九、
僕は肩にハワイで買ったエレ・アコギターをかかえていた。そのギターは音楽学校の授業に寄与するために、Jコープの資金で購入したものだった。派遣国外旅行の目的の一つには「活動に必要な楽器や装置を買うこと」を掲げていたので、大きめのスーツケースには荷物を少なめに入れて、そのお土産のためのスペースに余裕を持たせて出かけた。
飛行機が〈酋長の港〉空港に舞いおりたとき、そのスーツケースには隙間もなくぎっしりと、拡張機やら被服電線やら替え弦の新品がつまっていた。
三週間ぶりのアピアの町だ。あい変わらずトラックを改造した丸っこい箱バスが、ディーゼルの音とともに往来している。この風景はすぐ隣りの米領サモアとも様相を異にしていた。
何故って、あそこには角ばった四角い箱バスしかなかったから。そして停車の合図を送るときには、おかしいことにコインで車内の壁を叩いてバスを止めさせた。ちなみにハワイではサモアと同じように、車内の壁づたいにひかれた紐を引っぱれば、ブザーやランプの表示で運転手は車を止めてくれた。
さて、空港を出てから〈水を分ける=海側〉の二十六番まで行きつくには、ほんの四、五分だ。旅行に出発する直前、初めてのシリシリ山登山計画は失敗に終わっていた。余りの悪路、悪天候、そしてここ最近のデング熱の流行が同居人の渡部晃をはじめ、他の参加者の障害となった。
麓の〈夜明け〉村で前日から待機していた一行は、当日になって登山を決行したものの、降りだした雨は厳しく、背たけほどの雑草を刀で刈りながらの行程、日が暮れてからの気温の低さでそれ以上先に進むことを、最初の晩に断念せざるを得なくなった。しかし、失敗から得た教訓は、次の挑戦への大きな足がかりとなったはずだ。
僕は一方でマノノ島へ泳いで渡る計画をひそかに進めていた。そのための予行演習を町のはずれの「パロロ・ディープ」海水浴場でやったあと、帰国間際の看護婦・笹本裕子の住居に立ちよった。僕が旅行に出る前の日ことだ。
その時は四国出身のお父さん部隊員・沢村知久も一緒だった。裕子はシリシリ山登山のあと、デング熱を患ってどうしても予定の日に帰国することが困難になっていた。
デング熱は蚊を媒体としてかかる南洋の病気だけど、もしこれが発病したら、一週間にわたって頭痛や吐き気をともなう高熱が続いて胃が食べ物を全く受けつけなくなってしまう。食欲不振と高熱によるスタミナの消耗で、患った本人はげっそりと痩せてしまうのだった。ただのデング熱なら十日ほどで回復に向かうけど、恐ろしいのは出血性のデング熱で、それは時に患者を死に至らしめることもあった。
既にJコープのうち三分の二がこの病魔を体験したあとだった。デングのウィルスは、最後の最後になって裕子に犠牲者としての白羽の矢を向けた。
とはいえ訪問した先の裕子は意外に元気で、ちゃんと立ちあるいて僕とお父さん部隊員を歓迎してくれた。
「いやぁね。いよいよ帰れるって時にこうだもんね。もう土壇場でバタバタよ。まだ荷物の整理もしてないのよ。やっぱり出発を延期しなければ駄目かしら。そうなったらまた手続きし直さないといけないでしょう。あーぁ、面倒くさいな・・・・・・」
・・・――あの日からもう三週間がたっている。いくらなんでも裕子はもう帰国の途についているだろう。
タクシーはでこぼこ道をゆったりと進んで、僕の住居の前に乗りつけた。久しぶりに見る、懐かしい都だ。庭の草は、すぐにでも刈らなければならないくらいにのさばっている。
鍵を開けて薄暗い建物の中に入ると、少しだけ埃っぽくなった匂いが「過去の一年近くをここに住んでいた」という郷愁さえ呼びおこした。同居人の渡部はまだ職場から帰ってきていない。
僕はひと通り荷物を置くか収めるかすると、自転車に乗って〈最後の水〉にあるJICOオフィスへと向かった。派遣国に再入国したことを真木コーディネータに報告する必要があったからだ。そこで派遣国外旅行のために消費した金額の精算をする。僕たちはその時に航空券の半券(領収書がわりとなる)と、すくなくとも二百米ドル以上分のホテルの領収書を掲示しなければならない。というのも、あらかじめJコープの資金から宿泊代としての二百ドルをわけ与えられていたからだ。
白壁の、JICOオフィスの鉄の扉を開ける。かつては何げなく繰りかえされていたこういった行為でさえも、久しぶりにやると、表の鍵の暗証番号を押す手の動き、ドアを開けた瞬間に体で感じる振動さえ、妙に懐かしく思う。
階段をかけあがった所で、ばったりと山本夏央理に出くわしたのでドキリとした。彼女は「プレタシ」というサモア式のドレスを着ていた。サモア大学の入学式が今日あったのだと言う。耳もとには白く薫る「プアー」の花を差していた。それはサモア女性がする正装だった。本当は「ウラ」と呼ばれる首飾りも必要だったけど、さすがにそれは式の終わった後で外していた。
「プアー」の花はくちなしにそっくりだった。もともとはインド産の夾竹桃がフィジー経由で入ってきたものだけど、花が一輪ずつ咲くことで同属のプルメリアとは区別された。今ではポリネシア各地で「プアー」を拝むことができるけど、サモアのプアーは木の葉の先が円形になっているのが大きな特徴だ。
夏央理はライム色の声で喋った。
「藤井さん、今晩『ル・ジャルダン』でポリネシアのダンスショーがあるんですよ。『パレード』といって、なかなか評判のいいダンスグループが出るらしいんです。新部隊員もまだドミトリィで合宿していることだし、彼らを誘って是非見に行きませんか、行きましょうよ。」
僕は「分かりました」とだけ答えると、先を急ぐようなゼスチャーを見せて、さらに階段を登った。事務所は三階にある。真木はそのコーディネータ室でJICOの職員・河本聡と仕事をしていた。
帰派遣国報告――そう、事務的な手続きを済ませてから二階の奥にある談話室に降りていくと、夏央理をはじめとし、六人もの新部隊員が大挙して僕の戻りを待っていた。
「ル・ジャルダン」は、以前のナイトクラブ巡りの時にも名前が出てきたけど、サモアにしてはまともな西洋料理を食べさせる所で、週末にはバンドが入ってディナーに華を添える。JICO事務所からは二キロ近く距離があった。歩けば二十分以上はかかる。だからタクシーでいくか、歩いて行くかはその日によっていつも意見が分かれるところだった。
僕らはその日はタクシーを呼んでから行った。新部隊員には各自に今夜の食事で財布から三十五ターラー(約千六百円)が飛んでいくことを覚悟させていた。
店内に入ると、そこは大理石のフロアーに深紅のテーブルクロスを敷いた洋式テーブルがたち並び、リゾートの雰囲気をかぐわす籐椅子がぎっしりと添えられていた。各テーブルには原色の花を銀色の花瓶で飾ることを決して怠ってはいなかった オーナァはサモア人だったが、そこには不思議と西洋人が装う人工的な清潔感があった。
僕たちは八人で一つのテーブルを独占した。フロアーの一角ではスピーカァや打楽器などが備えつけられ、いかにもこれからショーが始まる、といったムードがむんむんとしていた。
僕の目の前には夏央理が座った。彼女はまだ白地にまだら模様が入った「プレタシ」を着ていたけど、もう「プアー」の花は耳もとからは消えていた。
「『パレード』は今夜ここに出たあと、次の火曜日にはすぐ隣りの『パラダイス』でもやるんですって。」
夏央理はすこしはしゃいで見えた。橙色の照明が彼女の笑顔をやさしく映した。
「へぇ、それは是非見てみたいものですね」――僕は極力、彼女の言葉に合わせるよう心がけた。
「・・・また観にきませんか、今度の火曜日」――夏央理は嘘のように僕の答えにかぶさってくる。
「そうだね。山本さんも俺も国外旅行から帰ってきたばかりだし、色々とみやげ話には尽きないだろうから。」
「実は藤井さんに聴かせてみたいカセットテープがあるんですよ。オークランドのライブハウスみたいな所で演奏していたバンドのオリジナル・テープなんですけど、凄くよかったんですよ。」
「俺のほうは、撮った写真がけっこうあるんだよね。」
「あっ、見たい見たい。今度持ってきて下さいよ。」
