第19回 生活科教育研究会  全国大会
シンポジウム
テーマ:「子どもが拓く生活科授業の創造」
会場:国立オリンピック記念青少年総合センター

・コーディネーター       嶋野道弘先生 ( 文教大学教授)
・シンポジスト        清水一豊先生 (東京都大田区立久原小学校長)
               梶浦真先生 ( 教育報道出版社)

嶋野  「子どもを拓く」というテーマで3年目となります。生活科の授業をどうするか、どう作っていくか。
その中で教師の問題が大きくなっています。また、課題であると思います。
 さらに授業をどうするか、かかわり方が課題となっています。そのことを考えると適切なテーマといえます。
 生活科は、子どもたちが体験を通して、他教科では得にくい「学びを拓く力」「生活を拓く力」「自らの可能性を拓く力」、を磨いています。
 「子どもが拓く」ということだけでなく、「子どもが拓く生活科授業の創造」として文脈で読むことが大切だと思います。それは教師が適切にかかわるということを意味しています。
 それは、子ども和自由にして、子どものままにさせるのとは違います。教師という言葉を前面に出さないかわりに、教師が拓く状況を整え、子どもの拓く姿を適切にとらえ、教師が適切に多様に関わることが大切になります。
清水  再任用校長として勤務しています。生活科に関わったのが、昭和63年 教員研修生として「公園に行こう」の単元を社会科の授業として実践しました。
 生活科で学ぶ子の方が、子どものかかわり、参加、学びなど、違うと思いました。また保護者から「このような体験をし、遊んで学んでいること大事だと思います。」と語ってくれたこと今でも忘れません。
 低学年の子どもたち、体験を通して学んでいます。「気付き」は大事なのですが、20年経ってもクリアーできない課題の一つでもあります。
 小学校では1年生と6年生の差があります。その中で、可能性、手ごたえを感じる学びが生活科だと思います。
 いい実践をして学びを広げることができるといいと思います。
嶋野  63年ですか。覚えていますか。
清水  社会科で授業をしたのですが、中野先生(当時の文部科学省教科調査官)から「社会科の頭をすてなさい。一日幼稚園に行って学んできなさい」といわれました。
 社会科は、社会の仕組みを教えるのです。私は、低学年では難しいと感じていました。
嶋野  私も同じ経験をしています。教科にはそれぞれの教科の役割と特性があります。低学年社会科で「おみせやさんごっこ」をしました。
 買いやすいとか、たくさん売りやすいように工夫しているなど社会事象の意義を考えさせた授業を行いました。
 多くの子どもたちは、安くてきれいなお店に行こうと買いに行きました。その中で、「ぼくは売っている人が好きだから買いに行く」というのです。
 授業としておさまらなくなりました。絶対に捨てがたいものです。顧客は作らないといけません。
 生活科ならたくさん取り上げることができるのです。社会科の場合、枠でくくらないといけません。
 手ごたえを感じる学びでした。子どもの思い・願いを生かせる生活科ができて、世界が広がったように感じました。
梶浦  最初の私の通知表を見てください。
 私がこうしているきっかけは嶋野先生でした。導く道を拓いてもらいました。生活科は手ごたえのある学びだと思います。
 学校という枠ではなく、生活の中での学びをぶつけた時に「それでいいんだ。よく勉強しているね」と褒められたのです。
 私は、自分の手ごたえとして学んでいきたいと思いました。
 手ごたえといいましたが、手ごたえのある学びとは、学んだ実感のある学びだと思います。これは生活科だけでなく、すべの強化で当てはまります。
 伝え合う力、言語力を重視していくと、言葉遣いだけの学びに陥る傾向があります。手ごたえのある学びとならないと思います。
 新学習指導要領では、子どもの学びが機能化、実体化していると思います。
 表現主義に陥りやすいと思います。生活の中で、使っていける力を培うようになっているのではないかと思います。
 活動を通して、活動の中で机の上をとび出し、社会の中で使える力、具体的に使える力が求められていると思います。
 問題点は、生活科ではよりよい授業をつくるための指導力、教師の役割だと思います。
 まず、指導要領の理解が必要です。知識を学ぶのです。そして子どもの学ぶ姿と知識の相関をあぶり出し、どうとらえるかだと思います。
 今、カリキュラムが過密です。事例研究をしていくことだと思います。
 心理学者の一人が「人間の理解は事例研より他にない」と語っています。
 生活科のよりよい授業は、子どもの学びの場をつくっていくことだと思います。そして子どもの有り様を語りあっていくことが大切になっていると思います。
 子どもの姿を学べる時間わどうつくり出すかであると思います、
嶋野  オール1の成績を公開できる、世の中が幸せになった、そのような社会となったことだと思います。
 これまで学校での学力と社会で求めている学力のギャップがあったのではないかと思います。それを埋めたのは生活科だと思います。
 今、生活科のつくられた主旨、原理が忘れられているのではないでしょうか。
 梶浦さんの姿は自ら学び生活を拓き、事故の可能性を拓いてきた姿といえます。生き生きと学び続け、今では管理職の前で話をするようになっています。
 この姿こそ大切なのではないでしょうか。
