このページでは我らが母校・東洋大学の歴戦の勇士達とライバル達を特集していきます。気になる選手の進路先にもお役立て下さい。

東洋大学の歴戦の勇士達

氏 名 守 備 年 度 進路先 寸 評
田中 大輔 捕手 03年〜06年 如水館
中日ドラゴンズ(自由枠)
2年次よりレギュラーに定着。3年からは中軸に。3年春季は.371をマークしベストナインにも選出された。主将も務めチームを牽引。
永井 怜 投手 03年〜06年 東農大二
東北楽天ゴールデンイーグルス
通算12勝。4年春は5勝。青学戦では連続完封勝利の偉業を達成。1年秋からベンチ入り。2年秋は入替戦も経験。故障に苦しみながらもエースとしてチームを支え続けた。
山本 真也 内野手 03年〜06年 PL学園
日本生命
パンチ力のある打撃が目立った。4年春は.413のハイアベレージをマーク。4年春秋とベストナインに選出された。
田爪 晃司 内野手 03年〜06年 浦和学院
ホンダ
1年春からレギュラーとして出場。田爪が塁に出れば盛り上がる、元気印。
なかなか3割に到達しなかったが4年秋は.383をマークした。
難波 光太郎 内野手 03年〜06年 愛工大名電 なかなか試合出場できなかった大砲も4年次に4番としてデビュー。春開幕5連勝に4番として貢献。
4年秋最終2試合で見せた2本のホームラン。卒業後の進路につながる一発になって欲しい。
田中 仁 外野手 03年〜06年 太田市商業
JR東日本
大学入学後、投手から野手へ転向。4年春青学2回戦で永井の連続完封をアシストするファインプレーを魅せた。
俊足が光った好選手だった。
荒巻 寿典 外野手 03年〜06年 小山西
住友金属鹿島
東洋の満塁男。3年秋、4年春と満塁ホームランを放ち、チームに勢いをつけた。勝負強いバッターだった。
筒井 広大 外野手 03年〜06年 PL学園 レギュラーに後一歩、定着できなかったが、チームが苦しかった4年秋に.378と高打率をマークしチームを救った。
上岡 正慎 外野手 02年〜05年 太田市商業
ホンダ
印象的な一打が目立った強打者。1年春デビューの初打席での初安打が始まりだった。ベストナインに3年春に選出される。
3年春青学戦でのサヨナラ打、秋の亜大戦での最終回同点ホームラン、4年秋の駒大戦での優勝への希望をつなぐ逆転3ランなど勝負強さが光った。
大槻 悦史 内野手 02年〜05年 徳島商
日本通運
4年秋は主将としてチームを牽引し、.391で首位打者に。4年春秋と2度ベストナインに選出。
畑山 侑昨 投手 02年〜05年 東洋大姫路
セガサミー
なかなか登板機会にめぐまれなかったが、4年次は控え投手としてベンチ入り。
田口 篤史 投手 02年〜05年 東亜学園
TDK
4年次から登板。秋に2勝をあげ、連続2位に貢献した。
赤坂 恵一 捕手 02年〜05年 太田市商業
パイオニア
4年秋中大戦で試合を決めるホームランを放つ。
手塚 翔 内野手 02年〜05年 浦和学院
セガサミー
4年春主将。4年秋はレギュラーに定着。
長谷部 純 内野手 02年〜05年 成田
JR東日本東北
4年春はレギュラーに定着。4年春中大戦でのホームランが印象的。
鈴木 康司 内野手 02年〜05年 小山西
京葉銀行
4年春にケガの山本に代わりショートでレギュラー出場。
名田 陽介 内野手 02年〜05年 東洋大姫路
甲子園で2ホーマー、期待を背負っての入学だったが、代打出場が主に。4年秋駒大3回戦では優勝の可能性をつなぐ逆転ホームランを放つ。
大廣 翔治 内野手 01年〜04年 桐生第一
楽天6巡目
