愛を通して


 人は誰でも「つまらないモノを発見する」能力と、「素敵なモノを発見する」能力の両方を持っていますが、あなたは果たしてどちらの能力の方が秀でているとお思いですか?  あなたが今自分の人生はつまらないとお思いだとしたら、それはあなたが素敵なモノを発見する

能力以上に、つまらないモノを発見する能力の方が優れているゆえんであり、つまらないモノ発見名人は、どこにいても、他にどんな優れた才能をお持ちだとしても、その人の人生はつまらない人生となってしまいます。


 とても単純な事です。この三次元世界には、つまらないモノと素敵なモノの2種類のモノや事が存在します。それは素敵なモノがつまらないモノを産み出し、つまらない事が素敵な事を産み出すからです。互いが、互いの存在ゆえに存在可能となるからです。片方が消滅すると、もう片方も消滅します。それがこの物質宇宙の発生の基本メカニズムです。 

 この世に素敵なモノがある以上、つまらないモノがなくなることは永遠にありません。この世が素敵か否かは、あなたの今の環境や状況によって決まるわけではなく、あなたが素敵なモノをいつも見つけ、そのことに意識の焦点を合わせているか、つまらないモノの方に意識の焦点を合わせているかによってのみ決まります。

 すなわちこの世が素敵かどうかは、あなたの選択にかかっているということです。素敵なモノを見つめながら生きているか、つまらないものに焦点を向けて生きているか、そのどちらかでしかないわけです。

 「これがないとつまらない」と思うのは、それがないとつまらないというあなたの限定された思考により発生しているにすぎません。つまらないという事実が存在しているわけではなく、「それがないとつまらない」とするあなたの考え方が、あなたをつまらない人生に誘引しているだけなのです。つまらないのは、自分の抱く価値観によるだけだということに気が付くと、人はつまらないことに意識が向かなくなってきます。 

 これまで人は、今ここがつまらなくなると、それが自分の考え方から起きていることには気付かないため、どこか別の何かを探し求めてきました。人は進歩と称していつもいつもこれをやり続けてきました。つまらなくなったとき、それは自分の考え方にあるのだから自分の価値観を点検すればいいのだという事を知らない人は、つまらない外の世界(幻である映像の世界)を変えようと努力し頑張ってきました。

 そして望み通り別の映像(外部環境)を手に入れますが、その新たな映像(環境)の世界でまた別のつまらないものを発見してゆくというわけです。

 このような話を色々なところで聞き、色々な本で読んでいるので頭では分かっているのに腑に落ちていない人は、自分で学んだ知識を他人に当てはめるのが得意な人で、自分に適用することを忘れているようです。「自分はわかっているが家族があるから」とか「彼がどうしても解ってくれない」と人は言います。そんな家族も、そんな彼も、全てあなたの心の内側以外には存在していないということをすぐに忘れてしまいます。あなたの目に映る彼なのですから、それはあなたの映像世界にあなたが映し出した幻影です。

 真理はただ自分を変えるためにのみ存在します。あなたの世界はただあなたを変えるためにのみ存在します。あなたのスクリーンを書き換えるゲームはそろそろ終わりにしませんか?

 この世に「良いこと」と「悪いこと」はないということを受け入れているというのに、自分の抱いている道徳的価値観をなかなか疑ってみようとはしません。あなたの中に「そんなことをするのは良くないことだ」という「こと」はありませんか? そんな無条件に信じ込んでいる「いけないこと」を探してみて下さい。あなたの抱く「いけないこと」が人を裁き、自分を咎めます。

 あなたは創造するものです。何事であっても、人を裁いたり、咎めたりする必要などありません。あなたはどんなこともただ体験し学んでいるだけです。あなたの目の前に起きてくる出来事は、ただあなたが自分の考え方に気付き、意識の変容が遂げられるようにと起こってきます。

 瞬間、瞬間、創造行為にだけ意識を向け、どんな時も喜びの創造にあなたの意識を集中して下さい。あなたの自由は、創造する事においての自由です。その時あなたを邪魔する何者も存在しません。あなたはそのとき完全な自由を体感することでしょう。

 人を裁いたり、咎めたりしなくなったとき、あなたはその自由さ故に光輝きます。そのあなたの放つ光こそがあなたの全ての創造の材料(素材)となり、あなたの思いが実現します。光を放たない(即ち物質化の原材料の供給の出来ない)あなたが思いを実現できるはずもありません。この物質世界の全てが光により出来ていることを思い出して下さい。あなたの望む現実は、あなたが放つ光を素材として形作られてゆくのです。

 まず心を満たすところから初めて下さい。それはほんの一瞬ですむことです。あなたをこの次元に留め拘束しているのは、あなたの「ねばならない」とする考え方です。こうしなければならない、あれをしなければ、という思いが、考え方が、今の自分を縛っています。

 自分の考え方を手放したとき、「ねばならない」とする思いが消えたとき、肉体はこの三次元にありながら、神と一つになった新しい生活が始まります。あなたはこの次元に、必ずしも都合の良い事をするためにだけ降りてきたわけではないはずです。何不自由のない無限の領域から、わざわざこの不自由な世界に降りてきたのには訳があります。それは体験してみたい何事かがあったからです。それは無限に自由な世界では決して体感することの出来なかった事であったはずです。思うがままに生きていたあなたが体験できなかった事とは、まさに不自由さそのものではなかったでしょうか。思い通りにならないとは、一体どんな感覚なのだろうか? 好きでもないことをやらねばならない時、どんな感じがするのだろうか? そんなじれったいフィーリングを体験してみたかった・・・。そのことを私は思い出しました。

 今、気に入らない事があったらそれを充分に感じとり、そのフィーリングをこそ体験しつくして下さい。それがあなたの生の目的なのです。それがあなたが今ここにいる理由なのです。あなたの仕事とは感じることです。あなたの唯一の役割とは、あなたのねばならない唯一の事とは、今、そこを体験し感じとることだと伝えられました。

 好きなことはもちろん、好きでないことをこそ感じとってみて下さい。それを忌み嫌うことなしに・・・。そこを感じつくし、味わいつくした時、あなたにはもはやこの次元で体感するという学びがなくなり、次なる学びの場である次元環境があなたのために用意されることとなるようです。

 それを可能ならしめるのは、今そのままのあなたを認め、そのままの自分を心に抱き、無条件に自分をただ愛しつくすこと、ただそれだけです。これで完璧なのだと気付けば、ただそれだけであなたに変容が起こってきます。今の自分ではダメだと思っているあなたが変容することはあり得ません。何故なら全ての創造主であるあなたが自分はダメだとそう決めているのですから。

 今、あなたはそのままで何も問題はありません。このことに例外はないようです。今、あなたがどんな意地悪な考えを持っていようとも・・・。そんな意地悪な考えが頭をよぎる自分を、それでも良いのだとただ認め、そんな自分をそのまま条件をつけることなく愛して下さい。ねばならない事があるとするならば、あなたのしなければならない事はただそれだけです。どんな条件もつけず、今の目の前の生をそのまま受け入れ、心に抱き、ただ自分を慈しみ愛して下さい。

  今、あなたの目の前にあるものを愛することを通して、あなたはあなたの神と一つになります。あなたの源へと帰り着きます。これがあなたのするべきことであるといえるでしょう。あなたは愛から生まれ、愛を通してのみ源と一つになります。それが万人のゴールです。

 全てのものに、どんな意味も付けることなく、愛することが出来たとき、そこがあなたの源。神の位置であり、源との融合の瞬間です。



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