクリアーしていってくださいね。


  このメールのやり取りに一つ加えるとしたら、何かをイヤだなーと感じているとしたら、初めてそれをイヤだと感じた体験を思い出して下さいということです。その初めての体験の傷を癒す事が大切です。幼少期にその体験があります。インナーチャイルドの癒しが終わると浄化がし易くなるので、そちらの方を先にやってみてください。



☆宗教について  (2004年11月)

  最近、台風や地震が多発しておりますが、被害を受けられたた方々に心より、お見舞い申しあげます。辛い体験から立ち上がる事が出来ますようお祈りいたします。台風や地震は地球さんの浄化です。そしてそれによって被害を受ける方々も、地球の浄化のお手伝いをしようとシナリオを描いてきてくださった尊い魂です。感謝の想いを届けましょう。

  話は変わりますが、最近のご相談で、ある宗教に入っていた方が、とてもお金がかかるので、そこから離れようと思っていた矢先に、津留の本に接し「自分自身だけを信じてください」という言葉を受け入れ、一人でやっていこうと本やテープで学んでいるのですが、つい不安になって折りあるごとにお電話がかかってきます。もう10回くらいお話したでしょうか。でもだんだん電話がかからなくなってきましたのでもう大丈夫だと安心しています。

  そういう時に、娘が「子供の学校の保護者のバイブルクラスに何度か行ったけど、自分のカソリックに対する思い込みがぶち壊されたと」と話してくれたので、その事を書いてもらいました。

  宗教に関するうさんくささは、子供の頃からなんとなく感じていました。仏陀やキリストといったマスターたちの覚醒した言動はパワフルで、純粋に心震えるのに、なぜそれが今のこの仏教やキリスト教になってしまっているのか? 

  始まりは尊い教えでも、歴史が物語っている通り、それが組織化され、権力となり、拡大・維持していこうとする人間のエゴにより、ゆがめられ似て非なるものになってきてしまったのでしょう。実際、宗教や神の名を語って行われる支配、対立、暴力、戦争の連鎖は、今でも世界に絶える事がありません。(そんな、これまでの社会システムを解き明かし、未来へのビジョンを語っている名著が「神との対話」です。サンマーク出版より@AB巻出ている本ですが、未読の方は是非オススメします。)

  こういった嫌悪感から、私は宗教にノータッチで過ごしてきました。しかし娘が縁あってカソリックの小学校へ入学することになり、これを機会に今現在のカソリックの世界観、聖書の解釈について勉強してみようと、司祭でもある校長先生が開かれている保護者バイブルクラスに毎月参加していました。最初は少し距離を置いて、注意深く観察するようにお話を伺っていたのですが、極めて保守的という私の先入観がどんどん覆されました。

  先ず聖書について、(プロテスタントとは立場が違うでしょうし、また同じカソリックでも○○会などによって多少解釈が異なるかもしれませんが)「聖書は長い年月をかけて、あちらこちらの部族によって記された物語を無理やり一つにくっつけてまとめた本であるから、同じ章であっても神の捕らえ方が宇宙的視野の壮大で崇高なもの(臨在し一なるものとしての神)から、えらく擬人的な怒り嫉妬するものまで多様である。それは当時の人々の知識レベル、価値観、伝承に基づいて描かれているためで、聖書を理解するためにはそういった表面的な事象に囚われてはいけない。中に流れている真理、普遍的な愛のメッセージを読み取ることが大切である」というお話なのです。

  聖書には自分を信じない者、好ましくない者を裁き地獄へおとす荒々しい神の姿があります。私は「何でそんな了見の狭いモノが神なんだろう? その神を信じ、あがめるなんて不思議」と思っていましたが、なるほどそのようなきちんとした解釈がされているのか、と目からウロコでした。

  バイブルクラスでいただいたカソリックの月刊誌も、その内容は保守、保身とは無縁のグローバルな視点に立ったものでした。かって世界中で行われた宣教活動について、教義と西洋文化をセットで強要し、伝統的な各民族の言語や文化をいやしいものと抑圧し、民族としての誇りやアイデンティティーを奪ってしまったと反省し、現在では各地の文化を尊重した教会活動を行っているとありました。