通算13本塁打をひっさげ、プロ入り。4年次は、春秋それぞれ3本塁打を放ちベストナインに選ばれるも優勝にはつながらなかった。スケールの大きい打撃をプロで磨いて開花させて欲しい。
瀧 貴史 外野手 01年〜04年 桐蔭学園
NTT東日本
3年秋、打率.375でレギュラーに定着、ベストナインにも選ばれた。右打ちの巧打が光った。
荘野 龍仁 外野手 01年〜04年 PL学園
西濃運輸
ケガに苦しんだ4年間だった。が、ライトから見せる強肩でチームを救った。
大河原 悠之 内野手 01年〜04年 浦和学院
JFE東日本
4年春の青学3回戦で最終回の同点打が記憶に残る。
上野 貴久 投手 01年〜04年 帝京
NTT東日本
通算14勝。1年次から春秋入替戦という苦しいチーム状況の中、エースとして投げ抜いてきた。4年秋のシーズン未勝利に終わったが、入替戦で好投。山脇との両輪で1年春秋、4年秋の入替戦に勝ち抜き、1部残留に大きく貢献した。
山脇 大輔 投手 01年〜04年 東洋大姫路
日本生命
通算10勝。1年秋2勝、2年春4勝とエースとしてチームを支えた。が、2年秋から不調に苦しんだ。山脇の不調がチームの成績にも影響を与えた感は否めない。が、上野とともに3度にわたる入替戦を乗り越え、苦しいチーム事情の中、1部で投げ抜いた記憶に残る投手である。
愛甲 浩士 投手 01年〜04年 東洋大姫路 通算3勝も上野、山脇とともに先発にリリーフにチームに大きく貢献した。
松沼 達也 投手 01年〜04年 川越商
パイオニア
西武ライオンズ松沼博久氏の二世として注目された。先発で2勝を挙げるも、4年次は故障で登板できなかったのが悔やまれる。
岩館 学 内野手 00年〜03年 成田
巨人5巡目
2000年秋・1年生デビュー。打率.358で打撃成績第2位。駒澤との直接対決でも9打数5安打6打点と大活躍し優勝に大きく貢献し、ベストナインにも選ばれた。
その後、ベストナインに選ばれることはなく、思うような成績を挙げられなかった。
早川 辰徳 外野手 00年〜03年 東海大相模
ホンダ
3年春季首位打者に輝く。俊足をいかした手ごわいリードオフマン。一躍ドラフト候補に名乗りを上げたが、4年次はプロを意識したためか精彩を欠き、打率は春秋ともに3割を下回った。
塁に出ようとする必至さがスタンドに伝わってくる好選手だった。
浜田 政宣 内野手 00年〜03年 京都西
ミキハウス
2番の功選手かと思えば一発も打てるパンチ力もある。相手の状況につけこんだ走塁などトリッキーなプレイも見せ、野球センスを感じさせる選手だった。
佐々木 真楠 投手 00年〜03年 仙台育英
NTT東日本
3年次はバッティング投手。4年春季神宮デビューし1勝をあげた。
田川 耕一 捕手 00年〜03年 日大豊山
ジャストミートコーポレーション
飯田卒業の後、4年次に正捕手へ。秋季日大戦でホームランを放つ。
長谷川 貴紀 投手 99年〜02年 東洋大姫路
ミキハウス
1年春に1勝。2年、3年、4年春季は未勝利。
3年春入れ替え戦では1回戦完投勝利、2回戦では9回リリーフと1部残留に大きく貢献した。
3年時からはエースとしての活躍が期待されたが、リーグ戦では思うような結果が残せず、チームも春秋入替戦。
4年秋は145Km前後のストレートと変化球とのコンビネーションが冴え、完投勝利を含んで3勝を挙げ、ドラフト候補に。
社会人野球で、プロを目指す。
飯田 庸資 捕手 99年〜02年 愛工大名電
東芝
2002年度主将。1年時から正捕手。ベンチからグラウンドからチームを引っ張る姿が目立った。
中野 滋樹 捕手 99年〜02年 柳ケ浦
ミキハウス