 生活科、事例研を大事にしています。なぜエピソードを使うのでしょうか。
 子育てというのは、マニュアル本が出ていますが、究極は目の前の子どもを育てることです。個別に支援することです。
 生活科も同様です。共通項はあるのですが、事例研で個別性を見ていくのです。そこに原点が出てくるのです。
 生活科は学習対象が広いです。生活科の原理も深く強いのです。改訂の時期になるとこれまでと変わったところに目がいくものです。
 それでは大元を見失うことがあります。変わったところをみていくのではなく、変わらないところもみていかないと根っこまで崩れてしまいます。
 解説書を読むと変わらないところについては「現行を一層重視する」「維持する」とでています。ここに不易の原理があるのです。
 生活科の授業で、まったく理科の実験のような授業をしている場面を目にしましたが、あれではますます理科嫌いを作ってしまいます。そもそも生活科とは何かと考えていかないといけません。
梶浦  いろいろと授業を見てきました。生活科では知的気付きを大切にしてきました。プレジデントという雑誌が「気付く力」をテーマに編集されていました。
 社会で人材として必要な力は何かと問われた時に、知識の量ではなく、気付く力ということです。
 気付く力は学びの必要性をつくっています。知識社会の到来といわれていますが、気付き社会の到来です。
 日常生活の中で「おや」「あれ」という気付いていく力を持っていくことが重要になっています。
 気付く組織、気付く人をつくることが求められているのです。
 今、気付くことが難しいといわれています。
 算数の授業を参観に行ったのですが、その教室でザリガニを飼っていて、「マッカイ」という名前がついていました。
 そこで、なぜこのような名前が付いているのかたずねてみました。私は「赤いから」と聞いてみました。
 すると「アメリカ人だから」と答えが返ってきました。アメリカからきたからアメリカの名前をつけようとなったということです。
 現実の中で、いろいろな問題に気付くことが大切になっています。
 学力が実体化していくだけです。子どもの発達段階にあった学びをしていくことが必要だと思います。
 これまで「子どもが学び化」する授業でした。生活科の登場で「学びを子供化」していくようになりました。
 社会、生活の中から気付いていく力を持つことが大切だと思います。
 生活はあとからは伸びないものです。追いつく学力と追いつかない学力があるのだと思います。
 知識は追いつく場合もあります。
 以前、「一年生からやっても、一年間やっても、なってしまえば東大生」というコマーシャルがありました。
 気付く力は追いつかない学力といえます。
 子どもが日常の中からすごいと感じることが大切です。
 子どもが社会を拓く時、気付くことがたくさんあります。対象のあり方、対象とかかわり、具体の体験活動から見出していく自立の基礎、生きる力の基礎を、学校だけのものではなく、不易の力が求められているのです。
清水  今のお話を聞いて、気付く力は子どもたちにあるのだろうか、見つけて育てることが大切なのだと思いました。
嶋野  空気が読めないといいますが、気付く力が不足しているのではないかと思います。
 キーワードとしても学びの必要性を自分で見つけるということがあると思いました。
 拓くだけではだめなのだと思いました。角度を変える必要性もあるのではないでしょうか。
清水  校長として、心がけていることは、担任の配置をどうするかです。1年生の担任を誰にするのかでは、9月にはそれらしき人に「1年生の今の様子を見て下さい」と話しています。  
 毎年、すべての教科を授業研究しています。生活科、総合も研究しています。
 1年生の特殊性を考えると、学校生活に入って、子どもが拓く力、自立することができるようにできる先生が、ふさわしいと考えています。
 子どものことで気付かないといけません。感性があり、子どものことをどう見れるかが大事になります。
 1年生の子どもが理解できないと学習どころではありません。1年生の担任は初等教育のスペシャリストでなければならないのです。
 中でも中核は生活科です。生活科の授業ができる先生、保護者との関係づくりがうまいです。保護者は、生活科が分かりません。
 その不安を取り除くために、授業参観で見せたり、懇談会で話をしたり、信頼関係を結ぶことができます。
 1年生の担任はスーパーマンです。高学年の先生は、子どもを通して安定していくのです。1年生からやっていると違うのです。
 生活科こそ、拓く力を二年間で育てていくのです。
 そうでない場合、管理職がどう授業に入るのか、教える授業ではなく、学ぶ授業になっているか。
 それが分かる先生が少ないです。力を引き出し、子どもたちが変わっている姿をアピールしないといけません。
 1・2年生でやっていかないと、3年生になって急にやろうとしても無理なことです。
 生活科の授業ができる先生は共通しています。学級経営がうまい。子どもを見とれる。第三者との調整がうまい。
 そのような先生のクラスでは、子どもは安心して居場所を見つけ、協力してチャレンジしていけるのです。
 それを大事にしていくことは教師を育てることにもなるのです。
梶浦  子どもの学ぶ姿を読み解くことが大事だと思います。
 下田市立下田小学校では、次のような授業研究を実施しています。