二人は同席した他のメンツをまるで構わずにくっちゃべった。僕は僕で本来の調子をとりもどして、やっと夏央理と対等の会話ができるようにになっていた(そう考えると、逆に別の意味で僕は夏央理に対して構えていたことになる)。
ふとしたとき、夏央理が視線を横に流してからちらちらと盗みみるように僕の口もとを注視してからこう言った。
「どうでもいいですけど藤井さん、その鬚はあまりお似合いじゃないと思うんですが。」
・・・・・・僕が旅行中に伸ばしていた鬚はまだ剃らないままでいた。夏央理が僕の身なりについて強くコメントしてきたのはこれが初めてだった。かなり気にめさなかったのだろう。このみすぼらしく生えた中途半端な鬚を見て、彼女はケチをつけた。
僕はうれしく思って苦笑いをした。その時も鬚はあごの動きに合わせてふしだらに踊ったはずだった。
他人にとってはどうでもいいはずの僕の鬚に対して、今、山本夏央理は気づかっている。彼女の非難を逆手にとって自分に都合がいいように解釈するだけでも楽しかった。
その時だ、突然の暗闇に襲われたのは。
レストランの中はすべての光を失い、表通りを過ぎていく車のヘッドライトが幽かに入り口のガラス張りの扉を越えて、カーテンレースの模様を壁という壁に投影するだけになった。
「停電だ!」――誰かがそう叫ぶまで、客は何が起こったのか全く把握できなかった。視界が何の前ぶれもなしに突然奪いさられたのだから無理もない。
しかし事情、つまり闇に覆われた世界は停電のなせる業だということに勘づくと、客は次にはざわざわしだした。そこここでライターの擦る音がして、ふあっと閃光がたぎったかと思うと、それはまた暗闇の中に埋もれた。
しばらくすると、少しずつ、各テーブルに燭台が並びだし、給仕たちがともした灯がうっすらと僕らの顔とか、グラスとか、食べかけの皿とかを浮きたたせた。
そうなると安心した客たちは、またもとのようにとりとめもない話を湧かせるようになる。
・・・・・・ところで、予定されていたダンスショーはとうてい実演できる状態ではなくなっていた。電気がなければスピーカァがつかえない。それはそのままショーの中止を意味した。


その晩はアピアの町じゅうの家々、店という店が被害をこうむるという、大規模な停電にみまわれた。僕たちは事の大きさに感知しないまま、ただ世間話に没頭していた。一時間もすると、レストラン全体にぱっと明るく照明が甦った。それは停電からのリカヴァリィだった。客からはほんの一瞬だけ喚声があがった。――だけど、その日のダンスの、もはやショーができないということは、のちのちのレストラン側の告知で分かった。
僕たちは、食事にかんしてはケチをつけることもなく、存分に満喫することができたけど、途中で間を憚ってきた停電と、それがもたらしたショーの中止を残念がった。
・・・・・・会計を終えると、僕だけトイレに立ったことから、残りの新Jコープたちはぶらぶらと先に歩きだしていた。帰りは、夜風を体に浴びながら徒歩でいくことにしたのだろう。夏央理だけが僕を待っていたので、自然と二人だけで並んで彼らの背中を眺めながら歩くことになった。
「さっき話したことですけど・・・」――夏央理が口を開いた。
「はい」――僕はまた話をつなげた。
「さっき話したことですけど、『パラダイス』のダンスショーを見に行くのは今度の火曜日でいいですか。」
「はい。」
「他にも新部隊員とか誘いましょうか。」
「そうだね。今日は彼らも見れなかったわけだし。」
「写真――藤井さん、写真、忘れないで下さいね。あたしはテープを持ってきます。」
夏央理はハンドバッグを手に持って、僕に歩調を合わせてくれた。舗装が崩れた個所からは角ばった石がむき出しになって、それがたまに彼女のパンプスの軌道を狂わせる。前を行くJコープたちの後姿も遠のいて、宵の町の歩道を二人だけでぶらつくうちに、「今のうちに断っておかなければならない」と直感した僕は、少し気負った口調でこうきりだした。
「山本さん、実は・・・――いや、言ってしまおうかな。」
「何ですか。」
「実は、・・・俺はタヒティに行ったんですよ。」
「え、と言うと?」
「ハワイから、当初のもくろみ通りタヒティに進路を切り替えて、サモアを出た二日目にはもうパペーテの町に着いてました。出発前からチケットは、サモアの別の旅行エージェンシィを通して手に入れていたんです。」
「へぇ〜、それじゃホントに?」
「そう、コーディネータの出したおふれなんか知ったこっちゃない。国外に出てしまえば、あとはもうどうにでもなるんだから。」
「じゃ、タヒティの写真も。」
「もちろん撮りました、たっくさん。」
「じゃ、火曜日持ってきて下さい。でも、あの・・・このことは。――藤井さんがタヒティに行ったということは、他の皆なは知ってるんですか。」
「いいえ。同居人の渡部君は抜かして、ですけど。もちろん他の人にバラしてもいいんですよ、山本さん。」
「いえ、とんでもない。誰にも話しません、絶対に。」
夏央理が話を止めなかったので、僕らは何のとどこおりもなくJICOの事務所までの夜の散歩を白色の煙る街燈とともに楽しんだ。僕は何ということもなく夏央理との最初のデェトの切符を手に入れてしまったことを喜ばしく思ったけど、それは誰かに背中をくすぐられているような気持ちだった。
ところが、彼女と二人で夜も深まる事務所の二階にある談話室まで戻って扉を開いたとき、そこには太田健二が居た。彼のずんぐりとした目がまず隣りの夏央理に向けられ、その次には僕のほうに視線を移して、窺うように定め見た。
太田の懐疑に満ちたまなざしは、あの時、そう〈水を分ける=海側〉二十四番のホームパーティでの別れ際に「ねぇねぇ、何話てんの?」と声をかけてきた、あの時の目つきそのものだった。
その直後、僕の気づかないうちに夏央理は、事務所から姿を消していた。僕のほうには何の挨拶もなしに。
夏央理は礼節をわきまえた女だ。僕に別れの一声もかけないまま消えることはまず考えられない。しかし、その実、彼女は誰にも断らないで家に向かったのだった。その理由はあとになってから明らかになったけど、僕はキツネにつままれたような感じで、心には何ともいえないもやがたちこめることになった。
今想えば、それこそが嫉妬と名のつく霞ではなかっただろうか。
火曜日の晩、僕はタクシーを拾い、夏央理の住む住居へと乗りつけた。前の日、彼女から待ち合わせの時間を決めるための電話があった。その時、女はあの晩、急にいなくなったことついてのコメントいっさい添えなかった。
タクシーの助手席から降りて、西洋風の平屋づくりの玄関から女の名を呼ぶと、すぐに「藤井さんですか」という声が家の中から返ってきた。
網戸が開いて、レェスカーテンをかきあげながら現れた女の姿を見て、僕は驚かないわけにはいかなかった。夏央理が度のきつい、眼鏡をかけていたからだ。黄土色の縁つきの眼鏡をかけている彼女を、以前にも何回か見かけたことはあったし、いつもはかなり強いコンタクトを付けていることを知っていた。だけどそれにしても、醜いとは言わないまでも、みすぼらしい夏央理の格好を見て僕はがっかりした。と言うのも、眼鏡の時の彼女ほど冴えない外見はなかったからだ。分厚いレンズは、女の愛らしい両目を二匹のゲジゲジのように写した。
僕は夏央理を後部座席まで導いたとき、自分はどこに座るべきか躊躇した。少し迷ったところで助手席の扉を開けて腰をおろし、後部座席には女が一人で座る形になった。僕にはそれが自然のスタイルだと思った。
「『パラダイス』へやってくれ。〈語りべ〉ホテルのすぐ隣りだ。」
「イエッサー。」
車が道路にのり出すと、僕は夏央理に話しかけた。運転手は最初自分に何か問いかけてきたのか、という感じでビクンとしたけど、僕が発したのが訳のわからない東洋語、つまり日本語だと気づくと、「あぁ、後ろの女に喋ったのか」と納得したようなそぶりに変わり、またハンドルさばきのほうに集中した。
遠耳で聞くと、日本語とサモア語はよく似ていた。
「本当は、この間居た新部隊員たちも誘おうと思ったんだけど。」
