甘 ぁ い 罠






「あれ?」
 ふわりと、香りが雄介を取り巻いた。
 自然なものではないその香りに、雄介は目の前にいた人物に問い掛けた。
「なんか付けてます?」
「ん? あぁ、コロンのことか?」
「えぇ、なんか香ったもんで」
 とある午後のポレポレ。
 扉から舞い込んだ風が、昼食がてら様子を見に来ていた椿の背後から流れて雄介にまといつく。その風に混じる硬質な 中にも甘さを秘めたそれ。
「そっちまで香ったのか? 付けすぎたかな、悪い、きついか?」
「いえ、今の風で香っただけですから。でも香水付けてるなんて、椿さんらしいですね」
「まぁ趣味というよりは、必然ってやつなんだがな」
「必然?」
「デートの時に消毒薬ならまだしも、ホルマリンの匂いは遠慮したいだろ」
「確かに」
 言われて、しみじみと雄介も納得する。
 監察医という職業柄、どうしても染み付いてしまうホルマリン臭。職場ではしかたがないとはいえ、日常生活にまでそれと いうのはちょっとぉ……というやつで、それを消すためにコロンを使うのは確かに必然なのかも知れない。
「けどこれ、いい香りですね。俺、あまり作った香りってのは好きじゃないんですけど、これなら好きかな」
「そうか?」
「えぇ、なんて言うんだろう、さらりとしているのに、どこか甘くて、それでいてしつこくなくて……」
「そんなに気に入ったんなら付けてみるか?」
「え? わっ…ケホッ…」
 言葉の意味を吟味する間もなく、シュッとアドマイザーから吹きかけられる。うっかりまともに吸い込んでしまって噎せて しまう。いくら良い香りとはいえ、直接吸い込んでしまっては、かなりきついものがある。
「ケホッ…ケホッ…ひどいですよ、椿さん、いきなりぃ」
「悪い、悪い。そんなに噎せるとは思わなかったんでな」
「もう……」
 謝りつつも目が笑っている。実際、目の前でちょっと涙目になってる雄介はとっても可愛いかもしんない。これで場所が 昼間のカレー屋なんていう健全な場所でなければ……かなり惜しいかも。
「で、どうだ?」
「どうって……?」
「コロンってのは、同じもんでも付けた人間で微妙に違う香りになるもんだからな。自分で付けてみてどうだ? 俺のときと は違うだろ」
「そうですね、う〜ん、なんか変な感じです。俺、普段こういうの付けないから」
 いつもとは違う自分の匂いに、どこか落ち着かない様子を見せる。先ほどの匂いを嗅いでいる姿といい、絶対こいつは 大型犬系だよなぁ。などと椿は内心考えていた。残念なことに、自分はその主人ではないのだけれど。
「変な感じねぇ……まぁ慣れのせいかな。気に入ったのなら、今度やるよ」
「えぇ、いいですよ。やっぱり俺にはこういうの似合わないと思うし」
「そうか? あぁまぁそうだな、おまえにはこういう作った香りより、自然の香り方が合うか」
 たとえば草原を渡る風の香りや、新緑の中の渓流の香り。そんなものの方が雄介には似合うのだろう。
「けど、本当、いい香りですね。コロンってことはなにか名前があるんですか?」
「あぁ、『PLEASURE』って名前だ」
「へぇ、『楽しみ』ですか。椿さんらしいですね」
 くすくすと笑う雄介に、にやりと椿が笑う。
「ちなみに『PLEASURE』には『快楽』っていう意味もあるんだぜ」
「え? えぇ……?」
「つまりこの香りが好きってことは、『快楽』が好きって……」
「わぁ〜〜〜! わぁ〜〜〜!! い…今のなしです! なし!」
 理解してしまった雄介が真っ赤になって否定する。
「一条が聞いたら喜ぶだろうなぁ」
「ダメです! 絶対に言わないでください。いいですね、絶対に今のこと、一条さんに言っちゃだめですよ!」
 こんなこと知られたら、どう一条に遊ばれることか。想像したくない。
「そうかぁ、一条もきっと聞きたがると思うんだが」
「ダメです! 絶対に一条さんには言わないでください!!!」
「まぁおまえがそこまで言うなら言わないでおいてやるけどな。変わりに借り一つな」
「借りって……その代わり絶対ですよ。絶対一条さんには言わないでくださいね」
「判ったって」
 さてどんな検査をしようかなぁ……うきうきという擬音を背中にしょってなにやら考えている椿に、早まったかな…と思わ ないでもないのだが、まぁ背に腹は代えられない。とりあえずは今のうっかり発言を一条にチクられないだけでよしとするし かないだろう。
「…と、そろそろ時間じゃないのか?」
「え? もうそんな時間…本当だ、まずいっ」
 雄介が時計を見るのとほぼ同時に扉が開き、みのりが飛び込んでくる。
「ごめん、おにぃちゃん。遅くなっちゃった」
「うぅん、なんとか大丈夫。こっちもつい忘れてたし」
「でも一条さんと待ち合わせなんでしょう。急いだ方がいいと思う」
「だな、あいつを待たせたら後が怖いぞ。後は俺とみのりさんとでやっておくから」
「すみません、椿さん。みのり、頼むな」
 わたわたと雄介がエプロンを外し、ヘルメットを小脇に扉へと向かう。と…、外に出かけてくるりと振り向いた。
「椿さん、さっきの約束、絶対ですからね」
「信用ねぇなぁ、判ってるって。それより早く行かねぇと、本気で遅れるぞ」
「あ…じゃあ後お願いしますね」
 ぱたりと扉のしまる音と、裏へと走る足音、そしてバイクの音か響いて遠ざかっていった。
「せわしないやっちゃ」
「本当に、いつまでたっても落ち着かない兄ですみません。で、なんです? 約束って」
「たいしたことじゃあないんだけどね、まぁ五代と約束したから秘密ということで」
「えぇ〜」
「ほらほら、お客さんだよ」
「あ、はい」
 兄そっくりな表情で拗ねて見せるのに、ちょっとぐらついてしまう。まったくこの兄弟は……
「まぁいいか。お楽しみはこれからだし☆」
 食器を片付けながらにやりと笑う。
「絶対、あいつ気付くよな」
 雄介が今まとっている香りが俺と同じだってことに。
「まぁ話すなって言われたから、俺はなんにも言わないけど」
 これは絶対一揉めあるよなぁ。できれば生で見たかったが、いずれどっちかから聞きだせるだろう。
「どうしたんです? 椿さん」
「んん〜、なんでもないよ、みのりちゃん」
 怪訝な顔のみのりをにっこり笑って煙に巻き、とりあえずは店の手伝いに専念する。

 そして彼の予想通り、その日の夜遅く雄介が泊まることになったと一条から連絡があったのは言うまでもない。






『金木犀の頃』と対のような形で考えたネタです。
以前試供品で貰った香水の『PLEASURE』って名前が
なんか椿さんらしいなと思って考えてみました。
そのときは20行ぐらいの短いネタだったんですけど、
手を入れ始めたらこんな長さに───おやぁ。
一条さんはやっぱり『EGOIST』かなぁ。うちの鬼畜刑事はとくに……
ひかる


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