4年次に代打、指名打者で活躍。秋季は16打数6安打、打率.375と活躍。
山下 真司 内野手 99年〜02年 東洋大姫路 安定した守備が目立ったがスタメン出場は厳しかった。
田口 健吾 内野手 99年〜02年 長崎日大
パイオニア
4年次に投手から野手へ転向。若林、高谷と激しくレギュラーを争った。
高谷 直樹 内野手 99年〜02年 土浦日大 3年秋に2本のホームランを放つ。4年春季・青学戦で入替戦危機に勇気を与える勝ち越し3塁打を放つ。
若林 攻真 内野手 99年〜02年 前橋工業
専門学校
3年春入れ替え戦2回戦に6番指名打者でスタメン出場3打数3安打、勝ち越しタイムリーと大活躍。4年秋専修大3回戦で3安打1打点で勝ち点奪取に貢献。
小板 佑樹 外野手 99年〜02年 浦和学院
ホンダ
2000年秋4番バッターとして優勝に貢献。2000年は入れ替え戦も含め3ホーマー。
調子の波が大きく、安定した成績を残せなかった。
小西 隆介 外野手 99年〜02年 桐生第一 4年次にレギュラーとして活躍。春秋に1本ずつホームランを放つ。春季はチームトップの8打点、打率.317。
秋山 和也 外野手 99年〜02年 浦和学院 3年次春季開幕戦はスタメン。4年次は守備固めでの起用が目立った。
福田 隆志 捕手 98年〜01年 桐生第一
TDK
2001年度主将として2季連続最下位という厳しいシーズンを乗り切った。
吉田 亮 外野手 98年〜01年 堀越
王子製紙
2001年春入れ替え戦では1本塁打7打数5安打3打点と大活躍。最終学年のシーズンはレギュラーとして活躍。
中島 隆志 投手 98年〜01年 土浦日大
東芝情報機器
2001年秋入れ替え戦対専修大2回戦で中継ぎ登板。7回1/3を無失点で乗り残留に大きく貢献した。
耳道 健仁 内野手 98年〜01年 浦和学院
日本通運
ピンチによく声をかける姿が目立った好選手。
浦崎 希 内野手 98年〜01年 PL学園
川鉄千葉
4番スタメンに名をつらねたこともあった。
薗田 広之 内野手 98年〜01年 前橋工業
JR東日本東北
2001年秋入れ替え戦対専修大2回戦、2点をリードされた2回裏に逆襲の口火をきる3塁打タイムリーを放ちチームを救った。
三浦 貴 投手 97年〜00年 浦和学院
00年巨人D3位
2000年秋優勝の立役者。最高殊勲選手、最優秀投手、ベストナインの3冠に輝く。
このシーズン7勝・投球回数96回と投げぬいた。1年秋からリーグ戦に登板し早くから将来を期待されていた。しかし、2年生の1年間を2部リーグで過ごす。最終学年は主将で迎えたが春は最下位からの秋・奇跡の優勝を果す。美しい投球フォームから140km台前半のストレートとスライダーが絶妙の東洋大史上屈指の大エース。通算13勝。
小川 真殻 捕手 97年〜00年 浦和学院
日本通運
中日(03年)8巡目
三浦と高校時代からバッテリーを組む。勝ち点を取ったほうが優勝の駒澤2回戦において盗塁封殺に先制タイムリーと活躍した。2000年秋季リーグでは中央・阿部を押さえてベストナインに輝いた。
前田 忠節 遊撃手 96年〜99年 PL学園
近鉄D3位
トップバッターとして活躍。2部降格も経験。1部昇格シーズンでの優勝争いに貢献した。近鉄では新人ながら開幕スタメンに名をつらねた。
久保田 智 一塁手 96年〜99年 浦和学院
川崎製鉄千葉
ヤクルト(02年)
99年春に.421で首位打者。1部昇格シーズンでの優勝争いに大きく貢献した。98年3年生時は2部リーグでプレー。秋・立正大との入れ替え戦1回戦では貴重な先制2点タイムリーを放ち1部昇格へチームを勢いづけた。残念ながら1部優勝を経験できずに卒業となったが、社会人野球で大活躍している