  あらゆるいのちのつながりに気づき、愛と尊敬を持って接していこうと、環境問題について語り、現在アメリカを中心として世界を巻き込みつつある衝突に関して、善悪という二元論ではなく、多様性を認め融合して行く事が大切と訴えています。ニューエイジ的な考え方と何の隔たりもありません。

  また、仏教、キリスト教、イスラム教など諸宗教者が枠を越えた平和の祈りの集いを各地で行っているとのこと。加速する時代の流れと共に宗教も変化を遂げ、開かれたものになりつつあると実感しました。私の宗教に対する偏見もまたブロックだったと気づき、それを手放すことができました。「地球の未来がまた一つ明るくなったぞ!」と訳もなく嬉しくなりました。何を信じても、どういう道をたどっても、いつか戻るべき場所は一つです。


  自分の心に響く情報やメッセージを自分の意思で選択し、自分で行動に移していくことの大切さを改めて感じた今日このごろでした。 



☆起きている事はすべてメッセージ  (2004年12月)

  2004年最後の月になりましたね。一年が過ぎるのがとても早く感じます。それに反して1週間前の事がはるかに遠いことのように感じます。これは私だけの感覚でしょうか?

 11月中旬、孫の七五三の七つのお祝いに富士山の浅間神社へお参りに行きました。娘は富士山の神で浅間神社の祭神でもある、「コノハナサクヤ姫」と深い関わりがあると本人が感じていて、孫のお宮参りも、三歳のお祝いも浅間神社へ行きました。大きなご神木に囲まれた神社は懐かしい感じのする場所で、祭壇の奥が富士山という建て方です。小春日和の穏やかなお天気で、富士山はよくきたねと迎えてくれ、気持ちよくお参りすることができました。

  11月のはじめ頃、コンピューターの調子がおかしくなりました。作業をしていると、急に画面が真っ黒になってしまうのです。それで強制的に電源を切り、少し時間を置くとまた調子よく動き、10分から30分でまた真っ黒になるという状態が続いたので、このまま起動できなくなってしまうと大変だとあせり、サポートセンターに電話し、なかなか繋がらない電話を待って、相談を重ね、ハードの故障で液晶を取り替えないといけないと言われました。それですべてのデータをCDにとり、修理に出そうとしましたが、10日位かかると言われ、動揺している自分がいました。

  娘に相談の電話をかけると「コンピュータの具合が悪くなった事を何かのメッセージだと考えたらどう?」と言われました。人様にはえらそうにアドバイスしているのに、自分のこととなるとこんな些細なことで動揺している自分がいます。

  人間の目は外を見るようにデザインされているので、人様のことは本当によくわかります。その目線をぐるりと逆戻りさせ、自分の心の中を見てみました。

  HPを見ていただき、本やテープのご注文を頂いているわけですから、10日間もご注文に答えられなかったら申し訳ないとか、その間の収入がなくなってしまうとか「恐れ」がいっぱいありました。

  その「恐れ」の感情と共にいるというワークを色々な問題についてやり、自分の中の「恐れ」を気づかせてくれてありがとうとコンピューターに感謝できるようになりました。「もうこれでいつ修理に出してもいいわ、その間ゆっくりお休みしましょう」と心から思えたら、コンピューターの不調が全くなくなってしまいました。

 皆様も何か問題が起きたとき、これは何かに気づけという宇宙からのメッセージだという観点から、その問題に取り組んでみて下さい。外に対処するのではなく、自分の心の中を点検して下さい。すると今まで動揺していたり、あせっていた心が静かになり、自分が何を問題だと捕らえているかがよく解ります。

  私はご相談のメールにお返事を書くとき、これは私へのメッセージだと思って宇宙から答えをいただいています。一つ質疑応答を載せます。


お便り

  こんにちは。まだ、津留さんの教えに関しては、初心者です。悩んでいることがありましてメールしました。

  今私は52歳です。若い時から非常に、傷つきたくないという思いが強く、人とうちとけあうことがなかなかできません。また、どういうわけか他の人には何でもないことでも、私はひどく傷つき悲しみの気持がとても強いです。人前で恥をかきたくないという思いも強いです。

