台湾英雄伝説


























突然ですが問題です







Q1. この人は何歳でしょう?













えっ?!!


38歳?!!






ブッブ〜〜〜!!


正解は23歳です



丸々とした顔、
癖のある天然パーマ、
そしてガムを噛むふてぶてしい姿は
若々しさを微塵も感じさせず
オヤジ街道一直線といった感じだが、
実は彼、まだ大学生並の
超ヤングボーイなのです。





では引き続き問題です







Q2. この人は何をやっている人でしょう?













えっ?!!


商店街の八百屋?!!
おつり百万円だって?!


行列の出来るラーメン屋?!!
スープをかき回してた?!


競(せり)で頑張る築地卸業者?!!
鰹?!マグロじゃないの?!


球場周辺にいるダフ屋?!!
声をかけられたことがある?!


金魚すくい?!!
神社入ってすぐ右の出店?!









ブッブ〜〜〜!!


全部不正解





正解はプロ野球選手です




しかも、野球というスポーツの中で
もっとも重要なポジションと言われる
「ピッチャー」なのである。

更に驚くなかれ
彼はオリンピック台湾代表の
エースピッチャーなのである。

ゲームセンターに入り浸る大学生や
罪の意識など少しもないダフ屋や
誰に雇われているのか正体不明の金魚屋とは
レベルが段違いなのである。

言うなれば台湾における
スーパーエリートなのである。

人を見かけで判断してはいけない
典型的例題と言えよう。





またもや前置きが長くなってしまったが
とりあえず、彼のプロフィールを紹介しよう。



張 誌家(チャン・ズージャ)

台湾国出身
1980年5月6日生まれ
身長179cm体重80キロ(?)
血液型O型
右投げ右打ち
穀保家商→合作金庫→国軍陸光隊→
TML太陽→西武ライオンズ(2002年途中)



そして前にも記したように
彼は台湾代表主力選手として
オリンピックにも出場。

また、2001年W杯にも出場し、
3位決定戦では日本を完封し銅メダルに貢献した。



これほどの実績を残した選手を
我等が西武ライオンズが見たらどうなるだろうか?!



ヨダレ垂らして飛びつくに決まっているのだ



過去にライオンズに在籍していた
大投手「郭泰源」の助言もあり、
ライオンズは「張誌家」の獲得に向けて
静かに動きだしたのである














そして2002年ペナントレースが始まった



我等が西武ライオンズは王座奪回を目指し
危機迫る想いでペナントに臨み、
その気迫で開幕から好調を維持し首位にあった。

中でも我がチームのエース
「松坂大輔」投手の活躍が素晴らしかった

なんと開幕6連勝

どこにも不安はなかった

チーム一丸となり
完璧なる強さで首位を走り続けていた

しかし、人生と同じで
全てが思い通りに行く訳ではなかった


チームは勝ち続け、首位をキープしているものの
最大のライバルである前年のチャンピオンチーム
ダイエーホークスがすぐ後ろを
離されずに追走していたのである。

シーズン序盤から一騎打ちの様相をみせ
油断ならぬ根競べの状況が続いていた。




そこへ今シーズン最大の
アクシデントが発生






  2002年5月13日
松坂大輔登録抹消




近鉄戦で初黒星を喫した後に
右肘の違和感を訴えたものだった。



その16日後の
2002年5月29日

ダイエー戦で再登板するも
寺原との投げ合いに敗れ

再び登録抹消、長期離脱



我々ライオンズファンは路頭に迷った。

今の先発投手陣といえば
西口、石井、三井、許などであったが
どうゆう訳か皆の調子が良くない。

先発の穴を埋めるために
ベテラン潮崎や後藤が頑張っていたが
二人にのし掛かる負担は大きく、
いつ戦線離脱するとも限らない状態だった。

今の状態では優勝はとても厳しい。





やばい

どうする






そこで救世主が登場



台湾球界のエース

張誌家
(チャン・ズージャ)