鈴木 功 投手 96年〜99年 越谷西
日本通運
98年2部リーグで10勝。立正大との入れ替え戦も1回戦に登板し4対1で迎えた9回に無死満塁の大ピンチををゲッツーとショートゴロで無失点に押さえ完投勝利。入れ替え戦に先勝をもたらした。99年春に1部昇格直後のシーズンで4勝を挙げ、優勝争いにチームを引き上げた。1部優勝を経験できなかった悲劇のエース。
山崎 英紀 遊撃手 95年〜98年 浦和学院
本田技研
2部リーグ時代の主将。2部春4位と不振だったチームを立て直し秋・2部優勝そして1部昇格へチームを引っ張った。プロも注目した1番バッターだった。入れ替え戦を前にした週間ベースボールに「後輩達には神宮でプレーしてもらいたい。」というメッセージは忘れることができない。最終学年を神宮でプレーできなかった悲劇の主将だった。
福原 忍 投手 95年〜98年 広陵高
阪神D3位
入れ替え戦2回戦で完封勝利。プロ入りを前に後輩達へデッカい置き土産を残してくれた。プロ入り後、1年目から野村監督のもと活躍している。
倉 則彦 投手 94年〜97年 常総学院
東芝
センバツベスト4の実績を引っさげて入学。
94年春・駒澤との優勝決定戦3回戦で1年生ながら先発。
96年春・入れ替え戦3回戦ではノーヒットノーランを達成。この活躍がもっと早ければ入れ替え戦も回避できたのに。
今岡 誠 遊撃手 93年〜96年 PL学園
阪神D1位
1年生の春季リーグでホームラン・打点の2冠王となり鮮烈デビュー。その後、中心打者として活躍した。3年時は優勝も経験。勝ち点を取ったほうが優勝という青学2回戦では勝利にはつながらなかったがホームランを放つ。4年時は主将を務めるが春季リーグでは前年Vからまさかの最下位入れ替え戦へ。入れ替え戦では初戦に敗れるが連勝で1部残留を決めた。入れ替え戦では3試合連続でホームランを放ち1部残留に貢献した。この年のアトランタオリンピックにも全日本選手として青学・井口(ダイエー)とともに活躍。東洋大史上初のドラフト1位指名選手となり阪神へ入団した。西岡との二遊間コンビは鉄壁であった。
塩崎 貴史 投手 93年〜96年 広陵高
日石三菱
甲子園優勝投手として入学。
95年春優勝時にエースとして活躍、5勝をあげ優勝に大きく貢献。最高殊勲選手にも選ばれた。しかし、1年後、塩崎の不調が響きチームは最下位入れ替え戦へ。天国と地獄を味わった主戦投手であった。
清水 隆行 右翼手 92年〜95年 浦和学院
巨人
95年春・5期連続2位を乗り越え青学との死闘の末、サヨナラ押し出しで優勝を勝ち取った主将。優勝したこのシーズンでは.384の高打率でチームを引っ張った。全日本大学チームでも4番を務めた。93年秋・駒澤との優勝決定戦で先制打を放つなど勝負強さは学生時代から健在。96年ドラフト3位で巨人から指名され今や押しも押されぬ不動のレギュラーとして活躍している。
川中 基嗣 三塁手 92年〜95年 東山高
日本通運
→巨人
93年秋・駒澤との優勝決定戦でホームランを放つものの6回裏2アウト満塁の場面で痛恨のファーストへの悪送球と天国と地獄を味わった。しかし、95年春・優勝時はベストナインに選ばれる活躍をみせ優勝に貢献した。
和田 友貴彦 投手 92年〜95年 大阪桐蔭
東芝
大阪桐蔭高校で甲子園優勝投手として鳴り物入りで入学。93年2年生時は1年間エースとして大活躍。春6勝、秋は5勝の大活躍。駒澤との優勝決定戦、駒澤エース河原と互角に投げ合うものの守乱から同点に追いつかれて降板。その後は故障で苦しみ思うように活躍できなかったが、95年の大学選手権では好投をみせた。和田こそ東洋史上の最たる悲劇のエースとして管理人は永遠に認めている。管理人最終学年の93年は和田の活躍なしに優勝はありえないと思っていたがその通りの1年となってしまった。