  こんな自分を変えねばと思い、(変えたいという気持もあります)エネルギーセラピーを受けたり、瞑想を習ったりしていますが、先生から私にはとても厚いブロックがあるようで、顕在意識では自分を変えたいという気持があるが、潜在意識では変えたくないという思いがとても強く、まだその時期が来ていないと言われました。

  津留さんの「このままでいい」には共感していますが、現実生活では何かと自分が劣っているように感じて、何とかしなければとあがいています。(比較しなければいいのでしょうが)「このままでいい」という自分と「このままではいけない」という自分がせめぎあっています。

  「このままでいい」という立場に立つととても気持が楽になるのですが、この気持がらくになるというのは、もしかしたら自分と対決というか、イヤな部分を見なくてすむということから来ているのかもしれません。本当に自分が変わりたいと思うまで、このままほおっておいてもいいのでしょうか。それとも、いやな自分にがんばって対決して、自己成長をはかるべきなのでしょうか?

アドバイスいただけたらうれしいです。


返事

  人は皆、大いなる一つであった意識体から分離し、それぞれの体験に基ずく感情を感じたくてわざわざ波動を下げ人間となって、地球に来ている旅人だと思ってみませんか?

  だとしたら自分は人より劣っているという感情も、神さまであった時には感じることができなかったので、自分で選択して人より劣っているという感情を感じられるような両親、環境を選んで自ら望んできたのです。先ずその事をいつも思い出して下さい。全ては自分が求め、選んだ人生なんだと・・・。

  だから今、人より劣っていると感じる事が多いのは神の視点からみると、とてもうまく行っているということなのです。ですから、そういう想いが沸いてくるたびに「ああ、うまく体験できているな、よかったな」と思えるようになるまで、「今までの固定的価値観=劣っているのは悪い事が起きている」をそうとも限らないに書き換えて下さい。

  それが、津留が言っている「このままでいい」という意味です。自分の中の否定したくなるようなどんな思いも、「それが悪いこととは限らない」と意識を向けて行って下さい。こうして「いいも悪いもない」という新しい価値観を作って下さい。

  人間とはありとあらゆる体験をしてあがりとなる、すごろくというゲームを楽しんでいるようなものだと思ってみてください。今世やってみようと思ったのは、その体験がまだ済んでいなかったからです。運が悪いわけでも、あなたに能力がないからでもありません。人より劣っているわけでもありません。劣っているとはどんな感じなのか体験したかっただけなのです

  「このままでいい」と思えたとき、その上で、もう散々劣っている体験はしたのでもう卒業しようとお思いでしたら、イヤな思いをし、ストレスを感じたとき、そのストレス感と共にいるというエネルギーワークをして下さい。ただただそのストレスの感情の中に入り、じっと感じつくしてください。そのとき、頭では何も考えないで下さい。思考が沸いてきたら、「思考ストップ!」と命令し、またそのストレス感と共にいて下さい。長くて5分でそのストレス感はぬけていきます。

  感情はエネルギーですから、感じてあげると抜けていきます。ストレスをためないで、感情が起きるたびにこのエネルギーワークをしてください。この浄化の詳しいやり方は「幸せテクニック」という本に書いてありますので、もしやってみようとお思いでしたらご読んでみて下さい

  今まで常識だと信じてきた考え方を変えるには時間と体験が必要です。実際に今まで頑張ってこられた方ほど楽に生きる事を自分に許す事が難しいようです。でもひとつひとつ、本当にそうだなーと実生活の中で体感すると、一気に180度方向転換する事が出来ますので、あせらず、それぞれのペースでやっていってください。私もその一人です。

  津留のように急いで解ってしまうと肉体を持つ必要がなくなりますので、のんびりいきましょう。そして心や体の不調はメッセージなので、心の声、体の声をいつも聞いてあげて下さい。

  ではまた来年お会いしましょう。