アクシデント119







 ふいに遠ざかるサイレンの音が一条の耳に飛び込んできた。

 サイレンにも幾つか種類がある。あれは確か救急車の音だ。近所で急患でも出たのだろう か?
 そんなことを思いながら一条は車から降り立った。いつの間にか憶えてしまった若葉保育園 までの道のり。
 秋の釣瓶落としの夕日が、一条の影を長く伸ばしている。

『じゃあ迎えに来てくれませんか?』

 そう雄介が笑顔で告げたのは今朝のこと。
 今日は早く上がれそうなので、たまには外で食事をしようと誘った一条に、雄介が嬉しそう に答えた。午後から妹であるみのりの勤めている保育園で、ハローウィンの手伝いをすること になっているから終わったら迎えに来て欲しいと。
 そういえば、BTCSは科警研でメンテナンス中で、戻ってくるのは明日になっていたはず だ。久しぶりに雄介が助手席に乗るというのなら、食後に少しドライブをするのもいいかも知 れない。そんなことを考えている一条の耳に細く高いサイレン音が遠ざかってゆく。
 その音を背に彼は駐車スペースから保育園へと足を向けた。

「どうりでここしばらくカボチャ料理が続くと思ったら」
 門柱に飾られたカボチャのランプに苦笑がこぼれる。それも一つではなく、大小取り混ぜあ ちらこちらに飾られている。ハローウィン用のこの飾りのためにはいったいどれだけのかぼち ゃが消費されたことか。実は外食にしようと思い立ったのも、それが理由の一つだったのだが、 もうその必要はなかったらしい。
「あ! 刑事さんだぁ」
「本当だ! 刑事さんが来たぁ!」
 園内に一歩踏み込めば、目ざとく一条の姿を見つけた園児たちが駆け寄ってくる。
 四号と一緒に未確認と戦っている刑事ということで、一条は園児たちの身近なヒーローなの だ(雄介と並んで園児の母親たちの密かなアイドルという噂もある)。
「刑事さん、今日はどうしたの?」
「お仕事はぁ?」
「未確認と戦ってきたの?」
「四号とは一緒じゃないの?」
 アッという間に囲まれて、機関銃のようにまくしたてられ、ちょっと腰が引ける。実はあま り子供が得意でなかったりするから、思わず視線で雄介を探してしまう。
「あ、いや…五代は……」
「五代ぃ?」
「あぁ、だから…その…雄介を迎えに来たんだが」
 その妹も勤めていることを思い出して、名前で言い直す。こんな昼日中に名前で呼ぶのはは じめてかもしれない……などと腐ったことを考えていたのもつかの間で、園児たちの言葉に一 条は一気に顔色を変えた。
「あのね、雄介、救急車乗ってったの」
「!」
 背筋にゾクりとしたものが走る。
「白い車がサイレン鳴らして来て」
「雄介、それに乗ってったんだよ」
「みのり先生も一緒」
「転んでぶつけたの」
「すごい痛そうだった」
「だからなおこ先生が電話したの」
 自分でも表情が強張ってゆくのが判る。まさかさっきのサイレンが雄介を運んでいる音だっ たなんて。
「こういうふうに押えてててね」
「血も出てたよね」
 しかも、子供たちの押えてたのは頭だった。血も出ていたとなると生半可な怪我ではないだ ろう。ましてやあの五代が『痛そうだった』と子供に悟らせてしまうような怪我なのだから。
「すまない、通してくれ」
「? どうしたのぉ?」
 すぐさま走り出したかったが、かろうじて残った理性で怪我させないように子供たちの集団 を抜ける。車へと走る。同時に携帯で救急医療センターへと連絡をとる。
「すみません、先ほど運ばれた五代の知人のものですが、どちらの病院に………はい、はい、 判りました」
 幸い搬送先は関東医大らしい。そのことに少しだけ安堵する。センターへの電話を切るとす ぐさま今度は短縮で関東医大病院へと電話を繋ぐ。コールを待つ間にも車に乗り込みエンジン をかけ、発進させた。 
「すみません。警視庁の一条ですが、法医学の椿をお願いします。……はい、緊急です」