西岡 隆一 二塁手 91年〜94年 常総学院
松下電器
リーグ戦通算99安打を放つ。俊足・好打・好守の3拍子そろった好選手だった。西岡の好守は何度となく東洋大のピンチを救ってきた。管理人と同級生ということもあり思い入れは一番強い。在学中は優勝1回、2位5回3位2回の好成績。5期連続2位、最終学年は主将で卒業。東洋大・黄金時代を中心選手として支えた名選手である。最後のシーズンを一緒に優勝の喜びを分かち合えなかったのは残念。神宮のトイレで並んでしまったことが、管理人の学生時代の思い出の一つである。
社会人野球でも主将として活躍している。
銭場 一浩 投手 91年〜94年 伊奈総合
東芝
91年春鮮烈デビュー。7回目の優勝に大きく貢献。最初で最後の最高殊勲選手、最優秀投手賞を受賞した。主にリリーフとして活躍。ピンチにも物怖じしない度胸あふれるピッチングを見せてくれた。
岡崎 淳二 投手 91年〜94年 川越商
鷺宮製作所
甲子園出場選手として銭場とともに活躍が期待されていたが、初登板は4年生・春のシーズンであった。この試合は勝ち点を取ったほうが優勝といった対戦であったが初戦をエース和田(駒澤・先発は河原)で落とし後がない1戦であった。初先発となったこの試合、好投をみせ9回まで無失点に押さえた。最終回、打ち込まれ銭場にマウンドを譲ったが見事6対3で勝ち1勝1敗のタイに持ち込む原動力となった。この試合は、管理人の東都史上でも記憶に残る1戦となっている。
関口 伊織 投手 90年〜93年 大宮工
日本通運
→横浜
91年春優勝時・3勝を挙げ優勝に貢献する。その後、学生時代は目立った活躍はなかったが、社会人野球で大活躍しドラフト2位で横浜に入団。98年の横浜・優勝時は完封勝利も記録している。
和田 孝志 投手 89年〜92年 拓大紅陵
ロッテ
90年春対亜細亜大1回戦で東洋大史上初のノーヒットノーランを達成。91年春・優勝時はエースとして3勝を挙げる。優勝決定戦となった日大戦で先発し勝利投手となった。
通算14勝。
ロッテからドラフト3位で指名されプロ入り。2000年にプロ初勝利を挙げる。
桧山 進次郎 三塁手 88年〜91年 平安高
阪神
91年優勝時の主将。このシーズンは4ホーマーを放ち大活躍。90年秋・入れ替え戦がかかった試合ではサヨナラホームランを放ち入れ替え戦回避へチームを導くなど大学時代から勝負強い打撃は健在だった。89年秋、1ぶ昇格シーズンで首位打者を獲得。プロ入り後も阪神で4番を打つなど活躍している。
田中 泰 82年〜85年 東洋大姫路
日本通運
61年春・優勝決定戦・日大2回戦でサヨナラホームランを放ち2年連続の秋季優勝を決めた。
仁村 徹 投手 80年〜83年 上尾高
中日ーロッテ
82年優勝時のエース。勝ち点を取ったほうが優勝の駒沢との最終週対決・初戦に先発し2失点完投勝利。2回戦は7回2死3塁のピンチでリリーフ登板。最小得点1点を守り切り勝ち点5の完全優勝に導いた。このシーズン8勝を挙げ打っても6打点の大活躍。最高殊勲選手、最優秀投手に輝いた。通算でも29勝を挙げている。
*「なつかしの東武練馬さん」の思い出
仁村さんは上尾高(埼玉)出身で甲子園にも1度でています。当時は松沼さんの出身校の取手二高と上尾高の出身選手が多かったです。両校ともよく甲子園にでていました。私が入学したとき仁村投手は2年生でした。私は1年の時は朝霞でしたので、神宮には数えるほどしかいかなっかたのですが、仁村投手はかならず投げていた記憶があります。