「あたしも。・・・でもまた色々と電話して都合きいたりするのが面倒になっちゃって。」
僕は半身を反らせて、夏央理は両肩をつき出して、「パラダイス」に着くまでの十分間ほどをタクシーの中で会話をはずませながら過ごした。
車内では男と女の会話が前部シートの背もたれを境に渦まいた。運転手は訝ったに違いない、「この日本人の二人連れは、今夜いったいどこであれをやるのだろう」と。
「パラダイス」は野外レストランで、白い丸テーブルの中心にパラソルが突ったてられたものがいくつも置かれていた。丸テーブルのまわりには、湾曲したプラスティック椅子が囲んでいる。
僕も夏央理もショーの料金と込みで今夜のビュッフェ代を前払いした。舞踊団「パレード」が演じるポリネシアン・ショーが始まったのはそれから間もなくのことだったけど、その内容はサモアの他のどの場所でも観ることができない、素晴らしいものだった。
夏央理は若い踊り子の麗しい動作に、あこがれの溜息を洩らした。僕は顔立ちの整った大男ががに股の脚をぶるぶると震わせるタヒティの踊りに絶対的強さというものの象徴を見た。
彼らの踊りは、ポリネシアのありとあらゆる踊りをミクスチャーしたものだった。ハワイの「フラ」、タヒティの「タムレ」、ニュージーランド=マオリ族の戦いの舞。どれも打楽器や生演奏が入って盛り上がりと静寂とを演出していた。ある意味でそれはつくられたニセモノだったのかも知れない。しかしその巧緻な演出は視覚にうったえ、僕らの官能さえゆるがせた。
ショーが終わると、観客はビュッフェの皿をとるために、バイキング料理の入った箱型の銀器が並ぶ一角に列をつくった。その日のメニューには、珍しく中華料理のカニのあんかけがあって、これは僕も夏央理も気にいった。
夏央理は眼鏡の奥のやたらとみみっちくなってしまった目にしわを寄せ、鼻もとから伸びる大きめの口をむりやりとがらせて、カニの硬い殻から中身の肉を吸いとった。その時顔をしかめたのは、じゅわっと熱い肉汁が口の中を犯したからだろう。
僕が夏央理から受けとったカセット・テープには、エレキギターが二本にヴァイオリンとベースという、風変わりな四人編成のバンドの生演奏が収録されていた。こういうジャンルをモダン・ジャズというのだろう。近年、アメリカで生まれたはずのジャズという音楽が、オーストラリアやニュージーランドで再興をみせている、という噂を耳にしたことがある。
僕のほうは、夏央理にタヒティで撮った写真を披露した。夏央理は一枚ずつ丁寧に写真を眺めると、被写体のことで疑問がわくたびに僕に説明を求めた。
僕は他人が撮った写真のひとつひとつを、こんなにも興味ありげにじっくりと眺めまわす女性をかつて見たことはない。
彼女は自分の知らないことは何でも知りたがろうとする人だった。彼女の美徳の世界には境界線というものがないように見えた。その無邪気さに僕の心はぐいぐいと引っぱられていった。
けれども彼女は純粋ではなかった。彼女の感じる世の中の皮肉や不条理が、「純粋という言葉は無知を褒めるために存在している」ことを知っているようだった。
その夜、言ってみればそれが初デェトだったとも思える時間、お互いに食後のワインで酔いがまわるにつれ、夏央理はしだいに饒舌になった。だんだんと無口になっていく僕とはうらはらに。
女は、クック諸島では短期講習でスキューバ・ダイビングのライセンスを獲ったことを話した。それからニュージーランドでは、その時たまたま同じように国外旅行中だった男性部隊員とおちあってスカイ・ダイビングを経験したと言った。
僕は夏央理が泳げないことを知っていたので、「潜水には気をつけたほうがいい」とだけかろうじてつけ加えた。
彼女ははしゃぐように次から次へと話題を変えた。だけど、最後に落ちつくのは「やっぱりサモアはいい」という一言だった。その結論には全く僕も賛同した。
「・・・三週間もずっと旅をしていると、終りの方はもうサモアに早く帰りたくなりました。」
「そうだね。俺も、そうだったよ。」
――この時の二人の意見は全く一致していたけれど、その理由はほとんど違っていたのだろう。
僕は、そう・・・――真しく「あなた」に会いたかった。「あなた」にタヒティでの出来事をことこまかに話してみたかった。けれど、現実に本物の「あなた」を目の前にしてしまうと、僕の口もとは硬直してしまった。それを紛らわすためにやたらとワインを口の中に運んだので、酔いは駆け足でまわってきて、輪をかけて僕の口をつぐませてしまう。ここに居あわせている「あなた」は、本当に夏央理だったのだろうか。酔いは反対に僕の熱情を冷ませてしまった。夏央理は、確かに僕が夢中だった「あなた」だったのだろうか・・・・・・


とそこへ、松井幸司が顔を出したときには、さっきまでショーが演じられた簡素なステージで、バンドの生演奏が始まっていた。幸司は仲間のサモア人がキーボードを弾くので、観客として呼ばれていたのだった。アピアという町は狭かった。いつ、どこで、誰と出くわしても奇遇とは言わなかった。まして松井幸司はミュージシャンとしての肩書きも持っていたので、「生演奏がある」という場所では、彼に会う確率が高かった。
「今度成田さんに会ったら、笹本裕子に預けておいた俺のドミノが今どうなってんのか、きいておいて欲しいんだけど」――幸司はこういう用件を僕と夏央理に持ちかけてきた。
僕らの丸テーブルに両腕でもたれるように擦りよってきたので、今夜も相当酔っぱらっているようだ。そういえば酔っぱらっていない時の幸司に会う機会のほうが少ない。
ここで言う「成田さん」とは、僕の同僚でもある音楽学校の先生、京子のことをさしていた。デング熱で正月の帰国が少し延びた笹本裕子は、幸司にとっては恋人であり、京子とは同居していたルームメイトだった。つまり幸司は恋人に託しておいた自分のドミノ倒しの駒の所在を、当時同じ住居に住んでいた成田京子に尋ねてほしい、と僕らに頼んできたのだった。
僕らがそれを承知すると、バンドは流行の『マカレナ』を演奏しだした。
アピアのナイトクラブというクラブからは、毎晩、必ずといっていいほどこの『マカレナ』が流れていた。南米のポップス歌手が吹かせた『マカレナ』旋風は、一万キロ以上離れた太平洋の小島まで南赤道海流に乗っかって運ばれた。
あの、印象的な導入部、パーカッシヴなイントロがバンドから飛びだすと、客たちは喚声とともにこぞって列をつくり、踊りを合わせるために身構えた。
僕らは幸司に別れを告げてから店を出ることにした。ドミノのことは、京子に伝えておくことを約束した。
そして、またしてもこの間の時と同じように夏央理と二人きりで夜路を歩くことになった。違うことといえば、今夜の夏央理はサモアのドレス「プレタシ」ではなく、ノースリーブのツーピースにロングスカートを穿いていたことと、なんといっても眼鏡をかけていたことだった。
夏央理はふいにこんなことをきいてきた。
「ところで藤井さん。タヒティに行ったことは、もうあたし以外の人にも話してしまったんですか。」
「いいえ、ほとんど。」
「誰に言いました?」
「沢村のお父さんにぐらいかな。あと渡部君にはもう出発前から言ってあったから、うん。」
僕の返事は事実に即していた。
「・・・あまり他の人には話さない方がいいですよ。」
夏央理の忠告は言われるまでもないことだった。間違ってスノッブ的な部隊員に洩れようものなら、それは誇張された状態であっという間に真木コーディネータに伝わるはずだった。
「藤井はタヒティに行った」程度の噂ならまだいいけど、それが「藤井は被爆した」にまで発展しかねない。実際、僕がタヒティ入りしたその二日後にも、フランスはムルロア環礁での核実験を敢行していた。あらゆる国際非難を無視して。
この時の夏央理のセリフを気にとめなかった僕は、住居に帰ってから、あらためて想いかえしてみて、逆に勘ぐってみたくなった。というのは彼女のほうからも黙っていた秘密を明かしてきたからだ。