2002年4月29日に来日

翌30日に入団会見を行い、
その約一ヶ月後の2002年6月2日
対日本ハムファイターズ戦で
満を持して来日初登板

そしていきなり初勝利をあげてしまった



しかしそれだけでは終わらない。


2002年7月21日の対近鉄から
8月12日の対ロッテ戦にかけて、
28イニング連続奪三振をやってのけ、
プロ野球新記録を達成してしまうのである


その後の彼の活躍は言うまでもなく
結局、2002年のシーズンは
19試合に登板し、
10勝4敗1セーブ
防御率2.71


という素晴らしい成績を残し

西武ライオンズのリーグ優勝に
大きく貢献したのである





我々は張誌家の活躍に歓喜し
そして来シーズの彼の活躍を
信じて疑わなかったのである














そして、翌2003年のキャンプが始まった。


去年、最高の成績を残し
今年の更なる飛躍を期待される張誌家は
キャンプ前にこう言っていた。


「今年のシーズンオフの間は
地元台湾でたくさんの走り込みや、
厳しい自主トレをしてきたんだ。
今年も任せてくれ」






なんと頼もしい言葉だろう

張誌家が大丈夫ならば安心だ

今年のライオンズ2連覇は

もはや揺るぎないものと思えた





しかし、事件は起きた




キャンプ初日のマラソン大会でのこと


オフに厳しい走り込みをしてきた
張にとっては
マラソンなど楽勝の練習メニューであり
監督にアピールする絶好の場と言えた。

まさに張の独壇場


張がスタートで猛ダッシュ

どんどん他の選手を引き離して・・・




?!




張誌家がどんどん
遅れてゆく





私は思った。

楽勝過ぎて、ちょっと手を抜いて
走っているだけだろう

キャンプ初日だし
無理をしてないだけなんだ





でも
その時
僕は見たんだ




張(チャン)のアゴ(チン)が
これ以上は無理と言わんばかりに
全開MAXの角度で天を仰ぎ
顔が確認出来ないくらいに
首を左右に高速で振りながら
走る姿を






小学生の頃のマラソン大会で
スタートで勢いよく飛び出したは良いものの
ペース配分を考えていないために
ズルズルと後退し
気づけば定位置の最下位。
首を縦に横に振りまくりで
完全にアップアップ状態で
見るも無惨な姿で走る少年。



その小学生を記憶の底から
掘り起こしてくれた
張誌家の限界走法



結局、トップでゴールした後藤選手とは
なんと4周半も遅れてしまったのだ



何故、みっちりと走り込んできたなんて
すぐにばれる嘘をついたのだろうか



その嘘も、走りっぷりも
まるで小学生なのである







そんな状態で
初めての日本でのキャンプに
突入してしまった為に
厳しい練習についていける訳もなく
結局2003年のシーズンは優勝を逃し、
張誌家自身も7勝に終わり
皆の期待を大きく裏切ってしまったのである















年は明けて
2004年1月26日



が台湾から再来日

しかも今回は昨年12月に
結婚したばかりの愛妻も一緒。

家庭を持った張も
これからは一家の大黒柱として
一生懸命頑張ってくれるであろう。

ピッチャーマウンドでも
大黒柱になってくれと
我々の期待は大いに高まった




しかし、またもや
事件は起きた





それは、来日当日のインタビューのこと



昨年のキャンプではオフの
調整不足から出遅れたことを挙げて、

「去年の悔しい経験をしたくなかった。
まじめに台湾でトレーニングをしてきた」

と改心を胸に、言葉を続けた



「1週間もあればすぐに
ブルペンに入れる」




1週間?!






微妙






でもまあ
ここは許してやろう


問題は次のコメントである



「体重は90キロ。
去年は95キロだった」
と笑顔を見せた。





だと?!




貴方の入団した時のプロフィールでは
体重80キロってあったよな?!

てことは、あれか?!

15キロも鯖読んでたってことか?!