仁村投手は右下手投げで、おどろくほどのスピードはありませんでしたが抜群の制球力、カーブやシュートなどの変化球と下手投げ特有の打者の手元で伸びる球を駆使し内外角、高低のゆさぶりで打者の的の絞らせない投球が武器でした。

仁村投手が3年の春、仁村投手が投打に大活躍し勝ち点5の完全優勝をしました。
このシーズンは初戦の日大戦に1敗1分のスタートと苦しいスタートでしたが、その後仁村投手が投げては6連勝、細かくは記憶がありませんが打者としてもタイムリーを何度か打って勝利に貢献しました。駒大との優勝をかけた試合では8勝1分無敗の駒大に対し、1四球の完投勝利をかざり、翌日の2戦目は7回二死3塁打者は当時駒大の主将の広瀬(社会人ー日本ハム)という大ピンチにリリーフ
し(東洋は仁村コール、駒大は広瀬コールでこの試合の1番の盛り上がりの場面)
みごと初球で二塁ゴロに打ち取りました。このシーンはよく覚えています。本当に心臓がドキドキしました。もちろん残りの回はおさえ歓喜の優勝となりました。
その後の大学選手権では、仁村投手は初戦大畑投手(D1大洋)の九産大を1−0の完封、準決勝中京大戦4−1で1失点1四球完投で法政との決勝を向かえることになりました。この試合では1−1の7回から登板しましたが9回表1死1塁、2塁
で、春シーズン6大学首位打者でリーグ優勝の原動力となった銚子をむかえました。
ファールで粘られ2−3からの9球目、3塁線を破られ2者がホームにかえりました。
東洋の応援席は大きなため息がでました。試合後のコメントでは銚子選手はこの時「カーブがきたら打てない。だから、カーブをねらってるとみせかけるために打席の前へたった。」とあります。またこの時は普段よりバットを短くもって打席にはいったともあります。打たれた球は内角低めのシュートだったそうですが、バットを短くもっていたため鋭く振りぬかれたのでしょう。打たれて負けてしまったのでとてもくやしかったですが、名勝負だったと思います。試合はその後3−1で9回裏に山口選手の3塁打から1点かえしましたがそこまでで3−2で惜敗しました。
その後、仁村投手は日米野球のメンバーに選ばれました。その年は米国での開催で米国が優勝しましたが、たしか仁村投手は第2戦で完封勝利をかざり敢闘賞に選ばれたと記憶しています。

昭和57年春優勝後、仁村投手はまだ3年だったこともありその後のシーズンも優勝の期待があったんですが残念ながらその後優勝はありませんでした。最下位の危機もありませんでしたが。また優勝後のコメントで仁村投手は「悪かった両ヒザを、5キロのおもりをつけたりしてなおした」と語っています。これは憶測になりますが、下手投げはヒザにかなり負担がかかる投げ方だったのではないでしょうか。この春シーズン以後も(プロにはいっても)ヒザの故障との戦いはあったと思います。
あとは私が覚えている試合より仁村投手を語ってみたいと思います。
仁村投手が4年の春のリーグ戦第3週の駒澤戦の初戦ですが、この試合で40試合連続登板(リリーフ登板も含めて)でした。5回表に自ら先制本塁打を打ち投げては無四球完封勝利を飾りました。この本塁打は今でもはっきり覚えていますがレフトポールぎわにとても投手が打ったとは思えないような快音を残してライナーで打ちこみました。優勝したシーズンも投打に活躍したわけですが、当時は投手なのによく打つなくらいにしか思っていませんでした。のちにプロでバッターとして活躍したのもうなずけるような本塁打でした。
