絶望感
「絶望感」という言葉はこの三次元世界では最も否定的な言葉のひとつであると言えるでしょう。「私は今、絶望のどん底だ!」という話を聞かされた時、「おめでとう、良かったね」と励ます事の出来る人が、果たしてどのくらいいるでしょう。
エネルギーの次元から見れば「絶望的だ!」という状態とは、最も覚醒エネルギーのポテンシャルが高い状態のことです。バネでいえばその弾性限界ぎりぎりまで引き伸ばされた、最も反発力を蓄えた理想的状態のことです。
絶望とは望みを絶たれた状態、理想の消えた状態、目標を見失った状態であるといえるでしょう。こんな時、あなたはどこへも行く事が出来ず、ただそこにいるでしょう。目標のないあなたには行くべき先がないからです。私もそんな絶望感を体験させていただきました。苦しさから逃れようと、あらゆる可能性に手を伸ばし、万策が潰えた時、エゴは悲鳴を上げ絶望の淵へと落ちていきました。深い深い沼の底でエゴは身動きしなくなりました。
そしてそこがこの三次元成長ゲームからの出口でした。全ての望みが絶たれたとき、全ての夢が消えたとき、全ての目標を失ったとき、エゴが動きを放棄したそのときから全てが始まりました。覚醒ゲームの始まりです。謎解きゲームの始まりです。進歩、発展、向上という三次元成長ゲームとは、自我の成長ゲームでした。覚醒ゲーム、謎解きゲームとは、自我の退化のゲームであるともいえるでしょう。
そんな夢ある絶望的状態を体験し始める人達が、今、増え続けてきました。このメッセージの読者の全員が、そんな理想的絶望感をすでに体験し終えている人達かもしれません。しかし、せっかくのゲームを長引かせたいのか、苦しみや困難の中でこの後半のゲームを遊んでいる方々が多く見られます。「イヤー、よくわからない」という言葉とお友達になっている方々です。「ウーム、難しい」という言葉の好きな方々です。「簡単にうまくいくはずがない」という確信を持っている方々のことです。
現に今、あなたが「難しい」という考え方を持っているとしたら、おそらくこれまでの覚醒への道のりは高く険しいものだったに違いありません。あなたの「難しい」という考え方があなたの今を創っているからです。そしてあなたは自ら創り出した「難しかった」という体験から、真実難しかったという学びを深め、その「本当に難しい」という新たな思いがさらに未来へ険しい道を築きます。あなたは過去の体験から出られなくなっているわけです。
「楽をして儲かるはずがない」という考え方を親から教育されたあなたは、安易な儲け話に乗って大損をした体験を味わったことがあるはずです。そんなあなたは「やっぱり親の言うことは正しかった、うまい話には気をつけよう」と自分の正しさを確信します。自分の思いが損を引き寄せたのだとは気づけません。こうして先人の信念を未来へと受け継いでゆくわけです。教育と称して、失敗の知識を蓄積し続けてきました。
戦争の失敗を学んだものは、その知識により何とか戦争を避けようと、争いごとに意識がフォーカスし続けます。そしてまた争うという同じ体験を引きつけて、失敗を後輩への遺産として受け渡してゆきました。過去の恐怖を後世へ残すとは、過去の体験を未来へ確実に誘導しているにすぎません。
あなたは「今」その考え方を変える力を持っています。「難しい」という思いを「簡単にいく」という思いに切り替えることが出来るのは「今」です。あなたはこれまで、「今」ある力を使おうとしてこなかっただけです。あなたは過去からの経験を気軽に口に出します。「悟りは難しい」と、無造作に、無意識的に。そうすることによって自分が未来を創造し続けているということに気付かないままに・・・。
「過去を知り、未来へ活かせ」とあなたは教わってきたかもしれません。過去の体験にのっとって今、あなたは考えます。あなたは計画をたてるとき、過去を参考にすることでしょう。あなたは過去を未来へ投影して生きているわけです。すなわち未来が過去の延長線上にあるのはこのためです。直線的時間を創り出しているのはあなたのこの習慣です。「今」しかない、この「永遠の今」の連続である宇宙の中に、連続的、直線的時間の体験を産み出してきたのはあなたなのです。宇宙に時間と空間があるわけではないのです。あなたの想念の中にしか存在しなかった時間と空間を、こうしてあなたは体験可能としてきたわけです。
あなたは、毎瞬毎瞬やってくる未来を創造する「今」ある力を使うことを忘れ、せっせと過去の体験から未来を計画していきます。計画する行為は、あなたを過去の延長線に釘付けにします。もし創造主に戻りたければ、計画をたてるという行為を即刻止めることです。計画とは「今」使えるあなたの未来を創造するパワーを、ドブに捨てる行為です。計画とは自我を成長させるにはとても有効な手段でした。あなたがこれまで蓄積してきた全ての学びを、ひとつずつ手放していくことによって、加速度的に悟りのゲームは容易になってくることでしょう。
