走り続けの人生

今井譲二

























野球はとてもスリリングで

熱狂的かつ知的

華麗で力強く

そして何より奥深いスポーツである。



そんなプロ野球選手の中で
最も偉大なプレーヤーとされる選手とは
打率3割、本塁打30本、盗塁30以上の
いわゆるトリプルスリー
達成できる選手だと言われている。



日本流でいえば

走攻守
3拍子そろった
いかした男


となるのだろうか

(前田の応援歌より)



その3拍子の中でも
一番最初に出てくる文字が

「走」

要するに3つの中で
最も重要なことと認識できよう。

今回はその「走」を究めた男を
紹介しようと思う。







彼の名は今井譲二







その野球人生をただひたすら走り続けた、
足のスペシャリストのお話し。

























野球界において有名な選手と言えば

バッターで大活躍した選手

ピッチャーで活躍した選手

守備で活躍した選手

大きくこの3つに分類されると思う。



打てば皆が興奮し、

投げれば皆が息を飲み

捕れば皆が熱狂する。

プロ野球における花形である。



しかし、野球人にも関わらず

打ちもせず

投げもせず

守りもせず

ただひたすら走ることしか
しなかった選手がいた。






彼の名は



今井 譲二

(いまい じょうじ)





1956年11月1日生まれ

右投げ右打ち
(あまり見たことが無い)

身長175cm体重69kg

熊本県の鎮西高校〜中央大学を経て
79年にドラフト外で広島カープに入団。

89年までの11年間を
カープで活躍した名選手である。



大学在籍中に入団テストとは知らずに
広島カープのテストを受けて見事に合格。

これが大学側に知れて
リーグ戦メンバーから外された珍話を持つ。





走ると言うより

先走り



彼の特異な野球人生は
ここから始まったと言えよう








広島カープでテスト入団した
有名な選手と言えば大エースの

「大野 豊」

その大野が入団した1年後に

今井は、その強肩と、
50メートルを5秒6で
駆け抜ける俊足を武器に
同じくドラフト外でカープへ入団した。

この頃のカープは機動力野球が
全盛期を迎えており、
球団が選手を獲得する際に
最も重要視していたのが足と肩だったのだ。





そんな最終兵器「今井」
一軍登録されるまでは
4年間という長い年月が必要であった。

























今井が足のスペシャリストとして
活躍するようになったのが
1983年の6月6日の中日戦だった。



9回無死でランナー1塁の場面で





代走・今井



3球目に見事

盗塁成功

長内の逆転ホームランを呼んだ。






彼はその時から

盗塁に人生をかけようと思った






その後の彼は代走に専念し、
相手投手の癖を盗む為に
投手のビデオを集めに集めた。

そして、投手がけん制してくる癖やリズム、
さらに、捕手の出すけん制のサインを
上腕の動きだけで読めるまでになる



彼の代走に対する想いは
並大抵のものではなかったのだ








あの有名な登山家
ジョージ・リー・マロリー

「なぜ山に登るんですか?」と聞かれ
「そこに山があるからだ」と答えた。

これは登山家で無い人も知っているほどの名言である。





「なぜ走るのか」と今井に聞けば

「前にベースがあるからだ」

と答えたであろう





いやいや、意外にも

「そこに大地があるから」

とか

「そこに地球があるから」

なんて壮大な答えだったりとか




もしくは

「だって打てないんだもん」

なんて真面目に言っちゃったりして(笑)






まあそんな冗談は抜きにして



これほど、代走というものを
完全に極めた男は、
プロ野球広しと言えども
他に見当たらない。


























ここで、どれだけ彼が
凄い選手だということを
証明できるデータがあるので紹介したい。







プロ生活11年間で
263試合に出場

その内で打席に立った数は
なんと31打席



ヒットはわずか5本である

もちろんホームランは無い






263試合も出ているのに
打席数は31だよ?!




特に87年に関して言えば

36試合出場にも関わらず

打席数はゼロなのである








11年もプロ野球選手として
やってきた選手とは思えないほど
散々な成績である。

1軍に在籍していたのが不思議なほどだ。





しかし、彼のプロ通算成績の中で
ただ一つだけ突出し
強い輝きを放つ数字があった










62盗塁









彼は守りもせず、

打ちもせず

ひたすら代走として盗塁を続けたのだ





代走で出くれば投手もキャッチャーも
厳重に警戒してくるに決まっているのに
その厳しい状況の中で
これほどたくさんの盗塁を決めてきたのだ。



今井譲二の野球人生には
バットもボールも必要ない。





まさに

足のスペシャリスト

だったのである


























彼は走ることによって
その野球人生を終えた。





しかし、84年と86年の
優勝を考えれば
彼の活躍は非常に重要なものであったし、

そして何よりも、

打って守って投げるだけではなく

走ることの大切さ

我々に教えてくれた。






そんな、偉大な選手
今井譲二が引退を表明したのが
1989年10月10日。



この年には

中畑(巨人)、若松(ヤクルト)、
鈴木孝政(中日)、松沼兄(西武)など
多数の有名選手が引退し、
華やかな引退セレモニーが催されていた。



しかしそんな中、

今井譲二は注目される事無く
静かにその野球人生の幕を閉じたが

私はその引退セレモニーを
今でも忘れることが出来ない。





彼はその年の広島市民球場での
最終ゲームが終わった後、

誰もいない無人のダイヤモンドを一周し
最後はヘッドスライディングで
ホームイン

ホームベースの周りにいた広島ナインが
セーフのポーズで彼を迎え
彼のラストランに花をそえた。





足のスペシャリスト
今井譲二


感動の引退セレモニーであった







実績よりも印象に残る選手




今井譲二







彼は現在、

実家熊本の鮮魚商を継ぎ、



多忙な日々を
走り続けている











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