加害者
私達は、自分の否定するものによって、自らを傷つけています。あなたが肯定するものはあなたを優しく包み込み、あなたに力を与えてくれます。あなたはあなたの身のまわりに起こってくる出来事のひとつ、ひとつを丹念に観察し、受け入れてゆくことによって自分の本質へと帰っていきます。
この宇宙において、あなた自身を傷つける事が出来るものは、あなた自身の考え方以外には存在しません。あなたは、あなたが「良くない」と考えているものによってのみ傷つきます。あなたの心の中に「良くない」というものがなくなった時、あなたは他人から、そして環境から傷つけられなくなります。その時あなたは自分自身のマスターとなります。
人はいつもいつも、あれは良くない、これは良いと、毎瞬毎瞬、判断を下していますが、自分が良くないと判断する基準となっているモノサシには気付きません。ひとつ身近な話題でお話しします。「会社の社員旅行に行った時、同室の人のいびきがうるさくて眠れなかった」と言う人がいました。よくある日常会話だと思います。取るに足らないささいな問題で、普段気にも止めない事だと思いますが、実はこんなささいな問題の方がずっと多くのことに気付けるのです。痛みが小さく、その現実の中にのめり込まないで済むからです。その人はいびきをかいている人から迷惑を受けた被害者で、いびきをかいた人が加害者という事になりますが、それは本当でしょうか? もし人がいびきの音によって安眠が妨げられたというのなら、電車の騒音の中でうたた寝している人達は一体どういう事になるのでしょう
なぜ人のいびきは嫌なのでしょうか? 「嫌なものは嫌なのだから仕方がないだろ」人は訳もわからず嫌いなものを「生理的に嫌いなのだ」と説明を付けて済ませてしまいます。しかし、そうなるとあなたは自分ではその問題をどうすることもできないということになってしまいます。自分一人では解決できない、他人の問題だと考えざるを得なくなります。ですからあなたはその人から遠ざかることに意識が向かってしまいます。嫌いなものがあると、あなたは他人から分離せずにはいられないのです。
どうしてそれが嫌いなのか、そのことに意識を向けてみてください。「どうやって嫌いなものから遠ざかるか」ではなく、それが嫌いな理由を探してください。嫌いな理由はあなたの内側にありますから、それはあなた一人で解決がつきます。嫌っている原因が見つかったら、あなたはもう二度と逃げ出す必要がなくなるのです。
「それはその通りでしょう。嫌いなものがなくなれば一番いいに決まっている。でもいびきなんて誰だって嫌いでしょう。別に僕だけが嫌っているわけではないじゃないですか」という思いがわいてくるのがこれまでの習慣でした。我々はこれまで人と比較して、他人の受け入れている考え方を受け入れるという癖が染みついてしまっていて、人と同じであるというモノサシによって自分の正しさをはかり続けてきました。他の人と同じ考え方であれば正しいと判断し、それ以上考えることはなかったわけです。ですからあなたはあなたの親と同じ苦しみを体験していながら、そのことについてはそれで良いと自分を納得させ続けているわけです。それは仕方のない事だと自分をコントロールしているわけです。この世には我慢しなければならないこともあると錯覚しています。そんな人が大人であるといわれてきたわけです。
あなたが他人のいびきが嫌いなわけは、いびきをかくのは「良くないこと」だと思っているからに他なりません。あなたは親からこう言われ続けてきました。「こんな夜中に騒いではいけません。近所迷惑でしょ。静かにしなさい。少しは人のことも考えなさい」と。素直な子供は「そうか夜中に大きな物音をたてることは悪いことなのだ」と、親の言葉を受け入れます。両親に生存権を握られている幼子は、こうして自分のしたいことではなく、親のしたいように動き始めるわけです。そして「夜中に騒音をたてるのは悪いことだ」という固定的価値観が出来上がります。単にそれだけの事です。
「いびきがうるさくて眠れなかった」と言いますが、私の妻は電車に乗ったとたん、こっくりこっくりと居眠りを始めます。それは電車の音が、まるで子守歌でもあるかのようです。音量は、人のいびきよりも電車の騒音の方が明らかに上でしょう。フルボリュームでスピーカーを鳴らしているジャズ喫茶の中で、うたた寝している光景も何度も目撃しています。うるさいから眠れないというのは嘘です。いびきが気になるのはその騒音の故ではなく、「夜中は静かであるべきだ」とするあなたの考え方から来るものです。あなたの心には「夜は静かにしないといけない」という思いがあり、その思い通りでないところにあなたはストレスを感じます。ストレスは純粋な意識の葛藤作用です。ですから思いがなければストレスは起こりようがないのです。