 模造紙に記された子どもの発言記録に対し、次々の教師の見取った子どもの思考世界が書き込まれていきます。時には赤の油性ペンで、時には緑や青の油性ペンを使って、子どもの思考世界が豊かに再現されていくのです。
 それは、宝探しの地図に隠された暗号を読み解いていくかの様な活動ですが、子どもの学び世界を読解し、指導に役立つ情報として翻訳し合っていくのです。
 ・一人の子どもは周囲の仲間や教師と関係し合いながら学んでいる
 ・教師の教材選択や、発問のちょっとした言葉が子どもの思考世界を大きく左右する
 ・子どもは、基本的に自分の頭で考えたがっている
 ・他人の間違いを感じて、自分の考えを修正する力を持つ子もいる
 ・一見無意味な発言の中にも子どもなりの正解が潜んでいる
 ・・・・次々と、子どもの学ぶ姿から見えてくるものがあります。

 教科でも生活科でも教師に求められる力が3つあると思います。
 @学習内容に詳しい。
  各教科ではまとまりのある知識が分かりやすいと思います。生活科は難しいと思います。
 A指導方法を理解している。
 B子どもに詳しくなる。
  
 一人で見取った子どもの事例だけでなく、交流していくことです。子ども指導の接点、環境の接点、子どもと学びを読み取っていくのです。
 クローリーという人がいます。教師の役割について一つは、内容のガイド役であると。そして二つめには子どもの考えを解釈する解釈者であるといいます。
 子どもの姿から読み取るのです。生活科だけでなく、すべての教科で必要なことだと思います。
 子どもの姿から見取らないといけません。多くの人が交流して、教育そのものを拓いていく必要があると思います。
嶋野  学校づくり、学級づくりにおいて、生活科が分かっている先生が必要だと。
 また子どもの学んでいる姿を読み解ける先生が大事だとお話していただいたと思います。
 内容に詳しい、方法に詳しい、子どもに詳しい先生が大事だということです。
 たとえば保護者に説明できるということだと思います。
 以前、ある保護者から、まじめな方ですが、栽培活動をしているときに次のように言われました。
 「どうして生き物を飼ったり、育てないといけないのですか。図鑑で調べた方がいいのではないでしょうか。効率的に教えてくれた方がいいのに・・・」と。
 皆さんは子の質問に対してどう答えますか
 納得できるものにしないといけないのです。生活科を理解し、分かることが大切です。
清水  校内の授業研のあり方も大切だと思います。教師の専門性を高めていくことにつなげられるかです。
 教科の学習では、いかに教えるかという論理があり、指導方法の研究が多かったと思います。
 それが子どもにとって、どのような意味があり、どういう学びが成立したかという教える側の論理が強かったと思います。
 子どもの側に立っていくこと、教師にとっても課題だと思います。
 あの子どもはどういう分かり方をしているの。授業後の協議会の持ち方で、どう解釈し、分析していくのか、大事になると思います。
 校内研で、子どもの学びを読み解くような支店になれるといいと思いました。
嶋野  これまでいかに教えるかということに主眼がおかれてきました。それが技術でもあったのですが、いかに学んでいるか、ということが大切だと思います。
 子どもが拓く力、生活科ではしっくりとくる言葉だと思います。
 生活科の原理である「自分とかかわりに関心を持ちかかわる」ところに拓く力が出てくると思います。
 かかわりに関心を持たずに客観的に見るという教育もあります。
 子どもにかかわらせていく、そこに教師もかかわっていくことだと思います。
フロアー 短大で小学校教育における生活科の意義についてレポートを書いてもらいました。
 ・学ぶ意欲を育てる教科
 ・マニュアルのない教科。私自信がマニュアルを作っていきたいと思います。
 ・教師も学びたい。学び続ける教師になりたいと思います。
 などと書かれていました。
 読んでいくと、よい生活科の授業を学んできている子はねよい生活科を作ろうとしているということがわかります。
フロアー  清水先生から生活科ができる先生はいいという話があり、嬉しく思います。教師の側の活動をどう作っていくか、具体的に明示してほしい。
 子どもをどう支援していくか。子どもの姿をどう読み解くか、どう成立し、何が支えているのか。どう理解を深めないといけないのかと思いました。
 どう読み解くかに関係するのですが、教師の支援が小手先の支援でとどまっているように感じるのですが、どうでしょう。
 信頼性を持った支援、子どもと一緒になった活動をどう作るかにかかっていると思います。
 最近、言葉だけで、こうした方がいいといっている授業が多いように思います。
梶浦  具体的活動といってもまったく同じにならないところがあります。学校により異なります。
 活動の有り様も学校の課題、人間関係によって異なります。各学校でどこがよいところか、どこがまずいのかを考えないと、具体が見えてきません。
 病人を診ないで診察するのと同じです。
 研究は生の活動をみないといけません。
フロアー  生活科を分からない教師がいて授業をしていることと生活科を理解しない管理職がいる。
清水  管理職の中でも自分の専門とする教科は理解できるが、他の教科は理解しようしない方もいます。
 これまでの国語や算数のような授業と生活科の授業は、その特質が違うと思います。生活科の根源を理解できていないところ、難しいと思います。
 管理職の姿勢が大事です。