 駐車場へと車を止め、救急外来へと走る。知りたくもないのに憶えてしまった道のり。
 夕闇が周囲を染める中、一際赤くランプの光る入り口をくぐる───と、
 ドスンッ!
 ちょうど出ようとしていた人影ぶつかり弾き飛ばしてしまった。気は急きつつもとりあえず 謝ろうと顔を上げた先にいたのは……
「ご…だい?」
「てっ……あれぇ? 一条さん?」
 しりもちをついた雄介が、目を丸くして一条を見上げていた。
 不思議そうに小首を傾げる姿は、今朝別れたときと変わらない。
「え? え? どうして一条さんがここに?」
「怪我をしたんじゃ…なかったのか?」
「一条さん?」
 ただならぬ様子にさすがに雄介も不信に思ったのだろう。立ち上がると傍に寄ってきて一条 を覗き込んだ。
「君が怪我したと聞いたから、俺は……」
「えぇ! 誰にです? 俺、ぴんぴんしてますよ」
「保育園の園児たちにだ」
「あの子達に? 変だな、俺は怪我してないのに……あぁ! 判った!」
 ぽんと雄介が拳を叩く。
「一条さん、それ、誤解です」
「誤解? だが確かに……」
 子供たちは言っていたのだ、雄介が救急車で乗って行ったと。
「だから誤解なんです。怪我したのは俺じゃあなくて───」
「もう、だから大袈裟だって言ったのよ、おにぃちゃん」
 説明しようとした雄介の言葉を、溜息混じりの声が遮った。
「すみません、なんか大事になっちゃってるみたいで」
「みのりさん?」
 それは間違いなく雄介の妹のみのりで───彼女は頬に湿布を当てていた。
「それたぶん私のことです。お手洗いで子供の喧嘩を仲裁してたらすべっちゃって、その拍子 に顔を洗面台にぶつけちゃったんです」
「血も出てたと……」
「口の中をちょっと、ぶつけた拍子に切っちゃって」
「歯が当っちゃったらしいんです。でももう止まってるんだよな」
「もうとっくよ。だから救急車なんて呼ばなくていいって言ったのに」
「けどなぁ、みのり───」
「……そうだったのか」
「一条さん!」
 そのままへたへたと座り込んでしまった一条に雄介も慌てて傍らに膝を付く。
「だ…大丈夫ですか」
「安心したら、気が抜けた」
「すみません、心配かけてしまって。ほら、みのりも」
「すみません」
「………んだ」
 立てた膝に頭をうずめて、ぽつりと呟く。なんか全身の力が抜けてしまったような気がす る。
「え?」
「君かと思ったんだ」
「一条さん?」
「だから運ばれたのが、君かと思ったんだ。救急医療センターに問い合わせても、『五代』が 運ばれたと言っていたから」
「そりゃあ、俺もみのりも五代ですから」
「そうだったな……」
 ようはすべて自分の勘違いだったということだ。
 怪我をしたのは妹のみのりさんの方で、雄介は身内として付き添っただけ。
 確かに冷静になって思い出せば、『雄介が怪我をした』とは子供たちは言ってなかった。た だ『雄介が救急車に乗って行った』と言ってただけで……。『すっかり五代』=『雄介』とイ ンプットされてしまっていて、他の可能性をまったく考えなかった自分の頭が情けない。
「あ、でも慌ててたんじゃしかたがありませんよね。俺もみのりの怪我で、すっかり動転して たし」
 落ち込む一条に、雄介が慌てて慰める。人気の少ないとはいえ、何しろ場所は(救急外来 の)玄関なのだ。早いとこ浮上させてさっさと移動したい。
「それにしても俺、はじめて救急車乗りましたよ。意外と揺れるんですね、救急車って。パト カーには一条さんのに載せてもらってるから、あとは消防車かなぁ」
 ゴキッ。
「ったぁ〜〜」
「なに馬鹿なことほざいてる」
 いきなり落とされた拳骨に、雄介が頭を押える。涙目になりながらも見上げれば、そこには 見慣れた白衣が立っていた。
「痛いじゃないですかぁ、椿さん。今思いっきり殴ったでしょう」
「おまえがくだらないことをぬかしてるからだ」
「だからって」
「言っておくがな、おまえが救急車に乗ったのは4回目だ4回目。そりゃあ、今まではおまえ は意識を失っていたから知らないだろうがな」
「あ……」
 指摘されてようやく気付く。自分がどれだけ不用意な発言をしたかということに……そし て、どれだけ一条に心配をかけたかということに。
「ごめんなさい……」
「いや、いいんだ、君が無事だったのなら、それで」