人はジャズ喫茶の中に音を求めて入ります。そこには音があって当たり前なのです。電車の中では騒音は当たり前とあなたは考えています。あなたが当たり前と考えているものとは、あなたが受け入れているものです。あなたが受け入れたものは、もはやあなたの外にはなく、あなたと一体です。あなたはあなたが一体となったものから被害を受けることはありません。どんな騒音も、その存在を受け入れているものはあなたと分離していないのです。あなた自身と同化した、あなた自身の一部である音の中で、あなたはすやすやと安らかな眠りに落ちて行くわけです。
どうしていびきと同化できないのでしょうか。それはあなたがそれを良くないものと考えているからです。「良くない」と思ったとき、あなたはそのものから分離します。あなたが分離したものはあなたに影響力を持ち始めます。宇宙の創造主であるあなたから分離したものはあなたと同じ力を持っているからです。「夜は静かにしなければいけない」という考え方を受け入れているあなたは、その考え方と一体です。こうしてあなたは夜に騒音をたてるものに生理的嫌悪感を感じるようになっているのです。あなたが受け入れているものはあなたの味方となり、あなたが拒否しているものがあなたの敵となります。
夜中に大騒ぎするあなたのお子さんは、あなたの固定観念をぶちこわすためにこの地球へ降りてきた尊い光の存在だと考えてみてはどうでしょう。あなたが生理的に嫌っているどんなものも、このいびきと同じです。あなたに生理的に嫌いな人がいるとしたらどうぞ自分の内側に入り、自分のハイヤーセルフに質問してください。「私が彼女(彼)を嫌っている原因は何でしょうか」と。
もし、「意地悪」という思いが浮かんできたら、それが原因です。あなたは意地悪な人が嫌いなのです。それは意地の悪いのは良くないと思っているからです。私も含めて人はみな意地悪です。意地悪でもいいじゃないですか。どうぞ意地悪な自分を許してあげてください。意地悪でもいいじゃないかと思えた時、あなたはその価値観の真ん中、ニュートラルな位置に立っているといえるでしょう。
あなたはずる賢い人が嫌いかもしれません。自分本位な人が許せない人かもしれません。そして自分の狡賢さに気付いたとき、あなたはショックを受け落ち込みます。そんなことにならないよう、あなたのエゴはいつも実に巧みに言い訳を思いつきます。「私はあれもしなければいけないし、これもしなければいけない、とても忙しくて私には出来ないのだ」と。でもエゴは他人のために、この巧みな自己弁護能力を決して使おうとはしません。だから人は依然として嫌いな人を避け続けなければならないのです。
あなたは自分勝手な人が許せない人ではありません。よく考えてみればわかることです。誰だって自分勝手にふるまいたいのです。それが自由を求める人の本質なのですから。でもあなたは子供の頃、両親に、そして学校の先生にこういわれ続けてきました。「わがままはいけないよ。自分勝手にしてはいけません」と。そしてあなたはその考えを受け入れ、社会の常識に同化してきました。生まれたままのあなたのあるべき本質からずれてしまいました。それがあなたの根元的ストレスの源です。あなたはすでにに身の内にストレスの元凶を抱え込んでいます。「・・・はいけない」とする考え方のことです。宇宙には良いも悪いもありません。宇宙はただあるだけです。
あなたは自由そのものです。それを犯すことが出来るのはあなた自身の考え方以外にはありません。あなたが生まれてから、社会によって渡されてきた人間の固定的価値観を手放す時がやってきました。意地悪でいいのです。自分勝手でいいのです。それはリンゴの薄い皮のようなものなのですから。この世は幻影の世界なのですから。あなたは皮をまとった純粋なリンゴそのものです。皮によって中身が犯されることはあり得ません。
そんなニュートラルな人だけが宇宙の純粋な鏡として、意地悪な人にも、身勝手な人にも変わることのない豊かな愛情を表現し始めることでしょう。
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