獣に恋をする より 


「どうだ、桜井、盗れてるか?」
「ばっちりです」

むき出しのコンクリートの壁に四方を囲まれた部屋の中央、やや窓よりのところで数人の男達が気配を殺しつつ、精密機器を囲んでいる。
全員がヘッドホンをつけ、そこから伸びたコードが中央の端末につながれていた。
端末のキーボードの前に座っているのは、桜井と呼ばれた男だ。
スーツを着ているその男は、はたからみているとまだまだ若く、大人しい、といった印象を受ける。しかし、幾分童顔にさえ見える彼のその眼光の鋭さが、普通の男ではないことを感じさせた。

「声はどうだ」
「杉田さんの方で。ばっちりです」

雨や風にさらされて曇ってしまっている窓ガラスから、それでも自分の姿を晒さないよう気を配りつつ、向かいのビルをうかがいながら桜井に声をかけたのは、目を見張るような美貌の男だ。
薄暗い部屋の中にいながら、まるでその男自身が光を放っているような端整な顔をしているその男は、幾分疲れ気味の風体をしていたり、緊張しているらしい回りの男達にくらべて乱れるところなど微塵もなく、それどころか、どことなく優雅な振る舞いさえ感じさせるほどだ。
足音も立てず桜井の傍らにより、端末を覗き込んで小さく頷く。その男を伺うようにみた桜井が小さくため息をつく。
あきらかに彼が今の状況を楽しんでいるのは間違いない。微かに浮かんでいる口元の微笑がその証拠だ。

「一条さん・・・・・“ふつー”でいいんですからね、“ふつー”で」
「・・・・・・・・桜井、俺はいつも“ふつー”だ」

桜井が何事かを諦めた色合いの声で声をかけると、一条は軽く肩を竦めて返事を返す。だが、言葉通りの落ち着いた立ち振る舞いに対してその白皙の美貌に浮かぶ爛々と輝く二つの瞳が彼の言葉を裏切っていた。
それはいまにも飛びかかりそうな獣の瞳だ。それでも気配を完全に殺している点はさすがというべきだろうが、それを見て取った桜井ががっくりと肩を落とす。

「一条さん」

一条と交代して窓際にたたずんでいた男が何を察知したのだろう、硬い呼びかけに、僅かに緩んでいた緊張が一気に張り詰める。

「始まったようです」
 
声を出さない、口だけの動きを読み取って一条が合図をだすと、桜井がすばやくキーボードに指を滑らせた。同時に一条が手元の時計を覗き込み、時間を計る。

「さすが、沢渡さん、お手柄ですね」
桜井が感心したように呟き、一条もそれに満足そうに頷いた。
「アイツの紹介だからな、はずれはないと知ってはいたが」
一条の古くからの友人のツテで紹介された、裏では評判のハッカーは、予想もしないほど可憐な女性だった。どこで知り合ったのかは知らないが、今回のことでかなり手助けをしてもらい、珍しく一条の胸には感謝の念があったりする。
「録音、開始しました。撮りも、順調です」
「桜井、1分だ」
「了解」

一条に呼びかけられるより先に桜井が、ハッキングをはじめる。目的は、目当てのビルのセキュリティーシステムを解除することだ。一条が黙って手元の時計を見ている。目まぐるしく数字の表示が変わり、50の数字を回った頃。
「解除しました」

桜井が指を鳴らした。とたん男達が足音を立てずに移動を始める。
一条が桜井の放ったヘッドホンを受け取り、セットしながら指示をだす。

「A、B、C班は後に続け。E班は裏を押さえろ、感づかれるなよ、警察の狙撃班は所定の場所で待機させろ、交通課に言って周囲の道路を封鎖だ。検問して怪しい奴はかたっぱしから締めさせろ」
「了解です」
「杉田さん」
『なんだ』

一条の呼びかけに、ヘッドホンを通して、短いいらえがかえる。
「予定通り、はじめます」
『判った、こちらもOKだ』

物音一つ立てず、男達が部屋を出て行く。
後に残されたのは、微かに音を立てながら稼動している精密機器だけだった。




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