 教育課程上、チェックが必要です。それぞれの教科で、意味や役割があります。授業をしやすいようにサポートしていくのが、管理職だと思います。
 どう打開していくか。管理職の問題については、よい実践を具体的に子どもの姿で話をしていくことが大切です。
嶋野  今も清水先生から話がありましたが、地道な努力が必要です。
フロアー  梶浦先生から気付く力、追いつく学力、追いつかない学力というお話がありました。
 今年、一年生を担任していてスタートカリキュラムを大事にしました。適応指導ではなく、子どもに気付かせていくように取り組んでいます。
 気付く力、とても大切だと思いました。
 追いつく学力、追いつかない学力というお話がありましたが、意欲、関心があると、学力がついてくるのだと思います。興味や関心があると、見えなかったものが見えてきます。
 どんな人でも追いつく学力があるのではないかと。追いつかない学力はないのだと思うのですが、どうでしょう。
梶浦  追いつく学力、追いつかない学力という言葉は、認知科学の佐伯胖(ゆたか)先生の言葉です。
 知的好奇心には、一般性好奇心と特殊性好奇心があり、外発的なものから強く、踏み込んでいく といわれています。
 追いつきやすい学力と追いつきにくい学力があるのだと思います。
フロアー  生活科が導入される時に生活科をやってきました。20年前から家庭科をやってきました。
 いずれにしても社会の変わりようには大きなものがあります。
 ボタン一つですべてが動く時代となりました。それが当たり前の時代です。あまりにも当たり前で、気付かないことが増えてきました。
 社会が子どもたちに気付きにくくさせていく時代のように思われます。そんな中で原体験をさせたいとして実践してきています。
 本当に今のままの9教科でいいのかと思ってしまいます。
 20年前には、マニュアルはなく、先生方も情熱がありました。20年たつと形骸化し、マニュアル化しているように感じられてなりません。
嶋野  マニュアル化も必要です。しかし、それだけではなく創意工夫が大切です。何が必要なのか。社会の変化にどう対応していくのか。
清水  子どもたちが気付かないといわれましたが、昭和63年頃、『子どもが育つ生態系が変わってきている』という本を読みました。
 子どもに責任はないのです。生態系が変わった中で子どもが育っていて、体験から遠ざかっています。それは学校でも同様です。
 最近、話題になさったことがあります。4年生の子どもが「はじめて転んだ」というのです。親は転ばせなかったのです。
 親の養育態度について考えさせられました。
 今、障害物を取り除いて、塾やおけいこに通わせている過剰な子育てをしている親がいます。親の価値観も変わってきています。
 このような社会だからこそ、生きる手ごたえ、生活する力をつけないといけないと思います。遊びも生活科で行うのです。
 そこを認識しないといけません。
 生活科・総合的な学習の時間は、原体験に近づけるものをしないといけないのです。
 危ないから体験させないという学校もあります。それでいいのでしょうか。
 1・2年生の体験が6年生まで育てていくのです。学校全体としてどうとらえるのか。
 指導要領では、最低基準としています。
 子どもの時代を子どもらしく生きることができる。
 マニュアルがあってもいいと思います。教科書を見ていても分からないので、マニュアルがあり、構想を描いていくのです。
 マニュアル通りではなく、マニュアルとの距離が大事です。
嶋野  子どもの時代を子どもらしく生きる。マニュアルとアドリブを相関関係で。というお話しがありました。
 原体験について、絶対的価値と相対的価値があると思います。
 絶対的価値は不易なものです。相対的価値は相対的に見て、原体験の中でクローズアップしなくてはならない時と見ることができます。
 いずれにしても体験を重視した教育が大事だと思います。
梶浦  教育の不易な面があります。流行というところもありますが、教育の本質に迫り続けることが大事だと思います。
 子どもを育てる先生は、自分を育てるのがうまいと思います。全国各地に学びあいながら自分育てがうまい先生がいます。
 社会の変化でマニュアル化が進み、機械科学が進化し、過程を省略して結果をすぐ求めるようになってしまいました。
 しかし、時間というプロセスをはずすことはできないと思います。
 考える時間をはずしてどうなるのか。
 マニュアルに潜んでいる精神が大切だと思います。
 自分たちで自分たちのスケール観にあっているか確かめ、自分たちのものにしていかないといけないのです。
 マックス・ウェーバーは「文明の中心地からは文明は生まれない」といわれました。今、「知る」ということを欲しています。
 驚きが、気付きも驚きの核といえますが、大切です。
 子どもが拓くということを、身につけるために交流が大切になります。
 そして、自分らしくなるということです。他者へのかかわりを抜きには語れません。
 子どもたちがどんなときに伸びるのか、「認められたとき」「2年生にすごいといわれたとき」と。
 それだけではありません。人を認めたときにも伸びているのです。「先生ってすごい」「1年生は聞いてくれた。すごい」と。
 意欲、体験、謙虚さが結びついていると思います。
 子どもと子どもが認め合ったとき、子どもと認め合った他人が他人となる。また自分のよさが自分のものになるといわれます。
 「言語」の「語」という字は、自分で感じたことを側で語り合う。そのことにより、自分を認めていけることを意味しています。
 かかわる力は、質を高めていけるのではないかと思います。
 