「・・・本当言うとあたしもずるをしたんです。派遣国外旅行の規定期間は二十一日でしょ。でもあたしは二十三日行ってた、つまり二日間だけオーバーしたんです。これはルームメイトの則子ちゃんにしか知られてないんです。コーディネータには『再入国の報告が遅れました』の一言だけでバレてないし。」
彼女はさも僕とは共犯者であるような言い方をした。罪をお互いにかぶり合うような、そう、つまりこの時、二人は共通の秘め事をつくりあげてしまった。
運命を意図的に装飾してきた夏央理のやり方を邪推すれば、女としての「探り」と解釈することもできた。そして僕がその媚態に便乗してしまえば、あらかじめ編んでおいた、あの告白のための台本までには、あと数秒の距離にある、と信じることもできた。
――「君はとても社交的で、好奇心が旺盛で、可憐な人だね。僕は君のそんなところがとっても好きだよ」・・・・・・
――だけどその本番のためには、もうちょっとお膳立てが必要に思えた。色んな条件を満たしてからでないと、この発言は極めて突飛な、狂人の戯言のように聞こえてしまう。
まず、今まで以上に夏央理と僕は懇意にならなければ。
そのために僕はある計画を彼女にうちたてた。
「山本さん、今度あなたのホストファミリーを紹介してもらえませんか。」
部隊員総会の打ち合わせをしたあと、僕たちは話題の〈オカマ〉ショーを見物しに「マティーニィズ」へと歩いているところだった。
部隊員総会とは、年に二回とり行われるJコープの会議のことで、僕はその時、次期総会の実行委員になっていて、夏央理もその仲間に入っていた。
アピアの町ではわりと近代的な生活ができるとは言っても、やっぱり娯楽関係には乏しかったので、「あそこで面白いショーが催される」となると、皆なが飛びついた。総会の打ち合わせが終わったところで、誰が率いるわけでもなかったのに、「〈オカマ〉ショーを見に行こう」ということになった。
いつものように日本人だけでがん首そろえて海岸道路沿いの歩道を、まるで徘徊するようなさまは、サモア人にとっては奇異に写っただろう。
その時、僕はわざと夏央理をおびきよせるような足どりを踏んで、例の誘いを持ちかけたのだった。そして夏央理は即答した。僕が前もって用意した、もっともらしい理由をつけ加えるよりも早く。
「あっ、いいですよ。いつにしますか。」
・・・・・・あと一ヶ月ちょっとすれば復活祭だった。僕はそのくらいにどうだろうか尋ねた。
「もちろん大丈夫です。そうだ、その時に是非藤井さんの方のファミリーにも行きましょうよ。マナセ村まで。ずっと前に連れてってくれるって約束したじゃないですか。」
その約束は、もちろん僕も決して忘れてはいなかった。そしてそれは、夏央理に提案されるまでもなく、あらかじめ提示するつもりでいた。つまり僕が考えたもくろみよりも先に、彼女のほうから進んで口に出したことが、まったくこっちの条件を満たす形になった。
「誰か誘います?あたしは別に、二人でもいいんですけど。」
――このあやしげな、夏央理の発言には何の含みがあったのだろうか。もちろん小声で喋れば、これは誘惑だった。だけど、その時の声はまわりにも聞こえるような大きさだったので、彼女が僕の下心を見すかして、ただからかっているだけにも思えた。
その晩の〈オカマ〉ショーは、なるほどJコープはもちろん、アメリカの平和部隊の話題をさらうだけあって、見るにこたえる演目のめじろ押しだった。
すでにファファフィネは名物化していて、一部のおっかけも居たほどだ。そのおっかけには、対象物が「オカマ」という性質上、男はもとより女も大勢居た。そんな連中は、「誰々ちゃんはこの間ニュージー(ランド)で手術をしたばかり」とか、「誰々ちゃんはペニスを切っただけでタマタマはまだ残っているから完璧じゃない」とか、色々と情報を交換し合っては、オカマに関する寸評や、好き嫌いを話すだけでも退屈をしなかった。
ファファフィネは髭は濃いけどきれいに剃ってある。そして必ずセクシーなスカートを穿く。外見はどう見ても男なのに、仕草だけは女以上に女なので、彼らのセクシャリティは不思議に映える。彼らが出現すると、その場に異様な雰囲気が横断する。
だけど、「マティーニィズ」に出ていたファファフィネたちは、真に本物の女とも見まちがうほど極上の部類だった。か細く、なよやかな軀が音楽に合わせ、石段の上の高くなったステージでディスコダンスを舞うと、そこは男と女の性というものを超越した、美意識が拡散する場所に変化した。
真にファファフィネは、男と女という性を覆いつくした一つの美的な固体だった。彼らはときに一種のカリスマを発光した。
この夜以来、僕は日常のふとした時でも空想に陥るという、悪癖にむしばまれていた。例えば音楽学校の朝のお祈り時間だとか、昼下がりの授業の合い間の閑散としたひとときだとか、活動を終えてからの帰り路、傾く夕陽を背負いながら自転車を漕ぎだす瞬間だとか、あらゆるぽっとした瞬間に、焦燥感で磨すまされた、おだやかでやさしい南洋の採光が、僕の心(それは迷いと喜びに満ちていた)を照らしていった。
自分は告白をしてしまって本当に後悔しないものだろうか。そう悩みながらも、夏央理と二人きりで旅した時の妄想が、蛇がとぐろを巻いてしめつけてくるように僕を襲う。
間もなく、愛の罪悪が二人を苛む時がくるのだろうか。それはお互いの細胞核にとってはとりとめもなく甘美な秘境だろうけど、その幻の世界は、いつかは僕や夏央理の精神を討ちころしにやって来るかも知れない。
今、この切なる思いが叶えば、天使は僕の自我に至上の喜びをわけ与えてくれるのだろう。しかし、頭のどこかでは、必ず自制心というものが働いていた。――それで本当にいいのか、そんなことで将来、しくじったりはしないのか。
愛に溺れてしまえば、「自分には未来というものがある」ということなど僕の本能は忘れてしまうことだろう。たとえそこに一抹の不安がよぎったとしても、二人の間にむくむくと生えだした翼が、それを扇ぎとばしてしまうだろう。
その翼こそ、性にしがみつく快楽への執着心ではないだろうか。
しかし、僕にははっきりと時の変遷が見えていた。そして僕の冷静さは、たまにこうも囁いたりした。――「こんなものは恋とは呼ばない。あの女のことを本当に好きなのかどうか考えてみろ。お前はこんな所で足どめを喰らっている男ではない」・・・・・・
あかあかと海面を照らした月光が闇につつまれることがある。とぎれとぎれの雲がかようごとにそれはやってくる。そしてまた月が顔を出したとたんに波は明るさをとりもどす。
僕の中が再び暗転する場面がやってきた。それは、他愛もない噂話から浮かんできた。
その夜は週末だったので、〈城壁〉空港で任務する無線士・橋本真澄と、その同期の整備士・泊英樹(この二人が新部隊員で、空港の到着ロビーから現れたあの時が懐かしい。想えばあの時、「これで俺のかわりにギターの先生をやってくれる人が、少なくとも二人は増えた」と思ったものだ)がアピアのJコープドミトリィに戻ってきていた。
三人で呑みにいった帰りだった。僕たちは酔いざましのために事務所の表の玄関で談笑に頬をほころばせていた。こういう時はJコープの他の部隊員が演ずる色恋沙汰に話がはずむ。
だけど、橋本が夏央理の名をあげたとき、僕は笑いをやめ、逆に頬骨をこわばらせてじっと聞くはめになった。というのもこうした色っぽい話題のときに、夏央理が話の種として出てくることは、今までに一度もなかったからだ。


「夏央理さんもねぇ・・・・・・太田さんとはねぇ・・・」――橋本がこう切りだしたとき、初めて僕は「太田――夏央理というラインがある」という衝撃を受けた。もう一人の泊が話を追う。
「・・・太田さんがいろいろと山本(夏央理)さんを誘ってるんだけど、断られてるんでしょ?」
「太田さんもいっそのこともっと積極的に責めればいいんですよ。そうすれば夏央理さんだってまんざらでもないんじゃないですか。」
「だけど、太田さんの方があの調子じゃぁねぇ。どうも煮えきらないから。」
・・・どうして今の今まで気づかなかっただろう!僕は自分の情けなさに、悔恨の歯ぎしりをひそかにたてた。
太田は僕の知らないところで夏央理にアプローチ中だった!