ではその始まりはどうだったのでしょうか? 「難しい」という最初の体験を創り出すための想念はいったいどこから来たのでしょう。初めは、あなたはゲームの考案者(ゲームマスター)でした。ゲームマスターとは自分の体験したいゲームを創造=想像する人のことです。何でも瞬間にわかってしまう創造主であったあなたが、当初思ったことはこうでした。「『わらない』という状態はどんな感覚だろう、混乱するという体験が出来るなら、きっと『わかった』という大きな喜びが体験できるはずだ」。
「だが待てよ、いったいどうしたら難解なゲームを組み立てられるだろう。まず産まれ出るときに過去の記憶を閉ざしてしまおう。だがそれだけだったらすぐにゲームは終わってしまうだろう。もっと難しくする仕組みが必要だ。脳細胞は5%だけ使えるように設計しておこう。私なら5%だけの頭脳を使い、学び続ければ、やがてそう長い時間を必要とせずにゲームは終演するだろう。永遠に続けられるようなゲームにするにはどうすればいいのか?」頭の良すぎたあなたは考え続けました。
「簡単なはずがない」という考えを初めに植え付けておけばどうだろう。「簡単な方法は危険である」という信念を持てば自ら複雑な道を、難解な方向へと迷路に迷い込んでいくはずだ。「楽をして儲かるはずがない」という信念を持たせてしまえばきっと苦難を好んで引き受けて行くはずだ。これは使えそうだ。だが待てよ、これではひょっとして永久の迷路から出られなくなってしまう危険も考えられる。そうだ出口への案内をどこかに設けておく必要があるだろう。
「絶望感」というのはどうだろう。そうだ絶望状態まで行ったとき表面意識が内なる潜在意識へ入り込み、そこで覚醒ゲームへと切り替えるスイッチが入るようにデザインしてみよう。
今のあなたにこんな感覚はありませんか? 「悟りはとても簡単です」と言うと、「そんな簡単な方法があるのならこれまで苦労はしてこなかった。そんな簡単な方法はきっと罠に違いない」という思いです。「300万円払ったら悟りを開けるのだけど、やってみない」と言われたら、あなたはうさん臭い話だと感じるのではないでしょうか?
ですからあなたに「悟りの道は簡単だ」とお伝えすることの難しさを感じてしまいます。「簡単な道ではないのですよ」といった方がきっと信じてやってみようと思うはずです。だからあなたは依然として「簡単ではない」という思いを発し、簡単な道ではないという現実を創造し続けるのです。今、あなたには自分を変える力があります。静かに目を閉じ、第3の目にあなたの意識を集中して下さい。閉じたあなたの両眼で、自分の第3の目を凝視して下さい。3分もたてばあなたの眉間がむずむずしてくるのを感じる事でしょう。もし何も感じない方は「ムズムズしてきた」と思って下さい。
そして心の中で、自らの記憶を呼び覚ますつもりでこう言って下さい。「悟りの道は簡単である。覚醒は万人に約束された道である。神へと帰り着く道は、その始まりの時に交わされた唯一確実な契約である。私は目覚める。最も容易な道を選びながら。私は存在である。私は神である。私は全てを知っている。」
ゲームマスターとは100%第3の目が活性化した人のことです。その状態での想像と、創造は同じことを意味します。あなたは自分の想念を使って、想像力を使って、自分を変える力を与えられています。このゲームの出口は、今、ここにあります。あなたの意識がこの瞬間から動かなくなったとき、自分が元々何者であったのかを思い出すでしょう。
あなたは創造の神としてこのゲームを想像しました。最初に地上に産まれ出た魂に、あなたは神としてこう伝えました。「この世界は複雑怪奇で神秘に満ちあふれた世界なのだ」と。ここが「訳のわからない複雑な世界なのだ」という世界観を受け入れた人類は、その日から、まか不思議な神秘を体験し始めました。自らの想念によって・・・。こうして我々人類は、永い永い永遠の神秘ゲームを自らの力で、複雑に、難解に、創造し続けてきました。
世界観はあなたが創るものです。もう世界はどうなっているのだと問いかけるのは止めましょう。あなたが好きなように想像して下さい。そのときあなたは自分の想像通りの世界であった確証を集め始めることでしょう。もしあなたがこのゲームをそろそろ終わりにしてみようと考えるのでしたら、この瞬間まで信じていた全ての世界観をドブに捨て、あなたの想像できる限りのシンプルな世界を創造してみてはいかがでしょう。あなたは「すごろく」のような単純なゲームの中でシンプルに「あがり」に向けて歩んでいく事が出来るでしょう。
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