嶋野  拓く力と気付く力、密接な関係があるのではと思います。
 生活科のキーワードとして、気付くがあります。これからもしっかりと研究をしていく必要があると思います。
 また教師の存在は大きいと思います。教えるだけではありません。
 不完全であっても拓く力とは何か、自分なりに拓く力とは何か、言葉で表してみることだと思います。
 言語活動とはこういうことだと思います。
 私の考える拓く力はとは、
 一つに生涯において学びの基盤となる力。そしてもう一つは、自分わ取り巻く人、もの、社会、自然とかかわりあっていく力であり、そこでひらかれていくものである。
 すごい教育原理だと思います。深さ、強さ、広さがあります。問い直しが必要だと思います。
 教師には何が大切か。生活科の理念を踏まえて、教育の精神が大事です。そして具体的に形としてつくりだすことが大切だと思います。
 具体のイメージが大切です。そのためには、子どもの姿を出していくことです。
 町探検で、子どもははじめ花屋さんで花の種類、並べ方などを聞こうと、思い出かけていきました。
 花屋さんが自分の夢の話をしてくれました。
 帰ってきて子どもは「私も夢を持ちたいと思いました。夢を持ち続けたいです」と。
 そして、今度の町探検では夢っていうことで聞いて回りたいと。
 魚屋さん、パン屋さんと聞いてまわり「夢をかなえた人。小さい頃の夢と違う人。いろいろいました。夢を持ち続けることはいいことだと思います。」と。
 生涯の支えとなっていることに気付いたのです。

 このような例もあります。学校でミニトマトを育てていました。種まきをして大きくなっていたのです。
 給食でグレープフルーツが出ました。「この種は芽が出るの」と質問しました。
 実際に種をまいたところ、芽が出てきました。
 すると、スイカやメロンの種も巻きました。教師中、種をまいた植木鉢だらけになりました。
 とお手紙をいただきました。感動の毎日だと思います。
 
 また、冬のアサガオという実践があります。
 秋、ある学校でこぼれた種が芽を出しました。そこで「アサガオも芽が出るの」と。
 アサガオの種をまいたのです。すると、短いのですが、つるが延び、冬に小さなアサガオの花が咲きました。
 夏とは違い大きさは違いましたが、冬でも生命があると気付いたのです。
 
 まさに拓いていく姿です。そうでないから感動します。
 マニュアル化していく中で、創意工夫していく時、原理を理解していけばいいのです。
 私たちの拓く力を原動力として、子どもの拓く力を磨いてあげていただけるといいと思います。