これでうすぼんやりとしていた夏央理の挙動不審の謎がすべて解きあかされた。なぜ、二人でJICO事務所まで歩いて帰ったあの晩に彼女が突然姿を消したのか。夏央理は太田を避けるために無言のまま立ちさったのだった。単に太田の睨みの効きから逃れるための策をとったにすぎなかった。
もう一度想いかえそう。・・・――そう、あの時。〈水を分ける=海側〉二十四番の大河原・富岡邸でのホームパーティが終わってから、玄関の庭先で僕と夏央理が立ち話をしていると、太田が間を割って入ってきた・・・――あの頃からきっと太田は夏央理に目をつけていたに違いない。これで太田の不可思議な介入についても、完全に説明がつく。
僕は自分の余りの迂闊さにあきれてしまった。
だけどその直後には別の考え方が僕の心を塗りかえていった。「知らないほうがよかった」と思いはじめたからだ。
知らなければ、これまでの予定通り、一直線につき進むこともできたのに。――思いもかけない所で僕は自らで築きあげた意志をくじかれてしまった。怯えが、心の中に芽ぶいてきた。
「・・・まてよ、太田が夏央理のことを気にいっているというのなら、そこへ俺がさもライバル然とした面さげて、横やりを入れる必要があるのだろうか。そもそも夏央理は、男が二人してとり合うほどの女なのだろうか」――この考えがむっくりと浮上してきたとき、「やめた」と素直に決断してしまった。「彼女のことは諦めよう。そして告白のためのあの台本も棄ててしまおう。もう最初から何もなかったことにしてしまおう。彼女への恋慕そのものと一緒に・・・・・・」――残されるのは、諦めるための辛苦だけだ。
正直に言って、僕は夏央理のことを初恋の人のように神聖視しているわけでもなかった。
しかし、だとしたら、今まで僕の恋心をかきたてた情念のことを、僕は何と名づけるべきだったのか。僕は当惑した。
それから二、三日たったある日、午前中の授業の合い間に、学校で電話が鳴った。僕が小汚い木造の事務室で教材の整理をしていると、別の教室から大きな声がかかった。
「カズヤーッ、電話よ。」
――僕が「誰からだい」ときくと、恰幅のいい、いかにもポリネシア女性的な体形をした同僚が薄笑いをこめて「女からよ」とからかった。
恐らくは日本人だろうと受話器をとってみると、電話口の向こうから聞こえる声の主は、何と夏央理だった。
「今週の土曜日はマノノ島まで泳ぐ日ですよね。」
夏央理の言うとおり、マノノ計画、つまりウポル島から約四キロ離れた小島・マノノまで泳いで渡ろうという計画は着々と進み、ついにその週の土曜日に実施される予定だった。僕は前もって先週、空港の無線士・橋本のホスト・ファミリーのあるマノノ島まで下見に行って、そのファミリーのつてで判走してくれるボートもチャータしていた。
僕が「そうだ」と答えると、「ビデオの撮影で参加したいので、僕のほうで機材を調達しておいてくれないか」と頼んできた。僕は「大歓迎だ」と当日のメンバーとして夏央理を誘った。
ビデオカメラはその後JICO事務所のほうから「Jコープ活動用」と偽って確保した。
電話を切ると、今度は同僚のサモア人女性が「女の子は誰だったの」ときいてくる。彼女は僕の返事を期待している。そして、僕の答えがどんな内容であってもひやかすための言葉を用意する。
「僕の彼女だよ」――意外にもストレートな返事が僕からズバッと投げられたので、同僚は豆鉄砲でも喰らったように息をつまらせ、「あなたの彼女だって?」 と受けとめるしかなくなった。
・・・「カズヤの彼女から学校に電話がかかってきた」――次の日には、音楽学校の先生という先生がこの噂話を口にしていた。
マノノ計画の決行日、集まったメンツは無線士・橋本、同居人の生態学者・渡部、お父さん部隊員の沢村、そして夏央理と僕との五人。このうち実際に泳いだのは渡部、沢村、僕の三人だけだった。
太平洋の島々は、たいていは珊瑚が海岸に沿って発達して、波打ち際から沖へ一〜二キロにわたって浅瀬をつくる。これを珊瑚礁、英語では「リーフ」と言い、サモア語では「サミ」と呼んでいた。浅瀬が途切れると、そこからはいわゆる深海が始まるけど、これをサモア人は「ヴァサ」と呼んで「サミ」とは言葉の上で使いわけていた。
ウポル島からマノノ島まではずっと「サミ」、つまり深さ二メートルから数メートルの浅瀬が続いて、それ以上深くなることはない。
僕たち一行はアピアの町からバスでは小一時間ほどかかる〈マノノ=島側〉まで行き、そこにある簡素な停泊所から九時過ぎに泳ぎだして二時間足らずで、もうマノノ島にランディングしていた。
その行程は潮流に惑わされることなく順調に進んで、唯一危ぶまれた鮫の出現もなく、計画は成功に終わった。まるで肩すかしのようにあっけなく。夏央理は人一倍甲高い嬌声をあげながら終始ぎこちなくビデオの操作に尽力を奉仕した。
最後の記念撮影でインタヴュー風に全員のコメントを収録しているとき、夏央理はカメラを操ることに夢中だったので、僕の向ける視線については全く認識していなかったけど、撮影のための都合上、短パンのまま右脚を折りたたむ格好をとった。
この時、彼女のむき出しの素足が、がぜん僕の目を奪う対象物になってしまった。そう、僕は夏央理の太腿とふくらはぎの微動を少しも見のがさなかった。それは、スゥーッと彼女の胸のうちへと吸いよせられ、ヒザ小僧は肩口まで真っ直ぐと延びていた。ふくらはぎがぺったりと太腿の裏側に引っついたために、筋肉が広がって弁慶の骨だけがぽっかりと浮彫りになった。
夏央理の膝の位置がどこにあるか、僕はすぐさま目を追った。そして肩のラインよりも上にヒザ頭が屹立しているのを確認して、ほっとした。
「やっぱり夏央理は脚が長い。真実にも負けないぐらいに」――僕の目前で突然、真実との想い出のシーンが重なった。それはずっと昔に真実と一緒にカラオケに行ったときのことだ。ボックスの中のソファーの上で、彼女は大胆にも脚を折りたたんだ。その時ほどその女の長い太腿が気になったことはかつてなかった。胸にぴたりとついた彼女の太腿はにょきりと延びて、ヒザ小僧ときたら、余裕で肩の上を凌駕していた。これこそコンプレックスの萌芽だ。――脚長の女性への!