それとも去年だけで
15キロも太ったってことなのか?!


どっちにしろ褒められたものではないし
嘘をついた事を何の躊躇いもなく
サラリと言ってのけ
まんべんの笑みを浮かべている君



笑えねえよ


まあ、去年の事でもあるし
100歩譲って見逃すとしよう。


しかし、そこでとどめの一言

「キャッチボールは
50〜60メートルの距離だ。」









俺でも普段からそのくらいの距離で
キャッチボールしてるぞ?!


あなたはプロで、しかもピッチャーだよね?!



もうちょっと頑張れよ


それ言ってる時も超笑顔だし

今年は任せろと言わんばかりの
最高の笑顔をありがとう

素敵なコメントもありがとう

もう何も言わないから
とにかく結果だけ残してくれ



そう心から祈りながら
シーズンは幕を開けたのである















2004年のペナントが始まった。



去年の雪辱を誓う張は
スタートから快調に飛ばしていた。


4月26日の近鉄戦では
1対0から4回に逆転され、
続く5回にすぐに同点に追いつくも
そのすぐ裏に追加点を奪われた。

共に2アウト後の失点である。

これに対して張が言った。


「先頭打者を出さない
ことばかり気にしすぎて、
ホッとしてしまったかも」





「いいわけ」快調




なんと情けない言い訳であろうか


こんな言い訳、
出川哲朗でも言わねーよ

小学生が原っぱで野球やってるのとは
訳が違うんだぞ?!

貴方は野球でお金を貰っている
プロフェッショナルなんだから
そこをどうか理解してくれ



しかも、貴方
6回には先頭打者を出して
ノックアウトされてますから





ホッとしっぱなしかよ




他にもまだあるので紹介しておこう。


いつの試合かは憶えていないが
これもある近鉄戦でのこと。

2死3塁のピンチでバッターは磯部。

1ストライクからの2球目直球は
内角低めに外れてボール。

ところがスコアボードは
「1ストライク」のまま。

以後、ファウル、ファウル、
ボール、ボール、ボールとなり
四球のはずだったが
磯部は打席に立ったまま。

結局、磯部は
「2ストライク4ボール」からの
8球目をレフト前にはじき返し、
1点を返したという珍プレーがあった



それに対し張は言った。

「気づいていたんだけどね・・・。
まあ、勝ったからいいですよ。」





気づいてたんかい


何を誤魔化そうとしてるんだよ

そうゆう悪巧みをやるから
打たれるんじゃねーか

まったく反省の色が
微塵も見えないよ

勝ったから良いものの
もしも負けてたら
「打ち首獄門市中引きまわしの刑」
執行は免れないだろう




そんな苦笑い状態の中
張一人だけ
超笑顔





もう怒る気力も無くなってきたよ




結局そのシーズンも10勝に届かず
苦杯をなめる結果に終わった




もう私も黙っていられない

我慢の限界だ

最後にガツンと言わせてくれ




この世の中で

「こんなに頑張っているのに
何で結果が出ないんだろう」

と、ぼやいている人をみる

でも、それは自分が頑張っていても
他人はもっと頑張っているということ

真面目にコツコツと努力する事、
そして何より正直である事が
人としてとても大切な事だと
私は思うのである


偉大なる成果は日々の精進であり
まさに
「ローマは一日にして成らず」
なのである


今の張を「ことわざ」で表すならば

「小人の過つや必ず文(ざか)る」

(小人は過ちを改めようとしないので
あれこれつくろい飾ろうとするの意)

なのである




張よ


自分を誤魔化してはいけない

言い訳ではなく結果を示してくれ

厳しい話をしてしまったが
これも我らライオンズファンが
貴方の復活を心から
望んでいるからなのである


貴方の復活を心より願い
締めの言葉とさせて頂きます


私の言葉が届きますように


そう願いながら
この日記を書き終えた後、
2006年の選手名鑑を見た


















張 誌家 体重80キロ





願い、届かず






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