 かろうじて浮かべてみせた笑みに胸が痛む。
 どれだけ一条は心配したことだろう。自分が救急車で運ばれたと聞いて。
 幾度も見ていたはずだ、一条は。自分が傷つき倒れ、救急車で運ばれていく姿を。ましてや 一度はそのまま死亡宣告までされているのだ。そんな一条の胸中を思いやれなかった自分に腹 が立つ。
「本当にごめんなさい、心配かけてしまって。椿さんもわざわざ足を運ばせてしまってすみま せんでした」
 こうして椿がここにいるというのも、一条が連絡したからで、雄介を怒ったのも心配したか らこそだろう。
 素直に謝る雄介の髪をくしゃりと椿がかき混ぜた。大きな手が温もりを伝えてくれる。
「すみません、本当なんかあっちこっちに迷惑かけてしまったみたいで」
「いや、いいんですよ、みのりさん。したくてやってることですから。それにしてもたいした ことなくて良かったですね」
 兄に習って、ぺこりと頭を下げるみのりに椿が笑いかける。
「はい、幸い打ち身だけですんだみたいです。だから大丈夫だって言ったのに、おにぃちゃん が大袈裟にするから。わざわざ救急車なんて呼ぶことないでしょう」
「そうは言うけど、もしヒビでも入ってたら大変だろう。今回は打ち身だけだったから良かっ たけど」
「でもねぇ……」
「ましてや顔なんだぞ。嫁入り前の娘の顔に傷が残ったらどうするんだ」
「嫁入り前って……、おにぃちゃんてばいつの時代の人よ」
「いや、でもいい判断ですよ。顔面ってのは頭部、脳に近いですからね。なにかあったら大変 です。しっかり検査しておいて正解です」
「あ、そうか、そうですね」
「とにかく、大事がなくて良かったですよ」
 ようやく落ち着いたのだろう、一条が立ち上がって埃を払っている。見えない背中側は雄介 が甲斐甲斐しく埃を払ってやっていた。
「じゃあ、私は帰るけど、おにぃちゃんはどうする?」
「あ、送ってくよ。いいですよね、一条さん」
「あぁ、どうせなら私が送りましょう。車で来てますから」
「えぇ〜、でもおにぃちゃん、今日一条さんと約束があるんでしょう、いいの?」
「かまいませんよ、私なら」
「ばぁか、痩せ我慢するなって。本当は早く二人きりになりたい癖に」
「椿!」
 図星を突かれたのか、一条の頬が僅かに紅くなる。
「みのりさんは俺が送っていくから、おまえらは勝手に二人でいちゃいちゃしてろ」
「椿さん、言っておきますが、みのりに手を出したら許しませんからね」
「あのな、俺はこれでも医者だぞ。怪我人に手を出さない程度の分別はある。だいたいおま え、妹さんの心配をしていられる立場じゃねぇだろうが」
「? なんでです?」
 首を傾げる雄介をちょいっちょいっと招き寄せて耳元で囁く。
あの一条をあれだけ心配させたんだぞ。ただで帰れると思ってるのか?」
「ぁ………」
 椿の言葉を理解してしまった雄介が青褪める。まずい……これはとってもまずいかも知れな い。
「バイト先には、明日は休むって連絡しとくんだな」
「あ……えっと……やっぱり送ってくよ、みのり」
 さりげなく一条から視線を反らし距離をとる。  確かに心配かけたのはすまないとは思うのだが、それとこれとは話は別だ。そんな状態の 一条と一緒にいるなんて、とたもじゃないが怖すぎる。なんとしてでも逃げたい、逃げたい のだが───
「えぇ、いいよ。私、お邪魔虫にはなりたくないもん」
 あっさり妹には見捨てられた。
「いや…でも……」
「じゃあ、おにいちゃんのこと、よろしくお願いしますね、一条さん───壊さない程度に」
 にっこり笑って、爆弾を落とすと、みのりは仲良く椿と去っていく。
 残されたのは…………

「さぁ、帰ろうか、雄介」
「××××××〜〜〜〜!」

 にっこり笑顔の一条に、勝てるはずもない未確認生命体第4号(の人間体)であった。






 祝☆みのりちゃん、初書き。なんかそうとういい性格という気が……
 これも実話がもとになってます。みのりちゃん=うちの母で、雄介=私。
 そして搬送中に電話を掛けてしまい、サイレンをBGMに
 『今取り込んでるから』と電話を切られてしまったのは樹さんです。
 その節は心配かけてごめんね。             (ひかる)


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