(これだけ吐露してみると、読者は僕の恋愛について、特に夏央理に対する慕情についてはすべてが偽りであり、本当のところは真実に対してのこだわりが残っているようにも写るかも知れない。しかし、この時点で、僕は真実への未練はほとんどなかったことを宣言する。)
・・・・・・それから僕たちは橋本のホスト・ファミリーで豪華な昼食を給わった。この手厚いもてなしは、さすがサモア人ならではのものだ。そして、その晩ファミリーで宿泊する予定だった沢村のお父さんと渡部部隊員だけを残して、僕、夏央理、橋本の三人は島をあとにした。帰りはボートとタクシーを使った。そのタクシーは〈マノノ=島側〉からほど遠い〈最後の土地〉港まで辿りついて、ようやくレディサモア二世号の乗船客待ちをしていた一台を捕まえることができた。
タクシーの車内はエアコンが効いていたとはいっても、僕はくたくただった。一時間半の遠泳なんて、初めてのことだった。海中から陸に這いあがったとき、自分の体重が急にのしかかってきて、さらに疲労に追い討ちがかかった。とろんとなってしまった目を助手席の橋本に向けると、もういびきをかいている。「さしもの藤井さんも、さすがに今日はお疲れですね」――隣りの夏央理が何度となく同じことを呟いた。
いったん育ってしまった恋愛感情を枯らせてしまうことは、そうたやすいことではない。
ある夜、町のファーストフード屋で新部隊員の一人と食事をしていると、別の男性部隊員が店の中に顔を出した。僕が挨拶を交わそうと手を上げると、その後ろから夏央理の姿がひょこりとあらわれたのでたまげてしまった。いったん手をあげてしまった以上、そのゼスチャーを続けるしかなく、僕は入ってきた二人に苦笑いで応えるだけになってしまった。
夏央理もばつの悪そうなはにかみを見せて、おずおずと角の席に男と一緒に座った。
「あの二人も『部隊員マジック』なんですか。」
僕と同席していた部隊員が興味ありげに尋ねてくる。それは当時Jコープの内部だけで流行りだした隠語で、Jコープ参加をきっかけに男女の交際が始まることを「部隊員マジック」と言った。
「いんや、ち、違うと思うよ」――僕の声は震えていた。動揺は右手に持った〈手の水〉ビールのボトルまでガチガチと伝わった。
絶対に違ったはずだった。けれど夏央理とその男は前に一度、ニュージーランドでスカイダイビングに挑戦した、という話を聞かされていたことを思いだすと、僕の嫉妬心がメラメラと燃えたぎった。頬には、怒りからたち昇る火照りさえ覚えて、それから先は会話さえおぼつかないほどうわの空になってしまった。
「・・・諦めた女が誰と一緒に居ようが、どこで別の男と食事をしていようが知ったことではない。俺には全く関係のないことだ」――この時の僕は、まだそんな風に考えを整理するだけの冷ややかなところを持ちあわせてはいなかった。いや、むしろこの時、しぼんでしまったはずの花に火をつけて、活きかえらせてしまったかも知れない。熱情の花びらを。
次の日、僕はJICO事務所三階のコピー機の前で夏央理とはち合わせた。彼女は僕をまともに見ないで軽い会釈をした。そのついでに、コピーをとったばかりの書類が彼女の脇の下からパラパラと床に落ちて広がったので、それを拾って手伝おうとした僕の手をつかんで夏央理は制止した。
僕は昨日の晩のことを詰問しようとしていたけど、ついに口が開かなかった。彼女は「そのことは訊かないでくれ」と訴えたげに僕の視線から目をそらしながら何度もまばたきをした。
三月に入ってから、部隊員総会のあった日、午前中は会議に徹して、〈語りべ〉ホテルにオーダーしておいた幕の内弁当で昼食を摂ったあと、サモアに居るJコープ総勢で(部隊員総会はサヴァイイ島で活動するJコープも含め、全員出席の義務が課せられていた)町のはずれにある「パロロ・ディープ」海水浴場へと出かけた。総会は部隊員たちの慰安も兼ねていた。実行委員は必ずそこにリクリエーションも折りこんだ。
この日、夏央理はせっかくの海に入らなかった。
ずっとジーパン姿のまま、浜辺を遊びまわっている彼女は、清浄無垢な白砂にも似ていた。この少女が僕と太田、少なくとも二人の男のハートを痛めつけていたとは、本人の意識するところにあったのだろうか。
僕が低い椰子の木の、葉と葉の間を通して夏央理の姿を拝むと、彼女はかがみ込むように両方の掌を膝の上にあてた。この時、両脚の太腿のあいだに端整な隙間が出来あがった。ジーパンの濃紺の生地はいっそうこの情景を引きたたせた。


夏央理の手。それが気になる動きをしていた朝方の会議中のことを想いかえす。あれは、会議の進行で太田が発言する番になった時だ。夏央理は太田が喋っている間じゅう、手に持ったペンを忙しく親指と人差指でクルクルと回転させていた。いらだちか、緊張か、目線はずっと下にやったまま一点を集中して足もとの何かを見ているようだった。
僕はいつの間にか太田と夏央理の動向を注視するようになっていた。この愚かさを、僕の理性は全く咎めなかった。
夜になって一同は、場所を町から少し離れた部隊員宅に移すことになった。その時点での参加者はもうかなり減っていた。多くは最終のフェリーでサヴァイイ島に帰ったか、事務所のドミトリィに戻っていったあとだった。つまり、日本人同士の下俗なホームパーティを蔑む連中も、居るには居たということだ。そういうJコープの言い分、つまり「協力活動は部隊員同士の付き合いとはまったく別のところにあるべき」の方が、よっぽど正当性に長けていた。
僕は好ましくないと省みながらも、ホームパーティにはよく顔を出すほうだった。その夜も、誘われたからには断るすべもなく、何よりも夏央理が来ることを知っていたので、真木コーディネータの運転に便乗して〈水が多い〉村に向かった。
夏央理は昼間とはドレスチェンジして、花柄のミニスカートを穿いていた。
その部隊員宅は、平屋のいわゆる〈西洋造りの家〉で、玄関の扉を開けると、そこは白いペンキを基調にした小ぎれいなリビングだった。傍らでは、CDラジカセがエリック・クラプトンのライブ・テイクを流している。
いつものように、呑み会が始まる。こういう時、部隊員たちは両親から郵送してもらったとっておきの食料を持ちこむので、それを目当てにやってくる輩も多い。鯣、酢烏賊、煎餅、佃煮、良質のサラミやチーズ、羊羹――こういったものは、サモアでは手にはいらない懐かしい日本の味だった。各ホームパーティではいつもこれらのものが主役になり、目玉にもなった。
そして語り・・・・・・。ふだん、活動中は日本語を使うことのできない鬱憤を、ここではいっきに晴らすことができる。
誰かが麻雀牌を運んでくる。側では将棋盤が広げられる。モノポリーやバックギャモンも重要な脇役だ。
僕はなりゆきで、真木コーディネータと将棋駒を並べることになった。片手のグラスにはスコッチ・ウィスキーのオン・ザ・ロックを携えていた。2六歩、3四歩、2五歩、3三角、3八銀・・・・・・。
夏央理が近くに寄った。いつになく酔っているようだった。最初は盤上を眺めていたけど、「訳が分からない」といった風に首を横に振ると、「あたしにも藤井さんのウィスキーを分けてくれない?」と手にもったグラスをさし出してきた。
「これはキツいよ。」
僕が躊躇うと夏央理は、
「いいわ、注いで。」
と強引にグラスの口を僕の手持ちのグラスにあてがった。