次は仁村投手が3年の秋か4年の秋だったか忘れてしまいましたが、9回1死まで無安打であと1歩で記録達成の試合です。亜大戦でした。9回まで5−0でリード。9回1死から亜大の1番打者荻原(左で小柄で足が速くこつこつ当ててくるいやらしい打者)に1,2塁間をライナーでライト前へ運ばれたシーン、観客席からの「あーあ」のため息と打たれた後糸に引かれるように内野手がマウンドに集まったシーンは今でも覚えています。テレビではこういった記録はみたことがあるのですが、目前で応援している仁村投手が記録達成する瞬間を見たかったです。もちろんこの試合は完封で終わりましたが・

最後に仁村投手の大学最終登板ですが、ここまで通算29勝で30勝をかけた1戦でした。相手は日大か中大だったか・・・。応援団の方も「今日は我らが仁村投手の30勝がかかった試合だ。絶対勝つぞ。」などと気合が入っていました。しかし、調子が悪かったのか序盤から打ちこまれ見方の反撃を期待し投げつづけましたが8点くらいとられ無念の降板となりました。優勝にも関係なかった試合でしたのであまり学生もはいっていませんでしたが、仁村投手が1塁側ベンチにもどる時、みんなで暖かい拍手が送りました。

中日にドラフト2位指名され、1年目は2軍で投げていたようですが2年目より打者に転向しレギュラーで勝負強いバッテングでリーグ優勝に貢献しました。途中ロッテにトレードされ現役引退後、現在は中日2軍監督でなんと今年は巨人を倒し2軍日本一になっています。
スピードが速かったわけでもなく球威があったわけではないのですが制球力+内外角のゆさぶりに打者の打ち気をそらす投球術で東洋大のマウンドを守り、打者としてもセンスあるバッテングで活躍したすばらしい選手であったと思います。ノーヒットノーランや30勝は達成できませんでしたが、学生時代に歓喜の優勝を経験させてもらえたことに、今でも仁村投手にはとても感謝しています。
達川 光男 捕手 74年〜77年 広島商
広島
夏の甲子園で優勝し、入学。松沼雅之との黄金バッテリーで、76年秋・東洋大初優勝に貢献した。
松沼 雅之 投手 75年〜78年 取手二
西武
76年秋・初優勝、78年秋・優勝時のエース。通算39勝は東都大学野球リーグ歴代3位の大記録である。大学時代は56回2/3無失点という驚異的な記録を持つ。プロ入り後も69勝、5年連続2ケタ勝利など西武黄金時代を支えた。

ライバル達

氏名 守備 年度 進路先 寸評
阿波野 秀幸
(亜細亜大学)
投手 近鉄
−巨人
−横浜
東都史上屈指の大エース。85年・昭和60年春の東洋と勝ち点を取ったほうが優勝をかけた対戦で3連投。1勝1敗で迎えた第3戦は雨中の大熱戦となった。
2点先制されるが、阿波野を打ち崩し5対2で東洋大学が優勝を決めた。
河原 純一
(駒澤大学)
投手 91年〜94年 巨人 管理人と同級生。93年秋、94年春の優勝をかけた対戦で2度とも敗戦。忘れることができない宿敵である。
井口 忠仁
(青山学院)
遊撃手 93年〜96年 ダイエー 94年秋・管理人の学生生活最後のシーズン。序盤戦で青山学院と対戦。和田友貴彦からホームランを放ち東洋大が勝ち点を落としてしまう。このシーズンは青山学院が優勝し、最後まで青山戦での敗戦が尾を引いただけに悔やまれる井口の一発であった。
吉野 誠
(日本大学)
投手 96年〜99年 阪神 97年秋、日大との入れ替え戦で3連投。第1戦は終盤まで粘り、サヨナラ勝ちを呼び込む。第2戦は東洋打線が吉野を攻略し決着は第3戦へ。3連投の疲れもみせず力投をみせ日大を1部昇格へ東洋大を2部へ降格させた。
その日以来、打倒吉野が目標であったが、東洋大は99年に1部昇格を果すも吉野から勝ち点を奪うことはできなかった。