受けとった麦茶のような液体を一口ふくむと、女は顔を歪ませてから無理に笑顔を見せた。
「やっぱりキツいでしょ?」
夏央理は手を口にあてると、心なしか赤らめた顔で大きく頷いた。「今までウィスキーは試したことがなかった」と言うので、「だから言ったじゃない」と僕はなじりを被せた。
「だって、どんな味がするか、みてみたかったんだもん。」
――夏央理は猫なで声をたてた。それが愛玩を求めるような、いじらしさを滲ませたので、またしても僕のひくひくとした鼻の奥をキューピッドが落とした矢を浴びた露草がくすぐった。その瞬間、僕はある悔悟に至った。――諦めようが、諦めまいが、今の自分にとっては夏央理という女神が「絶対」であることを知ったのだった。
将棋のほうは先手の真木が棒銀戦法で一気に僕をたたみかけ、敗戦色が濃くなった僕は対局も半ばで投了してしまった。
それからは麻雀が始まった。僕もメンツに引っぱりこまれた。「半チャンだけ」というのは合言葉のようだったけど、その半チャンを終えるまでに、僕たちは相当な時間を費やしてしまった。
ホームパーティは誰か一人の「帰ります」という一言が、連鎖反応を起こしてお開きになることが往々にしてある。その夜もご多聞に洩れなかった。
ある女性部隊員の一言が引き金となって、一同が顔を揃えて捌けるようになった。
皆なが帰ったあとも、夏央理の呑み残したウィスキー・グラスは黄昏色の中身とともに、テーブルの隅にポツリと置かれていた。
その晩から二週間もたたなかったある夕方、夏央理が電話をして来た。話しぶりからしてJICO事務所からのようだった。
「あの、藤井さん。突然なんですけど、これから『ル・ジャルダン』でお食事しませんか」
「え、それはどういうことですか。」
「実は知り合いのサモア人が映画のプロモートをしてるんですけど、今夜『ル・ジャルダン』で上映会があるって言うんですよ。」
事のいきさつとしてはかなり怪しいものだった。「ル・ジャルダン」はダンスショー(それがこの間の停電では中止になったのだった)や生演奏を聴かせるスポットがレストランの一角に施されてはいたけれど、とても映画のスクリーンを広げられるようなスペースではない。仮設の、簡易スクリーンを用意するにしても、それでは映写機、あるいはプロジェクターをどこに設置するかにも難があるだろう。
けれど夏央理はそのサモア人の言葉を全く信用していた。確かに、以前にもディスコが野獣サモアのラグビーの試合風景を上映したり、ただのレストランがある日一日だけレーザー・カラオケ屋(スクリーン式大画像の)に変身したことがあって、アピアという町は奇想天外なことが起こりうる所でもあった。だからと言って・・・
「ねぇ、行きません?事務所で誰か一緒に行く人を探しても、皆な用事があって行けないって言うんですよ。」
「それは山本さんのお誘いを断るわけにはいかないけど、何だ、他の人の代理ですか。まぁ、いいか。」
僕が近くのタクシースタンドから例によってボロボロのタクシーの助手席に乗ってJICO事務所の入り口まで着くと、もう夏央理は表の、海岸道路に面した低いコンクリート垣の上にちょこんと座って、僕の来るのを待ちうけていた。
「子どもみたいだ、この人は」と僕は思った。スカートのお尻の部分が汚れてしまうのを気づかうこともなく、少女のように足をぶらぶらともてあそぶ、愛らしい姿。――眼鏡はしていない。今夜はコンタクトなのだろう。
彼女は僕の乗ったタクシーを認めると、スタスタとかけ寄って後部座席に飛びのった。
それからタクシーは五分ほどで僕らをル・ジャルダンに連れていった。この店は二階建ての西洋館の一階をレストランに改造したような風采だったので、入る直前は一瞬だけ個人の宅を訪れたような気分になる。だけど、中に入ったとたんにがらりと景観が変わって、深紅のテーブルクロスのかかった食卓や、ひじ掛け付きの籐椅子が贅沢なムードをしつらえる。
入り口から右奥にあるコーナァでは、電子楽器やP・A機器などがセットされていたので、一応、生演奏は催されるようだった。だけど上映会をやるような様子は全くない。たいていは入場料をとられたり、「本日は映画の上映がございますのでお食事とは別にチャージを頂くことになりますが」という説明があるはずだけど、僕らを卓まで案内したウェイトレスは何も言わずに離れていった。
「ついに鬚、剃ったのね。」
話を映画のほうからそらすように夏央理が言った。
「うん、おととい。いや、その前かな。」
国外旅行の時から伸ばしていた鬚を、ようやく僕は落とした。といっても、毎日長さを整えるために電気シェイヴァは操っていたので、ある日気まぐれに全部剃ったまでだった。
夏央理からは前回ル・ジャルダンにきた時に酷評を得ていたところで、すぐ切ってしまうようでは従順すぎる。僕には、「すぐには切らないぞ」というつまらない意地がその時点で生まれたのだった。
ウェイトレスを呼びとめて、僕はジントニックを、夏央理は白ワインを頼んだ。
「・・・ところで復活祭のサヴァイイ島巡りのことですけど・・・」
夏央理がまた話題を変えた。
「あぁ、その話か。」
「やっぱり車を動かせる人を誘った方がいいかも知れませんね。あたしは二人でもいいかって思うんだけど、そうするとどうしてもタクシーを使わなきゃならないし、高くついちゃうから。・・・藤井さんはどうしたらいいと思う?」――夏央理が僕の胸の裡を探った。
「そこらへんはまかせます。山本さんが考えてくんない?で、もう一つ問題なのがコースなんだけど。・・・要は島を南回りするか北回りするかってことね。」
僕は彼女のファミリーのほうを先に寄る、南回りで一周するのが良いと提案した。夏央理はそれに賛同した。
バンドの生演奏が始まった。やっぱり映画などを上演するような雰囲気ではない。それはサモア人独特の嘘だったのだろう。
ふと、夏央理がワイングラスを持つほうの手を見て、彼女のことを知りたいという欲求から、たまらなくなった僕は思わず尋ねた。
「あれ、左利き?だったっけ。」
――夏央理ははっとして左手の握りをこわばらせた。思えば、彼女はいつも腕時計を右手のほうにはめる女だった。
「・・・・・・もと。」
一瞬だけ目線を落としてからもう一度僕を見ると、彼女はこうつけ加えた。
「――でも今は右利きなんですよ、はは。ていうか、もともと力がないから、右使っても左使っても同じなの。でも、このことは、他の人にはあんまり言わないで、お願い。」
僕は彼女と約束ごとをするのは、派遣国外旅行の規定を破ったというあの秘め事以来これが二度目だと、言い知れない満足感を得た。
しかし、次に夏央理が発した言葉に、焦燥を覚えないわけには行かなかった。
「・・・実は帰途変路旅行なんですけど、今どうしようかなぁって、あれこれ考えてるの。」
僕は愕然と自分の耳を疑った。そして、
「この間派遣国外旅行から帰ってきたばかりなのに、もう帰路の話?」と辛くも答えられただけになった。
「はは。今一番候補に上がっているのがヴァヌアトゥなの。ずっと前から行きたいなって思ってた国なんだけど、(松井)幸司さんが言うには『あそこは余り良くない』って。あとは思い切った場所で、P.N.G.(パプア=ニューギニア)。――ちらっとガイドを読んだところによると、ダイバーたちの『マル秘』スポットになっている所もあるんですって。」
夏央理はおかまいなしに話を続けた。もしそのセリフが磁気テープによる再生だったなら、僕は迷うことなく「休止ボタン」を押しただろう。
それは派遣国外旅行で一人旅の味をしめた女が、早々と次の旅行先について、楽しみにしながら単に語りだしただけのシーンだった。でもその旅に出かけることは、僕にとっては彼女との離別を意味した。夏央理は北海道の女だった。たとえ僕が東京に帰ったとしても、再会は難しい。
今、僕らを結びつけるものはサモアだけだった。彼女がそのサモアを離れる時の話を始めたので、僕は耐えられなくなった。しかし、さすがに「やめてくれ」とは言えない。


――今夜もやっぱりそうだ。夏央理がいないとき、僕はひたすら彼女の象徴を崇め、再会を切に願う。だけど会ってしまったら、側に居るはずの夏央理が、透明の幕の向こうに隔離されてしまった彫刻のように存在するだけになる。僕はがっかりするのだった。「俺の希求していたものは何と現実感のないものだろう。見ろ、この彫刻は、フランス人形だった方が見てくれの良さだけでもよっぽどましじゃないか!」・・・・・・
三杯めのジントニックを頼んでからも、僕は黙っていたので、いつもはよく喋る夏央理も、本物の彫刻のように無口になってしまった。
こういう場に居てもおかしくない松井幸司は、今夜は姿を見せていない。キーボードは別のサモア人が弾いている。
バンドが『ルート六六』を演奏しだした。
「やっぱりブルースが一番いいね。このリズム感といい。」
僕がようやく二人の沈黙を破った。
「あたしも。ブルースが一番好き」――夏央理が僕の話に合わせて乗っかってくる。
「踊ろうか。」
その時、初めて夏央理の目が煌りと光った。レストランの照明を反射するように、朱く輝いた。こんなに眩しい彼女の目をあとにも先にも見たことがない。潤んだ黒目が微笑みといっしょにはじけて、立ちあがった。
僕らは、バンド近くの、客が踊るためにおかれたスポットまで行って、そのジャズ風のR&Bにグルーヴした。
夏央理の振りは、西田紗絵のお別れパーティの時に見せた、あの俗っぽいC・Mというタレントの動きをすっかり失っていた。僕はそこに一年という歳月を見た。僕の踊りだって一年前とは違っただろう。微かではあるけど、サモアの踊りのエッセンスが混じっているはずだった。
二人のデュエットダンスが続く・・・・・・
……Well it goes to St.Luis down to Missouri Oklahoma city looks so pretty
セント・ルイスを過ぎて ミズーリを下ると オクラホマ・シティがまぶしいぜ
You ought to
see Amarillo, Gallop New Mexico
アマリロを横目に眺めたら ニューメキシコまで駆け抜けな
……Well it winds from Chicago to L.A. more than
2.000 miles all the way
シカゴからL・Aに渡って風が吹くのさ 二千マイル以上の長い道のりだ
Get your
kicks on Route 66
さぁ、ルート六六をぶっとばせ
〈Route 66〉
夏央理の固体が活きた女になって、僕の目の前で躍動している。そこにあるのは、理想の夏央理と現実の夏央理の一致した顕れ、夢が叶う瞬間との邂逅だった。でもその夢は、この曲が終わるまでの、儚い命だった。
僕は時間を恨むことさえできない。せめて矜持の城壁を僕の中にうち建てるのを見守るだけだ。わずかな時間とはいえ、夏央理を独占することができたという矜持。そして風前のともし火は、太鼓の最後の一打で吹きけされてしまった。
・・・・・・夜が更けたので僕らは帰りのタクシーをウェイトレスに呼ばせた。僕は帰りしなに夏央理をそしることを忘れはしなかった。
「やっぱりかつがれたんだね、そのサモア人に。おかしいと思ったんだよ、こんな所で映画を上映するなんて。」
彼女はそれを聞いてよろよろと倒れかかってしまった。よっぽど触れて欲しくはなかったのだろう。
女がタクシーに乗ろうとしたときに力を失ったので、僕はそれを支えようとして二人で後部座席にはいり込んでしまった。夏央理はただ酔いすぎていただけかも知れない。でもその時の僕は自然に彼女の隣りの席をせしめたことを幸運だと思った。
そしてこう言って彼女を慰めた。
「・・・でもすごく楽しかったよ、来てみてよかった、うん。」
夏央理は唇から安堵の息を洩らしたようだった。途中、彼女の住居に寄って降ろすと、僕はタクシーを〈水を分ける=海側〉に向かわせた。
――――――――――
復活祭のサヴァイイ島めぐりについて、その交通手段の決定権を夏央理に委ねたことは、ひとつの賭けになった。彼女が二人きりで行くのを選ぶか、それとも車を運転することのできるJICO職員か専門家に足となってもらうよう頼むのか。僕らが車の運転を許されていれば、レンタカーを借りることもできただろう。しかしJコープの運転は禁じられている。
僕は密やかな、二人だけの夢旅行を描画した。あのタヒティでの白昼夢のような。でも考えれば考えるほどそれは不可能だった。サヴァイイ島は男と女が逃避行するような離れ小島とは訳が違った。島には常に七、八人のJコープが住んで居たし、部隊員のホームスティ先だけでもやっぱり八、九の村にまたがって点在していた。二人で旅をすれば必ず他の日本人の目にとまることになる。もしひらき直れば、部隊員がリークする男女の醜聞など、怯懦に値しない。僕が夏央理を求めている心に偽りはないからだ。しかし遠慮はいつでも僕につきまとった。その遠慮とは、夏央理の生活を犯してしまう罪悪感と、太田健二の糧を奪いとってしまう非道さを自らなじる気持ちから生まれていた。
ぼくはしばらくじっと様子を眺めることにした。二週間ほど黙ったまま、わざと復活祭のその計画については言外しなかった。まわりが「今度の復活祭の連休はどうするのか」という話をしだすと、意図して仲間からは抜けるようにして夏央理のほうの出方を窺っていた。
ついにその休暇まであと一週間と迫ったある日、僕は二軒先の大河原・富岡女史の庭で草刈りを手伝った。そこは言わずと知れた、あの「二十四番事件」のあった住居の庭だ。
草刈り機を操るのは、女性部隊員にとっては難しかったので、僕はよく彼女たちの庭に芝刈師として出張した。終わった後の〈手の水〉ビールのご褒美とひき替えに。
まずブッシュナイフで大まかに草を刈る。それからでないと草刈り機が長めの茎を回転盤の中に吸いこんでしまって、役に立たないからだ。刃長八十センチのブッシュナイフを慎重に、力加減を合わせて左に振り、右に振りかえす。地面とはできる限り平行な線をたどりながら切ったほうが草をきれいに刈ることができる。側では大河原美里がずっと僕の仕事の面倒を見守っていた。富岡百子のほうは家の奥に引きこもっている。炊事場で何かをこしらえているようだった。
じっと眺めていた美里がふと発した言葉に、僕ははっと手の動きを止めて思わず彼女を注視した。そして、その瞬間あふれ出た動揺を、自分の荒いだ息の中へと懸命に葬るしかなかった。
「藤井さん、今度、夏央理ちゃんとサヴァイイに行くんでしょ。あれ、(JICO)職員の河本さんが車を出すことになったらしいわよ。それからウチの百子も一緒について行くって。この間皆なでテニスをした帰りにその旅行の話が出たので、そう決まったのよ。」
――夏央理は車を確保するほうの道を選んだ。僕と二人で旅行するほうではなくて!